承3(11月10日:冴と魚沼)
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この子もあの子も手が焼けるわねぇ。
可愛いけれども。皆が幸せになれると良いのにね。
さて、声をかけてみましょうか?
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「貴方、少しは家で休む事も考えなさい。耳に痛いでしょうけれどもね。ユキさんも心配しているわよ? 賀川君」
私の台詞は届いていない様で、ただボンヤリとした目で笑って頭を下げる。この頃の賀川君は用意した朝食を掻き込むと、日も上がらないうちに家を出てしまうの。普段だったら鍛錬の時間だけれども、今は入室禁止になっているし。
彼はこのまま会社に行くわけではなく、車で回りを警邏して、場合によっては森の方のアトリエまで見に行っているよう。ユキさんが気になるのは間違いないのね。
時間があれば指が動くように八雲さんの所で温熱治療だとか、針だとかやって、会社に向かったり、帰りにも寄っているそう。寿々樹ちゃんが男の子に協力してるのは珍しいなと思っていたら、『ねーちゃんの昔からの患者で、ユキちゃんのお気に入りらしいから仕方なく』だそうよ。
「好きな娘の為に良い所、見せたいのはわかるのよ? でも……」
私が苦言を呈する中、彼は箸を置いて、御馳走様でしたと手を合わせる。はじめにここに来た頃はそんな事あまりしなかったけれど、徐々にそう言う事が普通に出来るようになってきてる。まだ常識ズレな発言もあるけれど。
配達に来ている時は短時間だったから違和感もなく、まあ、ニコニコしてるだけで、悪い子じゃなかった。けれどまあ、いろんな事情を抱えていて、こんなに寡黙な子なんて思わなかったけれど。ちょっと危なくて目が離せないの。亡くなった母親は、この息子に小さくなった娘にとさぞかし心配でしょうね。少しでもこの姉弟の幸があればと思うのだけれど。
彼はじっと左手を見て、
「この手を動かしたいのは、たぶんユキさんの為だけじゃないんです。もし本当に『親友』に会えたなら、その時に何もしていないで、動かないのは、嫌なんです。受傷後早い方が動く確率は高いと言われているから、今は、それに賭けるしかなくて。ほら、人差し指ですが、だいぶ」
たどたどしく机をコンコン叩いてみせるから、
「そうね」
私は意を決してハッキリと言う。
「ピアノを習い始めたばかりの子供だって、そんなに指は震えないわ」
言われなくてもわかっているだろう、けれど、言われないと彼も止められないと思うから。現実を付き付ける。優しい嘘で『きっと良くなる』と言ってあげるのは簡単。きっとここまで動くのにも苦労を重ねたのでしょう。けれども見なければいけない現実はあるの。
「……ありがとうございます」
悪意からの言葉と思われても仕方ない発言を、彼は礼で返してきた。
「今は、したい様にさせて下さい。後悔したくないんです。清水先生の結婚式にピアノを頼まれていて。それまでに変わりがなければ、ユキさんにも話します」
「清水先生には言ってあるの?」
「近く話すつもりです。もし弾けなくても、代役を頼めるので、迷惑はかけません」
「そう、そこまで考えているなら私が言う事はなかったわね」
「いいえ。言いにくい事をありがとうございます。そういえば昨日から、『耳』を訓練し始めてるんです」
「耳? 耳にも何かあるの?」
「こっちはもともと聞こえすぎで。その力を有効に利用できるようにする為にですね」
そう嬉しそうに言うけれど、疲れているのに、積み重ねるようにそうやって大丈夫か、こちらとしては心配だわ。これ以上は私から言っても聞きそうにないから暫くは様子を見るしかないわね。一応、八雲さんにはそんな風だからと、連絡しておきましょうかねぇ。
そう考えながら、
「そう言えば、賀川君。今日はイイけれど、明日、十一日は早く帰ってきてちょうだいよ?」
この家で姉の冴ちゃんが起こそうとしている騒ぎにも気付いていない、余裕のない彼にそう告げておく。
「ああ、それ昨日も聞きました。何があるって言うんですか、葉子さん」
「ふふ。勝っても、負けても、勝負した事は褒めないとね」
「何の話ですか、葉子さん?」
「冴ちゃんがね……」
その背を笑って玄関口で説明しつつ見送ろうとした時、その扉の向こうに朝っぱらから誰かの人影があってベルを鳴らしかけていたわ。その人影に見覚えがあって私は話を中断し、賀川君を追い越して、さっさと扉を開ける。
「え?」
「まあ! やっぱりカトさん」
「ああ、葉子君っ! 久しぶり。でもどうして気付いたのです?」
「偶然送りに出てただけよ?」
「そうなんだ。で、おっもしろい『イベント』があるって、バッタ君に聞いて来ちゃったんですよ。八雲君も戻ってきていると聞いてるしねぇ。あれぇ~この子が件の賀川君?」
