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貧乏令嬢は呪いの伯爵と結婚したい  作者: 海野はな


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エレナ様と大きな魚 (コミカライズ配信開始記念SS)

侍女のアリー視点です。

時間軸は、エレナと使用人が打ち解けた後のどこか。

「これは困りましたね。どうしましょう」


 ある日の午後、伯爵邸の厨房で、私アリーは問いかけながらチラッと隣のヨハネスを見上げた。だけど残念ながらヨハネスも答えを持ち合わせていないようだ。私と同じように腕を組んだ彼は、これもまた私と同じように困ったように首を少しだけ傾けていた。


 厨房にいるのは三人、私とヨハネスとまだ年若い男性の小間使いだ。私たちの視線の先には板にのった大きな魚。測っていないけれど70センチ近くあろうかという大物だ。動いているわけじゃないけれど、ちょっと怖い。死んだ目が私を見つめている。やっぱり怖い。


 食材を取引している商店のおじさんが「いいのが入ったんだよ。伯爵様にぜひ」と持ってきてくれたのだ。それをここにいる小間使いが受け取ったらしい。ブルーノ様の薬で家族が助けられた経験のあるおじさんは、いい品が入ったときにはこうして伯爵家に届けてくれる。ありがたい話なのだけれど、あいにく今回はタイミングが悪かった。この巨大な魚を調理できる人がいないのだ。


 料理長のハンスは現在七日間の休暇中。ブルーノ様とヨハネスが溜まっている休日を半ば強制的にまとめて取らせたためだ。ありがたいことに、使用人にもちゃんと休日がある。だけどハンスはなかなか取ろうとしなかった。

 休みなんていらないとごねていたハンスだったが観念したのか、昨日「新しいスパイスを探して仕入れてくる」と意気込んで隣の領に出かけていった。それも職務の一環では……と思わなくもないけれど、ハンスの気持ちもわからなくはない。彼にとってはそれも休日なのだ、ということにしておく。


 ハンスがいない日は非常勤で通いのおばちゃん料理人がきてくれる。今回もそのはずだったのだけど、彼女は体調を崩して急遽これなくなってしまった。

 だからといって、すでに出かけているハンスを呼び戻すわけにもいかない。

 ブルーノ様にも報告してあり、今日はあるものでなんとかし、明日以降も続くようならば街で出来合いのものを買うなり、少しは料理のできる誰かが担当するなり考えよう、ということになっていた。


 チラリと隣の小間使いを見た。彼は料理に興味があるらしく、時間があると厨房にきてハンスとしゃべっているのを知っている。


「受け取ったからにはなんとかしてよ。あなた、たまにハンスの手伝いしてるでしょ?」

「むむむ無理ですよ魚なんて経験ないですよ盛り付けしかやってませんよ野菜しか切ったことないんですよ無理ですよおぉ」


 無茶ぶりとわかりつつ言うと、彼は慌てた様子でぶんぶんと首を横に振り、そのままピュッと逃げてしまった。逃げ足が早いことだ。

 ちなみに逃げながら「食べるのは得意でーす!」と叫んでいた。調子のいいヤツだ。


「ハンスが来るのは六日後か」

「その予定ですね。それまで置いておきますか?」

「いや、傷むだろう」

「ですよね」


 保冷庫というものはあるけれど、さすがに生魚の長期保存は難しい。おそらく料理人おばちゃんはその前に来てくれるとは思うけれど、いつになるかわからないまま放置するのはいかがなものだろう。


「ではヨハネスが」

「無理」


 まだどうすると言っていないのに、だいぶ被せ気味の拒否である。まぁ腰が引けている様子からして、苦手なことはわかる。魚とはちょっと違うけれど、ヨハネスは虫が出ただけでも騒ぐ人だから。

