悪夢中です10 (ユキ)
夢の中に彷徨って。
過去を辿って。
今、目の前が暗いのはお母さんが目を閉じたからでしょう。
そしてお母さんから伝わってくる後悔と決意が、私には辛くて。
私はお母さんがいろんな力を持っていたなんて、一緒にいた時は知りませんでした。
確かに転々と引越ししたし、何を考えているかよくわからなかったですけれど、優しかったお母さん。工場で働いているって思っていたけど、本当に働いている所を見た事が……ないのです。どこの町に越しても工場がある辺りを指して、あっちの方って答えて。行きたいって言った事もあったと思いますが、子供は作業車の邪魔になるからって言われたら、見になんて行けなかったから。
「もっと、私は、知ろうとするべきだったのです」
初めてうろなの森に越した日、母が梅の樹の下、振り返り、唇に微笑を浮かべたあの姿を思い出しました。甘い香りの中、着飾らない母が浮かべた最高の笑顔は、どんな気持ちで浮かべたものだったのかを考えざるを得ませんでした。
そうしていると、誰かが呼んでいる気がして、私は私の意志で目を開けました。頭が痛くて、胸がどきどきして、気分が悪いけれど。今はもうカトリーヌ様はいないし、だけれどもまだ黒雪ちゃんといた場所に戻ったのでもありませんでした。
視界には薄い茶色のレンガ造りの建物がありますよ。
私はお母さんの過去にはいないようです。だって、視界に下がってくる横髪が黒ではなく、いつもの白だったから。耳に髪をかけようとして、自分の手や体が透けているのに気付きます。
あれあれ? 私、宙に浮いてます?
丁度建物の三階くらいの高さで、中庭は枯葉が多く、空は重そうな雲がかかっています。太陽は見えないけれど、お昼頃なのでしょう。暗くはありません。吹く風は冷気を帯びていて、季節は冬だと教えてくれます。突然、中空にいて驚いた事で冷静になれた気がします。ゆっくり深呼吸すると少しだけ気分が良くなりました。
「あそこから?」
呼ばれたような気がした方向にある建物の窓には、全て鉄格子が付いていて、その目線にある一つの窓へ私は近寄ります。うん、問題なく行きたい方に行けますね。
で、そこには複数の大人が暴れる何か白い物をベッドに押さえつけています。血が出ている人もいて、とても大変そうなんですけれど。何でしょう? アレ。
「耳ィ噛みやがったっ」
「き、気を付けろ。こいつが複数人に重傷負わしてんのは知ってっだろうがっ! 早く拘束しろ」
「うぎゃっ! っは、は、早くして下さい、繋ぎましたから。クラウド女医!」
「……もう、暫くは動けないさ。みんな離れて良いさよ。後は私の仕事だから。怪我した奴は医務室行って診てもらいな、後から私も診に行くさね」
白い物にゆっくりと冷静に注射をしてからそう言い放ったのは、八雲先生でした。ラフな服装に白衣を纏った、今とあまり変わらないけれど、今はきりりと結んでいる髪がまだ短くて少しだけ若く見える気がします。元々あんまり年齢が分からない先生ではあるのですけどね。
そしてたぶん全員が英語で喋っていますが、何故だか意味は分かります。何でたぶんって言ったかっていうと、だいたいガラスに遮られて音声は聞こえていないんです。そして口の動きが日本語ではありえない動きで、それでいて頭の中に落ちてくるイメージからニュアンスが音声で伝わってくるという不思議な状態なんですよ。
そうですね、吹き替えの映画を見ている感じでしょうか。
暴れていた何かはいつの間にか静かになっていました。八雲先生の言葉で、それを押さえていた男性達は部屋から出て行きます。やはり彼らは全員外国人の方です。
八雲先生は海外で働いている事が多いとは聞いていたので、ココは日本ではないのでしょう。そして今は日本に居るのだから、コレはやっぱり過去でしょう。けれども何故? と、首を傾げます。
「で、なんで情報屋の赤薔薇のコビトがいるさね」
ベッドサイドには八雲先生と薔薇色の髪をした少年が残りました。彼はさっきの騒ぎの中にはいなかったのですが、皆が外に出るのに紛れるようにして壁のどこからかつるりと現れ、すたすたと八雲先生の隣を陣取ると、ベッドの上で沈黙した白い塊を覗き込んでいます。
彼はこないだ会った薔薇の妖精さん、イルさんでした。彼の姿は今と変わっていません。
「ふぅん、驚かないんだ?」
「驚いてるさね。ただ世の中には不思議なモノが居るって事くらいは理解しているさよ」
「冷静な反応~。ちょっと、ツマラナイなぁ」
えっと、お互いにさも当たり前のようでしたけど。
八雲先生は点滴のラインから別の薬剤を注入し、私には何だかわからない機械をちょいちょい触っています。その時になってやっと白い塊が布に包まれている人間である事がわかります。生き物なら大抵何か色を纏って見えるんですけど。物と呼ばれるモノにだって色が見える事もあるくらいなのに。だから……肌の色が悪く生気がなく横たわった少年は、まだ幼い賀川さんだってやっと気付きました。
