8月16日梅雨ちゃん飼育日誌8・愛情と刃
いやな夢を見るけれど。
ユキは戻ってきたうろなの町を歩き……
十六日……くもり
私は郵便局に飛び込んで、速達を頼みます。
早く届きます様に。
これは大切な先生達へのお手紙です。
私の名前の横には梅雨ちゃんの肉球で判を押してみました。
気持ちは同じだから連名です。
だって送られてきていたのは、驚きのメール。
大切な先生二人に赤ちゃんが出来たそうです。
こんなに嬉しい事はありません。
随分前からメールをくれていたのに、気付いたのは今日になってから。
メールを送るのは簡単だけれど、私と梅雨ちゃんでお手紙書きました。
お花は絵じゃなくて。
うろなに来た時に咲いていた花を、母と一緒に押し花したのを貼りました。
梅原先生が出産するのが春と聞いて、送りたくなったのです。
梅に桃に桜……雪解けの水が季節を満たす、良い時期を考えて作りました。
私は支払いを済ますと、梅雨ちゃん片手にうろなの町を歩いて帰ります。
もう一方の手に携帯。
ひらがなで書かれている司先生のメール。
可愛い。
機械が苦手なようですが、頑張って打ってくれたのでしょう。
『うめはらだ。
なんかしみずのじっかにいくことになった。
おぼんあけにはかえる。
たぶんつゆをたかさんちにあずけるのでよろしく。
あんまりむりをするなよ。
かがわとなかよくな』
最後に一文に詰まりながらも、その後に送られてきた妊娠を告げるメール、プロポーズを受けた事や他にいろんなドタバタ……同じ様にひらがなで書いて送って来てくれているのに何度も目を通します。
何とか私にあった事を告げようとしている司先生の姿が思い浮かんで、思わずにっこりしてしまいます。タカおじ様達には妊娠はまだ伏せて欲しい事、返信がないが大丈夫か? と、気遣う言葉も埋まっていて、早く今送った手紙が付けばいいのにと思います。
それから司先生のお相手の清水先生からは、
『お世話になっております。
うろな中学校の清水です。
梅原先生は今日の夕方から、
私は明日の朝から所用のため
うろなを離れることになってしまいました。
恐らくお盆あけには戻って来られると思います。
そのため梅雨をタカさんの家に
預けさせていただきました。
賀川さんにお願いしてますので、
ご迷惑をおかけしますが、
よろしくお願いします。
絵の作成がお忙しいとのことですが、
梅原先生も心配していますので、
あまり無理をしすぎないでくださいね。
それでは失礼します』
……なんて、普段を見るともっと砕けた感じなのかと思えば、ピッチリした文章でメールが送って来てます。こういう時に性格って出ると思います。清水先生、ホント生真面目なの……それに私の方が凄く年下なのに、社会人として扱ってくれているのが、とても先生らしいです。
始めて会った時、わけのわからない口調で喋りかけて来た時は驚いたけど、やはりどこまでも透明でありながら他を映している、とても複雑な色の深い先生です。
私は曇った空の下、梅雨ちゃんに喋りながら、ニコニコして歩いていましたが、ふと胸元を見やり溜息をつきます。
実は……五日に森へ行って昨日まで籠っていたのですが、最初の数日は気分が乗らず、七日くらいに親友の猫夜叉、無白花ちゃんと斬無斗君の二人が来てくれて。
綺麗な結晶のネックレスを三人で作ったのです。
それから翌日に、二人にお菓子を焼いていた所までは記憶にあるのですが。
その日から昨日まで、どうしていたか良く覚えていないのです。
余り……余り……覚えてないけれど……どうしてだか首に下げていたネックレスがまたも壊れてしまって。
とてもとても悲しくて。そこから前を思い出そうとする度、苦しい気分に落ちていきます。
『血をちょうだい、肉をちょうだい。いいでしょう?』
自分が口にした言葉が何処からか蘇り、手が真っ赤に染まって行く度に嬉しくてたまらなかった……
人間ではなかったけれど、ヒトの命を奪い、戯れに剣を差し出し、引き抜き、また刺して、飽きるまでそれを繰り返す……
『思い出さなくていいんだ、ユキ』
無白花ちゃんは別れ際にそう言って、『そうだ今度、町へ行こう。一緒に』と、約束をして別れました。
