昔話中です(子馬)
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ここはどこ?
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「こーま、おうちに、かえりたい……」
小さな俺は半べそをかきながら呟いた。
「こんな弱いガキ、連れ帰って来てどうするんだ?」
「悠馬様はあの方の裏切りを一番深く恨んでるんだろうからなぁ。殺さないとイイが」
「その前に、こいつ死にそうな顔をしてるぜ」
「まだ五歳だそうだ、そう脅してやるな」
「ん? もう小学校も半ばじゃないのか? ……俺の子より体格いいぞ」
「五年だ、五年。だから五歳だ。まぁ俺らから見ればチビだってことにゃ変わらんがなあ」
「もうあの騒ぎから五年か。すぐに処刑なんてことがなきゃいいが。お……悠馬様だ」
無理矢理連れて来られたんだ。最後の見た母は地面に倒れて俺を呼んでいた。辺りが赤く染まって見えたのは気のせいだろうか? 車に押し込まれたのでよくはわからなかった、その後どうなったか俺は何も知らない。
投げられる言葉。
意味が分からない所もあるが、理不尽であんまりな言葉が混じっていることくらいは小さな俺にもわかった。けれどどうしていいかわからない。見た目はお父さんに似てる人達、声も酷く似てる。でもその笑い方だけは違っていて、とても冷たく感じたんだ。そして軽口を叩いていた男達が急に静まり、俺を引っ張って座らせると深く頭を下げさせる。
偉い人に対して膝を付き頭を垂れる様な世界、タカの小父貴が好んで見ていた時代劇にしかないと思っていた。だがそれが目の前にあって。俺は盗み見るようにその『えらいヒト』を見た。
だけどあんまり大きくて、圧迫感のあまり凝視できず、降り注ぐ強い重力が俺を支配する。
「コレがアイツの子か」
「はい……左様で」
「…………こいつを連れてくる際に、あの女に手をあげた者がいるか?」
「いいえ、その……」
「居なかったかと聞いている」
「……いえ、まぁ、掻っ攫ってくるようにとの事でしたので。ちいっとばかり足が……」
その途端、頭を下げて喋っていた男がかなり離れた壁まで、回り数人を巻き添えに素っ飛んで行った。見た目は軽い一蹴りだったのにも関わらず。
俺は五歳ではあったが、三歳からタカの小父貴の道場には放り込まれていたから、それが尋常でない動きで、その圧力を放ったのはわかった。
「どうしてお前達の仕事はそう粗い!」
怒気が籠っていた。どうしてかわからない。けれど怒りが強くこめられた言葉はその場を揺らす。山のような体躯をした大男達が、震撼し、更に深く頭を垂れた。
「まあ、仕方ない。和馬も子も……亡くなった命は戻らんか」
そう言いながら俺を睨む。俺は竦みながら、でも父に言われた『強い男になれ』と言われた言葉を胸に置く。かーさんが蹴られたのだと知って、是が否で帰りたかった俺は言う。
「こーま。おうちにかえります。かーさん、まってるもん」
「……………………………………これからお前のうちはココだ」
「ちが……………………………………」
「母親が貧弱でボンクラだと、土御門の血を持っていても、こうも弱々しいとは。あの女を選んだ和馬も相当な間抜けだな!」
「とーさんとかーさんはそんなんじゃ……」
俺の台詞は最後まで言わせてもらう事はなかった。丸太のような太い腕が伸びて、逃げる間もなく瞬時に吊り上げられたかと思うと、こぶしが俺にクリーンヒットする。体の軽い俺はさっきの男よりももっと派手に吹っ飛んで行った。流石にそのまま叩きつけられるのは拙いと思ったのか、一人の男が俺を抱き留めてくれ、壁にだけは叩きつけられずに済んだ。それでも顎の骨は確実に折れていて、鼻血を垂らしながらの俺は痛みのあまりに泣く事も出来なかった。
「悠馬様! これは余りに……」
「ふん、弱い者を弱いと称して何が悪い。見えていても対処できないなら意味はない」
「子供です、まだ。それも和馬様の唯一の忘れ形見……」
その言葉に切れたように悠馬という男は俺に手を上げようとした。だが俺を抱いてくれた男はそれから俺を守ってくれる。そのかわりその男の巨体が呻き、長くその攻撃を受け止めていた。
「ハズレくじだぞ、六角!」
「ならば、何故、連れてきたんですか? 母と子の間を割いてまで」
「あんな女のもとに置けないだけだ。土御門の名を地に落とすくらいなら回収せねば」
そう言いながら息を吐くと、
