鍛錬中です(紅と白)
どうしているんだ、ここに?
目の前に動きやすい半袖シャツとハーフパンツの少女が立つ。どうみてもユキさんより年下に見える。
だが、昨晩お茶漬けをいただいた時に、葉子さんに彼女はユキさんより年上と聞いて驚いた。
昨日誤って車で跳ねた、それでも傷一つない少女。
気配、なかったのに……何故か後ろに付かれ、地下の鍛練部屋まで導いてしまった。
人一倍物音や気配を察する事だけは、抜きん出ているつもりだったが、相当鈍っているのか、ベルさんが普通でないのか。
ふわふわと寝癖のついた赤髪の彼女に、タカさんは、
「ベル嬢ちゃんよ。お前さん、どうするんだ? 見学ならまだしも、まさか俺達と組み手やるなんて言い出さないよな?」
その台詞を受け、ベルさんがさも当たり前のように、
「ベルはこう見えても武術の心得がある。なんなら、これでどうだ?」
と言うと、彼女は信じられないほどの動きを見せる。
流れの軽さは空に浮く羽を思わせた。だだ軽いだけではなく、無理に掴みに行ったなら、さらりと逃げる。そんな感じだ。だからと嘗めて受けようものなら、体躯に似合わない蹴りの鋭さで弾き飛ぶだろう。畳に落ちる音が、その身に受ける重さを示す。
またワザと技のつなぎ目に全く隙がない。蹴りの戻しが早く、拳の繰り出し方に無駄がない。
それも一度見ただけで、俺の苦手なタイプだと判断する。
俺は自身のフットワークで一発必中を狙う。真っ向から向かってくるタイプには合わせやすい。だが身のこなしが軽いだけでなく、猫のようにスルリと急所を避けてしまうタイプは、苦手だ。この手合いには逆にカウンターを喰らう事が多い。
ベルさんが裏を探らないなら罠も仕掛けられるが、昨日朝の話しぶりが戦闘にも反映されるタイプなら、輪をかけて厄介だ。
分析以前にベルさんが女の子である時点で、俺は手が鈍ってしまう。
女性に優しいつもりはないが、殺す事に特化した以前までの戦闘スタイルを封印しており、手加減になるストッパーをかけたまま、俺の敵う相手であるとは思えない。
こんなに短い試演で、俺の上を行くだろう事がわかって、のんびりと『凄い』などと感想を抱いていたら、
「手加減なんかしなくても、おめぇは嬢ちゃんにゃ勝てねー」
「わかってますよ」
「わかっている時点で勝てない、わかるだろう?」
こっそりタカさんに耳打ちされた。その後で、
「よし、賀川の。今日の練習は予定変更だ。お前、ベル嬢ちゃんにいっちょもんでもらえ」
「ちょ、ちょっとタカさん? いきなり何を……」
「賀川の。いつも俺や若ぇのじゃ飽きるだろ。たまには、まったくもって勝手の違う相手と戦ってみな。ベル嬢ちゃん、こいつの相手を頼まれてくれるか?」
「いいとも」
「ええっ!?」
驚く俺に、タカさんは再度耳打ちしてくる。
「もしユキを狙う相手が女の子ならどうだ」
「誰であろうが、その時は瞬殺を狙います」
「それで行け」
「ちょ、は? バカな事を」
「おめぇにオレをバカと言う事があるとは思わなんだ」
「あ、う」
愉快そうに笑っているが、怖いぞタカさん。ほぼルール無用のこの部屋のやり方を聞いて、ベルさんは嬉しそうだし。どうしたらいいのか……
俺はそうやってはじめられた訓練に、戸惑って棒立ちになって考えていた。
「さあ賀川よ、どこからでも打ち込んでくるがいい」
多分ベルさんは俺が遠慮しているように写るだろう、だが彼女の考えている遠慮と俺の考えている遠慮は違う。
どうみても勝てない相手にどうやったら一矢報いる事ができるか。それが出来れば俺の庇護対象のユキさんは逃げる時間が手に入れられる。
だがそれが見出だされないままだったから、
「で、でもベルさん、やっぱりよくないよ。こういうのは道着を着るとか、ちゃんと準備をしてーー」
何か取り繕ってみたものの、俺も道着は着ていないので、言い訳にもならない。
「ーー仕方ないな」
「っ!?」
余りに予想通り過ぎて、どうしようもない顔をしているだろう。
体が簡単にベルさんに持って行かれる。彼女の浮落に近い投げは尋常じゃない。それと共に彼女が自分の何倍も格上だと悟ってしまう。
強い者を見ると委縮するが、それと同時に開放感を感じる。
条件反射で嬉しいと思い、何の枷もなく戦えると考えてしまう。タカさんや抜田先生にもそうは思うが、流石に遠慮はする、だが彼女の何かが、俺の中にカチカチと火をつける。
このヒトにストッパーなど要らない。
て、いうか、ヒトか?
そう言えば車で、俺は彼女をやはり轢いた筈だ……普通じゃ死なない、のか?
