食(11月7日:冴と魚沼)
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良い匂いがいたしますわ。
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コロッケ買おうと魚沼様とお店の前に行く。彼の手にした長く大きな蝙蝠傘が今は用無しだった。空は完全に晴れる事はなかったが、暫くは持ちそうだった。
「鉄太、コロッケは二つか?」
精肉店のコロッケ。
信じられない程美味しい食べ物。今まで接待を含め、いろんな所で、いろんな美食と名の付くモノは食してきたつもりだった。だけれど、こんな商店街の片隅の、精肉店の食べ物が、今まで食べたどんなものより美味しいなんて信じられない。
確かに取り扱っている肉の色は素晴らしい。コロッケにはその肉が惜しみなく使われており、中のジャガイモもホクホク感たっぷり、いやみなく混ぜられた玉ねぎが仄かな甘みを加えている。聞くとその野菜もこの商店街内にある野菜屋からの調達と言う。
「しっかしその娘っ子に相当気に入られているな」
「……どうでもいいだろ、オヤジ。例のから揚げはあるか?」
「ラスト一セット、いつも五個だが、おまけで六個で三百円だ」
「「それをくれ」」
魚沼様の声とピタリと合わせた様に、奇妙な、何とも表現しがたい声がかかる。私と魚沼様はそこで珍妙な生き物を見付けた。
そこに居たのは人類ではない気がしたけれど、手も足もあって、二足歩行しているからやはり何らかの『人』なのだろうと私は見当つける。顔と言えば、どこかの万博で飾られた有名な塔を人間の大きさにして、完膚なきまでに叩き潰して、更に泥を捏ね回す様にして。
それではまだ甘いかもしれないけれど、とにかく『それ』にパーカーを着せたなら少しは似ているような気がする。そんな生き物が私達の後ろにはいた。
顔を覆い隠すようにはしていたけれど、その『人』らしき生き物を私は夏に見た事があった。
タカさんの古くからの知り合いの孫娘、私とは違って正真正銘、本物の小学六年生の少女、鸚屋 千草。
残暑見舞いと称した彼女が連れてきたのは井筆菜 伸太郎という浪人生、そしてその後から来たのがこの院部 団蔵だった。
「ベテルギウス星系人ではないか。確か、院部、だったか」
記憶力の良い魚沼様は夏の日に延々と続いた彼の自己紹介をおぼえていたようだ。それに彼は溝色の瞳を濁らせるような不思議な輝きを宿して、
「おおう、スーツなんぞを洒落て着込みやがって気付かなかったが、あの夏の日に工務店の親父に挨拶に行った際におったであった、カッパではありやせんかい!」
「……カッパではない」
「これは失礼しやしたが。しかしここで大っぴらに、我をベテルギウス星系人と呼ぶのは、貴殿がベラトリックス星系人であるを晒すのと同じほど拙かろうと思うのだが」
「私はその、べラトリックス星系人でもないが」
「何をおっしゃる、この地球ではカッパなどと呼ばれる胡瓜好きな物の怪にそっくりなその顔は、ベテルギウス星系人の乃公から見れば、間違いなくベラトリックス星系人の特徴!」
「院部、私は魚沼 鉄太。一応弁護士だ……」
「遠路遥々この地球のこの商店街で又も再会、出会うとは。まあ、いろいろな事情があって名乗れないのはこちらとて同じだ。同じ宇宙人同士仲良くしようではないか」
「大きな意味では、確かに宇宙人ではあるが……」
面倒になったのか、魚沼様はそう答えた後で、
「で、から揚げ、買うのか? 院部。俺は他のモノを買うから、それを買っていいぞ?」
「それがでございな、ちょっと相談ですがね、魚沼の旦那」
彼が急に声を潜めると、手の平と思れるそこには十円玉が三枚に五円玉二枚、そしてちゃらちゃらと並んだ一円玉とを合わせ、総計四十九円、『始終苦しむ』という、賽銭にするには不適切な小銭が燦然と輝いていた。
「所持金、というわけか?」
「はいや旦那、そこでお願いでございます。そのから揚げを買って、このお金でそのうちの一個をわけていただきたいんでげすよ」
「一円とはいえ、一個には足りないが」
通常五個である所、六個にしてもらい、それで単価計算をしても確かに一個分には足りなかった。
「たった一円でございやす、そこは何卒。大旦那様。同じ宇宙人の仲でありんすよ」
「で、どうするんだ、鉄太とパーカーの何がしは」
精肉店の主人が焦れたように声をかけた。
「後生でございますや、魚沼の大旦那様。お慈悲を、お慈悲を」
「一円を笑う者は一円に泣く」
魚沼様はたぶん泣き崩れている院部を尻目に、さっさと買い物を済ませてしまう。何故たぶんと付けたかと言えば、泣き崩れてなくても既に通常が崩れており、その崩れ具合が増した事でそうなったのだろうと見当をつけただけ。彼は『何と無慈悲な、ここで会ったが百万と一光年、血も涙もあったりなかったり……』そんな良くわからない事を口々に繰り返す。そんな院部を見ないまま、魚沼様は私に、
「冴、これを開けて持つがいい」
「はい?」
茶色の紙袋にはコロッケが二個、魚沼様は別に二つ持った紙袋の一つを開けると、から揚げを一つ取り出し、中に放り込む。
「それを院部に渡してやりなさい」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおぅ。これはかたじけない。何と言ってお礼を申せば……」
「礼など要らん、だが恩は返せ」
「と、言いますと……この一個八十円のコロッケ二個に、オマケ値段で五十円のから揚げ、しめて三個で二百と十円に悪徳業者顔負けの金利を付けて……背に腹は代えられぬ。ひ、卑怯なり、ベラトリックス星系人! 同じオリオンの星にありながらっ! だが、だが……」
