訪問中です(篠生)
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遠い音。
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幼い俺は、大好きな親友の音に自分の音をすべり込ませる。
言葉で語るより、音の世界が好きだった。
見たモノも感じたモノも、すべて音に変換できた。
近いけれど遠い感覚を持った幼馴染が居たんだ、俺には。
言葉にしなくても通じ合えた。
世界を、彼と世界の頂点を見るのだ。
同じ世界だけれど、違う価値の原石を握り締めて。
向かうお互いの頂に上り詰めて、橋をかける、そんな約束をした。
あの日まではピアノは遊びだった気がする。
それが幼き日の夢になったのはあの瞬間だったと今ならわかる。
姉には『お遊びだよ、僕じゃ』と答え、コンクールは喧嘩のようで好きではなかった俺。
それに生活や存在をかけたような闘志満々の子供は苦手で。
そんな俺が続けていた所でプロの道があったかはわからないけれど。
閉ざされた痛みと暗闇と、鎖の世界で、それは眩しい夢だったから。
俺はそのすべてを忘れた。
時間は幼年の俺らを変えていた。
大きくなった俺は彼がわからない。
青年から大人になって、姉に言われるまで。
言われてからもそれは嘘のようで。
彼に問うても笑うだけ。
曲がりなりにも音大の副教授を務めると言うからそれなりなのだろうが。
あの瞳はどうしても昔の親友とは重ならないのだ。
俺はうまく動かない左手で楽譜を握りしめて寝ていた。
「連弾をしてた、な」
もう、追うまい、と思い、指を動かないのだと自分に示すように包帯を巻き付ける。怪我は腕であって、指ではないので、この包帯に意味はない。それでも踏ん切りを付ける為にそうした。僅かに動く事が光を運んでくる気がするので、その光を感じなくしない限り、もう弾けないと言えそうになかったから。
「ど、どうしたんですか?」
それを見つけたユキさんが俺に声をかけてくれる。
「うん、明日のピアノは代役を立てるよ。せっかくキスをもらったのに治らなかった、ごめんね。でも断る勇気が出たよ」
「……元気になりましたか? 賀川さん。よかった。この頃、辛そうだって葉子さんやタカおじ様とも話していたんです」
「ああ、大丈夫。心配かけたね」
そう言ってユキさんの髪を掻きあげ、額に唇を寄せる。ぽーっと赤くなった彼女。その心臓の高鳴りが俺に笑みを浮かべさせた。柔らかい膨らみの下で優しく強く刻む鼓動、この音こそ今の俺が守るべきモノ。そんな可愛い彼女を置いて、仕事に出た。
その仕事終わりに巨大な体の男が俺を待っていた。
「何だよ、子馬」
「付き合って欲しい所がある」
明日は先生達の結婚式の当日だ。引き延ばしてきたピアノを誰かに任せるその一報を入れる予定だった、その邪魔をされた事に俺は不機嫌になる。
だいたい、訳の分からない呪いなんてのを仕掛けられたからグジグジウダウダと思い悩んでいたのだろう。手を結ばなくてはならないのもわかっている。だが、それがなければ色々もっと早く決断出来ていただろうになどと、こいつの存在は理不尽だった。
「さ、行こうかぁ」
だが人当たりの良い巨体の男は俺の気分など放って、笑う。そして白い軽車の助手席を埋めた。ぎっちり、だ。こないだ乗せた時もだったが、俺の車がプスプスと文句を言ってるぞ。それについ笑ってしまう。
「ん?」
「いや。本当に明るいな、子馬。何か良い事あったか?」
「ん~? 昨日は海さんと食事。口の中火傷したけど。仕事でいろいろあったけどもね」
聞くんじゃなかったと思うほどニコニコしている。ただこの笑顔の裏で『呪い』なんて言うんだから怖い奴だ。そんなの、信じないけど、かかってしまったらぐうの音も出ない。
「……で、どこに行けばいい?」
