焦心中です(紅と白)
何で、苦しいの?
息が苦しい……
地面に倒れたそのまま、立ち上がる事も出来ずに。
それもその筈、何か……いや、誰かに口を塞がれている感覚がしました。自分の中の『気力』みたいなのが、吸い上げられている感覚で何がそうしているのか気付いた時、全身が総毛立つ気がしました。
だって、私、誰かにキスされてる。
賀川さんじゃない……あの真っ黒な彼の与えてくれる優しい感覚ではありません。ただただ生理的嫌悪感だけが込み上げて来て、涙が伝います。そのまま首を絞められているのか苦しさが倍増し、押し付けられる感覚に動揺すればするほど嬉しそうに『ソレ』は私を吸い上げていきます。
僅かに口を離してくれた隙に、私は『ソレ』の名を呟きます。
『ああ、前鬼お兄様……?』
にやり、刺す様な痛みを帯びる笑いを私に向けます。
『美味い、ぞ。雪鬼……いや、巫女か』
『私は雪姫な……んっ』
やめて、そう言いたいけれどまた口も塞がれ、首が絞められてはどうにもなりません。全身を使って拒否したくとも、痺れたように言う事をきかないのです。
首の傷を抉るように指を突っ込んできて、痛みに仰け反るけど、声になりません。
そうしている内に次第に頭の中がどろどろして、ぼーっとしだして、苦しいのにその中で淀んでいた方が返って気持ちいい感じがして。
流されちゃ、ダメ、そう思った時、
『ちっ、邪魔な紅い小娘め……』
そう呟く声がして、重みと苦しみが和らぎます。
そして誰かが私をそっと撫でてくれる暖かい感覚がしました。
お風呂でベル姉様が髪を洗ってくれた時の……髪を梳いてくれた時の、安らぎのある優しい感覚……ベル姉様、私の事、心配してくれてるんでしょうか?
すがるような気持ちでそちらに意識を流すと、暖炉の様に暖かい視線を感じて目を開けました。
「雪姫、大丈夫か?」
「ベル……姉様……」
何とかベル姉様の名前を口に出来た気がします。でも……意識が薄らいで……
あれ?
気付いたら今さっきまで賀川さんが居たベンチに寝かされていました。
地面に手を付いて……誰かに変な事をされた気がした後、記憶が途切れて……あれ……
今まで意識を失った気はなかったのに。ここまで……具合が悪くなる事はなかったのですが。
ベル姉様がこちらを見下ろすようにしていて、心配そうです。
何か、何か言わなきゃ、心配するよね。それなのに何の言葉も出て来なくて、口の中が苦いので随分顔が歪んでいるかもしれません。
「わた、し……」
何とかそこまで言って、私を見るベル姉様が何だか普通にない位置にある事に気付き、
「えっ!? べ、ベル姉様!? す、すみません、すぐにどきますっ」
「駄目だ雪姫、急に体を起こすな」
そう、私お姉様の膝枕で寝ていたのです。
慌てて体を起こそうとしますが、ベル姉様は私にそのままでいる様に言います。
「お前はあの後。急に倒れたのだ。雪姫、もう限界だよ。気休めにしかならないが病院に行こう。点滴でもしてもらえれば、水分や栄養は体内に入るはずだ」
この頃、口の中に食べ物が通りません。それに気づいていたようで、ベル姉様はそう言いました。
でも気休めと言う事は、それでは治らないと言う事。
それがベル姉様にはわかっていると言う事。炎を操る力を見てから、たぶんそんなのがわかっているんだろうなと薄々感じていたので、驚く事はありません。
私はベンチに腕を付いて体を起こし、静かに、ベル姉様の心の負担にならぬように聞きます。
「根本的な解決にはならないって事ですよね? 私、一体どうなってるんですか?」
ベル姉様はその質問を受けて、炎のように滾る瞳を細くして、私を見ます。どんなに気を使った所で、ベル姉様は不快そうでした。そして流石に口にせねばならないと言った感じで、
「信じるかはわからないが、その首の傷、ソレには『呪い』がかかっている」
呪い、その音に聞き覚えがあります。
『だがもし元に戻ったら……呪ってやるからな』
『美しい鬼となれ。我に仕えよ』
期待に添えなかった私には死を。
「そう、ですか」
毎晩、毎晩、見る夢で、記憶のなかった日々が埋まって。汐ちゃんの言葉で、それらがただの夢ではないと私もわかっていたから。割と納得できてしまい、そう言って私は笑いました。
「雪姫、何を笑っている?」
「許してくれないでしょう、ね」
「何を……」
「お兄様もお姉様も、あの老人も必至で私を『鬼』にしたかったみたいなのです。利害の為にとは言え、まるで仲間のように、いえ、家族のように気にかけて扱ってもらいました。でも、応えられなかった。だから私の裏切りを許さないでしょうね」
ベル姉様が表情を変えます。
「雪姫、まさか、そいつらの仲間になりたかったのか?」
