落涙中です
あれぇ? 降りてこないよ?
「なあ、ユキ。賀川のを呼んでこいや。死神にでも憑りつかれたんじゃないかって顔だったからな」
タカおじ様は見えるわけでもないのに、食堂の天井を見上げながら呟きます。
そこはだいたい賀川さんの今住んでいる部屋がある辺り。もともとは刀流さんの部屋だから、きっと彼が生きている時もそんな感じで見上げて、奥様に息子の事を任せていたのではないでしょうか。
そんな事を思いながら、仕事から帰って、ご飯もお風呂も降りてこない彼の部屋を訪れました。
「賀川さん?」
返事はありません。
でも気配はします。
「開けますよ? 入りますよぉ?」
返事を待ちましたが、何にも言わないので、もう部屋に入っちゃうことにしました。
賀川さんは机に伏せて寝ていました。
彼の手元には、空の箱と、空き缶を花瓶代わりに飾られた二つの花。
とても可憐なレースを思わせる白のラインが入ったカーネーション。
一か所花弁が欠けたマーガレット。
揃って並んで咲いていました。
顔を覗き込んで見ると、賀川さん、何度も擦ったからか目の下が赤くて。よく見ると睫毛、長くて。その先が濡れているようでした。真っ黒な髪にスタンドの光が当たって、輝いています。
「風邪ひいちゃいますよ?」
見るとも無しにチラッと白い服から覗いた首元の痣、腕の七分くらいから下に包帯よりかごわっとした布が巻いているのが、近づいてよく見ればわかって。頬も、手の甲も、微かに不自然な赤みやらがあるのです。絵を描くので、そう言うのはこうやって近づき、注意してみればわかってしまうのです。
仕事上で怪我?
私は思い返します。賀川さんは森に絵を取りに来ている時から、たまに足を引きずっていたり、殴られた痕の様なのがあった気がします。けれど、その時はただの集配のお兄さんで、そこまで見入る事が出来ませんでした。でも、気になっていた事の一つではあった気がしました。
「何で? どうして? 隠してるの?」
今は……ただの集配のお兄さんではもうありません、私……どうしてだか…………この人が気になって仕方がないのです。きっと、それを『好き』と言うのに気付いたのは少し前の夏の事。
近付いては遠ざかり、遠ざかっているかと思うと近くに居る人。
「ねえ、好きだって言ってくれるなら、どうして何も言ってくれないのでしょう?」
動いている時は大きく見えるのに、無防備に寝ているその姿が小さく見えて、愛おしいけど。
なかなか本当の事を口にしてくれない事を、とても、寂しく感じました。焦ってはいけない、心を寄せあわなければその温かみは……沈黙は金、司先生に諭してもらった事を思います。
けれど、微かだけど擦過傷を見ると心が騒いで仕方がないのです。
私は聞きたい気持ちを抑えると、側のベッドの横に掛けてあった、藍染のパジャマの上衣をそっと取って掛けてあげようと思います。
これって清水先生から送られたお揃いの夜着です。着ている賀川さんっていうか、パジャマの彼って見た事ないけれど。パジャマの下は見当たらないし、寝る時はどんな格好なのかな?