暗い所で生きてきた時に聞いた、『人外』という者が居る噂を思い出す。ただ実際にそんな『敵』に会った事はない、それは幸運だったのか……
俺の琴線に普通はない感覚が触れ、何かが眠りを覚ます。
構え直す。
何を俺がやっても敵わない。
なら、制限も性別も関係ない。
……まあそう感じても普段、ヤる事はないのだが、ベルさんは俺を焚きつけようとする。
「賀川、やるからには本気で来い。躊躇っていては、お前の大切な者は守れないぞ?」
面白い。
もしこれが実戦で、格上相手にユキさんを逃がさねばならないなら。負けても時間を稼がねばならない。
すうっと半身を引いて低い姿勢を取ると、真っ向からベルさんの腰を掬いにいく。当たり前の事だが彼女が避けようとする。初回のアタックになるので、手のうちを見定める為に安全圏を取って、彼女は攻撃を仕掛けては来ないと判断した。
そして正面と言っても半身を引いている右、ベルさんにとって左手側が若干隙間が広い。そうするとそちらに避ける確率が高くなる。壁際だがそこには彼女ならばきちんとすり抜けられる幅を用意しており、俺の計算通り彼女はそこを抜けようとした。
ガツン、っと俺は右手でその壁にある竹刀を握りしめ、擦れ違い様、その先で、ベルさんの首後ろを本気で突いた。ビリヤードのキューで突く要領で差し出された竹刀は、頸椎を切断する手ごたえがあった。
「か、賀川っ!」
タカさんの声が飛ぶが、俺は構っていない。今、突いたのは急所だが、案の定ベルさんは片手で畳を叩くとそのまま空中で前転して、体を捩って俺の方を向く。僅かに俺の突いた場所を気にしていたが、
「なかなかエグイ手を使ってくる。普通の人間なら死んでいるな」
その台詞は『普通ではない』と認めるようなモノだったが。今の俺にはとりあえず興味がない。
「武器なし、相手に重大な怪我は負わせないと言ってあるだろうがよっ」
タカさんが咆えて中止させようとするが、俺は目で『瞬殺で行け』と言ったのはタカさんだろうと抗議する。それは言葉のアヤだろうと言いたげなタカさんに、
「ベルさんはそのくらいじゃ倒れないし、ある物を使わないで勝てるほど、俺は強くないんですよ」
「そうとも鷹槍。ベルはこの通り平気だぞ?」
ベルさんは軽く踊るようなステップを踏み、タカさんに取り立てたダメージがない事をアピールしてくれる。俺がその間も彼女の動きに注視しているのを見て、
「……珍しい事もあるもんだ。賀川のがそこまで喰いつくとは」
「ベルは構わない」
タカさんの視線に、俺の武器使用を認めるか問われたと気付いたベルさんは、軽くそう答えてくれた。
「武器ぐらいで優勢になるとは思ってないですけどね」
俺はカウンターをもらう前に間合いをあけつつ、そう言いながらベルさんの着地点に竹刀をフリスビーの様に投げる。
彼女が面白そうに笑いながら飛んで避けたのを見て、俺は更に足払いをかける。だがベルさんは低い位置の俺の頭めがけて拳骨を叩き落とそうとした。右手で払って左手で上段突きを出しかけて、蹴りに切り替えるが、どちらも読まれたのに気付いて、急いで態勢を立て直す。
「そんな間があるか!」
横っ腹に重い拳が沈み、吹き飛ばされるのを耐える。次々に繰り出される拳に防戦一方になりかけたので、腰を突如低く下げベルさんの顎を狙う。
彼女がにやりと笑うのを見て、瞬時に顔面をガードする。飛んできたのは彼女のスラリとした足、それもかなり気合の入った膝蹴りだった。
「身長が低いのはリーチの差になるから不利に思うけど、意外に攻めにくいね」
重い蹴りをガードと後退で何とかダメージを軽減し、次に備えて竹刀を握る。
ベルさん、笑ってる。俺は余裕なんかないな。たた、すでにこれだけ時間を稼げばユキさんは逃げられていると仮定できるので、まあここまでで上出来だ。
そのまま竹刀で彼女の肩辺りを狙って叩きに行く。彼女は避けもせず、素手で受け止める。予想の範囲内だ、俺の指からベルさんの額にペンッと何かが当たって弾ける。
「何?」
そう聞くベルさんに俺は答え、
「これですよ」
俺はもう一発、彼女に向けてそれを弾き出した。
彼女は左手でそれを受け止める。
「ご、ゴムだと?」
「はい、ただの輪ゴムです」
ズボンの中に入っていただけだが、軽い目くらましにはなる。本来の俺の第一武器は銃だ。あそこで撃てばベルさんにもダメージが与えられただろうが、ここは日本だし、そう簡単にぶっ放せない。
とりあえず後にしかけた下段の蹴りは軽く避けられたが、少しはビックリしてくれたようだ。本来ならこの隙に俺は逃げ出す。今回は鍛錬なので、そう言うわけにはいかないが。
ゴムを見ていたベルさんが唐突に動き始める。
「それが本物で、ヒトならお前の勝ちかもしれないが……」
