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そういえば、この七月六日は『夏祭り』と付いているモノのみが会場内での出来事です。
他の話はうち個人の話なので、ご注意ください。
「ゆ、浴衣、着たんだ」
「タカおじ様が用意してくれたんです」
「…………うん」
賀川さん、ずーっとぼんやりしてます。
そう言えばこの頃は帽子なくても彼ってわかりますよ、覚えましたよ。でも、なんでこんなに印象が薄くて、色を感じない人なんだろう?
あれ、日傘を手に振り返ってもまだ、じっと見てるよ?
「お、おかしいですか?」
「脱がすと着せるの大変な服だよね、浴衣」
「大丈夫ですよ、脱ぐような事はないんで。っていうか、普通、服でも外で脱がないですよ?」
「そだね、行こうか」
賀川さん、ゆっくりと私に合せて歩いてくれるので、話しながら行きます。
「ユキさん、何、買うの?」
「リンゴ飴にね、わたあめ」
「リンゴ飴ってあのなんか赤い奴だよね?」
「うん、食べたことないの?」
曖昧に笑う賀川さんと電車に乗りました。
車だと駐車場ないと困るし、電車には慣れていた方が良いだろうと言う話でした。
電車は少し混んでいたので、立っていました。その間にも話をしましたが、賀川さん、何だかおかしいんです。金魚釣りや水風船のヨーヨーとか、型抜きとか全然知らないようです。
「紙で魚を掬う? 紙で?」
「そうだけど。あ。うろな駅で降りるんだよね?」
「そこから地下鉄を一駅乗っても良いけど。どうする?ユキさん」
「うーん」
「ビンゴ大会は一時からなんだけど」
「そうなんだー」
「じゃあ、うろな駅から歩こっか」
ですが、それが失敗だったと思います。
改札口を出て、すぐにある地下鉄の方へ入ってしまえばよかったのに。
その数歩先に広がる場所で、前から着物を着た、綺麗だけれど、キツイ印象をした女性が前から歩いて来たのです。
「あきらさん、こちらで何をしているの?」
「え、何で、うろなに?」
賀川さんが足を止めたので私も止まります。知り合いなのでしょうか?
「わたくしは、この町に住んでいらっしゃる元議員の方に挨拶に来たのよ」
ころころころ……人を小馬鹿にした笑い方ってホントにあるんだなって、私は初めて思いました。
「それって抜田 一 元衆議?」
そう言った賀川さんに驚いたような顔をしながら、
「まさか、お前、会ったの? 何か粗相をしていないでしょうね!?」
「ええ、大丈夫です。そんな方に私はお会いする術などありませんから。噂に聞いただけです」
バッタのオジサマはそんな堅苦しい人じゃないように思ったのだけど、その女性は、
「そうね、抜田先生が貴方のような下賤とお付き合いするわけないわよね」
その後、私の方をじっと見るので、挨拶しておかないといけないのかなぁっと思って、
「私は宵乃宮 雪姫です。いつもお世話になっていて……」
「まあ、こんな薄気味の悪い娘と居るなんて……何なの、その白髪は!」
「ユキさんはアルビノで生まれつき色素がないだけで、そんな言い方止めてく……」
「何、病気なの! 嫌だわっ寄らないで、気味悪っ」
途端に賀川さんが無表情のまま、その女性の頬を叩いたのでビックリしました。加減はしていましたが、派手な音がしました。
「俺の事はどう言ってもいい、だけどユキさんにそんな事を言うのは誰だろうと許さない」
「わ、わたくしに、それも女に手を上げるなんて。お前なんて死んでいれば良かったのよ。謝りなさい」
「女も男も関係ない。今のは謝らない。貴女の方が悪い」
そう言われて更にカッとしたのでしょう、賀川さんを仕返しとばかりに叩きます。それも三度も。賀川さんは避けませんでした。顔色も変えず。だから余計に腹が立ったのかもしれません。
彼女は近くのベンチで座って缶ジュースを開けていた男の手に、何処から取り出したか不明ですが諭吉さんを握らせると、ちらりと私を見てから、
「あきら、膝を付きなさい」
賀川さんは何も言いませんでした。
ただ言われた通りにすると、まあ彼女は見事に賀川さんの頭の真上で、奪うように手にした缶の中身をひっくり返しました。開けたばかりだったのか、透明の炭酸が滝のように彼を濡らし、床を汚します。
余りの事に止める暇もありませんでした。
「わかっているじゃないの。生きている価値もない汚いゴミが、わたくし達と同じに息を吸っているなんて生意気なのよ。お父様に報告しておくから覚悟しなさい!」
彼女は缶を賀川さんに投げつけると、ハンカチで手を拭いてそれも捨て、更に踏みしめて去って行きました。そこに改札近くに居た駅員さんが二人ほど来て、声を掛けてきます。
「お客様、大丈夫ですか?」
「すみません、俺の不注意でジュースをたくさん零してしまって」
