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そして移動中。
「ときさだ?」
「ああ、暗いが見えるか?」
乗ったらエンジン音も走り出す衝撃も感じないほど、美しい走りをする大き目な乗用車でやってきたバッタ。工業用以外の車種なんかにゃ興味はないが、庶民が乗れないクソ高い車なのは確かだ。これでもバッタが全盛期に乗っていたお抱え運転手付きに比べれば、品が落ちるって言うんだから世の中上を見ればキリがねえ。
「これは」
その車の後部座席に乗った後剣とオレはニ枚の写真を覗き込んだ。
後剣の方は、首をかしげて、一枚を見て
「かわいい坊主に嬢ちゃんだな」
と、言い、二枚目を見て、
「同じ奴なのか?」
そう息を詰まらせた。
一枚目はピアノの前に座り、品の良い半ズボンやシャツに黒髪を切りそろえた男の子、そして同じように上等そうな服で身を包んだ少し背の高い女の子、二人の写真だった。弟姉だろうか、顔立ちは違うが、雰囲気が近い気がした。遠くに映った窓や家具、その唇に乗せられた笑みを見れば、恵まれすぎを幸せを絵にかいたような家庭の子供だろうと察しが付く。
ただ、二枚目はボロボロの衣服に、乱れて薄汚れた長い黒髪に、何の表情も無い少年が一人、小汚い町の路地裏に写っていた。野良犬の方がまだましな顔をしているだろう。おおよそ戦後の飢え死に寸前のガキを彷彿とさせたが、写真は古くボケていたが、それほど昔とは思えない。
オレはその少年の眉や目を見て、話の流れ的にそれが誰か、察せざるを得なかった。
「賀川の、なのか」
「時貞 玲。まあ、家が豊かで、海外で暮らしていた時に拉致られたそうだ」
「拉致、だ?」
「親は攫った相手に交渉拒否を出した」
平和な日本にあって、拉致という言葉の意味を図りかねた上に、親が出したと言う交渉拒否……オレと後剣は意味が解らず、だが嫌な感じに眉を寄せた。
細密電子TOKISADA……電子機器を取り扱う会社としては、でっけえハズだ。あんまり興味がない俺でも知っているくらいの大企業様だ。今低迷している業界ではあるが、日本製品は高いと言うイメージを壊し、それでも高性能を売りに内需も輸出も好調な企業だ。
一度そこの御曹司かとバッタが聞いた時、本人は否定していたが。
「どんだけ息子に吹っかけたんだ? その攫った相手は」
後剣の言葉に、バッタは運転しながら横目で一本指を立てた。
「一? いや、十億か?」
だがバッタは苦虫を噛み潰したように、
「いや、ネジ一本だ」
更に意味が解らない。その上に、バッタは言葉を付け加える。
「赤いネジ、刀流のネジの合金比率、および加工の特許など、それに関する情報が身代金だった」
「な、ん、だと」
「投げ槍と違って、刀流は意外と頭が良かったよな? 何かいいモノ開発したのか?」
「そう言う事だ。タカが竜でも生んだのかって感じだったからな。そろそろ着くぞ、後剣、投げ槍」
突っ込みたかったが、言葉が上手く喉を出てこない。
刀流が……どうしてここで出てくる?
息子がうろなの下町工場で鉄やら何やらを弄りまわして、いろんな工具なんかをこさえるのが好きだったのは知っている。そのいくつかは今も工務店で使っているのもあるほどだ。赤いネジはそれの中の一つ。
見た目の派手さに驚いたが、その価値なんぞ俺には感じられず、好きにさせていた。あれは中学くらいの時に自慢げに持ってきた気がするが。
まさか特許が取れるような代物とは思っていなかった。
「やっすい金属を混ぜて出来たそのネジに、一体何の価値が……」
「投げ槍が言う所の『やっすい金属を混ぜて出来たネジ』にレアメタルやレアアースに匹敵する強度や磁石など、かなりの利用価値が、コンペで見出されたんだ。お前ソレ興味がなくて聞き流したろう?」
言葉に更に詰まる。刀流が捏ねまわし、作ったネジが、何だか……と聞いた気もするがハッキリ言って思い出せない。調子に乗るな、精進しろ、それくらいは言ったかも知れない。
どれだけオレは息子の言葉を聞き流していたのか。いつも傍らにいて、やんちゃなアイツと何処までも走っている気がしていた。あの事故までは。
だがそう思っていたのはオレだけだったのだろうか。
「刀流は自分の作った金属が製品に入ってばら撒かれるのが面白い、いつオヤジが気付くのかって、買い取りを言い出したTOKISADAに殆どタダで提供し、特許自体は企業が取ったんだ」
「あ、あいつは……」