猫夜叉の二人が帰って、落ち着かず……どこか気持ち悪くて、気分転換にお風呂に入ろうとした時、首筋に傷が走っていてそれを見た途端、怖くて、涙が零れて止まりませんでした。
痛くはありません。
けれど、忘れてはいけない事を忘れている気がして。
でも忘れていた方が平穏を保てる……そんな気がして。
いやな夢ばかり見てしまって一人で居るのが辛くて、激しい豪雨で荒れた森がだいぶ落ち着いた今朝、家に戻りました。
出社前の賀川さんが居たので、何か言いたかったのに、殆ど会話らしい会話もできず。先生達のメールに驚いて、手紙を書いて今に至る、そんな感じです。
黒のハイネックの上から傷に触れると、熱を持っているかのように疼いて、何かを訴えて来るので、慌てて指を放します。
「清水先生のお姉様、会ってみたいよね、梅雨ちゃん。そう言えば、荷物があるって賀川さんが言っていたような」
何とか笑顔を作って話しかけていると、梅雨ちゃんが何かに怯えたかのように身を竦め、肌が傷つかない程度でしたが、私に爪を軽く立てました。
「どうしたの? 梅雨ちゃん」
「呑気なモノね」
冷水をぶちまけたような音調の声が背後からしました。
「こんにちわ、宵乃宮 雪姫……ユキ、さん、で、良いかしら?」
「えっと」
忘れもしません、この前に会ったのは夏祭りの日。
賀川さんと知り合いのようでしたが、私の容姿をとやかく言った女性です。それに怒った彼は手をあげて。そんな彼に跪くように言って、彼女は炭酸をブチまけて来たのです。
その時と同じに着物を着た彼女は、前以上に強すぎて恐ろしい色をしていました。笑っているのに、敵意剥き出しです。
「あら、私名乗っておりませんでしたわね。時貞 冴と申します。細密電子TOKISADAの代表取締役をしておりますの。貴女には「うちのあきらちゃん」がお世話になっています」
私でも細密電子TOKISADAくらいは知ってます。
大っきな会社です、テレビとか携帯とか作ってるはず。その上の方がこの人……それも賀川さんの苗字、思い出せなかったけど、同じにトキサダと言っていなかったでしょうか?
ときさだ あきら……たぶん、賀川さんの本名です。
「その顔を見ると私のことは聞いていないのね。あきらちゃんは私の弟なのよ。とても大切な」
「た、いせつ?」
大切な人を跪かせて、飲み物を掛ける何てあり得ないでしょう。でも本気なようです。
「貴女、しょうのみやの、それも巫女なんでしょう? あきらちゃんから離れてくれるかしら?」
「はい?」
「あきらちゃんは私のモノよ。あの子は汚らわしい生き物なの、それを忘れないように世話してあげているのに、あの子最近オカシイの」
意味が解りません、お姉様は彼を大切と言いながら汚いと言い、全く彼の事を考えていない様で世話をしているとまで言い切るのです。
「貴女、あきらの何を知っているの?」
「……何も。彼の過去も、今考えている事も。私は何も知りません」
今まで名前さえもはっきり知りませんでした。目の前の女性がお姉様だと言う事も。
「でも、彼は、優しく笑ってくれます」
彼の事は一年と少ししか知りません。でも彼は荷を取りに来る時、いつも変わらず私に笑いかけてくれました。母が居なくなって、それでも絵を描き続けて待った森での一年越しの時間。笑いかけてくれたのは彼だけだったんです。そう、一生懸命描けば彼が来てくれて外とを繋いでくれる。彼はほぼ唯一の橋。
彼を迎える為に髪を染め、コンタクトを入れて。
「賀川急便です、品物を受け取りに参りました!」
定型の文句、特に言葉を交わす事もない一瞬。荷物を受け取ると踵を返すその背を「お願いします」と見送るのが寂しかったけれど。少し離れた場所で、まだ見送っているのに気付くと、彼はもう一度、はにかむような笑顔をくれるのです。
後から聞いたら腹立たしい事に『とても気味が悪い』と思われていたようですけれど。確かにあの森の奥に人が住んでいたら怖いかもしれません。
具合が悪くなった日、タカおじ様と来てくれなければ、先生達が呼ばれる事もなく、今はココに居なかったでしょう。入院している時は会話もそんなにできなかったけれど、毎日顔を見せてくれました。
どういう気持ちできてくれたのかわからなかったけれど。
彼がどう思っていようと、彼の笑顔が好きだったんです。
色を感じない事を不思議に思いながら。
……好き?