 そういう私も、人のことは言えない。小間使いが逃げてしまった今、調理以前に、この魚を移動させるのも難しい。精神的に。


 うーんと唸っていると、エレナ様が厨房の入口からひょっこりと顔を覗かせた。


「アリー、なにか手伝うことはある……って、ヨハネスまで。どうかしたの?」

「私まで、とおっしゃいますけれど、それを言うならばエレナ様のほうが厨房には来ないはずのお立場ではありませんか」

「まぁ、そう言われてしまうとなにも言い返せないのだけれど……」


 ヨハネスが苦笑し、エレナ様は痛いところを突かれた顔をする。

 貴族の令嬢は使用人区域に立ち入らないし、厨房まで来ないものだ。それはわかっているけれど、エレナ様が使用人に紛れていることが日常になりすぎて、なんだかもう怖い。


「ほら、今日は調理してくれる人がいないでしょう。ブルーノ様は芋かパンがあればいい、なんて言っていたけれど、スープくらい作ろうと思って。それで、なにかあったの?」

「実はこれをいただいたんです」

「これ?」


 エレナ様は少し移動して魚を見ると「わぁ」と華やいだ声を上げた。


「ずいぶん立派なお魚だこと。美味しそう!」

「え、美味しそう……?」


 ここ、グレーデン伯爵領は海に面していない。だからといって魚介類を食べる機会がないわけではないけれど、それでも肉か魚ならば圧倒的に肉の割合が高い。

 それを言い訳にするわけではないけれど、調理前の生の魚を見る機会は少ないし、はっきり言って気持ちが悪いという思いが勝る。魚に失礼だとは思うけれども、そこはもうどうしようもない。


 それにも関わらず、エレナ様は目を輝かせて魚を見入っている。


「エレナ様、怖くないんですか? この銀光りしてつるっとした感じとか」

「艶があってヨシ! 肉厚で最高じゃない」

「え……。でもほら、目とか」

「透明で澄んでる。新鮮な証拠ね。それにこの目の周りって、ぷるぷるして美味しいのよ」

「食べるんですか……」

「食べられるところならばどこでも食べるわよ。目そのものは硬いから食べないけどね」


 なんでそんなことを知っているのだろう、とか、ご令嬢って大きな生魚に興奮するものかしら、と思いはした。けれど、なにせ我々使用人の「令嬢」のイメージをひっくり返したエレナ様である。普通の令嬢とはどういう方なのか、もはやわからない。


「それで、このお魚をどうしたらいいか、困っていたんです。今日は調理できる人がいないので」


 私は全くやらないわけではないけれどほとんど料理はできないし、ヨハネスも同じだろう。そもそも私もヨハネスも、触ることに躊躇するレベルである。唯一少しはできそうな母マリーは、今は仕事関係でブルーノ様と一緒に街へ行っていて、ここにいない。

 エレナ様は「なるほど」と頷いて、ヨハネスを見た。


「それならわたくしがもらってもいいかしら?」

「それは私が許可を出すことではないので、なんと言ったらいいものかわかりかねますが……」


 伯爵様にどうぞ、といただいた魚なのだから、ブルーノ様のものである。とはいえ、特に生鮮食品などはよほどのものでない限り後で報告すればいいことになっているので、反対されることはないはずだ。


「腐らせたらもったいないもの。きっとブルーノ様もいいって言うわよね。なにより、食べたい!」


 エレナ様はそう本音をこぼすと、壁にかけられているエプロンをさっとまとった。なんでエレナ様のエプロンがここに常備されているのだろうと思わなくはないが、突っ込んでいたらキリがない。


「さて、ちゃちゃっと捌きましょうか!」


 私たちが「え」と思っている間に腕まくりをしたエレナ様は、躊躇することなく魚を掴み、「重っ」と呟きながら流しに移した。手伝わなければ、とは思ったけれど、手を出せなかった。だって魚の目が! 私を睨んでる!

