治癒中です【うろ夏の陣】
おわった、おわったーって所。
「さあ、雪姫が待っている」
雪姫を残し、うろなの住人と共に、敵を片付けた二人は急いでその場所に戻る。まだ夜はあけない、だが人目につく前に退散した方が良いだろう、そう二人は思い、足を早める。
何よりそこで待つはずの親友が気がかりだった。
「早く行かないとねぇ。待ちくたびれて帰っちゃうよ」
「あの傷じゃ動けないだろう」
左手首に集中した傷、右首筋に走った傷。他の傷とは明らかに違う太刀傷。
無白花はそれを思い出し、暗い気持ちになった。
親友である雪姫の白い肌に刻まれたそれは、自傷した物だろう。無白花はそう考えていた。
戦い慣れた彼女には、それが彼女に降ろされた鬼と何かが戦ってつけた傷とは、明らかに違うと気付いてしまう。彼女の状況、あの中でも自意識があって、時折赤い結晶が僅かに反応していた。
そして自分よりも他人を思いやる、彼女の性格を加味して分析すれば、それはすぐにはじき出される答えだった。
理由もなく傷つけるぐらいなら、自分の命など要らないと。
「怖かっただろう、痛かっただろうに……」
ためらい傷ではなく、確実に自分の命を仕留めようとしたハッキリと深い傷。しかし鬼であった彼女は痛みのみで死にきれなかった。何度も何度も切りつけて、死ねなかったからココに居てくれている。
傷だけではわからなかったか、その時彼女を支配していた者は、切っても治るそれが面白いと戯れに何度も何度もその傷をつけて遊んだのだ。
肌に喰い込む刃、痛みと死への恐怖。
そして彼女を襲った絶望は、死ぬ事さえも奪われ、奪われた事さえ忘れさせられた。
どうして私達を思い出してくれなかったのか、助けを待ってくれなかったのか。
記憶を操られ、体も心も感情さえも奪われて、それを望むのは酷だとわかっていても、無白花は歯噛みする。
ならば、自分がもっと早く見つけ、助けられたなら……そう考えてしまう。
斬無斗は無白花のその思いに気付く。自分だってそう思っているのだ。だがそれを繰り返して空気を重くしてはならない、だから彼は笑って、
「無白花ったら、そりゃあ深々と刺してたからね。いくら破妖刀は人間を傷つけないと言っても、あの時の雪姫は鬼だったから。心臓を一度は止めてるはずだよぉ」
「私を挑発して刺させたのは誰だ?」
「やーん、雪姫だよう」
「何?」
「僕じゃないよ、彼女が望んだから僕はそうしたんだよ。本当は嫌だったけど、雪姫は友達だから助けなきゃだし、無白花を信じていたからね。うわっそんな顔して、怖いよぅ無白花ぁ」
おどけて間を取ると、しゃらりと斬無斗の服についた飾りの鎖が音を立てる。
「大丈夫だよ、離れる時、雪姫は意識がなかったし、傷だらけだったけど、血は止まっていたし、ちゃんと呼吸していたから」
笑った表情を余り見せない無白花が、その唇に微かながら笑みを浮かべた。僅かに普段より強く吹く風に、二人の銀髪が遊んだ。
「しかし凄い格好だよぉ」
二人共も見事なまでに切り傷に爪痕、そして太刀傷を浴びていた。
ただ殆どがもう治りかけていた。だが服はズタズタで、消えない傷が幾つか見受けられた。
消えない傷、それは二人が友と思う雪姫の手によって生じたモノ。
その存在を認め、受け入れた、その者から受けた傷は、神である猫夜叉だからこそ、簡単には癒えない。
「これくらい死にはしない、時間をかければ自然と治る」
「痛いけどー倒れないけどー痛いからー撫でて優しくしてぇ……あ、痛ッ!」
パコリと無白花は突っ込んだ。