遠巻きに見ていた野次馬さん達も捌けていきます。絶対にジュースをただ零しただけではない、頭から被っているのだから、それではないのがわかるでしょう。
でも賀川さんが騒ぎを大きくしたくない感じで、その後も必死に謝ります。零しただけと言い張り、謝り倒すため駅員さんが、呆れた感じでタオルを一枚くれた上、注意だけで開放してくれました。
そのタオルを持って、駅から少し離れた場所に見つけた公園に入り込み、水撒き用だろうと思われる蛇口で彼は頭を洗います。持っていたハンカチを渡そうとしましたが、タオルだけで大丈夫、暑いからすぐ乾くと言って受け取ろうとしません。ポロシャツを脱ぐとそれも軽く濯いで絞ります。
えっと。
重いモノ、いつも運んでいるからか、脱ぐと意外と逞しい感じです。
「賀川さん?」
「良かった、ユキさんの浴衣がよごされなくて」
「あの女の人、誰?」
「良く、わからない」
そう言って、口を噤もうとします。
「良くわからないって賀川さん?」
「ユキさん、気にしないで。良いから行こう。もうビンゴ大会に間に合わなくなるよ」
「良くないよ?」
「いいから」
「ねぇ、ジュースを黙って受けたのはそうしなかったら、あの人が私にかけたからでしょ?」
「………………………………いつもわからない感じなのに、そんなの気付かなくていいよ」
「ねえ、一体」
「お願いだから、ユキさん」
「あれは誰、何であ…………」
「Mind your own business! Don't say a word!」
「は? 何でここで英語?」
大きくはないけど、強い口調で私の言葉を遮った英語、英語は得意ではないけれど、余り良い事は言っていないのはわかります。賀川さんはそんな事を言ってしまった自分が嫌なのか、酷く頭を垂れて、
「少し……黙っていてくれないか?」
そう言うとお祭りの会場に向けて、クルリと歩き出しました。
「ううっ、ちょっと待って賀川さん」
スタスタと歩いていく賀川さんの湿っているポロシャツの後ろを引っ張ります。
「なに、ユキさん」
「そ、そんなに早く歩けないよ」
あ、うん。
そう声もなく返事をしてはくれた、だけど賀川さん怒ってるのかな? 彼は振り返りもせず、歩調は緩むどころか早くなります。草履だし、浴衣だから、追いつくの、無理。
かわいい日傘も畳んで。杖変わり。
頑張るよ、でも、追いつけないよ。うーん。
私は見えなくなる前に草履を思い切って脱いで、そのまま走り出します。
「お願い、待って」
草履と日傘を片手に、必死で追いすがって手を引っ張りました。
そこでやっと賀川さんと目が合いました。
目が赤い、って私みたいに瞳が赤いわけではないけれど、泣かない様に堪えているようで白目がとっても充血していて。怒って泣きたいような気分の人にこれだけ近付いたら、普通ならとめどもない悲しくて激しい色に触れるのに、彼の手からは何も伝わってこないのでした。怒りも悲しみもどう表現していいのか知らないように。
「ごめん、私がせめて真っ黒だったら良かったかな? そしたら賀川さん、ジュースなんてかけられなかった?」
私の方が自然と涙が落ちてしまって、止まりません。
「何でユキさんが泣くんだよ。あの人は君が白でも黒でも何か言う、そんなヒトなんだ」
「うう。帰る、私、帰るから。もうそんな顔しないで」
私は悲しくなって、踵を返して走り出しました。
「ま、待ってよ、ユキさん」
次は彼が私を追いかけてきている気配がします。でもどこかが痛い。痛くて痛くて彼が見られなくて、私は逃げます。
道は祭りに向かう人で、小道は混雑しています。一度つないだ手を放してしまうと追いつけないほどに。それも逆走のようになっているから、余計に追いつけないと思います。
「ユキさん!」
今までで一番大きな声で、人波を無視して賀川さんが叫びました。
「リンゴ飴買うんだろっ」
つい、リンゴ飴に釣られて足を止めると、声で道をあけてくれた人も居たのかその隙を縫って賀川さんが追いつき、私の手首を掴みました。そのまま包み込む様に後ろから抱き付いて、
「つかまえた……よかった」
「良くないよぉーーーーーーだって、だって」
「うん、ごめん、俺が悪かった。俺が悪いんだ。それだけだ」
「違くない? それはとっても違うよね?」
「今の俺を見てくれる人がうろなには居る。それでいいんだ。ユキさんは怒らなくていい」
「う、う」
「ほら、リンゴ飴を買いに行こう。機嫌直して」
そう賀川さんが耳元で囁きました。もういつもの賀川さんで、彼の琴線に触れないよう、もうあの女の人の事は聞かない事にした方が良いのだと思いました。
2人ともダッシュしたせいで、息が乱れています。賀川さんの息が耳にかかって、産毛が微かに揺れてとてもくすぐったかったです。
乗り物の会社にご迷惑をおかけしました。
良い子は故意に飲み物を零してはいけません。
ユキ、足、足。熱いから。




