悪夢中です11(ユキと水羽)
巡る記憶と場所と。
流れゆく記憶は水のように。
黒い空間にゆらゆらと落ちてきた雪。
もう横たわった小さい賀川さんも、それに話しかける若き日の八雲先生も見えません。ただ誰かの気配を感じて振り向くと、
「賀川さ……アキさん」
ちょっと手を伸ばせば触れられる、そんな範囲に突然、賀川さんが大人の姿で立っていてました。今まで小さい頃の彼を見ていたのに。何だか展開の速さに付いて行けない私は鈍いのでしょうか。
それについ慣れた『賀川さん』と呼ぼうとして、でも約束だからとアキさんと言い換えられました。ニッコリと笑って返そうとしたのですが、その手には青い刀が握られているのを確認しました。日本刀……その湖のように透明な蒼の長物をすうっと持ち上げる彼の顔に表情はありません。
「あ、アキさん?」
何が何か、わからないまま。
だっておかしいのです。
彼の体には喉からと腰から赤と黒の刀が突き刺さって見えて、どうみても正気ではないのです。血は流れていないし、幻の様であっても、刀に貫かれているのに人は生きて動けるものでしょうか?
そんな私の疑問に答える声はなく、真っ直ぐに、彼から突き出された刀に私は突き刺されていました。
「っ……」
突然の事に息を詰め、焼けるような痛みと混乱で何も考えられなくなります。今まで数歩あったはずの賀川さんとの距離は無くなって、抱き合えそうなほど近く、見上げれば漆黒の瞳に私の驚愕した顔が映っていました。いつもなら優しく微笑んで、慣れたように唇を落としていく距離。彼の表情のない顔に、ぱっと血飛沫が散って、形の良い顎を伝っていくのを呆然と眺めます。
それが自分の体からあふれたのを知った途端、刀が抜かれつつあるのを悟りました。
冷静になどいられないのに、五感は一つずつハッキリと私に情報を送ってきて、それを脳に刻み込みます。いたい、などと言う言葉では収まらない苦痛、苦悶、温かいはずの血は冷たく体を零れ落ちて。刀は上に切りあげられて、賀川さんと私の距離は離れていきます。抜けるのに任せて後ろに吹き飛びながら倒れて行く自分の体。
彼の後ろには篠生さんによく似た、宵乃宮さんの顔をちらりと確認で来て、ああ、彼が何かやったのだと思いながら。
肺か喉が傷ついたのか、呼気が抜け、鼻や口から何かが溢れ、腹から自分を構成する全てが抜け出て行きます。叫びは声になる事もなく、疑問は形を取りません。自分が仰向けに床へ倒れたと自覚する頃、赤い血は白く変化し、さらさらと空気に崩れていきました。その行き先を見ると、賀川さんの体を貫いていた刀も同じように溶け、混じり合っていました。混じった物はキラキラと輝きながら、彼が握った刀に吸い込まれていくのです。
これで……自分の命が終わるのだという呆気なさと共に、正気に戻ったのだろう賀川さんの表情が歪みました。
『どうしてこんな事に』
それは私の口から洩れた言葉だったのか、彼からだったのかはわかりません。だって震える彼の手から刀が奪われ、彼は……
『みぃーこーぉー』
その先を見なかったのは、ぱちん、手を叩く音と共に、はっとしたからです。
目の前には『私』。
『いき、しなさい』
「え? あ、ふ、はぁっくゴホゴホ……」
もう賀川さんの姿は見えません。
自分の体に痛みはもうなくて、でも息を詰めていたようで、息苦しさに慌てて呼吸をしようとして無様にむせてしまいます。心臓がバクバクいっているって、こういう時を指すのでしょう。ハッキリとした心音は、私は死んでいない、生きているって感じさせてくれて、苦しいけど良かったのです。
目の前を過ぎていく事象や人物の入れ替わりの早さに戸惑いながら、へなへなと座り込んで見上げると、自分とそっくりな彼女の名を口にします。
「み、水羽さん?」
『そーよー』
「いまのは……」
彼女は人差し指でそっと自分の頬から唇を流れるように触る仕草をしながら、
『あー、いまのは『廃棄』になった『未来』ね。いまのとこはあきのみこによってカイヒした死。まー、みらいはまたわからないけど』
「かいひ? ああ、回避……無くなったって事ですか? お母さんのおかげ?」
『そ。ここは『夢』がこーさくしてるからキをつけて? せっかくカイヒしても、ひっぱられて、のみこまれるとホントに消えちゃうわよ~』
いつもは頭に声が響くだけなのに。夢だからでしょうか? 死に装束のような白い着物を着ている水羽さんをしっかりと見る事が出来ました。
私も同じ着物を着ているようです。ただの着物にしては裾は長くて、ずるずる引きずっている感じは十二単のイメージに近いのです。重さは感じません。自分の姿が気になって立ち上がります。まるで猫が自分の尻尾を追うようにぐるりと回るようになってしまうと、その着物はただの白衣ではなく、淡い夕日の色が裾から濃く、肩口に向かって淡く染められているのに気付きます。
そのパールのような淡い光沢を放つ不思議な仕立ての裾長の着物も、白くて光る雲や、天を感じない空虚な空から降り続く雪も……とっても幻想的で不思議です。
「気を付けてと言われても、どうしたら……ここはどこです、か? 夢? なんですよね?」
さっき死んだと感じた事も……問いながらも回答は水羽さんの口から零れる事もなく、感覚で感じます。その事に満足したかのように彼女は笑い、
『そう。ヒトのコトノハなら『夢』の中。こころ、かこ、みらい。わーるど、あかしっくりこーど。それはテンカイとか、しんかいとか、たかまがはら、エーテルとか、クウ、そうねぇ……ぱす、は、いろいろにつながって、げんじつに落ちてカコとなり、リクドウをめぐるの』
