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うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話  作者: 桜月りま
8月12日から18日まで

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8月17日梅雨ちゃん飼育日誌9・送れぬ言葉と送れぬ白花

賀川は少し過去を思った。

十七日……くもり 







 俺の母が亡くなったのは一年半近く前になる。そう、あれはユキさんと会った頃だった。



「人に荷物を届ける仕事が、好きなんですよ」

 今でこそそう答えるものの、日本に帰って、賀川運送で働き出したのは、最初から小荷物を運ぶ使命感に駆られたわけでも何でもなかった。

 その頃、母の入院させられている施設がうろなにあり、そこに見舞いが行きやすければ、就職するのはどこでもよかったのだ。

 始めてみてから、何となく制服を覚えていた事、荷物を渡す時に受け取り主が見せる笑顔などに引かれて、体力仕事で辛いながら、小さな喜びに浸っていた。

 危機が迫っている人間を救うほどの劇的な展開も、命の危険も無いけれど、これが普通の幸せで、俺の在るべき姿なのだと思いながら。

 姉の住む町からはさほど離れていないので、俺は呼出に応じる。

 でも姉がうろなに見舞いへ来る事は殆どなかったので、ここでは自由にそして平和に埋没できた。




 状態の落ちた彼女はベッドの上で虚ろにしているか、調子がいいと車椅子に乗せられ、座っている。毎日、見舞いに行くが、俺を覚えている風ではなく、空っぽだった。

 十三歳の時に会った時は見境なく暴れて手が付けられなかった、それに比べると彼女はきっと穏やかなのだと俺は自分を納得させた。

 そんなある日、届け物をうろなの商店街にある花屋に入れた。

「どうしました、賀川さん?」

「いや、綺麗だな、と」

 ちょうど側にたくさんのカーネーションがあった。

「いろんな色があるんですね」

「赤やピンク、母の日のプレゼントの代名詞だね。黄色や白は母の日には使えないけれど」

「そうなんですか?」

「黄色の花言葉は「軽蔑」や「嫉妬」で、白は亡くなった母親にあげる色だよ」

 幼い俺は母に送ったのは何色だっただろうか? そう思いながら何となく濃いピンクに白が走った花を一輪買った。絹布が寄せられたような繊細なその花は、俺の中の優しい母だった。

 母の日には少し早い春。でも今日、仕事が終わったら届けようと、そう思った矢先だった。

 普段ありえない……父の名で電話が、かかってきたのは。



 もう、歩かなかった母が、何故か病室を抜け出し、事故に遭ったと言う。



 病院は近い位置だったので、トラックを呼び出した仲間に預け、走った。



 病室はそれなりに慌ただしかった。だが手術室などではなく、病室で処置されている所を見ると、もう、そんなに長くなく、身内のお別れ待ちと言う感じだった。だが姉も父もまだ居ない。

「運送屋さん? 届け物ならステーションに」

「いや、その」

 制服だったので、そう言われた。その時、母の手が動いて、近くに居た看護師が、

「賀川さん、呼ばれているんですけど……身内の人、まだかしら……この家の人あまり来ないから」

 俺はいつも来てはいたが、愛想よく挨拶するわけでもなかったので、覚えられてはいなかった。

 勘違いされたままだが、俺は彼女に近付いた。酸素のマスクが当てられていたが、それをズラしてくれたので、声が微かに聞き取れた。



「あ、きら」



 俺の目から無条件に涙があふれた。最後の最後で俺がわかってくれたのか……そんなワケはない。彼女の口からは続きが漏れた。

「あきらが花を……送ってくれたのね? 彼はどこ。会いたいの。私のあきらを返して」

 俺は手に一輪の花を持っている事に気付いた。

 彼女は俺の事がわからない。彼女の中の俺は小さい五歳のまま。

 俺はあの時、隣にいた賀川の制服を着ている運送屋のお兄さんでしかない。それでも俺が彼女の中にまだ消えずに居るのがうれしかった。そしてそれが聞けたのだから、この制服を着て良かったと思った。

 望んで、ネジ一本の為に俺を切り離したのではないと思えたから。



「きっと息子さんは元気です」



 俺です、俺です、お母様……言いたいのを堪える。最後であるからこそ混乱させたくなくて飲み込む言葉。

 運送屋として花を手渡そうとした瞬間、病室の扉が開いた。

「お母様に触るんじゃないわ、あきらっ」

 姉の声、そして俺の頬を打つ音。母に届かず、地面に落ちる花。踏みしだかれるピンクの破片を呆然と見ながら、俺は部屋を追い出された。



 数時間後、亡くなった母、葬儀への出席は許されず、死に顔も見られなかった何処までも親不孝な俺。



 賀川の制服を着たまま、母が荼毘に付されているだろう時刻、火葬場の近くをトラックで走り、冥福を捧げるしかできなかった。

 白のカーネーションを買う事も出来ずに。














 今夜は夜シフトの仕事で、帰りついたのは明け方だった。

 他の運送屋は知らないが、繁茂期には物流を止めない事で早く商品を動かす事をモットーとしている為に、この時期はよく夜勤っぽい勤務やら、労働基準法無視のシフトがある。それも無理言って月末から二週間ほどの休みを予定しているから、その分、今働くしかない。

