トモダチだから、言えなかった
彼女はエイトビートしか叩けなかった。
寝る前によく思い出す。
あれがもう30年も前のことになるのか……。
文化祭で私たちのクラスは即席のロックバンドをやることになった。
ギターは闇崎さん、とてもギターが上手かった。
ベースは星野さん、堅実な上に背が高くてルックスもよくて、彼女がいればバンドの成功は間違いなしと思えた。
私はギターボーカルだった。
引っ込み思案な私がバンドに入れてもらえたのは、仲良しの娘が紹介してくれたからだ。
私は二人と仲良くはなかった。でも、とにかく音楽が好きなことでは誰にも負けなかったから、私がステージのセンターに立つことに反対するひとは誰もいなかった。
そしてドラム──
彼女だけは私とトモダチだった。
睡魔に身を任せながら、私は呟く。
「エイトビートしか叩けなかったもんなぁ……」
漆原朋子ちゃんがすべてをぶっ壊した。
アップテンポの曲だろうがバラード曲だろうが、すべて同じパターンのリズムで叩いた。
曲の中で曲と関係のない雑音がずっと鳴っていた。
どんな曲でも『ズン、チャン、ズズ、チャン』だった──
誰も何も言わなかった。諦めてた。
朋ちゃんは嘘つきといわれ、みんなに嫌われていたから、誰もため息をつくだけで、放置していた。
私だけが彼女のトモダチだった。
彼女をバンドのメンバーに加えたのも、私だった。
そして私はトモダチだからこそ、何も言えなかった。
「あのステージ、やり直せたらなぁ……」
私はギターボーカルだったけど、楽器なら大抵なんでもこなせる。
「私がドラムボーカルをやる」と言えば、あのステージは拍手喝采されるものになっていただろう。
でも、ボーカルはステージの前に立つものだという頭があった。
何より、私にドラムの役を取られた朋ちゃんは、どんな顔をしただろう……。
みんなは仲良くないから言えなかったけれど、私はトモダチだから、言えなかったのだった。
『あの頃に戻れたなら、あのステージをなんとかやり直したいな──』
そんなことを思いながら、私は気怠い夢の中へ落ちていった。
明日も仕事だ。
つまらない、引っ込み思案の私にお似合いの、華のない仕事──
「夏代ー、いつまで寝てんの? 学校遅れるわよー」
そんな母の声で目覚めた。
なんだか若い母の声だった。
大体、私、アパートに一人暮らしなのに……お母ちゃん、いつ来てたの?
気づくと布団が違ってた。いつもの安物のペラペラ布団じゃなくて、いい香りもする優しい羽毛布団──これ、高校生の頃に使ってたやつだ。
階段を下りていくと、30歳若い母がいた。43歳のはずの弟が中学生だ。病気で天国に行ったはずの父が新聞読んでる!
自分も若くて、身体が軽いことに気がついた。
あの頃に戻れたんだ──
ピンポイントであの日だった。
学校へ行くと、朋ちゃんが話しかけてきた。
「エヘヘ……。夏ちゃん、今日、あたしん家に遊びに来ない?」
朋ちゃんに友達は私一人だった。私には一応他にも三人ほどいて、みんな朋ちゃんのことを嫌ってた。
私が朋ちゃんと友達になったのは、正直に言うと同情からだ。
自分も『暗い、口数の少なすぎる、わけのわからんやつ』とよく言われるので、『嘘つきで見栄っ張り』というレッテルを貼られた朋ちゃんの、いいところを見つけてあげたかったのかもしれない。
「うん、行く行く」
私がにっこりうなずくと、朋ちゃんは「よしっ」みたいな笑い方をした。
ぽっちゃりしたほっぺたが得意げに膨らんだ。
「じつはね、あたし、ドラムセット買っちゃった! 見に来てよ、叩いてみせてあげるから!」
この朋ちゃんの言葉を聞いて、あの日だとわかったのだった。
朋ちゃんの家は田んぼに囲まれた一軒家だ。
隣の家が100メートルぐらい離れてるので、ドラムを叩いても苦情の出ない環境が羨ましい。
「じゃーん!」
ドアを開けると、12畳の部屋の窓際に、銀色のドラムセットがあった。あの日見たやつだ。懐かしい。
「叩いてみせるね!」
そう言うと、ちっちゃくて丸っこい朋ちゃんの体がドラムセットのむこうへ入り込む。
運動神経の乏しい動きでスティックを颯爽と持つと、アレを叩いてみせてくれた。
ズン、チャン、ズズ、チャン──
あの日、これを見て、私は「へぇ!」と感動したものだ。
運動神経の悪い朋ちゃんがドラムを叩けるのを見て、頑張って100メートルを完走する我が子を褒め称えるような気持ちが産まれた。
その上、かなりそればかり練習したのだろう、そのエイトビートだけは確かに叩けていたから、私は──