間延びした言葉遣いは私とは違っていると思うのですが、目の前に居る水羽さんの姿は鏡で見る自分の姿とそっくりです。
それでいて赤い瞳に宿る凛とした雰囲気は、私にはない古からそこにある力のような物を感じます。それは空や大地、そこに広がる森や泉のような、地球にある自然の息吹を思わせる揺るがない何かです。そして偉く壮大な事を言われている気がしますが、説明、半分も理解できていないですけど。
彼女は自分の唇を撫でるような仕草を続けながら、
『そーねぇ……ゆめをわたるちからも、じくうに介しカコやミライを見るちからも、ひとをいやすちからも、アメを降らすことも、すべてのしぜんにかかわるコトガラを、みこはうごかすことができる。それも、あなたはわたしのみこで、しろみこ。それはかみに連なるもの』
巫女ならば知って置いた方がいい事がいっぱいあるのがわかって、光に混じるように突然文字や言葉や映像でそれらがたくさん降ってきます。雨のように。けれどその情報は多すぎて、すぐにすべてを把握できる量ではありません。水羽さんはその光雨をいつくしむ様に見上げながら、
『ここはゆめ、わたしのばしょ。すなわち、貴女のばしょ。かみのちしき、むげんのとしょ、じょうほうのげんせん……わたしは神で、ながれる水とおなじ、せかいのきろく。わたしのすべてをヒトでしかない貴女がぜぇんぶつかえるわけじゃないし、そのぶん貴女はわたしより自由ではあるけれど。つまりわたしはわたし。あなたはあなた。そしてあなたのいちぶはわたしであり、わたしのいちぶはあなたであるという事。その中でどうするか、なにをするか、きめるのは貴女しだい。わたしはかみ、みまもりのものだから。けがれをかんじれば、わたしはいられず。でもかんじなくなることはあっても、あなたがあなたであるかぎり、わたしはあなたのそばにいる。だからあんしんしていいわ』
わかるようなわからないような、なぞかけを歌う水羽さんの声を聴きながら、私は問いかけます。
「私はやっぱり……よくわかりません。けど……私は私で、水羽さんを感じたりこうやって話せるのは、私がちょっと普通じゃなくって……その、たぶん巫女だからって事だとはわかる気がします。さっきお母さんや賀川さんの過去が見えたのは、黒雪ちゃんの所為なのだと思っていたのですが、過去とか未来が見えるって、それ自体が水羽さんの気まぐれなんですか?」
『見せたくって見せてるときじゃなくっても、見るみこは見るよねーぇ、にせみこであってもね。ぜんぱんてきに『みこ』は神にちかしいものだから、見ちゃう、の、かなぁ? でも、みこ、ぜーいんにあるちからじゃないの。個々によってつかえるちからは『げんてい』されてる気がするけれど。うーん、あきのみこはけっこう見るタイプだったし、こーげきも、いやしも、イロイロきょーかいでならって、じょーずだったよ? でも無理しちゃって使えなくなっちゃってたっけ。彼女にわたしじしんは、あんまし降りたいタイプじゃなかったけど。なにより、あきのみこはかいがいにいて、きょうかいよりだったから。べつのとちにはべつのかみがいるから、ふぶんりつだけど侵すのはよくないの』
お母さんの事……引っ越しをたくさんをする事以外は変わった人じゃないって思っていたのです。でもまあ、私は生まれた時からお母さんとの生活が普通で、各地を転々として特別な友達も居なかったから、それ以外の生活なんて情報が少ないのですけどもね。
水羽さんは人差し指を立てて、顎のあたりを触る仕草をしながら、
『で、いそうろうとアキのコト、気になる?』
「……はい」
水羽さんの言葉に私は口ごもりながらも返事をしました。それに返って来た言葉は軽いものでした。
『じぶんでわかっているでしょ?』
「……おかあさん、賀川さんが私を刺し殺す夢を見て、遠ざけた……」
遠ざけた、そんな言い方をしたけれど、心の中で願ってしまったのは彼の死でしょう。悩んで、悔やんで。救う事も変える事もしないまま。
そして幼い彼は攫われて長い時を暗い所で過ごし、なかなか自我を取り戻せないほどのダメージを受けてしまった様子も見てしまいました。
『ミライを知ってかえようとおもっても、そうかえられるものでもないんだけどお~まぁ、いそうろうがいきているなら、『しろみこ』をまもれるちからのあるものになることものぞんでいた……もうもくてきにあいし、まもるように……うたに暗示をまぜてね』
「っ……盲目的……って」
賀川さんが私を想ってくれているのは、お母さんが望んだから……
真っ白な世界に黒いしみのような点が見えました。はたはたと近づいて来るのは黒いアゲハ蝶でしたが、それはなんだか私の心のどこかにある疑問の形をしている気がしました。
折角落ち着いた心臓がまた跳ねて、痛くなります。
『しらなければよかった?』
水羽さんはそっと私の頬を撫でます。その滑りでいつの間にか泣いていた自分に気付きました。
『さっきのをみせた黒雪姫にあくいはないみたい。けれど宵乃宮につきつけられるまえに、はっきりさせておいたほうがよゆーがもてるかなぁ~って、おもったからトクに退けなかったのだけど~』
そう言って、水羽さんは私を見たのでした。
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『以下1名:悪役キャラ提供企画より』
『黒雪姫』
小藍様より
お借りいたしました。
問題があればお知らせください。