自然に治る、とはいえ、二人には西の山を守護する任務が毎夜待っている。治らない傷を体に抱えての仕事に不安はあった。だが今は友が戻った事に二人は安堵していた。
暗い中、赤い、仄かに赤いドーム状の光が見える。
これは結界だ。
彼女の為に、二人が、そして彼女自身が作った結晶が生み出したモノ。この中には猫夜叉の二人、そして雪姫しか入れない。彼女が下げていた赤い十字の結晶は壊れてしまったが、壊れて尚、しっかりと彼女を守っていた。
白髪の彼女は半身を起こして、二人を待っていた。
「あ、雪姫、起きたの?」
何の警戒もなく結界に入り、その体に触れようとした斬無斗を無白花は反射的に引っ張って止めた。
「何を……えっ」
二人は息を飲んだ。
鬼を宿した時、彼女の右の額には角があり、巫女服を纏っていた。
そして一度はいつもの白いワンピース姿に戻っていたと言うのに、またも巫女服に身を包んでいたのだった。体に傷は見えず、何事もなかったかのようだ。その手には小さな黒い子犬のぬいぐるみ。それをヤワヤワと弄んでいた。
「間に合わなかったのか……」
一転、二人は地獄の底に突き落とされたかのような気分を味わった。
もう、本当にその首を刎ね、血潮を流す心臓をその胸から引き出すしかないのか。
絶望的な気持ちで間を取り、刃を構えた。
だが、そこにいる巫女服の女は、にっこりと笑った。
「おかえり、むじか、ぜむと」
その微笑はいつもの彼女に輪をかけて、不思議な雰囲気を漂わせる。ただ、雪姫ならば、彼らを呼び捨てでは呼ばない。とすれば、そこに居るのが彼女ではないと言う事。
だが、雪鬼と呼ばれた鬼のそれとは、全く違っていた。まず彼女は二人を名前で呼んだ事などなかったし、無邪気さや無垢さはあるものの、根本的に何かが違っていた。それは清らかさとでも呼べば一番ぴったりと来る気配。
白い髪が淡く発光し、尚更に白さを醸し出す。もともと浮世離れした容姿が、特別に現実感の薄い存在に二人は感じた。
「薬が切れるし、この子の体は呪で犯されているから、不浄に私は長く居られない」
「君、誰? 名前は?」
「そんな俗世の習わしはわからないの」
彼女の赤い瞳は揺らめいて、いつも以上に澄んでいて美しかった。でも人であって人でないその気配。禍々しさのなどない。ただただ清浄すぎる雰囲気は、聖なる何かを感じさせる。
額に角はない、そして巫女服は死に前ではなく、きちんとした合わせで美しく重ねられていた。それを見て取ると、無白花は静かに口を開いた。
「神、なのか?」
無白花は母の言葉を思い出す。
『宵乃宮の巫女が祀る『火水』は、うろなの森にある滝、『水神』なのよ。御神体は『火』を司る剣だったそう。かつては交流もあったのだけれど、人柱という巫女の残酷な使い方を始めてから、巫女と剣は都へと運ばれて、それきりだと聞いていたわ』
雪姫、いや、その中に居る何がしかは無白花の言葉を聞いて首を傾げ、
「そう私を呼ぶ者もいるけれど。使い方を間違えば私は悪になる。貴女にならわかるでしょう? 猫夜叉も神なのだから」
そう言った後で、襟にぬいぐるみを挟む。巫女服から覗く大きな胸に挟まれた黒い子犬を、斬無斗が何気なく注視していると、無白花はそれを咎めてその横腹を軽く突っつく。
そんな事に気付かずに、雪姫は二人を手招きし、側に座らせようとする。抗えない何かに導かれ、無白花は刃をしまい、彼女に近付く。斬無斗が止めようとしたが、無白花は躊躇い無く彼女の手を取った。
「ありがとう、むじか」
ひやりとした雪姫の手から、細かい光の粒子を発し、無白花の体を包む。どうしても消えなかったその傷が、まるで幻のように消えていく。