「すごい! すごいよ、朋ちゃん!」と、あの時の私は絶賛したのだった。朋ちゃんは私に褒められて、有頂天になっていた。
でも、今の私はただ、ひきつった笑いを浮かべられるだけだった。
そんな私の反応を見ても、朋ちゃんはあの時と同じことを、自信満々の笑顔で言いだした。
「ねぇ、夏ちゃん、今度の文化祭でバンドやるんでしょ? ドラムを叩けるひとがいないって聞いたよ? あたしを入れてよ? お願い!」
あの日私は、このお願いに即答したのだった。
「うん、闇崎さんに言ってみてあげる」
そして今もまた、同じ返事をしてしまったのだった。
闇崎沙都巳さんは怖い顔をしたひとだ。
私が仲のいい一人とは友達なので、その娘に間に入ってもらってコミュニケーションをする。
「ドラム叩けるやつ、おらんかなぁ……。MIDIの自動演奏は使いたくないんよなぁ……。やっぱバンドは人間の魂込めた生演奏でやるべきもんだし」
そんなことをブツブツと呟く闇崎さんに、仲のいい娘に言伝してもらった。
「闇崎ー、漆原がドラム持ってるんだってー、叩けるんだって」
闇崎さんは朋ちゃんの演奏を聴きもせずに即決した。それほどまでにドラムを叩けるひとがいなかったのだ。ドラムを所有してるというだけで、叩けると思い込んでしまったようだ。
朋ちゃんのことをよく知らなかったのだろう。
星野有希さんはいつもニコニコしているひとだ。
私にも優しく接してくれるが、あまりにも聖人君子っぽすぎて、私なんかが仲良くしちゃいけないひとだみたいな感じがして、私は距離を置いてしまっていた。
闇崎さんから話を聞いた星野さんは、優しい笑顔の中に疑惑の色を浮かべた。
「へぇ……、漆原さんがドラム? ……大丈夫かなぁ」
ベースといえばドラムと同じリズム隊──さまざまなビートを繰り出せる星野さんが、朋ちゃんはエイトビートしか叩けない事実を知った時、確か笑っていたのを覚えてる。呆れた笑いを──
覚えてる──
初めてメンバー揃って貸スタジオに集まって、音合わせをしたのはこの約一週間後のことだった。
そこでバレたのだ。朋ちゃんがドラムが叩けるというのが、嘘だということが──
そこまでに私がなんとかしないといけない。
とりあえず正攻法として、私は朋ちゃんにドラムを教えることにした。
文化祭で演奏する5曲が決まっていた。それを各々練習し、一週間後に初めて音合わせをする。
それまでに、朋ちゃんに5曲ともをちゃんと叩けるようになってもらうんだ! ううん、上手に叩けなくてもいい、最低、曲に合わせて叩けるようになってもらいさえすれば。あとはみんなとの練習の中でゆっくりでも上達できる。
彼女の家に毎日行った。
朋ちゃんは私が毎日来ることを、最初は喜んでくれた。でもそのうち、表情が目に見えて嫌そうになっていった。
「この曲のフィルインはね、三連符に合わせてオフビートの四拍子を刻むポリリズムになってるから難しいんだけど、体で覚えれば絶対できるから! ズン、チャン、ズズチャンを叩いちゃだめだよ?」
私の言ってることの意味もわかってないようだった。そしてわかる気もなさそうだ。
「へー……。夏ちゃん、ドラム叩けたんだね」
半分閉じた目をして、朋ちゃんは言った。
「……じゃあ、夏ちゃんがドラムボーカルやればよくない? あたし、いらないね」
それまで自分のことを『あたし、天才ドラマーかもしれない』とか『ジャズのドラムとロックのドラムは同じものだ』とか自慢げに口にしてた朋ちゃんと同じひととは思えない物言いだった。
「ドラムは朋ちゃんでしょ」
私はあの日言えなかったことを、ストレートに口にした。
「トモダチだから言いにくかったけど、トモダチだから言うべさだと思って、言うよ? このままじゃ朋ちゃん、文化祭のステージを一人でめちゃくちゃにしちゃう。曲と全然ズレてるリズム叩いて、みんなから呆れられちゃう。せめて曲に合わせられるようになろうよ」
「バカにしてたんだね?」
朋ちゃんの口調が不貞腐れた。
「どーせあんたも心の中では思ってたんだろ? コイツ口ばっかりの嘘つきだなって……」
「みんなに嘘つきだとか言わせてていいの?」
トモダチだから、私は熱弁して聞かせた。
「このままじゃ朋ちゃん、一生嘘つきだって侮られて生きていくことになるよ? ほんとうにできるようになろうよ! 練習して、文化祭で『あの子やるな』ってみんなに言わせようよ!」
「できねーことはできねーんだよ!」
朋ちゃんの目が私を睨んだ。
「できるやつにはわかんねーんだよ! できねーやつは口だけできるようなこと言って自分を慰めて、嘘ついて生きてくしかねーんだよ!」