「こうま、とか言ったか、名前も弱いな。今はお似合いと言った所か、まあいい。とにかく何か言いたければ強くなれ。お前が弱い限り発言権はココにはない。おい、六角! そいつの面倒と訓練はお前が見ろ。朝夕の修練には這ってでも出させろ、いいな!」
「は、かしこまりました。我が当主よ」
それから俺はいじめの様な朝夕の修練を受け、抱きとめてくれた六角と呼ばれた世話役の男の指導に従った。それは偏に、俺がダメなら母も父も貶されると知ったからだ。庇ってくれた六角に諭され、帰れない俺はそこにいるしかなかった。
積み重ね、繰り返し、罵倒され、足蹴にされて。
俺が発言権を持ったのは、それから随分先の事だった。
俺の指はさらさらと和紙で鶴を折る。指が太くなっても、体がデカくなっても。
この作業だけは得意で、三十秒足らずで念を込めて折れる。普通は人型に切った紙や簡単に折れる飛行機くらいを使う者が多いのに、折り紙としてはスタンダードな折とはいえ、どうしてそれなりに手間のかかる鶴だったのか、理由は覚えてない。ふわりと舞うその紙切れがくるりと神父の十字架の前で弧を描き、俺の手の中に戻る。
「よし、行け、何かあれば知らせろ」
そう言って息を吹きかけて、もう一度空に飛ばすと、鳥の形をした紙切れは空を舞って消えた。
「上手いもんですねぇ~おんま君は蝶の様なのを、予め折ってましたが」
「そうですか……」
俺は父の事をよくは覚えていない。ただよく笑う人で、人当たりが良く、強さと優しさを解いてくれた事は記憶していた。後は酒が好きで大喰らいだった事、たまの休みに二人でどこかに出かけた事、母と俺を心底愛していた事……それくらいだ。
「あれは式鬼、です。貴方の『蛇』と……使い方的にはそういうのと同列ですけれど」
土御門家は特殊な血筋で『陰陽鬼道』という技使いの流れを組む。
俺は自分を少し器用なただの人間と思うが、こういう力にこの鬼のような体格。昔から俺の先祖は迫害され、虐げられてきた。そんな中、生き抜く為の出来上がったのが『土御門』だった。時の政府に忠義を尽くし、力を差し出す事で活路を握ってきたのだ。
今、現在は警察、それも公安……正確には公暗と書く……に、土御門の男は籍を置く。父のように抜けても死後、遺体は政府の手に渡っていた。今は倫理を叩き付け、何とか一部は戻されるようになったが、それでもまだ、『自由』には程遠い。
そんなのは窮屈でたまらないので、今、改革中だ。
そして、もう俺みたいに無理にレールに乗せられる者が出ないようにしたいと思っている。
「宵乃宮の巫女のユキ君が居て、傍らには刀森の女である葉子君が、更に刀森の流れを組む男がその傍らに居るなんて。本人達はその血の素性も知らない中。そんな偶然、あると思いますかぁ?」
さも楽しそうに、目の前の神父はそう言った。俺は暗くなり、電灯が点りゆく、うろなの町を西の山から見下ろしながらそれにゆっくりと答える。
「奇跡、とでも言うつもりですか?」
「神の御心、と、私は思いますよぉ」
「貴方の神は一人ですよね?」
「『父』と『子』と『聖霊』……その御名において。なんてね、神は人神にならぬ限り見えないのだから、心にある神は一つではなくていいと思います。でも輝ける大元は一つ、そんな感じだよねぇ」
「……香取の小父貴、貴方は『蛇』なんですか?」
昔から年を食った感じのない神父は銀の十字架を揺らして笑う。
「それは貴方の目で見た僕かなぁ? 僕は生まれた時から『蛇』と呼ばれているけれど。そういう君も『鬼』……でも君は『鬼』なのかなぁ」
「いいえ」
「そういう事ですよぉ」
事実、この男はかつて巫女の母親を監禁していた事がある。小父貴には小さい頃にはよく本を読んでもらった、可愛がってもらった記憶が微かに残っていた。あの頃にそんな事をしていたのだと思うと胸が詰まる。
「何故、巫女の母を閉じ込めたんですか?」
「守るため、ですよぉ」
「愛していたんですか?」
「そりゃあ愛していたよ。神とともに、彼女は特別だったからね」
「……それでも刀流兄がいたのに。それも貴方は神父であるのに何故?」
「私がやはり『蛇』だからかもしれませんねぇ」
そう言うとちょっと西洋の血が混じったその男は寂しそうに笑った。蛇は彼の宗教の中では『裏切り』の象徴だ。それを自ら名乗って嬉しいはずもないのに。
彼はそれ以上の弁解もせずに姿を消した。
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そして日は暮れゆく。
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