続・入院一日目です
はーい? どちら様ですか?
夜だいぶ暗くなりました。
いろんな機械音やナースコールが鳴るのは聞こえるのですが、いつもいた森のような優しい音がしません。
キノコの歌も。
川が流れ、小動物が走るのも。
アリもいないし、ヘビ君も居ない。
降り注ぐ星の声も。
「仕事もやらなきゃ、入稿落したら仕事もらえなくなっちゃう」
せめて仕事が出来たら気が紛れるのだけど。ダメって言われるよ、きっと。
まだ起きちゃダメと言われているけれど、部屋の中なら良いよね。
電気を消して、窓を開けます。
風が室内に吹き込みました。これは大変気持ちが良いです。
ふうわり。
風がゆっくり吹き込みます。結構高い所なのに、その風に乗って黒い蝶が舞い込みます。
「え? お見舞い来てくれたの? ありがとう」
蝶は最大の敵(虫)の一味でありながら、私によく懐きます。こないだはアリも助けてくれたし、一味であっても仲良くなれるモノが居るのだなと思いました。
その時、扉がトントンされました。
看護師さんだったら怒られるな、そう思います。それも折角来てくれた蝶、見つかったら殺されてしまうかもしれません。でも返事をしないワケにも行きません。
「はい」
焦りながら「こっちへおいで」と招きよせ、外に追い出そうとしますが、風が室内に向けて入ってくる上、扉が開いた事で更に室内側に吹き付けます。カーテンが揺れます。
私は蝶がそちらに流されないよう、黒い翅を傷つけぬよう手で包み込みました。点滴が抜けなくてよかったです。ちなみに日中、二回抜いて看護師さんから「夜間は抜かないで、血管が細くて取りにくいから」と懇願されてます。
「あれ、ユキさん、寝ていた?」
「大丈夫ですけど」
「なら電気付けるよ?」
看護師さんではありません。でも面会時間は終わったはず。
滑る込む様に入ってきて、風をものともせず扉を閉めたその人は、止める間もなく手探りで電気を付けます。
二つボタンがあるのですが、それでまずついたのは非常灯。
私の方からは黒いシャツに洗いざらしのジーパンを穿いた男性がちょうど見えました。
身長が高く、体がガッチリしています。優しそうな顔にも見えるけど、眉が太いせいかどこか強い印象を残す彼。室内に吹き込む風に柔らかそうな髪が揺れます。
見た事ある、けど。
「誰? でしょうか?」
私がそう言った途端、彼はがっくり肩を落とし、顔を伏せてしまいました。
仕方がない、そう言った感じで、ズボンの後ろポケットから帽子を取り出します。その帽子は白地に緑の大きな水玉模様、それを被ってみせて、よくわかりました。
「賀川さん!」
「…………………………………………時貞、です。まあいいか。電気、暗いね」
そう言うと、彼はさっき押したボタンの下を押します。
手の中で蝶がバタつきます。私は焦って、半分体を外に出しながら蝶を空に放りました。
「え」
今まで私がよくは見えていなかったのでしょう。室内がぱあっと明るくなった途端、笑ってくれるかと思った彼の顔が引き攣ります。
今日はこういう顔、見飽きたんですが。風のおかげで良い気分だったのに、一気にテンションダダ下がりです。
「なななな何やっているだよっ! ユキさん」
「なあに?」
ふわっと体が浮いた気がしました。
いや、地面から足が離れていて、外に体が投げ出されるのがわかって、あれ? って思いました。
彼が私の手を必死に引きます。気付いたら窓辺から室内へ舞い戻っていました。
夜闇に蝶が溶け込んでいくのを私はぼんやり眺めます。
「よかった」
「何が良かったの?!」
そんなに距離はなかったけど、全力疾走でもしたのか、酷く賀川さんは息を切らせていました。
と、いうか、この部屋、特別室って言うらしく、少し広いのです。普通の個室の倍はあるのにベッドは一つ。
そして今、入り口にいた人が、ベッドを挟む様にして向こう側、一番奥の窓際までそんなに早く動き、身を乗り出した私の手を引けるモノでしょうか?
「……まあ、引けたのだから、いいかなって」
「ちょ! 良くないだろっ、ここ五階だぞ、落ちたらどうするんだ。窓、何でこんなに開く!」
少し間が空いて、彼は、
「これは…………ストッパーが壊れてる?」
「ガチャってやったら、開いたけど…………離して」
その台詞で、賀川さんが私を抱いた状態で座り込んでいる事に気付いたようです。
彼はサッと私を離すと、容赦なく、窓を閉めてしまいます。向き直った彼の顔はまだ引き攣ったままでした。怒りさえ感じる色が漂います。
私は居心地の悪さにどうしようか迷って、とりあえず話題を変えるべく、
「昨日は、面倒かけたみたいでありがとうございました」
ずっと世話をしてくれていたのを、おぼろげながら覚えていてお礼を言います。面食らった顔をしながら、彼は顔を歪ませ、
「…………ユキさん、お願いだから、もう少し考えて行動して」
私の肩に手を置いて。そう言う彼の手は微妙に震えていました。
いつもいろんな荷物を運んでいるその手は武骨でしたが、大きくて暖かいのでした。私には縁のない男性の手でした。
もう、窓が開いていないので、そこにいる理由もなくて、その手を振り払ってベッドに座りました。彼に一応目で椅子を勧めます。
「で、何か用事ですか?」
「え、えっと、お見舞いに来たんだけど」
「時間外です」
「あ、ごめん、仕事があるから、来れるのはこのくらいなんだ……手ぶらでゴメン」
「……そう」
「何かできる事はない?」
「……ないけど」
お話は梅原先生が聞いてくれたし、森に置いてきたパソコンが欲しいけれどフリーズしていたはず。それでも持って来てって頼みたかったけど、昨日の今日だから無理かな?
窓も閉められて不機嫌だったので、私はゴソゴソ横になります。
「病院、慣れた?」
もう帰りたい、そう言いかけたけれど。梅原先生には話を聞いてもらったし、賀川さんは大騒ぎでここに連れて来てくれた人の一人。彼らが居なければ今日はなかった事ぐらいは私でも分かります。
だから「帰りたい」と言えなくて、でも「慣れた」とも言えなくて、賀川さんに言葉を投げます。
「仕事大変?」
「う? まあ、普通、かな?」
私は知りませんでしたが、昨日、森に入る時間の為に彼は先輩にヘルプを頼んだのです。
その事で彼には結構な量の仕事や、いつもはしない仕事をこなす羽目になっていたようです。でも彼はそれを言いませんでした。
「でも……」
それでも私は気になって起き上がって、賀川さんの顔を覗き込みます。自分の白い髪がさらさらと落ちます。
賀川さん、少し顔が赤い気がします。
熱があるみたいな、目が少し潤んでて、どこか苦しそうにさえ見えました。
昨日、無理させたのだろうし。
……きっと具合が悪いのでしょう。
「早く帰って」
「は?」
「もう、帰って」
そう言って、布団をかぶって背を向けます。
賀川さんは何か言いたげでしたが、立ち上がります。見下ろされると怖いぐらいの身長ですが、眼差しは優しいので、それほど嫌ではありません。
立ち去り際に、
「また来てもいいかな?」
そう言われて、点滴のルートを踏まない様にグルンと体を向け、
「電気、消してくれるなら」
眩しかったのでそう言うと、彼は少しだけ笑って、
「おやすみ、ユキさん」
そう言って帽子を拾うと電気を消して、ゆっくり出ていきました。
噛み合っているのか居ないのか。
次の更新は月曜以降かなと思います。
明日、明後日は私がお出かけですので。




