訪察中です
魚沼、またの名をカッパが行く。
『梅原剣武道場』と書かれた看板は、その文字を読む事が難しいほどの日に焼けていた。が、埃一つなく磨かれてその家の門扉上に立てかけられていた。ここ二日ほどうろなは雨だったが、今日はあちらも曇り空だろうか? ここまでは距離があるし、冴は置いてきたが不満そうな顔をしていた。そうだな、土産は何が良いだろう……
「ココはかわらんな……………………たのもう!」
そんな事を考えながら、その門を潜り、扉を開ける。すると色白だが、がっしりした男が一人出て来て正座で迎えてくれる。
俺を見た途端、面食らった顔をしていた。
「ふぅん……門下生か」
「あの、どなた様でしょうか」
流石に客に対して拙いと思ったのか、言葉と顔を整えて聞いてくる。俺はそんな反応に慣れているので小市民のように気にはしない。ウム、断固として気にはしていない。
「道場主はいるか」
「は、今、在宅ではありますが……」
「どうせ道場か。魚沼が来たと言えばわかるが、通してはくれまいな。失礼する」
俺は靴を脱ぐと、有無も言わさずそのまま玄関を抜けた。色白男は、困りますと口にしながら俺に手をかけようとした。
「?!」
俺は振り返りざまにその手を取って、彼の横に並ぶと、膝裏に膝をあててやる。そうすると何の抵抗もなく彼はかつんと倒れる。何が起こったのかわからない、あからさまに混乱した顔を見せる色白男。
「俺を外見で判断した時点でアウトだ」
「ちょ……」
「立ち居振る舞いから見て、準師範……と、言った所か。腰が弱いと見た。剣道一筋も良いが、他の武道にも精進するがいい」
「ぶぶ、ぶ、部外者に入ってもらうわけには……」
「あら?」
その時、器量によさそうな着物の女が出てくる。
「魚沼さん? お久しぶりです」
「嫁か。よく俺を覚えていたな」
とは言ったものの、俺の姿形をある程度、時間が経とうとも、忘れている者の方が少ないのだが。とにかく色白男が声を上げた。
「奥様!」
「いいのよ、河中さん。貴方は魚沼さんを知らなかったわね」
「は、この方は……」
「うぬ」
俺は勝手知ったるこの家の廊下を歩いていく。両の手で年が指せる程の幼き頃、ココには毎日のように通っていた。多少作り変えたようだが、さして問題はない。
「あら、魚沼さん、そっちは物置、逆ですよ」
「うぬ」
「あ、アレは、な、何者なんですか?」
「弁護士さんよ?」
「か、カッパの妖怪ではないんですか?」
「かもしれない? ふふ」
背後で噂が聞こえるが気にしない。言われた方向に歩いていくと、渡り廊下の向こうに懐かしの道場が見えた。靴下を脱いでポケットに押し込んだ。
広い剣道場で男が一人正座していた。
きりりと澄んだ空気。
その神経が行き渡ったそこに立ち入るのは、肌にビリビリ来るような感覚を覚えるのだったが、俺は足でバンっと音を立て、そこに割って入る。
「刀の錆びにしてやろうか、へっぽこ鉄太」
「銃砲刀剣類所持等取締法違反で訴えてやろうか、こまし勝也」
ちりーん……
どこかにぶら下げた、時期を外れた風鈴が涼しげに音を鳴らした。
俺はこの剣道場から一つ山を挟んだ向こうにある、別の剣道場の息子に生まれた。
今でこそ開けたが、当時山村であったから児童数は少なく、校区が広いため、この剣道場の現主『梅原 勝也』と同じ小学校で時を過ごした。
「うろな町、どこかで聞いたと思ったら、お前が越した町だったか」
だが、俺は中学前に家を出て、親戚の家へ越した。道場の跡継ぎにさせたがった、その道しか認めなかったオヤジからは勘当された。
その住んだ親戚の家がうろな町、投げ槍達に会った町だった。
「まさか、あのお使いの子供がお前の娘とは。言われてみれば、司って名だったな。その口の悪さは親譲りか」
勝也が睨むが気にはしない。
俺が肉屋の前で絶品コロッケを喰っていると、不審者でも見るかのような目つきで眺めていく、あの女……お使い少女にしては、確かにただ者じゃないと思ったが。
「刃傷事件起こしたらしいな、訴えない婿でよかったじゃないか」
「誰が婿だっ! 認めん、儂は認めんぞーー」
「良い婿だとおもうがな。うろなでは新任早々、それなりに成果を上げる話術に手腕もある。学校での生徒の人気はまちまちだが。基本はお前の娘が仕込んでいたみたいだし、『筋』は悪くないぞ」
「道場も継がなかったへっぽこカッパに何がわかる!」
「な、何だと! 今から刃傷事件をネタに訴えてやろうかっ」
互いに壁に置かれていた手近な竹刀を握り、防具もなしにがっつりぶつかる。
「体格ばかり良ければいいってもんじゃない」
「動きが鈍くなってるぞ、年齢には勝てんかっ」
メガネとスーツを投げ捨て打ち合っていると、時間らしく道場生が集まってきた。