 俺は少しだけ車で仮眠してから、タカさんの家に戻った。五時前。もう台所に電気はついている。葉子さんが起きている様だ。声を掛けるのは後にして、地下の座敷へ行く。

 そしたら何故か入り口に梅雨ちゃんがオロオロしていた。

「おはよう、俺を探してくれた?」

 そう言って抱っこすると、グルグルと喉を鳴らして、それで満足したかのようだった。

「入らない?」

 聞いてみるが、梅雨ちゃんはぴょんと俺の手を離れて、すぐに階段を上がって消えてしまう。ユキさんが居るから、そちらに行ったのだろうと思った。

 ユキさん、覇気が感じられずとても心配だったが、梅雨ちゃんが癒してくれるだろう。俺に出来るのは、出来るだけ体を鍛え、何かしらの事態に備える事。



 どこかいつも以上のシンとした空気の中、その部屋への低い扉をしゃがんで入ると、びりっと痺れるような空気に触れた。

 叩きつける音に息遣いが空気を割る。

 道場への一礼だけは忘れないようにしたが、そこには白い柔道着姿の抜田先生が居て、紺の作業衣のタカさんと乱取りしていた。



 正直、こえぇの一言だった。



 拳の応酬。

 ルール無用で殴るわ、投げるわ、気を抜けば蹴りを顔面に飛ばそうとするわ……今日、来ていた五人共が、部屋の隅で正座して見守っていた。梅雨ちゃんも入りそびれるわけだ。

 ただちょっと羨ましい気がした。

 俺はなかなか制御が聞かないから、本気でやり合う事はない。ここで俺が学んでいるのは基礎的な練習や型、セーブする事と落ちた体力や筋力を取り戻す事が基本だ。

 俺が生きてきた世界は『命』の奪い合いが主で、いかに効率よく対象の動きを止めるか、殺してしまうかに特化させてきた。手加減などしている場合ではなかったのだ。

 タカさんや抜田先生の方が確実に上級者だが、ルール無用の殺し合いなら渡り合える、かもしれない。ただこの人達もどこか同じ匂いがするから、今ここで繰り広げられている戦いが、二人の限界ではないのならこっちの命が危ないが。



「おはようございます。喧嘩でもしたんですか?」

「……賀川君、これ見るの初めて? これにカッパ先生が来るともっと大変だよ」

 カッパって、魚沼先生? 首を傾げる俺に、

「おい、賀川のっ」

「はィ」

 にぃ……と笑ったタカさんの顔。

「バッタの拳、足運びををしっかり見とけ、お前の生ちょろいのとは重さが違う理由がわかるからな」

「お、おす」



 確かに踏み込みの角度、素早さなど、どれをとっても見ごたえのある物だが。徹夜明けの朝から重いな。そう思いながら、二人が終わった後、普通の柔軟をこなし、稽古を抜田先生に付けて貰う。

「どうしてそこで退く?」

「わかんないですけど、退いてますか。俺」

 俺の動きを見て、首を傾げた抜田先生にタカさんが、

「こいつ、刃物を持った戦いを想定していやがるからな」

 確かに俺の居た世界はそれが普通だったから、そう言う戦い方になっているのかもしれない。

「そりゃ実践的で良いが、その一瞬の間が命取りになる事もある。刃物はないと判断したらもう少し意識的に寄せろ。そう、もっとだ。それに場所さえ間違わないなら、刺されてもすぐには死なないしな、はははははっ」

「冗談になってません!」

 今日もそれから散々しごかれたが、良い鍛錬だったと思う。



「あら、賀川君、おはよう。食事は?」

「ごめんなさい、お昼貰って食べて良いですか? 今日は疲れたんで、寝ます」

 オッサン二人が黙々と朝食を食べているのを横目に言う。この人達、俺より長く生きるだろうな、絶対と思ってしまう。

「そう。ユキさんも今日、見ていないのよね。森に行くとは聞いてないけど」

 そんな言葉を聞きながら、俺は台所を離れて、二階へ向かった。

 仕事後、少し寝たとはいえ、練習して暖かいシャワーを浴びた俺は、疲れ絶頂だった。



 が。



 ふすまを開ける。そこに。



 何故、俺のベッドにユキさんが寝ているんだっ。



 せ、正確には梅雨ちゃんも一緒に。



 何て事だ。

 黒いワンピースを身に纏った白髪の天使が、猫をお供にそこに横たわっていた。

挿絵(By みてみん)


梅雨ちゃん、お借りしています。

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