「うーんとそのまま走らせて。ナビするから」
そしてそんな俺が連れて行かれたのはうろな町から少し離れた場所にある小さなアパートだった。子馬の顔から笑いが消えた。暗くなってきた黄昏の時間に、その表札には『中居』とあった。俺の記憶の中で、その苗字を持つ者に特別な知り合いなどいなかった。
太い指で重くベルが鳴らされる。
「調べがついた……」
「なんの? ここは……」
俺の言葉に返事する間はなく、扉がひらく。
「どちら様?」
「私、公安警察の者で土御門と申します。ちょっとこちらの息子さんについてお話を」
「息子って、俊介も誠も、もう十何年も前に亡くなったのよ?」
亡くなった? しゅんすけ、は知らないけれど。まこと、の名はすぐにわかる。
「まことちゃんは、死んだのですか?」
俺は頭を殴られたように視界が揺れるのを感じる。
ある事だろう、もし俺の知る今の篠生があのまこと君ではないなら、けれども、けれども……どこかできっと生きているだろうって思っていたのに。そう信じたかった。あれから時が経っている、ピアノの世界を調べてもその名のピアニストは居なかった。名前を見つけたのはあの子供の時のコンクールが最後だった。
ピアノなんて星の数ほども居るし、子供の嗜みだ。辞めてはいてもおかしくない。
でもどこかで生きているなら……もしピアノを辞めていたならそれでもいい。大人になった俺達は叶わなかった夢で酒を酌み交わす……平凡な大人になったな……って。そして笑いたかった。
その思いさえもが打ち砕かれた俺は、口の中で言葉を振るわせる。
「死んだの? まこと君。どうして? 俺が生きてるのに?」
握った掌。
ピアノを走る幼い手。
彼に重ねる俺の音。
彼の音はとびきりだった。
指切り、したんだ。
世界で会おうって。
かみは、どこにも、いない。
「どうして、彼が……」
中から出てきた女性を俺はどこかで見た気がした。自分の視界が歪んでいるのは泣いているからだと気付いたのは、その女性も泣いていてギュッと飛びつかれたからだ。
「あ、貴方! も、もしかして、あきらちゃん、あきらちゃんなのっ?????」
「そう、ですけれど」
「ま、まことが、誠が言っていたの。僕が死んでもあきらちゃんは絶対に帰ってくるからって。死んだりしてないって。本当に、本当に、あきらちゃんなのね? ああ、大きくなって。おばちゃんがわかる?」
「その、えっと。すみません」
「ああ、いいのよ。五歳の頃だもの。私だって誠にそう言われていなかったら想像もしないけれど。誠の……母です。中居は旧姓なの」
彼女は子馬には胡散臭そうな顔をしていたが、俺には涙を流してにこやかな笑みをくれた。
幼い俺を知っている者で、その安否を知ってこうもストレートに喜んでくれた人が居ただろうか?
父はとても微妙で、あの頃の姉は『物』を見て蔑むような視線を見せた。母はもはや正気ではなく、親戚の目を避けるように、そして姉からの仕打ちから逃げた。今でこそ姉とは和解できたが、もしこの半分でも喜んでくれたなら俺の人生は変わっていただろう。
今となってはユキさんに繋がる道、悔いはないがそれは結果論。
生きんが為に舐めた辛酸に、生き残って家族と仲間に見た闇は深くて、幼い夢も希望もこの頃になってやっと思い出したほどに全てが辛く険しかった。
薄氷を踏む思いは今も俺を苛むが、ユキさんと日の当たる場所で微睡む、その毎日を求める為に俺は俺の人生を歩まなければならない。
その為にも俺は彼の事を知っておきたかった。
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キラキラを探して〜うろな町散歩〜 (小藍様)
http://book1.adouzi.eu.org/n7439br/
海さん
お名前、お借りしてます。
問題あれば知らせて下さいませ。