「私だってできないこといっぱいあるよ! でも、少なくとも自分でやろうって思ったことぐらい、できるようになろうよ! 上手じゃなくていいからさ!」
トモダチだから、あの時は言えなかった。
でも、今はこのあとどうなるかを知ってる。文化祭のステージは散々なものとなり、朋ちゃんは『やっぱり嘘つき』の烙印を私からも押される。高校を卒業してからはまったく会っていない。
どこでどうしてるかも知らない。でも想像は容易につく。
トモダチだから、今度は言った。
「頑張るだけでいいんだよ! 上手になろうと努力したってことだけわかれば、下手でもみんな優しく笑ってくれるよ! 妄想の中だけで生きてる自分を卒業して、上を向こうよ!」
あの文化祭のステージを成功させれば、きっと30年後に戻れたら朋ちゃんは変わってる。私とトモダチでい続けているかもしれない。
朋ちゃんは私に殴りかかる勢いで、吠えた。
「帰れ!」
文化祭のステージは、あの時とはまったく違うものになった。
闇崎さんのギター、星野さんのベースは同じだけど、新しいメンバーが加わった。
ドラムを叩けるひとはいなかったけど、ギターを弾けるひとはいた。その子にリズムギターを任せて、私がドラムボーカルをやった。ドラムを叩きながら歌うのは難しかったけど、頑張った。
私たちの即席バンドはそこそこの拍手を浴びて終わった。
きっちり満足のいく演奏はできた。でも、私の心の中にはモヤモヤがあった。
朋ちゃんが叩いてくれてたら、きっともっと拍手喝采を浴びてた──理由もなく、そんなことを私は思っていた。
「ドラムボーカル、すごくよかったよ! なんでもっと早くできること言ってくれなかったの?」
それまでは私のことを『トモダチのトモダチだから仕方なくメンバーにしてやってる』みたいに見ていた闇崎さんが、私に親しく話しかけてくれるようになった。
「ボーカルはフロントに立つものだみたいな……そんな考えあったから」
もじもじしながら私が答えると、横から星野さんが抱きついてきた。
「いや目立ってたよ? しっかり目立ってた。これから『夏ちゃん』って呼んでいい?」
バンドの成功はそこそこだったけど、私は頑張りを認められて、二人のトモダチにしてもらえたようだった。
あの日、浮かべることのなかった照れ笑いと、新しいトモダチを私は手に入れた。
次の朝、目覚めると30年後に戻っていた。
私はおばさんに戻っていて、だけどあれが夢じゃなかった証拠には、周りの景色はかなり変わっていた。
私はシンガーソングライターになっていた──なんてことはなく、それまでと同じ会社に出勤する。
でもいてもいなくても変わらないような下っ端だった私が、信頼されるチームリーダーになっていた。
引っ込み思案だった自分が変わっていた。
きっとあの日、あのステージで自信をつけたからだ。
他人と接するのが上手になり、自ら進んで知らないひとにも話しかけられるようになっていた。
朋ちゃんの家を訪ねようと思ったのも、そんな自分に変化したからだったかもしれない。
それまでの自分は、そんなことを思いついても自分から引っ込んでいた。
自分自身は変わった。
でも、朋ちゃんが変わってなかったら、今回もあの日のステージは失敗だったとしか思えない。
休日、ドライブがてらに生まれ育ったあの町へ帰った。
朋ちゃんの家は変わらずそこにあった。
あの頃のまま、時が止まったように、田んぼに囲まれて、ただ30年ぶん古くなって、そこに建っていた。周囲100メートルにやはり他の家はなかった。
呼び鈴を押すと、年老いた朋ちゃんのお母さんが現れた。
「あら、まぁ! 夏代ちゃんなの? すっかりオトナになっちゃって!」
「通りかかったんで、朋ちゃんどうしてるかな? って思って」
アラフィフになった朋ちゃんは、想像がつかないというか、つきすぎるというかだった。
あのままの嘘つきで、みんなに嫌われて引きこもっているか、それとも劇的に変わっているか──
今度は私、言ったから──
あれが彼女に何かの変化をもたらしていたとしたら──
するとお母さんが教えてくれた。
「朋子ね、今、東京で暮らしてるよ。ファッション・デザイナーをやっててね、結構人気があるそうよ。まだ結婚はしてないんだけど、そのうち吉沢亮太さんと結婚できるかもなんだって」
変わってなかった。
トモダチだったから、すぐに彼女の嘘だとわかった。
トモダチだから言えなかったことを、トモダチだから今度は言ってみた。でも、どちらを選んでも、何も変わらなかった。
私は彼女をトモダチだと思わないことを選択するしかなかった、永遠に。