「で、何しに来たんだい?」
「お見舞いだよー☆ まさか、ティだなんて思わなかったけどね」
「……このコ、知ってんのかい?」
「昔、一度だけ、見た事があるんだよね。小規模な殲滅戦だったけど。彼らはそこにあるもの全部壊して、終わったら犬みたいに檻に入れられて、鎖で繋がれてたよ。機械人形みたいにね」
「彼らって事は複数いたのかい?」
「あの時はね。ティの居た少年部隊はみんな、首輪を巻かれていたよ。暴走や脱走を防ぐ為、だと思うけど。ティは指の動きが特徴的でキレイだったから、目付けてたんだよねぇ〜♪」
後、肉付き悪かったけど好みの表情しそうだし、壊したらオモシロそうだし、ねと付け加えます。うーん、私にはどう面白いかちょっとわからないのですけど。すると八雲先生は、冗談でも医者の前で患者を壊すなんて言うもんじゃないさね、と、呟きながら、
「今回この子がココに居る事は出来るだけ隠しておいたのにさ。ふう、まぁ、情報屋にどこで聞いてきたんだなんて愚問かねぇ。とりあえず『コレ』の事が外部に漏れてるって事さね。まぁ、半年……持った方かもしれない」
溜息を付きながら言うと、嬉しそうにイルさんが笑います。
「だねぇ~☆ どっかの施設から運搬中に消えた『SASA-YA』の実験体が、見つかったってね。で、その時にティを飼ってたトコは、壊滅したって?」
「自滅と言った方が正しいさね。闘技場に居た戦闘用の子供達、全員にアヤシイ薬を過剰投薬して放って、自分達が逃げる時間を稼ごうとしたんだよ。けど見境なくなった子らが退路に紛れてしまって、殲滅しちまってね。ただ子供達も二時間くらい暴れまわって、半数がクスリが切れると同時に急激な離脱症状でおかしくなっちまって、亡くなったさ。なかなか酷い惨状だったさよ……って、説明しなくても『知って』たさかね」
「紙面上ではね。その時の過剰投与者で生き残ってるのはティーだけなんだね」
「……そうさね。脳波は正常粋に戻ったし、もう薬は抜けているはずなんだわさ。ただ稀に目を開けていても会話は無視、食品も嚥下もしないし、鼻注も胃瘻もなんとかやっても無理やり抜くし、吐き出すし散々でね。それにどうも注射が嫌らしくて、針見た途端に暴れるわ、点滴は抜去するわ……そこまで判断出来るなら意思疎通できそうなものなのに、触れられない限りは自分を殺そうとしているみたいに無反応でね。まぁ色々仕込んでありすぎて何がこの子を生かしてるんだか、医者だってもう分かんないさよ。けどこれまで何をされてきたんだか考えたら、あの抵抗もわからなくはないさ」
彼らの会話でわかるのは、賀川さんが酷い目にあっていたという事、そこから助けられたけれどもまだ自我が戻っていない、酷い状態であるという事です。
彼は今、うろなに居るから、ほどなく意識は回復するのでしょうけれど、かつての現状を想像するのと、目の当たりにするのとは違います。呼吸さえも薄くて、死にたいと消えたいという二つの感情を何とか八雲先生の医術が現実に引き止めているのです。そんなの見てたら私の方が泣きそうになってしまいます。
八雲先生は腕を組み、眉を寄せます。それを見ていたずらにイルさんは笑っています。私とは違った薔薇の赤を湛えた細い瞳が賀川さんに向けられます。
「たぶん、そう遠くないうちに『引き渡し命令』がくだると思うよ~☆ 彼を欲しい人や証拠隠滅をしたい国、他にもいろいろ情報の引き手があるし」
「せめて会話できる程度にまで正気に戻れば、親を探して、親権と人権を盾に、そこからオニジマ教官に口を聞いてもらおうかと思ったんだけどもさ。こうも暴れて正気に戻らないなら、そろそろ処分って話もあってさね」
「だろうねぇ。それに、一般家庭の子供と機密をはかりにかけるなら、ティに対して寛容な措置の交渉なんて、ムリだと思うけど?」
その言葉で八雲先生は先ほどよりも深く溜息をつくと、
「色々とタイムオーバーかねぇ。引き渡して無事に済むとは……コビトが誰に彼の生存情報を売る気かは知らないけど、出来るだけ安らかに居れる場所を選んでやって欲しいんだわさ……」
「え? 売る気はないよ? これは僕のだからね」
「何が僕の……だ、え、ああ? 何だい? コレは」
「お見舞いに来たって言ったでしょ? お土産だよ~☆ 出来れば、キスか身体くらい欲しいトコロだけど。ま、いいや。ティに貰うから☆ ティの家庭が、特殊ならいいんでしょ?」
八雲先生は目の前に差し出された封書を怪訝に見ましたが、妖精さんにクスリと嗤って促されてそれを手に取ります。
そして渡された封筒の中に入っていた物を一瞥すると、八雲先生は眼鏡を押し上げて二度見します。
「彼だなんて思わなかったなんてこんなもの持ってきてそんな事をよく言えたさ……で、これは本当か、なんて、この『天使の盾』関係で一番腕のいい情報屋に失礼だわさね」
