お迎え中です
夜の森。
「悪ぃが見に行ってくれないか? 」
「わ、わかりました」
七時過ぎ、もう八時になるか。仕事あがりの頃に電話がかかって来て。タカさんは何かの修理が長引いていて行けないらしかった。俺は急いで森のふもとまで白い軽を飛ばす。
「あれ、賀川さん、この辺でよく迷子になるんだね」
「だからどうして、俺はいつも迷子扱いなんだ?」
「だって、携帯で地図見てるし」
開けていた窓からひょんと元気溌剌とした女の子が首を突っ込んできた。
うろな家のキヨさん、それに後二人くらい後ろにいる。「こんばんわ」と挨拶するものの、暗くて誰かはわからない。それでも帰って来た声で女の子なのはわかる。
それくらい暗いのに、そして制服着てないのに何故俺とわかったのかと思ったけれど、たぶん車で判別されたのだろう。社用ではないが、通勤に使う社員の車は賀川運送のタグが張ってあるから。
「キヨさん達、どこかに行ってたの?」
「食事に皆で行ってたんだー」
「もう暗いし。女の子なんだから気を付けて。天狗仮面のおかげでうろなは治安が良いけれど、やはり夜は、ね」
「へー、女の子扱いしてくれるんだ」
「うろな家の女の子はみんな可愛いから。それなりに噂だよ。今日はなんだか色のチョイスが可愛いけど、デートだった? 送ってくれればいいのにな」
「か、か、彼氏なんか、皆で食べ行ったって言っただろーっ。だって彼は店があるし、そのそのっ、えっ?」
自分で何言っているか判んなくなっている、反応が初々しいな。ただ後ろにいる女の子が早く行きたそうにしたので、
「じゃ、気を付けてね」
「……ってもう家はそこだけどっ、賀川さんこそ、もう迷わないようになー」
そう言うキヨさん達を見送って、もう一度画面に目を落とす。
電話を鳴らしても確かにユキさんが出ない。GPSで森に携帯があるのはすぐに分かった。携帯を置いたまま、または落としたのだと本人が居るか分からないが。前からルーズな人だったから、多分、何があったわけではないだろうが、俺は車を着けると、小さなリュックを持って森に入った。
彼女はうろなで知り合いが多くなればなるほど、何かある危険は減るはずだ、と抜田さんは言っていた。彼女を狙うのは、その存在を知られたくない集団だからだそうだ。タカさんは首に縄を付けておきたいくらいだろうが、その為比較的自由にユキさんを歩かせている。
篠生はまだ約束を守っていない俺には情報をくれていないが、困らない様にと抜田さんと魚沼さんに情報をリークしてくれた。色々要らない事も言ったようなので、会ったら絞めないといけないが。
夜の森は危険だ。
暗い、そして深い森は昼間と違い、足元が見えない。クマなどもいるのは確認済みだ。ライトで位置確認だけはしっかりしながら、足元はほぼ感覚で歩いていく。
久しぶりに神経を研ぎ澄ましてみる。
『Go! Go! Go!! hurry! Don't be afraid!』
幻聴が聞こえる。
『If you do not want to go to hell! Go! Go! Go!!』
子供の時に嫌でたまらなかった訓練がこんな所で役に立つなんて。苦笑しながら、チョコレート色の建物を目指すのだった。
辿り着いた時には随分な時間になっていて、俺は汗をぬぐった。もうここまでなら息も上がらなくなった。
「ユキさん?」
扉を叩く、いつぞや彼女をこの小屋で発見した時の再現のようで。中でまた血塗れに見えるジャージ姿で倒れていたらどうしようかと思った。あの時はまだ明るかったから、そんなに不気味ではなかったが、あの日の事を思うとゾッとする。
もしあの時、タカさんがいたずら電話と処理していたら。
もしあの時、トラックを止めていなかったら。
もしあの時、不在と決めつけていたら。
もしあの時、助け人を呼ばなかったら。
もしあの時、クマが出なかったら。
一つでもボタンを掛け違えていたなら、ユキと言う少女はうろなに、いや、この世にいなかっただろう。
中に入るとあの時、ユキさんが倒れていた手前の部屋には誰も居なかった。
そっと土間で靴を脱いで、奥の部屋に行くと、薄明りの下、ユキさんはベッドに眠っていた。それだけなら驚かなかったが、彼女の体には白い毛布が掛けられていた。だがそれは目の錯覚のように、ふわりと蠢いていた。
「ユキさん?」
「んっ」
彼女が身じろぎした途端、大きな白い蝶がふわりと舞った。一匹なら可愛いかもしれない。だがそうじゃない、毛布よろしく彼女の全身からものすごい数の蝶が飛び立った。
「あれ、賀川さん」
「何だよこれ、気味がわ……」
そう言って手を上げて払い退けようとした途端、ユキさんの表情が怒りで固まったので、俺はそれを思いとどまった。薄い明りで揺れる白い蝶は黒い影を落とし、その数が倍に見えるから、この部屋いっぱいにそれが飛び回るように感じた。
それは異様な光景だったが、危害は全くない事で慣れてくると余りの非常識さに呆然と見入ってしまう。白い少女に纏わりつくように飛び回る蝶。
「彼? 悪い人じゃないよ。普通よ。驚いてるだけ。またね」
そう言うと蝶はゆっくりと小さく開いた窓から毛糸のようにスルスルと並んで出て行った。
「叩かないでくれてありがとう」
ユキさんにそう言われてハッと我に返る。
「う、うん。疲れて寝てたの?」
「そうみたい。あーーーーーーーーーーーー! た、タカおじ様怒ってた!?」
「心配してた、よ」
「電話するっ」
ノンビリな彼女が辺りの暗さに、何事が起こったか気付いたらしい。凄い速さでベッドから転げ落ちていた携帯を拾い上げ、繋がったタカさんへ弁解の言葉を並べる。
絵が描きたくなってこちらの家に戻り、その旨伝えたかったが電話が繋がらず後からと思っていたら、描きながら寝入ってしまったと。まだ体調も万全じゃない、困った子だ。
説明と謝罪が終わった所で、
「タカおじ様が、そこに居るのと替われって」
携帯を渡してくる。
『賀川の。悪かったな。助かった。ただ今から森を歩いて帰るにはもう遅い。ユキの事、頼んだぞ』
「え?」
『ただし手ぇ出すんじゃないぞ。健康な男児なのはわかるが、うちの娘は病み上がりなんだからな。朝になったら連れて帰って来い』
病み上がりじゃなかったらいいですか?