「ええ。でもどうしていつも夜明け前に来るかしら?」
「日差しが嫌いなんだよねぇ~」
そこに居たのは紺黒の詰襟服に白いライン、頭には帽子。首から下がった十字架を揺らしながら、唇に浮かんだ笑顔が爽やかすぎる男性が居たわ。柔らかな細い髪は長く伸ばして一つに結わえてる。年はね、タカさんと同じ年だけれど、まったく私より若く見えるから困っちゃうの。
賀川君を振り返ると疑問詞がたくさん浮いているから、
「香取 唯又さん。神父さんで、タカさんのお友……」
「やっぱり賀川さん……もう、行くんですか?」
その時、いつもなら寝ている時間のユキさんが、目をこすりながらフラリフラリと歩いて来たわ。賀川君の事、問い詰めに来たのかしら? 昨日編み物をしながら、『またこの頃、賀川さん忙しそうです』と、ぼやいていたから。夏に帰国してからは、早い帰宅をして、お休みの日は仲良く過ごしていた姿が良く見られたのに。今月に入ってから、彼女自身も森に籠ってみたり、終えたら彼が仕事と言って不在だったりで。
きっと彼が側に居る事に慣れ始めていたから、寂しいのだろうと思うわ。
低いテンションの彼女は、賀川君を見て、私を見て、玄関先のカトさんを見て。
薄らのんびりだった紅い瞳が急激に見開かれたの。
「ななななななななんでこの方がうちにいるんですか?」
「この、かた?」
「カトリーヌ様ですよね?! か、カトリーヌ、その、その、絵具を作った神父様ですよね?」
「はい。色彩変化効果絵具『Acrylic paint香取狗』、通称『アクリル・カトリーヌ』は私の開発した商品です」
「どういう事? ユキさん?」
ユキさんは賀川さんの問いかけに、目をキラキラさせながら、
「カトリーヌ様は私の使っている絵具の開発者で、画家としても高名な神父様なのです。画集も持ってますよ! ふぁ、ファンなのです」
「私の方も新進気鋭の画家『よいの ゆきひめ』を、幼馴染の投げ槍が娘にしたと聞いて驚いていたのですよぉ。早く来たかったのですが。なかなかうろなに戻れなくて」
「声がすると思えばカトリーヌが来たのかよ?」
「投げ槍君、久しぶり! 鍛錬上がり?」
「いやいや、まだ途中だがな。久しぶりに来るか?」
「ええ、イイですよ?」
「えっと、えっと鍛錬?」
「た、タカさん!」
そう言えば地下での鍛錬や鍛錬時間はユキさん、知らなかったのよね。賀川君がそれに抗議の声を上げかけるけれど、
「いい機会だ、ユキ。地下の道場に来いや」
「道場?」
「タカさん、彼女には……」
「もう、イイじゃねーかよ。うちには地下に道場があってだな。やる気のあるヤツを集めて毎朝鍛錬してんだ。ま、ヤローのそんなの見ても楽しくないかもしんねぇが」
「武道を見学するのは画家として悪くないですよ。ゆきひめ君……ユキ君がイイかな?」
「は、はい。どちらでもっ! い、行きます。カトリーヌ様」
何の為に早く起きてきたのか、ユキさんはタカさんとカトさんと地下に移動してしまう。賀川君はその背をぼんやりと眺めていて。深くため息をつく。
そこにスタスタと冴ちゃんが起きてきたわ。
「おはよう。冴ちゃん。もう起きるの?」
「だって何だかさわがしいのですもの。おはようございますですわ、葉子お母さん、あきらちゃん」
「おはよう姉さん」
「ちょっとしゃがみなさい、玲」
小さいのに威圧感のある声。大きくしたりしているわけでもないのに、その態度は重くて、流石に一つの大会社を支える社長さんだと思わせるわ。大の大人が子供になるなんてにわかに信じられないけれど、虫干ししていた着物を見て『加賀友禅にこの刺繍は豪華ですコト』とか、パソコンを叩きながら『金融市場から届く最新情報はおもしろいですわね』とか、普通の子供にはあり得ない言葉を聞くと徐々に信じざるを得なくなるの。
「何? 姉さん」
賀川君の表情が強張ったのを感じる。まるで何かを畏れるように。そっと膝をついて、視線を合わせると冴ちゃんはその顔に触れ、
「私がこわい?」
「そんな事はないよ? どうして」
「玲、ムリしちゃダメよ。つらいコトもかなしいコトも、わかちあえるのがほんとうの愛よ」
「姉さん?」
「いってらっしゃい、あきら。気をつけるのよ」
にこりと笑って送り出す冴ちゃんの表情。朝日が射し出した外に出て行く賀川君を、二人でそっと見送ったの。
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"うろな町の教育を考える会" 業務日誌 (YL様)
http://book1.adouzi.eu.org/n6479bq/
清水先生、お名前と結婚式がある設定。
『以下1名:悪役キャラ提供企画より』
『鈴木 寿々樹』吉夫(victor)様より。
お名前を。賀川が世話になっている様子です。
お借りいたしました。
問題があればお知らせください。