「そだね。彼、八年前に戸籍上は死亡になっているけど、間違いなくTOKISADAってトコの攫われた息子だよ。あの会社の業界シェアはこの国の外交上も、無視できないと思うなぁ。上手く使えば抹殺は免れるよ。彼のDNAデータは貴女が出した物でしょ? 血縁者のデータは彼が攫われた時点のものだから……色々、確かめてくるとイイよ? 僕の事は、気にしないでいいからね~」
TOKISADAのTかねぇなどと言いながら八雲先生は少しだけ考えて、機械にだけは触ってくれないようにと告げて、部屋を出て行きます。
残されたイルさんはベッドサイドで暫く彼を眺めていました。
賀川さんがこうして意識が戻らない状況になった、そのきっかけにお母さんが関わっているのだって思うと居たたまれなくなります。お母さんがそう動いたのは私のせいだから。彼の人生を弄んでいたのが私の存在なのだとしたら。
賀川さんは『守るとか、側に居るとか、その約束で足りないのなら。いっその事、俺に君の全てをくれ。君の為に戦いたい、守りたい。それを叶えさせてくれ。自分が傷つくよりも、君がいない事が嫌なんだ。君がいない事が俺には何より辛いんだってわかってくれ。つまり……うろなを離れるなんて二度と言うな!』って言ってくれました。だからもうブレないと、彼の側に居ると心に決めたハズなのに。揺れないと思うのに。
『貴女を俺にくれ。かわりに全てを君に』
色のない彼の事が気になって、どうしても心から離れなくって、でも彼の心はつかめなくって。なぜこうも気になるのか、わからなさすぎるけど、きっと好きになるっていうのはこういう事なのだって何となくわかって来たつもりではいるのです。
だから私は彼に全てを差し出してもイイとは思うのです。それで私が普通なら、彼の未来のすべてが私の為にあるって、ちょっと傾倒し過ぎとは思いますが、素敵な事だって思えるのです。
けれど、私が変わっているのは容姿だけじゃなくって。私を巫女として欲する人達が居るのです。彼は全てを差し出して私を守ろうとするのでしょう。その行為で彼が失われてしまう気がして、とても怖くてたまらないのです。
そもそも、彼の想いがお母さんに『作られた』のなら。彼の隣にいるべきは、誰だったのか。そう考えたら心臓が掴まれたように痛くなります。
目の前の細い賀川さんの手首にかけられた皮手錠。出来るだけ頑丈に、それでいて傷つかぬように柔らかに作ってあるのです。そうしてもその肌が傷ついているのは、わけもわからず暴れるからでしょう。過去であってもその傷が痛々しくてたまりません。
それがお母さんの、その意図を組んだ流れであるとわかるなら尚更。
うだうだと考えていると、一人で賀川さんを眺めていたイルさんは、何を思ったか、ひょいとベッドへ飛び乗ってしまいます。えっ? って私が驚いているうちに、意識のない小さな賀川さんの腹部を跨いだのです。それから膝を折って賀川さんの顔の横に手を付くと、逆の手でシーツに散らばった長めの黒髪を撫で、
「もっとイイ顔して見せてよ。せっかく来てあげたのに。そんなにつまらないなら、僕と遊ぼうか」
その言葉の後に重ねられる唇。
……えっと、あのあの、二人とも男の子ですし、他意はないとして。でもですね、挨拶にしては長いんですけど。いや今はいろんな考えの人が居るし、男性同士でもイイのかもですけど、ね? 賀川さん、今意識ないし、イイんでしょうか? そ、そういえば私もベル姉様と顔が近かった記憶が……
……っ
ああぁ、な、何か見てはいけない気がします。鎖に繋がれた手に指を絡めていますよ。
でも、あのですね、多分イルさん、ただキスをしているだけではなくって、小さい賀川さんに『何か』してるのです。何かって、ナニじゃなくって、その。違うんです、たぶん自分の気力のような物、体温のようなのを分けているのです。
唇から伝わっていくイルさんの纏う色が、徐々に賀川さんに移っていくのが見えるから。
で、思い出したのですが、この頃、こういう風に私もカトリーヌ様にもされたような気がします。それってどうなのでしょうか……イルさんもカトリーヌ様もキスに抵抗ないんでしょうかね。
そう言えば賀川さんも私に人前でも唇を寄せてくるから、何だか私の対応の方がおかしいような気がしてきますけど。え? おかしいのですかね? 私が子供すぎ、って事でしょうか? でもだって、私は照れてしまいますよ? 外国にいるとそんななのかもしれませんけども、私は日本で育っていますから。
それ、うーんと、そうです、きっと親鳥が雛に餌を分けるのと一緒くらいの感覚なのでしょう。立ち上る湯気のような賀川さんの気配や手を握られた時の熱量に、私も癒された記憶がありますし、だからですね、そう言う事なのでしょう。
そうしておきましょう!