 ヨハネスも手伝わなければとだけは思ったらしく、腕が変な位置で止まっている。


 エレナ様はそんな私たちを気にすることなく、鼻歌まじりにじょりじょりと鱗をはがしていく。


「エ、エレナ様、ご実家でもよく魚を?」


 貴族令嬢への問いかけとしては、きっとこの後に続くのは「食べるのですか?」だろう。だけどここでの意味は「捌くのですか?」だ。


「頻繁ではないわね。伯爵領と同じで子爵領も海に面していないから、魚は手に入りにくいの。だけどたまに、どこからかわたくしの祖母が持ち帰ってきたのよね」


 話しながらもエレナ様の手は止まらない。そして私の手は止まっている。手伝わなければという思いだけはあるので、いつでも手が拭けるように布巾を持っているが、役に立っていない。

 鱗取りが終わったらしく、エレナ様は使っていたナイフを持ち直し、慣れた手つきで魚の腹に入れていく。臓物が引っ張りだされ、私は「ひぃ」と声を上げた。


「あら。見たくないならいいわよ?」


 エレナ様がクスッと笑った隙に、ヨハネスが姿を消した。

 逃ーげーたーなー。心の中でだけそう呟く。


「エレナ様、なんで捌けるんですか……」

「魚くらい捌けなくてどうする! っておばあ様に言われて、わりと小さいころからやってたわね。貴族の嗜みだと思っていたのだけれど、もしかしたら違うのかもしれないと今は思っているわ」


 違うと思いますね。なんなら、平民のたしなみでもないですね。


「アリー、お塩を取ってくれる?」


 エレナ様は魚をさっと洗い流すと、塩をまぶしてほしいと言った。私はおそるおそる少し離れたところから塩を撒く。


「エレナ様は怖いとか気持ち悪いとかは思わないんですか?」

「怖さよりも、捌けば魚や肉が食べられるという期待のほうが大きかったの。おばあ様に大きなトカゲとか毒蛇を渡されたのは少し困ったけれど、魚は嬉しかったわ」

「え、トカゲ……?」

「そう、何者なのかよく知らないけれど、見た目はトカゲだったわね。おばあ様ったら、なんだかよくわからないのを捕ってくるのよ」


 トカゲの前に、エレナ様のおばあ様、何者?

 そしてそのトカゲは捌いて食べたの?


「えーと、それは、お召し上がりに?」

「もちろん食べたわよ。子爵家では肉が貴重だったもの。茶色の縞模様の大トカゲは美味しかったけれど、水玉模様のやつは硬くて臭みも強かったわ」


 水玉模様……。

 私が聞くのではなかったと後悔している間にも、エレナ様の手は動いている。


「ハンスだったらどう調理するかしら。でもわたくしはそんなに凝ったものはできないのよね。だからこのまま焼いちゃいましょう!」

「そのまま?」

「そう、丸焼き。アリー、外に柑橘のなにかが成っているはずだから、一つ採ってきてくれるかしら? あとハーブもお願い」


 裏口から外に出て、言われた柑橘とハーブを取って戻ってみると、魚は天板に載せられていた。頭と尾が天板からはみ出している。


 エレナ様は私が採ってきた柑橘を輪切りにして魚の上にのせた。私はハーブを軽く洗って渡すと、次は野菜を大きめに切る。そのくらいなら私でもできるのだ。一緒に焼くのだそうで、切った野菜は魚の周りに並べていく。


「アリー、オーブン開けて」

「はいっ」


 言われた通りに開けると、エレナ様は魚や野菜の置かれた天板をドーンとオーブンに入れた。


「エレナ様、力ありますね」


 たぶん魚だけでもかなりの重さがある。それに天板や野菜の重さも加わっているので、女性は持ち上げるのに苦労するほどではないだろうか。それをエレナ様は細い腕で軽々と持っていたように見えた。


「そうでしょう。おばあ様に鍛えられたの」


 またもやおばあ様!