そんな事を考えながらも、とてもそっと動いたのに、ぱちりと目を覚ました賀川さんは驚いて、椅子を蹴り倒し、飛び上がる様にして私から離れます。
「止めてくれ! ココに居たいんだ! またどこかに行くのはイヤだ!」
彼は思いもしなかった言葉を叫ぶと、壁を背にし、息を弾ませ、オドオドと回りを見回します。ちょうど私はパジャマを広げていて、それをかけようとしていたのですが。
何がどうなったのかわからない私が、服を降ろすと賀川さんは私だってやっとわかって、取り繕う様に、
「はっ……はは、ごめ。俺、夢見てたみたいだ」
とても一生懸命笑おうとしているのに、それは顔に張り付いた作り物。だって、彼の頬は涙が伝っていて。
「大丈夫ですか? 泣いてますよ?」
「いや、これは、何でもないんだよ」
何でもない? 隠そうとして隠せるわけもなく、私はとても見ていられません。子供のように大泣きするわけでもなく、すすり泣くわけでもなく。ただ頬を伝い、顎から零れるのを、目を見開いたり、閉じたりして何とか笑って止めようとし、手で覆って隠すのです。
私は考えてから、がばっとベットの布団をはぐると、そこに座り、自分の膝をポンポン叩きます。
「な? なに? ユキさん?」
「理由はいいのです。こっちに来て」
睨みつけると、とてもテンションの低い彼は、抵抗せずに、犬が歩くように四つ這いで側に来てくれます。一瞬の躊躇。とんとんともう一度私が膝を叩くと、側に来た賀川さんの手を取って、ベットの上に招きそのまま私の膝に頭を置かせると、布団をかけてあげました。そしてそっと髪を撫でて。
「ユキさ、ん?」
「話したくないなら、いいです。でも、ココに居たいんです。たぶんタカおじ様が呼びに来るでしょうから、その時まで……母が昔よくこうしてくれたのです」
賀川さんは掛けたあげたタオルケットに顔を埋めていましたが、髪をずっと撫でていると、嗚咽交じりで机に飾られた花が、母親と公私ともに組んでいたアリサさんという女性に宛てた手紙の返信に貰ったと言います。
二人共、死んだ人間のはず、なのに、と。
「夏のあの日に、居たのが彼女の妹でアリス」
「ありす、さん?」
「そう、俺の付き合ってたのはアリサ。そうしなくて別れたけどね。仕事ではずっと、彼女が死ぬまで、俺が、死なせてしまうまで、ずっと、ずっと、パートナーだった。彼女は『完璧じゃない けれど愛してる』……アリサはそう言って、喧嘩した時に『許してあげる』と……言ってくれた花……俺が『君は完璧だ』って言うと、彼女は笑ってた」
I love you.
……彼をそう呼んでいた人が居た事をよかったと思いながら、少し私は胸が痛みました。だって、こうやって泣く賀川さんはそれは完璧ではないでしょう。だからこそ、彼女は彼を愛していたのではないかとチラと思います。私は、少なくともそうだから。
対して彼から完璧と言われた彼女は凄くて、私は越えられるように思えなくて。
ただ私の表情が怪訝だったのか、賀川さんは言い訳のように、
「信じてないから、死者から便りが来るなんてさ。俺も」
そう言いながら笑い泣きをし、
「でも、そうなんだ。あれは二人からでしか……あり得ないんだよ? このリボンを巻いて、……花弁を切って、彼女以外に……知らないんだ。カーネーションも……知っていて姉さんくらいだよ……」
「賀川さんがそう思うのだったら、やはり二人から、なんですよ?」
「そう思っていいのかな? おかしいな、神様なんて、どこにも、どこにも、いないのに。からくりは、わからないけれど。二人からだと思うと、嬉しいけれど。とても泣きたい気分で。だいぶアイツの前でも泣いたのに。あれ、俺、まだ……」
私はゆっくりポツリポツリと語られる賀川さんの声を聴きながら、枕に体を預け、その黒髪を撫でます。羨ましいほどの黒い髪をそっと。
「泣いている場合じゃないのに、俺は強く、なきゃ」
「強くなくていいんですよ? 泣きたい時は泣いていいし、笑いたい時は笑っていいんです」
「駄目だよ、甘やかしちゃ。俺は、俺を。そして必ず君を、守るから。でも、今夜だけ……」
「守らなくていいです、側に居るだけで、私は嬉しいのに」
「いや、君は俺の……女神だから……必ず……」
時間をかけて泣きながら言葉を口にしていた賀川さんが、疲れた様に深く息を吸い込むと、寝入ってしまったのを確認し、私も眠ってしまいました。
こんなに側に居るのに。だから、わかりあっている気になるのです。けれど、きっと、彼と私はとても今、交わらない所に居るのに。体の熱は混じって、穏やかで。
不思議な道筋で届いたカーネーションと花弁の欠けたマーガレットに見守られて、その夜を二人で静かに越したのでした。
今宵だけ。
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更新が滞るかもしれません。
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"うろな町の教育を考える会" 業務日誌 (YL様)
http://book1.adouzi.eu.org/n6479bq/
清水先生より、夏に送られた藍染のパジャマの話を。
問題ありましたらお知らせください。