でも、それにしても随分と長い間、そうしていたと思います。ずっと見ていると照れるので、ちょっと下を向いて視線を外していたのです。
次に見た時にはイルさんは普通にベッドの側に立っていました。見間違いかなって思うには普段色のない賀川さんの体が淡い薔薇色の輝きを放っていたので、私の妄想とかではないって思いますよ。イルさんは自分の唇を触りながら、細い月のように目を細く細くしてニンヤリと笑います。手の甲を引っかかれたようで、その傷を見やりながら、
「ヒドイなぁ、『助けて』あげたのに。でもこれくらい元気な方がイイよ。だけど、オイタをする子はお仕置きだよ? それにこれは『貸し』だからね? ーーまたね、ティ♪」
軽く手を振って、イルさんは来た時と同じように壁に消えていきます。
その時、いつの間にか賀川さんの頭が横向きになり、こっちを向いている事に気付きました。ベッドの柵越しに薄く開いた瞳。いつも変わらない黒い色。漆黒の闇を湛えた、私とは違う、日本人らしい瞳。それが徐々に驚いたようにはっきりと開き、ゆっくりと瞬きをしながらこっちをみています。
「ゆ、き……」
え? って、驚いてしまいます。私が居るのは過去の夢で、本当なら私はそこに居ない人間なのに。もしかしたら薔薇の妖精さんであるイルさんの色を纏っているせいで『見えている』のかもしれません。だいたいイルさんは昔の巫女『月姫』さんの伝言を持ってきてくれるような不思議な妖精さんですから、そんな影響があっても普通なのでしょう。
そんな事に思いが至った時、扉が開いて、八雲先生が戻ってきました。
「あれ? コビトは用事が済んで帰っちまったかね」
彼は八雲先生が入って来た事は気にしていないようで、柵越しに手をこちらに伸ばしますが、鎖で捕らわれていて、がしゃっと音を立てます。
「……ゆき、だ」
鎖の音で賀川さんの動きに気付いた八雲先生。暴れるわけではなく空を掴む様に指が動いている事で、今までとの様子の違いに気付いて、
「あんた、目、覚めたんだわさ?」
「ゆきが……」
「ああ、降ってきたね」
八雲先生の言葉で気付きます。私の身の回りにゆっくりと雪が降ってきた事に。私を見ていた視線が外れて、彼は先生の方をちらりと見て、もう一度こちらを見たのですが、今度は視線があった気がしないのです。たぶん、小さい賀川さんにもう私は視えていないのだと思います。彼は瞬きを二度して、夢から覚めたかのような表情を浮かべ、それから焦ったように先生へと視線を戻すと、
「次の……主人?」
「主人って……違うさね、ココは『天使の盾』。主に誘拐された子供を救う組織さよ。お前、名前を言えるかい?」
「……れ? おれは……」
そして答えに困ったような小さな賀川さんの姿は、まばたきと共に揺らめいて、次の瞬間、私は暗い空間にいました。
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キラキラを探して〜うろな町散歩〜 (小藍様)
http://book1.adouzi.eu.org/n7439br/
薔薇色の妖精イルさん
『悪魔で、天使ですから。inうろな町』(朝陽 真夜 様)
http://book1.adouzi.eu.org/n6199bt/
ベル姉様
『以下1名:悪役キャラ提供企画より』
『黒雪姫』
小藍様より
お借りいたしました。
問題があればお知らせください。