しまったと思った時は、目に見えないほどのスピードでベルさんは俺に近寄っていた。俺の眉間にパシンと何かが弾ける。
「ってぇ……」
「くふふ」
ベルさんが弾いて来たのは、今、受け止めたゴムだった。ただのゴム以上……破壊力が半端ないぞ? どうやって飛ばした? 渡すんじゃなかったと後悔しても遅い。
「賀川よ、甘いぞっ!」
視界を奪われた俺だったが、一声咆えたベルさんのそれと衣擦れの音で、半歩身を引く。耳だけは自慢できるつもりだ。彼女の拳が産む衝撃波に吹き飛ばされるが、何とか直撃は免れる。
その後、耳だけでベルさんとの間合いを図り、竹刀を叩きつける。彼女も壁にあった何がしかを握り、それを受け止める。そのまま、俺の竹刀は弾き飛ばされ、殴られる。
殴られてその重みで竹刀ではなく木刀だと気付く。急所は避けているがラッシュでそれを受けまくれば身が持たない。
俺は床に転がった竹刀を飛んで行った時に出した音で距離と方向を測り、手探りで見つけると、ベルさんの甲を狙い木刀を落させる。握りが甘かったせいか自分の竹刀も吹っ飛んだ。
そこでやっと視界がハッキリする。
俺はベルさんの攻撃レンジを離れ、息を整える。
ヤバい。制限のない戦いが楽しい。暫くそんな瞬間を楽しんだ所で、
「なあ、賀川」
そうベルさんの声がかかる。
「何だよ?」
途中で冷まさせるな、そんな思いで返事を返す。
「お前は、雪姫の事が好きなのか?」
完全に冷水を浴びせられるような気がして、ちょうど繰り出していた俺の下段蹴りに迷いが生じる。
「どうしていきなりそんな事を!?」
「ゆうべ、雪姫と色々話したんだ。お互いの事、そして、お前の事をな」
「!?」
「そしてお前のその反応……お前もあの子の事を好きなのだろう?」
その言葉に、俺は苦笑した。
「……ああ。俺は確かにユキさんが好きだよ。でも、俺が彼女とくっついても、彼女の人生の足枷にしかならないよ。まあ、俺とユキさんがくっつくなんてあり得ないけど」
明らかに俺は気が削がれて、動きが緩慢になるのがわかった。彼女を守ると意気込んでも、所詮は他人のモノになる話。そんなの話して面白い事はない。
「だからこそ、俺はユキさんをつかず離れずの距離から守ろうと思う。いずれ彼女にできる人も一緒に……」
そう言って俺はその場を収め、戦いに集中を戻そうとするが、
「お前は、嘘をついている」
「嘘?」
笑うしかない。それを一番わかっているのは俺だ。
「あの子が好きならば、お前は何故あの子を手に入れようとしない? 受け入れようとしない? その腕の中へ抱き止めてやらない!? 必要としている時にどうして側にいてやらない!? どうして、あの子を守ってやらない!?」
ベルさんの言葉と攻撃が同化したかのように激しくなり、逆に俺は冷めてしまって、防戦のみとなる。
「賀川、答えろ! お前はあの子の唇まで奪ったというのに、お前のその態度はなんだ! 一人の娘の心を弄んで、それが楽しいか!」
「ーーなんだって?」
「べ、ベルさん!」
タカさんにそれを聞かせるのは拙いと気付いてくれないかな?
それにあの時の俺は本気だった。だが事情が変わったんだ。
ベルさんのそれと反比例に俺の集中力が完全に消えた。
そんな中、不用意に差し出した拳をベルちゃんは掴む。ちょっとあり得ない力で締め上げられ、決定的な一言とブローを俺は受ける。
「はっきり言ってやる。お前は、あの子から、いや、自分を含むあらゆるものから逃げているだけだ。全てから逃げ続けている腰抜けのお前が、あの子を守るだと? 戯れ言をぬかすなっ!」
「ーーっ!」
見えていたが避ける気にはならない。彼女の拳が顎を打ち、脳を揺らす。
「……ベルさん、本気を出してないだろ」
「そうでもないさ。最後だけは少しだけ本気が出た」
「ベルさんは、強いな。俺なんかより」
「違う。ただ、ベルは常に『覚悟』を決めて動いているだけだ。戦うという『覚悟』、討たれる『覚悟』、そして、守るという『覚悟』だ。今のお前には、それが見えない」
「…………」
ベルちゃんの言葉が痛い。
何も言い返せはしない。
抱きしめようと伸ばした腕を、思い切り退いて。無関心を装って、彼女の影になると決めたから。何一ついう事はないのだ。
本当は。
……口を開くと言い訳が零れそうで、俺は奥歯が砕けそうな勢いで口を閉じた。
「……あー、取り込み中の所すまねえ。ちょっといいか?」
タカさんが、割り込んでくる。
「ベル嬢ちゃん、無理を承知で頼みがある」
おや、タカさん正座してるし。
「ーーなんだ?」
「滞在中だけでいい、雪姫を、守ってやってくれ」
タカさんの一言がそこに広げられた。
朝陽 真夜 様『悪魔で、天使ですから。inうろな町』より、ベルちゃん。
いつもありがとうございます。




