初(11月7日:冴と魚沼)
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お昼は手作り弁当をどうぞ。
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「そしょくですが、こういう物をすこしは食べるべきですわね、魚沼様」
「うぬ。粗食とは思わん。根菜類を中心にしっかり仕立ててある。味もよい。だが、何故俺に持ってくる?」
「だって、みんなには葉子お母さんがつくるでしょう? ささ、召し上がって」
魚沼様は大抵この手の押し問答をして、その後は何も言わないでモソモソ食べてしまう。最後に箸を揃えて綺麗に合掌して『御馳走様』と言った後、『今日も美味かった』と一言だけだが、私への労いを忘れない。そんな彼がどうしようもなく目が離せない私。
「先程の仕事は済んだか?」
目があって、ハッとする。
私ったら、はしたない顔してなかった……? 焦りながら返事をする。
「はい、ついでにこちらの『よざいファイル』にタグをつけたので、さんしょうにしてくださいませ」
何をやっても仕事って面白い。そう思う。
だって私がやった事で、大きなものが右に左に動くのだから。
でもこんな小さな子の台詞、なかなか聞いてくれないもの。
だけど、この魚沼と言う人物は違う。姿形は伝説のカッパがスーツを着込んだようだけど。
仕事が出来、私が他の人に言っても理解してもらえない、会社経営の未来を見据えたヴィジョンやその為の流れなども、細かな説明なしで理解した上で、答えまで弾き出す。場合に寄ってはこちらがハッとさせられる疑問が飛んで、魚沼様とのディスカッションはとても楽しい。
「じゃあ、今日はこれを見て説明してほしい、冴のTOKISADA、つまり会社が知りたい」
「は、はい。どうして?」
「いつか……機会があれば自分が弁護を引き受けている、会社のトップとは話したかったのだ」
「でもいまは、私……」
「良いのだ、わかるかぎりで」
午後、裁判の事ではなく、そう言って魚沼様が持ってきた『うち』の資料を説明をする。
彼はうちの会社の主任顧問弁護士だが、こうまで話した事がなかったのが悔やまれる。
私が組み立てた、会社の発展だけではなく、その末端の者にまで、利益が享受できるシステム。なかなか難しい事だが、私は玲が攫われた時に、赤い宝刀のデータや権利を渡しても会社が立ち行かない事にはならないようにする自信が既にあった。けれども十に満たない子供の言う事など、聞いてもらえなかった。
お父様からの評価は高かった。
が、会社をある程度代理を立てつつ布陣し、手中にするまで、やはり二十歳近くまでかかった。その頃にはお父様は完全に腑抜けになっており、私の声は大きくなっていた。
戻った『玲』に対する『仕打ち』で反感を持たれても、それ以外は何一つミスをしない様にやってきた。
もし、魚沼様が……私の考えを理解できる彼が早くに側にいたなら……玲があんな事にはならなかったかもしれない。
「それで、これを始動させたのだな?」
「は、はい」
考え事を並行していた私は、魚沼様の台詞で我に返る。
「もしうちのレアアース代用品『赤い宝刀』が無くなっても、これを切り崩し、代替品を制作する事も可能です……コストは『赤い宝刀』の倍はかかっても、まだまだ他社のコストより低いのですわ。またこれには研究の余地がありますから、性能を上げることで他社製品との差別化が図れます」
「これを構築したのは、弟の為か」
「はい」
私は答えてからハッとした。
弟の為に……
私は。
『今』の私は。
玲が攫われたけれど無事に帰って来たという設定で生きている。だから弟の為にこんな会社の製品を一新する構想は作らなかった、または忘れた状態でなければおかしい。
口調も気をつけていたのに、つい……
思い出してしまえば、あの家を追い出される。何よりココに……
ここ数日、降ったり止んだりしている空から雨音が落ちる。魚沼様は立ち上がると、
「もう、そろそろ弟に謝れないか? そうすればここに逃げてなど来なくていいだろう」
そう言いながら、対面のソファーから自分のデスク用の椅子に座りかえ、私を眼鏡をズラしてじっと見る。
「私は逃げてなど……」
「俺は謝る事も出来ず、妹から逃げている。ダメな兄だ。謝ろうにも死んでしまってはな」
「謝るとはどういう事ですの? 妹君は『残念なコト』に遭遇してしまったようですが」
もう、いろいろばれているなら隠し立ては要らない。
私は魚沼様に纏わる妹、巴様の件については片端から調べていた。ある少年が『悪戯』で引き起こした『殺人』に巻き込まれた少女、それが魚沼様の妹、巴様。