……私は息をのみました。
私、彼が好きだったんだ。
自然に魅かれすぎて考えた事もなかったけれど、私……随分前から。
すき、だった? それは本当に過去?
「優しく笑ってくれる?」
私の思考を踏みしだく様に、お姉様は続けます。
「ふふふ、それが何だと言うの? ほら、これを見るといいわ」
お姉様は笑顔に見えない怖い笑い顔で、私に写真を渡してくれました。
一枚は可愛らしいちょっと上品そうな少年、もう一枚は暗くて見え辛かったけれど、大人に囲まれて傷だらけの子供が居るのが辛うじて見て取れました。
「そっちの暗い方、脅迫ビデオから起こしたから見え辛いでしょうけど」
「脅迫、ビデオ?」
「送られてきたビデオを見て、母は気が狂ったほどの内容よ。貴女、見たい?」
震える手で写真を返し、梅雨ちゃんを抱きしめます。
写真に映った子供が、どちらも賀川さんだと気付いてしまったから。
「あきらちゃん、私を庇って身を落としたの。八年、そしてその後も自ら望んで、そんな所で暮らしていたわ。マトモじゃないのよ、あの子。だから私が責任もって可愛がるの。だから邪魔するのは許さない。それも貴女が愛する男は『殺される』のよ、巫女を人柱にするために」
「何を言って……」
わからないけれども、嫌な感じがしました。
でも言葉が上手く紡げなくて、顔を伏せかけた時、
「どうしましたか? 時貞さん」
後ろから声がして、私は振り返ります。
「バッタのおじ様……」
「ぬ、抜田先生ではありませんか」
彼女と私の間に入り、その背に私と梅雨ちゃんを守るように立つと、彼女としっかりと握手して、
「この娘は私の古くから懇意にしている男の娘。私にとっても自分の娘以上の子だ。何か粗相でもしでかしたのかね?」
顔は見えませんが、強い何かを感じます。それに気圧されたかのように、だけど彼女は今までの会話がなかったかのように、品のいい感じで、
「いえ、何でもありませんわ。今日は急ぐので失礼いたします」
そう言うとそそくさと彼女はその場を去りました。
ホッとしたせいか、少しだけ眩暈がしました。
「ユキ嬢ちゃん、大丈夫か? 随分顔色が悪い」
「あの、ありがとうございました」
「礼を言われるような事はしていない。投げ槍の娘は俺の娘だからな」
「バッタのおじ様……巫女って、何の話ですか? 賀川さんの事、わかりますか?」
「だいたい知っているが……今夜、投げ槍を交えてと話すか。とにかく家まで送ろう」
そう言いながら私の手元に抱かれた梅雨ちゃんに気付き、
「おやおや、可愛い。嬢ちゃんの猫?」
「いいえ、預かっているんです」
大きな手で梅雨ちゃんの頭を撫でます。逃げるかなっと思った梅雨ちゃんでしたが、バッタのおじ様の包み込む様な大きな感じがわかるのか、タカおじ様と間違えたのか、慣れた感じで嬉しそうに「なぉ」っと鳴いて差し出した手をペロリと舐めて返すのでした。
その抜田先生の逆の手には。
お姉様が袂に隠し持っていた刃物を奪い取り、握っていたのです。握手した時に、奪った物。それで何をしようとしていたか、いや私はそれの存在にすら気付きもせず、連れ立って歩き出しました。
YL様『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌より』清水先生。梅原先生。お二人のメール。そして梅雨ちゃん。
銀月 妃羅様 『うろな町 思議ノ石碑』より、無白花ちゃん 斬無斗君 お借りしています。
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