『………………変な事、考えるんじゃねーぞ」
「わ、わかってますって」
電話を切って、いい親をしてるタカさんが微笑ましくて笑ってしまった。
「ほら、お腹すいただろう? おにぎり」
背負ってきたリュックからコンビニで買ってきたおにぎりを渡す。こんな事なら薬も持って来てあげればよかったと思いながら。
「それとだいぶ温くなったけど、フワリんダブルシュー」
コンビニで見つけてきた、手ごろなスイーツにユキさんの目が輝く。
「え、じゃあコーヒーかハーブ茶入れます。お湯、お湯、お湯っ……火をつけてきますね」
ユキさん、甘いの好きなんだな。
こないだ旧水族館で幸せそうに口に運んでいたシフォンケーキ、彼女が食べるのを見るとこっちがうれしくなる顔をする。タルトの果物は厳選されたとても綺麗なのが乗せられていたとか、それを引き立てる甘すぎないクリームだったとか言って車の中でも絶賛していた。
二人でおにぎりを齧って、食べ終わった頃に沸いたお湯でコーヒーを入れてくれた。
シュークリームをアムアムしている。粉糖が頬に付いていたから、目立たない顔色だけれども、拭ってやった。その時、さらっとした髪に触れて、ドキリとした。柔らかそうな唇、いや、実際柔かかかった。あの時は必至だったけど、唇を重ねたのだ。
それも二度。ココ重要。
「なあに?」
「いやいや、砂糖ついてたから。そんなに美味しいなら俺の分も食べる?」
「うん」
と、言って半分くらいまで食べた所で、ユキさんの口の動きが止まる。そして残りを差し出してきた。
「ああ、お腹いっぱいになった?」
「違うのーーーー」
「どうした、ユキさん」
「賀川さん太らせる気ですか、それでなくても美味しいモノばかり食べてる気がします」
「ああ、そんな気はないけど、じゃ、遠慮なく」
俺がぱくりと一口で飲み込んだら、赤い目が見開かれてうるうるする。
そんな顔するなら我慢しないで食べたらいいのに。そんなに太ってないし、まあ、胸はそれなりに大きいけど、触れれば折れそうって印象の方が強いほどなのに。
暫く微妙な顔をしていた彼女だったが、
「で? 何で賀川さんが来てくれるんですか?」
「何でって、うん、タカさんに頼まれて。仕方ないだろう? 電話に出てくれないし」
「だから何でここで賀川さんなんですか?」
彼女の物言いに肩を落とす。
「俺じゃダメだったかな?」
「ダメだったかじゃなくて、森は遅いと危険だから」
「前にパソコンのデータ、取りに行ったし。気を付ければ俺はもう大丈夫」
そう言うと、彼女は俺をじっと見た。赤い瞳、血が透けた瞳が夜闇と混ざって妖しげなワイン色。
その白い首筋に証を刻んで、誰にも渡したくない、そんな気持ちに酔いそうになって目を背ける。人と深くかかわる事は避けて来たのに、どうしてこうも心を持って行かれるのか。
俺の気持ちになど露とも伝わっていないのだろう、ユキさんが呟く。
「じゃあ、今夜はここで過ごすんですね?」
「隣の部屋で寝るから」
自制が利かなくなる前に立ち上がる。その方が良い。
「あ、これを塗っておくといいですよ」
ユキさんはやはりまるで気付いていないらしく、ホンワリ笑いながら透明の液が入ったスプレーボトルを渡してくれた。
「蚊に刺されないし、ムカデとかも寄りませんから。お風呂使っていいので、後にこれを」
試しに塗布してみると、ただの水のようでもあった。匂いはハーブのような、少しきつめの匂いだがすぐに四散する。こんなので虫が居なくなるのはちょっと驚きだ。
「ありがとう。じゃ、おやすみ」
「あ、うん」
俺は歯磨きがないので、うがいで済ませる。水やガス、電気はタカさんが手を入れて何不自由なく使えるようだ。暫くしたら内部の改装をするという。外見はユキさんの母親が帰って来た時に驚かさないため、そのまま流用するらしい。
お風呂を使ってその薬をスプレーし、彼女がいる隣の部屋でごろ寝する。虫の声やらユキさんが何か動いている音やら聞きながら。
煙花よもぎ様宅:きよちゃんと女子お二人ほど、意中のお方がいるお食事場に夕飯食べに行った帰りに賀川と会った事にしました。きよちゃんはうろな家を任されているから夕飯時は出ないかな? っと思いましたが、もしそれらで問題がある、この日はダメなど問題ありましたらお知らせください。