にいっと刀流が笑った顔を思い出し、俺は頭を抱えた。面白い事が好きだったアイツだ。お金なんか貰うより、そんな事を楽しいと思うだろう。自分の手にした仕事に必ず赤いネジを名刺代わりに仕込んでいたような奴だ。全く不思議ではなかった。
きっとこんなに経った今、それを知って唖然としたオレを天国から見て、腹を抱えて笑ってるだろう。
「じゃあ何か? 刀流がタダでくれてやったネジを争う騒動に、賀川のは巻き込まれたって言うのか?」
「タダと言っても、使い始めた企業にとっては魔法の赤い宝刀だったろうな。TOKISADAは他の会社よりその金属でコストを下げて、販路拡大した矢先の事。息子一人にソレを差し出せず、交渉は終わった……」
「刀流はそれを知っていたのか?」
言葉を失い、固まっている俺の代わりに、後剣がそう聞いてくれた。バッタは首を振った。
「いや、研究好きだから、TOKISADAの技術開発には無償で協力していたようだが、お家の大事を知らされる立場ではなかったようだ」
オレは停まった車を降りる。もう酒は全く体に残った感じはなかった。車内の適温に慣れた体に、暗くなっても夏の暑い空気が体に纏わりつく。
「マトモな環境じゃない所で、マトモじゃない物を喰って生き延びてきたって事か」
何不自由ない生活を奪われ、頼みの綱の親から見放された。
たったネジ一本の為に。
犠牲にされた少年。
死んだ方が良いと思った事もあっただろうが、ヤツは生きている。交換の価値を失った人質の扱いなど、ゴミ以下に決まっている、良く生き残ったもんだ。
それが、生きているそれが、奴にとって幸福だったかはオレにはわからない。
ユキの事を考えている時はヤツは、そこいらの若いのと変わらなかった。だが普通にしているようで、ユキとは違った意味で、変わった気配を感じたのは、その生い立ちのせいかとオレは納得する。
「そこから助けられたのは十三の歳。だが、家に受け入れられなかったのか、ずっと海外暮らしだった。一応在学していたようだが、それも形ばかりで。篠生と言う男が言うには政府の機関に所属していたそうだ。そこでトラブルがあって、逃げるように三年前に帰国して、うろなで住み始めたらしい」
「政府の機関って、またうさんくせぇな、おい。篠生って奴は信用できるのか?」
「信用できるかわからんが、今の所、裏を取って、間違いはなかったが……」
「もういいだろ」
空絵事を聞かされているようで、オレはバッタと後剣の言葉を断ち切った。
今のが粗方本当だとして、賀川がやっとうろなで得た、安住の地をオレ達は根掘り葉掘り、踏み荒らしているのではないか、そんな気がする。ユキから引き剥がした方が良いのではないか、そう思う。
だが、もう巻き込んでいるだろう、賀川のユキへの執着は森の騒動からすでに根付いていると見た。
「で、開けられるか?」
「大家だからな、鍵は問題ない202、202……これだな」
表札のない部屋。
階段を登って、何度か扉を叩き、呼び鈴を押したが、反応がねぇ。聞こえたと言う唸り声もしない。俺はバッタが持ってきた鍵で、古い安アパートの扉を開ける。
やな予感が的中したのか?
殆ど何にもない暗いワンルームはキンキンにクーラーで冷やされていた。まるで冷蔵庫の中のようだ。数少ない家具であるベッドの横に、この頃見慣れた顔が倒れていた。
ユキが倒れていた、あの日の嫌な影が差したように思った。
「賀川の!」
「ん、ああ、その声はタカさんですか?」
「ちっ」
生きてやがった。安心感からつい舌打ちしちまったじゃねーかよ。
「心臓が冷えるだろうが、死んだふりしてんじゃねーよ」
電気を後剣が付ける。
暗い部屋が明るくなった。がらんとした部屋にあるのはタンスとベット、冷蔵庫だけ。ペンが床に一本。部屋隅に似つかわしくない小さな白い猫のぬいぐるみが転がっている。
見慣れた水玉の運送会社の制服が二着、壁にかけられていた。流しにはコップが一つ。コンビニ弁当の殻が入ったごみ袋が部屋の片隅に放置してある。ごうごうと唸るクーラーを必要なさすぎだろうと、後剣が切った。
賀川は血まみれのシャツ姿。だが意識もしっかりしている様だ。ヤツは自力で上半身を起こす。だが立ち上がりはしなかった。
「賀川の、喧嘩か?」
「はは、姉弟喧嘩、ですよ。俺の姉さん、機嫌損ねるともうこんなで。何でここに?」
「良いだろうがそんな事。しかしどんだけ跳ねっ返りだよ、おめえの姉さんは」
「ユキさんについて行くには、今のままの俺じゃあダメだから、けじめをつけてきました」
