続・治療中です(悠久の流れに)
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この人が?
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古本屋の主に八雲先生は親しげに声をかけ、歩み寄る。
「ああ、ルチア。昨日見かけた時は驚いたさ。今日は電話に応じてくれて助かったさ」
ルチア……俺は運送の時に貰ったサインの名とは、全く違う名で呼ばれる紳士を見やる。だが見直してもやはり他人の空似ではなく、優しい物腰に気品を湛えた古本屋の店主だ。
「こんばんわ。クラウドさん。まだ、手伝うとは言っておりませんが。しかしこのうろなで会うとは私も思わなかったですよ。貴女の地元がここだなんて」
「日本語が上手だなとは思ったわさ、しかし本当にいつ見ても、ルチアのダンディさは変わらないねぇ。女としては年を取って見えないのは羨ましい限りだわさ」
「いえいえ、当時の可愛らしさは残しつつ、女の深みも出た貴女は人間として美しいですよ。そう言えば、ここ、うろなでは『皇』でお願いいたします」
「光って名も、貴方にはお似合いだと思うけれども。すめらぎ、も、麗しい名前だね。ああ、そうさね。それなら私もクラウドではなく八雲で」
「八重の雲、それでクラウドでしたか。貴女の広い心を指すかのようです」
固い握手で挨拶をしながら、俺に近付いてくる。サインに貰う名を聞いて、海外ではお互い違う名を語っていたのを知る。俺も海外では『トキ』だったし、そう言うのは普通だ。それも『すめらぎ』も『やくも』も発音しやすい名前とは言えないし、いろいろ……事情もあるのだろう。
俺はベッドに伸ばしていた体を起こし頭を下げた。テーピングで固めていたのも外しているので、それだけで痛みが強い。無意識に顔を歪めたのか、
「ああ、いいですよ。それにしてもどこかで見た気が」
「賀川、運送屋の」
持って来ていた帽子をかぶって。皇さんはしばーらく俺の顔を見て、ポンと手を打った。
「なるほど。一番さんでしたか……って、貴方は今日も配送に来てなかったですか?!」
「はあ、そうですね。仕事に穴はあけられないので」
「お前! 聞いてないさよ、私は。昨日もあの白い娘と町をうろついたって聞いて根性あるなと思ったけれどさ。今日も仕事て何さ!」
「お、重い物は運んでないんです。メール便とか、軽い物だけですよ」
「ばっかな子さねぇ、前田も止めろっての。薬を飲まさなかったのかい?」
「無理矢理飲まされましたけど、朝には起きられました」
「まさか……あの薬が効かなかったのかい? 象でも眠らせるつもりで盛ったのに、まったくエンジェルズシールドの頃から変わってないんだから、そんなだといつまでも天国のアリサや、海外ではアリスが心配するさ」
あの二人を引き合いに出され、頭を垂れてしまう。俺が睡眠薬を盛られた話を聞きながら、皇さんが苦笑しながら、
「では、ちょっと触らせてもらいますよ」
そっと指先で俺の足に触れる。腫れはない。だがまだまだ痛みは激しいので、掴まれるとびくりと体が跳ねる。ユキさんの前や仕事中は気張って涼しい顔をしているが、直で掴まれると冷や汗がドッと出る。このままで一週間、もう六日か……予定通り治るか、治った所で後遺症はどうなのか不安になる痛み。
皇さんは関心と呆れを帯びた顔で、
「よくもまあ、これは。痛みに痺れ、それでも、ここまで復元できましたね。あなたの医療技術は並じゃないですね」
「ありがとう。骨は大丈夫だったからさねぇ。熱は今、少し下げたけれど。細かい傷から入った菌が悪さをしてるかもしれないから抗生剤は必須かねぇ」
「そうですね。それにしてもこの感じで歩き回っているのはいただけません。でもここまで回復しているなら、自然に治癒するでしょう」
そう言うと、八雲先生は話を傾けた。
「無理は承知で頼むけれど、トキ、この子は訳アリでさね。私の懇意にしている者の子飼いなんだが。コイツが『落ちる』と、ある娘の『術』の様なのが完成しちまうだわさ。非科学的な話だけどもさ。アンタならわかるだろう?」
「術、ですか?」
「しょうのみや、とかいうね……」
「なるほど、……闇御津羽ですか。巫女の人柱化?」
俺は睨んだ。何故、この人は巫女や人柱の事を……
「噂ですよ。『長く』生きるといろんな事を耳にするモノですよ?」
皇さんはすうっと目を細め、俺の首筋に顔を寄せる。一瞬何か嫌な予感がしたが、鼻をクンとやって匂いを嗅いでサッと離れた。その目が、獲物を狙う獣のようでゾクリとした。
今まで八雲先生が連れて行かれそうになって、助けられた話も、この老人だけの力ではなく誇張しているのではないか、そう思っていたが。その視線を浴びた時に体に走った旋律は、俺に彼が老練な手練れである事を感じさせた。
だがそれは僅かだった。にこりと好々爺の表情に戻ると、