「さあ、あとは焼き上がりを待つだけだから、ここは大丈夫よ。アリーはまだ他の仕事があるんでしょう?」

「すみません、それではお言葉に甘えます。少ししたら戻りますね」


 たしかに「魚が……どうしましょう」と小間使いに言われて仕事を中断して来ていたのだ。焼きあがるまでに時間がかかりそうだったので、私は先にそれをこなしに行くことにした。



 しばらくして戻ってみると、厨房からはいいにおいが漂っていた。


「エレナ様、戻りました。焼けたのですか?」

「ちょうどオーブンから出そうと思っていたところよ。でもその前に、スープの味見をしてくれる? ブルーノ様が好まれる味になっているか、いまひとつよくわからなくて」


 いいにおいは魚かと思ったら、スープだった。少しの間にエレナ様はスープまで作っていたらしい。主の婚約者に向かって言っていいことじゃないのはわかっているけれど、使用人として戦力になりすぎて怖い。


「魚は上手く焼けているかしら。アリーはちょっと下がってて。やけどするから」

「エレナ様こそ! ここは誰か男性を呼んで……あ、ちょっと!」


 抗議はしてみたけれどエレナ様が止まることはなかった。熱いものをつかむ手袋をはめるとオーブンを開け、魚の載った天板が出される。絶対に重いのに、なんでそんなに軽々と持てるのだ。おばあ様は一体どんな鍛え方をしたのだろうか。


「わぁ、いい感じじゃない?」


 台に置かれた魚は皮にこんがりと焼き目がついて、私にも美味しそうに見えた。ほわっと蒸気と共に香ばしい匂いが鼻をくすぐる。生だと怖いのに、こうなると食欲がそそられるのはどうしてだろう。


「すごい……」

「すごいわよね。美味しそう! 食べたい!」


 私は一人で調理できてしまったエレナ様が「すごい」と言ったのだけれど、エレナ様は魚に向けたものだと思ったらしい。食い入るように魚を見つめている。


「さて、これをどうやって出したらいいかしら」



 結局大きなお皿にそのまま盛られた魚は、夕食時、テーブルの真ん中にででーんと置かれた。私とヨハネスが控える食事部屋にエレナ様と共に入ってきたブルーノ様は、それを見て立ったまま絶句する。


「ええと、なんだこれは?」

「美味しそうなお魚だったので、わたくしが勝手に作りました」

「エレナが?」

「はい。今日はハンスがいないので、傷ませてしまうのももったいないと思いましたので……あの、駄目でしたか?」


 ブルーノ様が目を見張っているのを「勝手に作ったのはいけなかったかも」と思ったらしいエレナ様は、だんだん声が小さくなる。

 だけどブルーノ様は怒っていない。どこからどう見ても驚いているだけだ。


「いや、駄目じゃない。が、エレナが作ったのか?」


 ブルーノ様はよほど戸惑っているのか、同じことをもう一度聞きながらヨハネスを見た。ヨハネスは頷きながらチラリと私を見る。なぜこっちに振るのだ。

 私は軽く咳払いをして、魚が届いたところから簡単に経緯を説明する。


「そしていただいた魚を、エレナ様が捌いて、エレナ様が味付けをして、エレナ様が焼きました」

「捌いて……?」

「はい、捌くところから、全部」

「…………なんでそんなことができるんだ?」


 ブルーノ様基準でも、どうやらこれはご令嬢のたしなみではなかったらしい。私の感覚がおかしいのではないとわかって、少しホッとした。


 ヨハネスが促して、ようやくブルーノ様とエレナ様が着席する。

 エレナ様はヨハネスに代わり自ら取り分けてブルーノに渡し、自分の分も盛って、そしてすごく幸せそうに食べていた。ブルーノ様にも大好評だった。


 主たちの食事後、残った魚は使用人たちに分けられた。スープも魚もとても美味しくて、使用人たちにも大人気。いつの間にか、すっかり骨とアラだけになっている。


「美味しいですね、ヨハネス」

「あぁ。これはハンスがいじけてしまうのではないか?」

「それは容易に想像できますね……」


 確実に拗ねるであろうハンスに今日のできごとを報告すべきか、私は悩んでいる。

いつも応援してくださり、ありがとうございます。

2025.12.09~ ガンガンONLINE様にてコミカライズ連載が始まりました。

ぜひご覧ください!

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