ちんまいカッパと仁王を思わせる男が打ちあっている光景に生徒達は退いている。じゃれ合い程度でしかないのだが、少々刺激が強いらしい。
ある程度で切り上げると、
「魚沼さん、こちらへ」
そう言って嫁に座敷へ案内される。そこは道場の入り口などを開け放していると中が見えるようになっていた。どっかりと座って見学する。
かなりの生徒が居るようで、それなりに賑わっている。道場からの声や打ち合う音は安らぐ、昔に戻ったようだ。
畳んだスーツとメガネ、そして冷茶にタオルが差し出される。
「あの、司の……娘の夫になる方とお知り合いなのですね?」
「今、俺の知り合いの私的道場やら、町の猛者達を相手に稽古をつけてもらっている。若いから飲み込みも早い、昔の勝也がああだった。さすがに基礎が違うが、喰らいつく感じがよく似ている」
俺は道場で竹刀を振るう、皺の深くなった親友を見やる。
面も付けず、かなり厳つい顔で、門下生をぶっ飛ばしている。
「あれは鍛錬にはならん、だからと言って相手の稽古にもなっていない。迎え撃つべき敵を待って楽しく遊んでいるだけだな……たまには門下生に舐められない為にああいうのも良いだろう」
側で心配そうに玄関口で会った色白男が座し、やられた門下生に声をかけ、ケアを担当している。まだまだ腰が足りないが、いい準師範だ。そう育て、側に置ける道場主である勝也の腕や目利きは『本物』だ。
だからこそ婿となる男に掛ける事も、願う事も多かろう。
その辺り、わかっているのだろう、嫁は冷静にその様子を眺めていた。その目線を俺にやる。
暫く間があった後で、
「そういえば、魚沼さんもあちらをそろそろ引き継ぐんですか?」
「いや、俺は弁護士でやると決め、剣は捨てた男だ」
「この町を出てからも続けて……まだまだ鈍ってらっしゃらないではないですか。……こないだ刑が執行されたとききました。もう復讐は終わったのでしょうから……」
「四人だ」
ちりん、どこかで風鈴が鳴る。
「死者だけで……妹を含めて、四人死んだ。捌けたのはヤツ一人だ。復讐というなら剣を取り、早くに刺していれば死人も怪我人も少なかったやも知れん。それも、奴を落したいだけなら刑事か検察になるべきであったろう。俺が寄り添いたいのは被害者家族……癒えぬ苦しみ、あれは……死ぬまで消えん」
「申し訳ないです。おしゃべりが過ぎましたね、失れ……」
「おう、こんな腰抜けカッパと話している暇があったら、茶をくれ」
「はいはい」
いつの間にか道場から移動してきた勝也が、汗を拭きつつ、嫁と入れ替わりどっかり座る。俺はするりと立ち上がる。
「帰るのか?」
「何が楽しくて酒もなしにヤローと顔つき合わせてなきゃならん」
俺の背中に奴が言葉を放る。
「世の中おかしなもんだな、紙切れ一枚で他人が夫婦になったり、別れたりする。それを受け入れるこっちの気持ちなんて何にもありゃしねえ」
「……人を繋ぐのは気持ちだ」
「法で喰ってる奴の台詞じゃないぞ。だいたい何をしに来た」
「…………お前んとこの婿に仕込む機会を、先に預かったと言いに来ただけだ」
「婿じゃない、あんな男!」
「うぬ、自分の娘が選んだ男だろうに……まあ試合の日を楽しみにしておけ。清水……あの男は必ずやる」
俺が眼鏡をかけ、スーツを羽織る。
「その眼鏡、外してもそう思うのか?」
「ああ。若造だからと言って舐めてると、痛い目見るぞ。まあ、もうすぐ『おじいちゃん』だから仕方ないか、ははは。お前がおじい……ははははははっ……父親になったと聞いた時も笑わかせてもらったがなっ! そう言えば試合では主審を任されたぞ」
「何?! さてはあいつに肩入れする気……」
俺は眼鏡の隙間から幼馴染を睨んだ。
「剣は捨てたが、勝負の公平さを欠くほど堕ちてはいない。ま、親子ゲンカに付き合ってやるんだ。ありがたく思え。お前の負けた面、楽しみにしているぞ、お・じ・い・ちゃ・ん」
俺は視線を外すと大笑いしながら、茶を運んできた嫁とすれ違い、梅原家を出る。
「うおおおおおっ、けけけけ結婚もろくに出来ん奴に笑われるいわれはなーーーーい! 誰が負けた面だっっっ! あいつが負けたらお前を切り刻んで、カッパ巻きにしてくれるっ」
「魚沼さん、こんなこと言ってますが主人も喜んでいますので、また来てやってくださいねぇっ」
「喜んどらん! 目に物見せてくれるっ」
嫁の後ろでは更にヒートアップした勝也が、再び道場に駆け込む音が響いた。
次の春にはどうあがいても『おじいちゃん』となる、素直になれない幼馴染の家を一瞥し、俺はその場を去った。
YL 様『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』清水先生。司先生に梅原勝也・梓夫妻。師範代の河中賢治さん。
お借りいたしました。
問題あればお知らせください。