「巫女を守る者、貴方は刀森? ですか?」
「え、いいえ」
「刀森? 葉子が、この子の住んでいる家にそんな苗字の人が居るさね? それが?」
俺が答えるより早く八雲先生が答えてくれる。
「巫女を守る者はこのような匂いになるのですかねぇ?」
「はぁ……」
俺が首を傾げると、古本屋の店主は笑った。
「君が倒れると巫女たる娘が困るのだと言う事はわかりました。ですが、家の中に籠ってやり過ごせばいいでしょう? そもそもその子に張り付いて、配達なんてやっていないで……」
俺はそこに居る、人のよさそうな老人を見やった。見た目、ただ人は良さそうだが、無償で何かをやる様にも見えない。その目は面白い話を求めているかのような気がする。だが俺は面白い話など出来ず。ただ、思うままを口にするしかなかった。
「確かに俺が届けなくてもいいのかも知れない、人から見れば八雲先生みたいに命を救う様な大切で重要な仕事ではないかもしれない。でも俺はこのうろなで、運送屋として誇りを持って仕事しています。だから出来る限りの仕事をします。そうしながら守るべき人を守るつもりです。でも彼女を守ろうとする時……」
俺は足を睨む。
「一週間、その間に何もなければいい。こうやって不調に襲われる事はこれから増えると思います、毎回どうかしてくれとか、言えないのはわかってます。でも足の負傷は何かあった時、致命的で。昨日襲われたばかりの彼女を放るのも不安ですが、俺がいつもと違って会社にも行かず籠っているのは逆に彼女の不安を掻き立てるようで」
攫われて気を失い、そこから目覚めた彼女の赤い瞳から落ちた涙を思い浮かべ、
「出来れば今、少しでも早く万全な状態でいてやりたいんです。ずっと側に居て張り付く事は出来ません、それは彼女の自由を妨げるから。けれど彼女に何かあった時、駆け寄る為の足が……欲しいんです!」
「……自分の為ではないのですねぇ。ただ一人、彼女の為、ですか」
「それがひいては自分の気持ちを守る事だとも思ってます」
「彼女を『好き』だと言う気持ちですか?」
そう言われた俺はハッとして赤くなっていたと思う。顔を合わせるのが恥ずかしい。だが彼は嬉しそうに笑った。
「それだから人間は素晴らしい、他人の為に、自分を捨て、愛し愛され、その刹那を大切に出来るのは、限りある命だからこそ」
そんなに力説されると恥ずかしくてもう場所が見当たらない。でも足を晒し、ベッドに横たわる今、逃げ場などなく。ソッポを向くしかなかった。
その一瞬。
足から這い上る様な灼熱の熱さを感じ、思わず声を上げそうになる。喉に引っかかったような叫びを人前に晒さぬ様に飲みこんで、背を逸らしてそれに耐えた。ただ余りの『熱さ』に目を開けて何をやっているかも確認できないほどだった。
「通常を超える勢いで回復することになるので、人の身で耐えるのは辛いでしょうが……」
「我慢強いったらないさね、トキは……」
「貴女も相当耐えてましたよ」
「まだ、麻酔が残っていたからさね」
「そうですか? 気丈なお嬢さんと思いましたがねぇ。もともと一週間ほどで治る所まで八雲さんが持って行ってますから……そうですね。それでも二日、丸二日は出来る限り無茶は避けて下さいね」
そう、皇さんが言ったのは覚えている。
自慢じゃないが、痛みで意識を手放す事は戦場では死を意味する。だが強烈な刺激が俺を襲い、抵抗できなかった。もしかすると、俺を治癒しつつ、催眠でもかけたのかもしれない。
意識が落ちる……
「目覚めたさ?」
「あ、八雲先生」
気付くと二時間くらい気を失っていたようだ。皇さんはもういなかった。驚いた事に足の痛みが、殆ど引いている。
「二日は無茶しないさよ? その間に何かある様なら前田に少しは頼ると良いだわさ」
「は、い」
俺はいつもの足の布を巻き、そっと足を地面に付ける。本当にさっきまでとは歴然と違っていた。これなら走れる、具合が良い。ただ万全とは言い難い違和感はある。
「皇が言っていた事は聞いた? 二日は無茶は避ける事さ。その間は普通の力は出せないとおもうさね」
「一週間が二日になったんだから有難いよ」
少しでも早く回復できてユキさんを守れれば、そう思いながら、今度配達で古本屋に伺ったらお礼を言わねばな、と思った。
そして、この二日後、三十日の夜。
癒えて間もない足をユキさんではなく、他の娘を助ける為に走らせる事になるとはこの時点では思っていなかった。
もしこの時、癒してもらっていなかったら、その子の為に走れなかったのだとするなら、何と人の縁は数奇な物だろうと俺は思った。
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悠久の欠片(蓮城様)
http://book1.adouzi.eu.org/n0784by/
古本屋のご主人、皇悠夜さん=ナイスミドルな謎紳士、ルチアさん。
お借りいたしました。
何か問題があればお知らせください。




