朝練中です
まだ雨は落ちているが。
目の前の霧は晴れたか?
「おはようございます」
「おい、道場では『押忍』だろうがよ」
「押忍! 失礼します」
気合十分で道場に賀川が入ってくる。オレは一睨みしながら、備品の点検を続けた。
昨夜、オレを見て、溜息交じりに急にさえちゃんが奴の家に声をかけに行きたいと言った。今日から戻ってくるのを知りながらそう言うのは理由があるのだろうと思い、車を飛ばし、連れて行ってやった。
彼女は小さいながら姉として、俺と奴の間に何かあったのを察して動いてくれたらしい。何を話したのか知らねぇが、前々から俺を窺う様な卑屈な目をしてやがったのがなくなったのは彼女のおかげだろう。
オレ自身もいずれ話さなければならない刀流の行動を詫びれた事に少しホッとしていた。奴にとって過去が消せるわけじゃねぇ、俺の行為など唾棄すべき事だとわかっていても、目を見てきっちり言わなきゃいけない事はある。
許せる事じゃねぇだろうに、そんな事には触れるどころか、自分が頭を下げ、
「こないだは怪我させてしまい、すみませんでした」
「っ、ありゃ、賀川のじゃなくて、俺の指導と判断が甘かったんだ。つまりは、おめぇにゃ二撃目なんて無ぇんだよ。いいな、一撃目を仕上げていくぞ」
「押忍!」
「なんか気合だね。賀川君、お久ぁ~」
「うえ、苦しいですよ、先生。挨拶のスリーパーホールドとか、要らないですから」
「日曜含め、四日は会ってないから。その間に色々試したい事を思いついたんで、練習台、よろしく」
「げへげへ。それは良いですけど。う、梅原せんせぇの具合は?」
「あ、この体勢からも逃げるなんて……司さんは大丈夫、ちょっとあったけど、オレンジ水着のおかげで、お風呂をラブラブげっちゅ~だったから~♪」
「水着? 風呂? ………ああ、心配して損する夫婦だとはわかりました」
「悔しかったら、早くユキちゃんゲットしたら?」
「く、悔しくないですよ、ええ、風呂良いなとか。ええ、けして……」
清水の先生と賀川のがじゃれ合っているのを見ながら、額に貼っていた絆創膏を剥がして捨てた。睨んでいたらしく、二人が竦んだ顔をしたのを見て、
「清水の先生よ、もう稽古の機会ももろもろ抜けば後十日ねーんだ! 全員、飛ばしていくから、ちったぁ覚悟しろよ。稽古はじめっぞ、ヤロー共」
「押忍!」
清水の先生、戦いの前数日は山籠もりらしい。もうここでの時間はさほどない。その場にいた全員に喝を入れて、鍛錬の時間に入った。
「ユキさんにこれを運んであげて」
成長株の二人の若者を側において眺める楽しみを噛みしめながら鍛錬が済み、風呂から上がると賀川が葉子さんに掴まっていた。清水先生はもう学校の方に移動したようで、姿はなく使い終えた箸や汁椀などが一膳、そこにいた証拠に残っているだけだった。
「土鍋? 小さいけれど……」
「一人分のお粥を炊くのよ。鍋焼きうどんなんかにも使うけれど」
賀川がかつて海外暮らしで、常識に少し欠ける事を知ってから、なるほどそれでと葉子さんは納得したのか、この頃は面倒な顔もせずにそう答える。もともと面倒見は良いし、世話をするにつれて息子の姿を重ねている節はあるのだろう。さえちゃんは葉子お母さんと呼び、『賀川君もそう呼んでくれていいのよ』なんて笑っているのは、本心が少し入っているのかも知れねぇ。他の下宿人よりユキとの事もあるし、世話し甲斐があるのかもな。
「お粥って病人食……ですよね? ユキさん、具合が?」
「食事が喉を通ってない感じだったの。トイレやお風呂以外は出てこないし」
「わかりました、届けてきます」
そう言って出て行った賀川が、暫くして顔を赤くしながら出て来て、
「どういうことですか? あれは」
「こないだのお買いもので勧めてみたのだけど……見えちゃったの?」
「美しいでしょ。抜けるような白肌に、柔らかな象牙色、赤の小リボンにピンクのポイントレースは、まるで苺のミルフィーユケーキみたいで、普通の白より白さが際立ちますコトよ?」
「葉子さんに、姉さんまでぇ!?」
男としては朝から何かイイ物を見たらしいが、娘のそういうのは親としては見せたくねぇ。咳払いすると、さも楽しそうに葉子さんは笑い、賀川はふらふらしながら会社へ、さえちゃんは首をすくめてぎょぎょの所に向かう準備を始めた。
「毎日よく通いが続くな。雨だって言うのにさえちゃんよ」
「楽しいのですわ。六法も、判例も、魚沼様に聞けば理解も早いですし」
「弁護士先生にでもなるのかよ?」
そう聞くと冴ちゃんは面白そうに笑う。
「それも良いですが、この頃、夢見ますの」
「ほう? さえちゃんの夢か」
「なかなか籠絡できそうにありませんが、もしもの時はいろいろお願いいたしますね?」
「おうよ?」
さえちゃんの夢が何かはわからねぇが、手伝える事ならばやらねばなるまい。ユキと一緒だ、可愛い娘だからな。そう返事すると、
「言質、いただきましたわよ?」
一瞬、子供ではあり得ない視線にゾクっとする。だがそれは一瞬の事。にこりと笑って台所を離れていく。
「ふふ、小さくても女ね」
「こえぇよ」
「女は、ね。そう言う生き物なの。そういえば、本当に来月、高馬がうろなに来れるかもって」
「へぇ、いつ振りだ?」
「そうねぇ。五年ぶりかしらねぇ。それも長く居るらしいのよ?」
葉子さんの嬉しそうな顔を見ながら呟く。
「やっと賀川のには話が出来たが。次は葉子さんにも、か」
俺はこないだ施設でメモってきた刀森の住所を尋ねたが、普通の街並みに溶け込んでいて当時を思わせる物は何もなかった。
「何です? 話でもあるのかしら」
「いや、何でもねぇ」
オレが見付けてきたモノを彼女に提示しても、過去を思い出すだけで、足しになるとは思わなかった。だからそれについては腹にしまって、口を噤む。自室に戻り工務店に出る準備をしながら、賀川のの放った数日前の二撃目を追思したのだった。
YL 様『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』清水先生。司先生話題で。
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