「法定利息で、個人間の場合はどんなに付けても年5%だ。覚えておけ、院部。ただその二百十円の恩に金は要らん」
「そ、それでは、恩、とは何ぞいな?」
「どんなに金に困っても、犯罪には手を染めるな。今のこの国でそれをやれば、人目は厳しくなり、落ちてゆくだけだ。食い物だけなら、貧乏学生だった時の知り合いのパン屋が、食パンの耳くらいは今も分けてくれるし、魚屋に頼めば刺身のアラくらいは手に入る。港の食品加工場もあたるとイイ、それらで食い繋いで生き延びろ。贅沢しなければこの『うろな』なら何とかやっていける」
弁護士として身をたてるまで、どんな生活を送って来たのか少し垣間見る台詞だった。あの日、一緒に来ていた疲れた感じの浪人生に、若い時の自分の影を重ねていたのかもしれない。
院部はそれを知ってか知らずか、受け取って紙袋を抱きしめながら、涎を鼠色に輝かせ、
「犯罪などもっての外でございますや。現在の我は流浪の身。けれども盗みや傷害だけはせぬ様に日夜努力をして、自動販売機とよばれる箱の下や、ごみ箱、電柱の隙間まで当たってまする」
「正確には拾得物をそのまま懐に入れるのは犯罪だがな」
そんな話をしながら私と魚沼先生、そして院部の三人で近くの壁に並んだ。その後は手に入れたばかりの揚げ物を食べる。一悶着あったものの、口にしたから揚げは、しっかり付け込んであるらしく味が染みて美味しい。コロッケもいつにも増して、さっくりしている。
どうやら店の主人が話が終わるのに合わせ、揚げたてを包んでくれたようだ。確かココの商店街の会長を務めているらしいが、その細やかな心配りが何とも商売人として見習うべきものを私は感じた。
私がそのような関心をしている中、宇宙人は紙袋の中身を貪っていた。
「うわあ、やはりおいしい、この食感は例えるならそう、小麦粉を高温の油で揚げたかのような……」
なにごとかをぶつぶつと呟きながら、あっという間にから揚げを食べ終えると、院部は続けてコロッケを取り出し、
「全く、ここ数日まともなたんぱく質を摂取していなかったせいで、ついうっかり即身仏になりかけたが、流石にアンチクショウが買い込むだけあって、ここのコロッケとやらは無闇に旨いな」
「井筆菜のことか」
魚沼様はどうやらあの夏の前にも彼と浪人生、または小学生の組み合わせをここで見かけた事があったらしい。
「そういえば、あの小学生も居らぬし、お前が一人というのは珍しいな」
「毎回ここで見るからに、ぼんやりコロッケを喰っている独り身オーラ満載の魚沼氏が、隣に幼子を連れたる方が、我にとっては、さてはて面妖であるが……やはり光合成生物を粉末にして、水に入れて復活させたる『聖水』を片手にやってくるのかいや」
「冴は手作りの弁当を片手に来てくれるのだが、青汁はまだないが」
精肉店の女将の好意で出されるお茶をちゅるりと啜って、
「院部、何かあったのか」
と、魚沼様が尋ねる。院部は顔をしかめて辺りを見回し、ぐっとこちらに顔を寄せる。
「よくぞ聞いて下さいやした。ただし仔細は省きつつも、同じ宇宙人のよしみでお教えやがりますが、今のうろなを夜に出歩くのは、我も推奨いたしませんぜ」
この町は今、様々に危ないのでごぜいます、と芝居がかった口調で、彼は話を続ける。
「我々のような愛らしい宇宙人をつけねらう輩が、このうろなを無数に徘徊しておるのです。拿捕されれば、恐らくは解剖されるかもやしれぬ」
やけに深刻そうな顔でそういうと、院部はそのままフードを深く被り直し、残ったコロッケの一つをひょいと口に放り込んだ。
「さて、ベラト、いや魚沼氏。このご恩は四十九日を過ぎても決して忘れはしないから、今に見ていろ!」
食べ終えるとどうにも表現しがたい宇宙人の院部は、御礼とも挨拶ともつかない言葉を残してその場から立ち去った。
院部……彼とタカさんの家で初めて会った、あの夏の日を境に。
彼はある者達から逃げ回っていたのだが。
これはその者達に見つかる、たった一日前の話。
その後、彼と、彼の飼育者だか監視者だかであった井筆菜 伸太郎。
この両名がどのような結末を辿るかは、私の知らない、また別のお話である。
「今日は思わぬ連れが出来たが、やはり食事は誰かと共にすると美味いな」
食べ終えると小さくそう言って魚沼様と手を繋ぎ、水溜りを避けながら工務店の事務所まで歩んで行く。
そう、そうだったのだと思い当たる。
確かに普通にこのコロッケは美味しい。だけど、これが美味しいのは彼と一緒に口にしているからこそなのだと言う事に。
私はその言葉に、結果はどうであろうと、『計画』を『実行』に移す覚悟を固めた。
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不法滞在宇宙人(出汁殻ニボシ様)
http://book1.adouzi.eu.org/n5309bs/
院部 団蔵君 鸚屋 千草ちゃん 井筆菜 伸太郎君
夏の日のお話は、
http://book1.adouzi.eu.org/n5309bs/21/
http://book1.adouzi.eu.org/n5309bs/22/
当方が使っています『コロッケを売っている精肉店』は
『悠久の欠片』(蓮城様)
http://book1.adouzi.eu.org/n0784by/
商店街組合長のお店と同一とする事になりました。
お借りいたしました。
出汁殻ニボシ様、台詞に付きまして、ご協力感謝です。
何か問題がありましたらお知らせください。