少年法で守られた子供は、大きくなって犯罪を繰り返し、三人の殺人、複数の傷害や窃盗で捕まり、裁かれた……それが大筋、私の知る限りのその男についての事件である。
「その被告は刑が執行されて。被害者の家族を守り、毅然と事件を見守った貴方の姿を見て、きっと巴様は喜ん……」
魚沼様は『知っていたのか、そうか、自分の身の回りの者を調べておくのは当たり前か』、そう言って眼鏡を完全に外すと、
「喜んでないのだ。巴は。俺がもともとは悪いのだ」
ぽつりと言う。
「生まれてくるあの子に、俺のような醜悪な顔でなく、綺麗に、美人に生まれて来てくれと何度神社に参った事か。生まれてきたあの子は美しく天使のようだった。だけれど巴に、巴にあんな事をしておいて。『誰でもよかった、綺麗で可愛いから襲った』あやつはそう供述した」
非科学的な事だ。理論的に考える彼がそんな事を言うとは、にわかに信じられなかった。堪えきれなかったのか、手にした台帳で机を打つ。無意味な行動が少ない魚沼様がそうされるのはとても苛立ちを覚えているからだろう。
外の雨が徐々に激しくなる、その音に合わせるように、魚沼様は言葉を吐き捨てる。
「もしあの子が俺に似た顔だったらどうだ? きっとまだ生きていて、顔が悪くても性格が良ければ、もしかしたら誰かに見初められて、私の姪や甥を産んで、笑っているハズではないか」
「そんな事……」
「それに巴が苦しんで死んだ『あの日』、俺は、何をしていたと思う?」
きつい眼差し。初めて見る彼の表情に私の心臓は鷲掴みにされたかのように、ぽろりと涙が落ちた。
……私が、私が悪いの、あきらちゃんが攫われたのは、私が。
念仏のように繰り返し、呪詛のように自分を縛った言葉を思い出す。外に降っている雨よりも激しく心を叩き、穴を穿ち、血の流れる思いで帰って来ぬ人を待つ……
「お前は謝れるべき時に謝るがいい」
「魚沼様が祈っていようと祈っていまいと、妹君は美しくあって、それはきっと魚沼様のせいじゃ……せいじゃ……」
起こってしまった事件……殺人や誘拐。
残ってしまった自分を責めていないとやっていけない、人生を渡っていけなかったのは……私も同じだった。『どうしてあきらを? そうではなく私を連れて行かなかった?』……バスで倒れた私を庇って、『姉は居ない』と言ったのを、知れば知るほど『何故救えなかった?』と繰り返した。
彼と私の違いは、彼はその激情に流されずに、生きて、齢を重ねた。それは体験した者にしかわからない、犯罪の被害者の家族の痛み。
それも私は、その対象である玲が生きていたのに、あの様だった。彼の庇護対象は命を散らしていたから、私よりも何倍も、何十倍も……やる瀬のない心の痛みに耐えてきたはず。それは尊敬を通り越して、崇拝すべき対応だ。
「魚沼様が今まで『一人』で生きられてきたのは贖罪ですか?」
「なん、だと?」
「姪や甥ではなく、御自分の子供は? そうです、一人で生きるより。幼くして亡くなられた妹君の為にそうなされたら?」
「ふん、誰とだ。こんな老いぼれ、それもこの容姿と結ばれる酔狂な女はいない。まあ、若い時もさほど変わらぬ、俺はどこをどうとっても、面妖なカッパだからな」
「…………私ではいかがでしょうか」
「ふ、ははははっははっ……笑わせるな冴。今、何歳に見えると思っている? いや実年齢でも二十八と五十五の男など……倍だ、倍! さあ、もう誤魔化すのはやめて、弟に謝罪し、居るべき世界に帰るがいい。もう弟や他の者に迷惑をかける様な行動はせんだろう?」
私はああ、やはりと思う。
魚沼様にとって、私などどうでもいい存在なのだろう。いいえ、眼鏡を外した彼の目は、たまに私を捕えているから。恋や愛には程遠く共、一緒に歩む事は出来るはず。いつも一緒に居たい、でもこのままでは無理。
私はそれを叶える方法を弾きながら、暫し、考えて、
「でもこの姿で会社に戻るのは些か抵抗があります。姿が戻るまではあの家に居たい。それは我が儘でしょうか? 魚沼様。しばし黙っていていただけませんか?」
「……わかった。姿が戻るまでは勝手にするがいい。謝る事が簡単ではないのだろうし、確かにその姿では、な」
「では……また来ます。おくってくださいませ」
私は魚沼様に食べていただいた弁当箱を掴むと、席を立ち、笑った。
「うぬ」
無愛想にしている彼が眼鏡をかけ、事務所から出ようとするので、その手を掴み、
「外に出る時は手をつないでおく。これが子どもとは、ふつうですわ」
「うぬぅ」
「きょうはコロッケ、おごっていただけますの?」
そう言って見上げると、彼は何も言わずに手を繋いで、コロッケをいつも買う精肉店に二人で向かう。
酷く降っていた雨が止んでいた。
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コロッケを買いに。