「さ、ぜむと」
斬無斗もおずおずと手を差し出すと、白い光が傷を撫で、肌を元に戻し、痛みが退くのに目を見張った。猫夜叉にもその舌で舐めると傷を治す効力がある。それと似てはいるが、ない皮膚が再生され、傷を塞ぐその様は煌めいて美しかった。
「よかった」
そう言った後で、雪姫の体を借りたそれは口元に人差し指を持って行き、首を傾げた。
「うーん」
「…………雪姫?」
「よくもないのかしら? 治れば良いってもんじゃないって、言っていたから」
その仕草は雪姫の物で、彼女がいつもの彼女では無いにしても、彼女のどこかに居るのだと無白花が結論付けた。話をしてみようと口を開いた時、その異変が起きる。
巫女服がふわりとワンピースに戻り、白い肌に見る見るうちに赤い線が走り、血を流し始めたのだ。今まで消えていた自傷の傷も、ダクダクと血を溢れさせる。
胸元にあった手の平ほどの黒い子犬のぬいぐるみが、ポトリと地面に落ちる。
「どういう事だ!」
「巫女は人間でも穢れがない心で私を受け入れる器よ。でもやっぱり彼女は人間だもの。受け入れている間は私の加護で守られる。けれど、だめねぇ」
「待ってくれ、この状態でお前が離れたら」
「そうねぇ。死ぬかもね」
「僕達が治すまで、居てよ。ねぇ、雪姫の味方なんでしょ?」
「みかた?」
斬無斗の言葉で首を傾げる。血で、地面を汚しながらも、平然とまた悩み出し、
「さあ? たぶん小角が使っていた薬が切れちゃったのよ。一度人の為に心臓が止まったから入りやすくなったけど」
「心臓が……」
「そう、自分の為ではなく、他人の為に命を投げ出し、奇跡的に生き残る。それは聖なる証、聖痕となるの。そう言えば良い風も吹いてるし、昼頃『水撒き』しようかな?」
「み? 水撒き?」
「たまには仕事しないとね。だいぶ汚してくれたでしょう? 私はうろなを綺麗に流すの。この子のソレは流せないけれど。うーん、もう眠くなったから寝るねぇ。おやすみ、むじか、ぜむと」
いつもの緩い調子で話を終わらせると、そのまま意識を失う。斬無斗は輝きの失せた雪姫の体を、地面すれすれで抱きとめる。
「は、早く治さなきゃ、雪姫死んじゃうよぉ」
右首の動脈が断ち切れている、これで今まで持っていた方がオカシイのだと気付く。無白花は雪姫の血で汚れるのを気にもせず、その部分をまず癒す。
「とにかく傷の深い所だけでも押さえて……」
それと同時に、今まで赤い光を放っていた砕けた結晶が、チカチカと点滅し、吹き消える。結界が音も無く掻き消えた。
「マズイな」
「雪姫の血は不味くないよ?」
「違う」
とにかく応急処置と、他の深めの傷を選んで舐め出したが、回りに不穏な気配が近づいているのに気付く。二人はこの場での治癒を諦めた。
雪姫の持ち物らしい黒いぬいぐるみを無白花は素早く拾いながら、
「雪姫は鬼をおろされた時、結構恨みを買ったみたいだな」
無白花と斬無斗は、雪姫が『おっきなねこさん』と呼ぶ姿になる。そして雪姫をその背に載せ、全力でその場を駆け出した。
「雪姫を無事に送り届けたら、母さんかエインセルに、猫夜叉の加護にある者だから手を出さぬように触れ回って貰わなきゃだねぇ」
「ああ、そうしよう。だがまずは……」
「手当だよね」
二人は意見を一致させ、一路、彼女の森の家に歩を進める。夜明けはまだ、月のない空は暗く、光がない森は暗い影を落としていた。
銀月 妃羅様 『うろな町 思議ノ石碑』より、無白花ちゃん 斬無斗君 二人のお母様 お借りしています。
いつもありがとうございます。
所々変わっているので確認を。