その台詞を聞いた時、事情も知らずに『ビビりには用がない。欲しいのは使えるコマだけだ』と言った事を、後悔した。そしてこんな複雑なやつでなくても、もっとマトモな奴を若いのから選抜すればよかったじゃないかと。
だが、直感的にこいつはユキに惚れていて、ユキの為なら死んでもくれると感じたのは間違いなかったと知れた。奴自身もいろいろ抱えているが、ユキを守ろうとする気持ちがあるのなら、それさえ糧に、やってくれるだろうと確信もした。
ただ、すぐ大事な娘をやる気はねぇがな。賀川の。
「ケジメとやらで死んだら、世話ないだろう?」
オレの言葉に、後剣が、
「ま、死んでないで、何よりじゃねえか」
「えっと、誰だろう?」
賀川が困惑した表情をしたので、
「後剣、俺達のダチだ。『後藤建設』の社長だ、ケンさんとでも呼んでやれや」
「ああ、南の。配達で行った事がありま……」
奴は大きな手で、自分の右耳をしきりと触る。まだ固まっていないのか、血が腕を伝って、落ち始めた。
「おめえ、まだ、血が落ちてるじゃねぇか」
「どこですか? 暗くて見えないんですけど」
暗い? くらいだと? 煌々と蛍光灯が付けられていると言うのに。
その台詞で、バッタが賀川の顔を覗き込み、その目の前で手を振った。
「おい、わかるか?」
「あれ? 抜田先生まで来てくれていたんですか? 電気付けてくれませんか、誰がいるのか見えないし、頭が痛くて……いっ痛っぅ」
そのまま賀川が唸り始める。
「ど! どんだけ堪えてんだ! 賀川のっ」
押さえつけられていたが、湧き上がるような痛みを間違いなく訴えていた。後剣の抱えた従業員が聞いた唸り声はこれだろう。
「きゅ、救急車、後剣は救急車呼べ! 投げ槍はタオル取って来い」
「ううちょっと待って下さい、救急車は拙いです……病院も余り」
唸りながらもハッキリ言った賀川の言葉は、後剣は電話のボタンを押す指を戸惑わせた。
迷わず呼ぶべきだろうが、こいつは部屋で耐える気だったのと、いろいろ事情が複雑なのを考えると、即、そうは出来なかったようだ。
一瞬、バッタは考えてから、目を走らせていた。その間に俺は箪笥を見て、中にあったタオルを引き出した。
「おい後剣、ぎょぎょに電話しろ。賀川の事は奴ぁ知っている。この状態を説明して、うろな総合の宮崎先生に渡りをつけるように連絡を。投げ槍はタオル取って来たな、賀川を俺の車に運ぶぞ! 病院には、行ってもらうぞ、賀川」
「えーーーーーー」
「えーーじゃねぇだろ。お前目が見えてないだろ?」
賀川の抗議を無視して俺はタオルでヤツの耳を押さえさせ、脇を引き上げ、立ち上がらせて外に連れ出そうとする。
「目、みえてない? あ、ああ、何か暗いな、とは思ったんですが。その辺に猫のぬいぐるみがないですか? 見付けられなくて」
「女みたいに、ぬいぐるみなんぞ……まあ、いい」
バッタが呆れたように拾って、賀川に渡すとホッとしたように握りしめる。血が滲んだ白い猫は少し可哀想に見えたが、この際どうでもいい。
「歩けそうだな? てか歩け。救急車呼ぶなって言うんだからな」
「うう、すみません」
賀川は本当に見えてないようで、こわごわと言った感じで踏み出すが、足自体はそれなりに機能しているのは幸いだった。本当は動かさない方が良いと思うが、担架も望めない今、自力が一番体を揺らさないはずだ。
「靴、そう、それだ、引っかけて行け」
電話がつながった後剣の声が部屋に響く。
「……意識はある、ああ、今バッタの車で。場所? 俺の所に現場近くだ。そう、……八雲さんがいないからな。そう、ああ、その院長に繋いでくれ。頼んだぞ」
ぎょぎょへの電話を終えた後剣が、俺達に走り寄る。
「時さ、いや賀川。腕を肩に回せ」
「あ、ありがとうございます。後藤社長」
「ケンでいい。前田達に巻き込まれてるんだろう? 済まないな」
「オレが世話ぁしてんだよ、後剣。後で覚えてろよっ」
「………………仲、良いんですね」
どこか羨ましそうに、そして呑気に言う賀川を、二人で抱えて降りる。バッタは毛布などを手に、車のカギを開けに走った。
綺羅ケンイチ様 『うろなの雪の里』より、後藤剣蔵さん(『後剣』)として前回からそのまま使わせていただいてます。
本当はただ転がしているつもりでしたが、綺羅様の16日の話で救われた賀川でした。
YL様 "うろな町の教育を考える会" 業務日誌 より、宮崎院長。お借りしました。
また急患連れ込んですみません。
不都合ありましたら、お知らせください。