私は首を否定に振り、でも深く息を吐きました。
「仲間になんかなりたくなかった。それでも大切にしてもらったのは確かです。どこかに曲がりなりにも愛情を感じて、私は喜んで愛していたから」
自分の口の端から漏れた笑いを思い出します。
立場が変われば善も悪に、悪も善に変わります。彼らは今の私にとっては悪です、いろんなモノを好き勝手に傷つけるなんてよくはありません。でもあの時の『私』の中では彼らが唯一だったのです。
彼らからすれば、牛や豚を切って、お魚を干物にして、お店に並べて売っている事の方がよっぽど酷いのかも知れません。
だから、本当に悪だったのか、私には判断はつきません。
欲しい物を欲しいといい、それを所持する者から奪うのは、この世の中で繰り返される事。勝てば官軍、でも私がそれに手が貸したいと思ったわけではありませんでしたが。
誰かから強引に奪って生活するより、私が望むのは……必要に応じ必要なだけを手に入れ、ただ静かに暮らしたいだけ。でもその人達にとっての『必要』が多ければ争いが生まれるのです。
その時、奪う側に居るのか、奪われる側に居るのかは、巡り合わせによる所が多いでしょう。誰が敗者で、誰が支配者となるのか、その風向きで、立場は大きく変わるのです。
「お前、何かに利用されて、こんなワケのわからない呪いをかけられて、尚、愛していたと言えるのか。でも、奴らのそれはけして愛じゃない。愛情ある者にこんな呪いなんかかけるものか。ただ利用しているだけ……」
「それでも、です。ベル姉様」
「恨まないのか、自分の親友を傷つけたとそんなに苦しんでいるじゃないか。毎晩、毎晩……」
ベル姉様の言葉に、私はどうしようもなくなります。毎晩のように夢を見ていたから、唸ったりしていたのでしょうか? それはきっとベル姉様を煩わせていた事でしょう。それに謝りながら、
「悪いとすれば私です。彼らを完全に拒否できなかった、力のない私が悪いのです。恨むとすれば自分自身になります。でも誰を恨んでも始まらないのです」
ベル姉様は呆れたかもしれません。
「彼らが何処に行ってしまったのかわかりません。でも次に会えたらお話しようと思います。殺して奪ってじゃダメだって。だってそんなの悲しいだけでしょう?」
「こんな事をする奴らが、そんな話など聞くものか!」
噛みつくような勢いでベル姉様が私の話を否定しますが、私は本気です。じっとベル姉様を見ます。
頭が煮えて、何も考えられない程辛いので、こんな言い争いなんてしたくないのですが。
そして大切な事を聞かねばなりません。
「でも私、そんな事を告げる暇もなく、すぐに死にますか?」
一度はこの手から放そうとした命です。
親友に救ってもらった大切な。だからここに長く居るのが務めですが、出来ないならば出来ないなりに私に出来る事を探さねばなりません。
私は汐ちゃんの『皆幸せになる権利があるの。求める事は、自然な事なんだって』その台詞を思い出しながら続けます。
「二週間、賀川さんが戻ってきて、好きになったと話をするまで。私は生きられますか?」
ちょっと前まで座っていた彼は、居ない。求める事は自然でも、求めた時に居てくれない彼を、私は待てるのでしょうか?
彼の声が聞きたいと思いました。でも追いかけようにもそれだけの体力も気力も今ありません。
ぎこちない、けれど私への笑みが戻った賀川さん。言葉が見付からないのか、俯いたりしていましたけれど、やっと前と同じようになった感じがしたのに。
……他の人と、キス、してた。
ソレも気になるけど。
今は、ココに居て欲しかった……
さっき彼がベンチに残した暖かさは、私の体温と混じってどれが彼のモノかわからないけれど、どこかに彼が居る気がしてそっと指で触れます。
ベル姉様は息を飲んで、僅かに逡巡する間を挟み、
「すぐには進まないと聞いた。つまり、解呪の時間は十分にある」
沈んでゆく夕日の残り火を眺めながら、強い赤の意志を込めて姉様は言うのです。
「ベルが解いてやる、大丈夫だ。問題ない」
「はい、信じています。ベル姉様」
私は穏やかな気持ちでそう言います。
ベル姉様は私の為にそう言ってくれるのでしょう。だって解く方法がわかっているなら、すぐにでも『解き』にかかるでしょう。でもしないと言う事は、恐ろしく難しいのか、何か必要なモノが足りないのか……もともと解く方法などないのか。
優しい姉様です。
解けない、など、そんな冷たい事を私に言わないでしょう。
『最後』まで迷惑をかけてしまう事に、信じる事でしか答えられない自分に苛立ちます。
私は賀川さんの温もりが残るベンチを、離れがたく思いながら、立ち上がり、歩き出します。
「おい、雪姫。そっちは家じゃないぞ」
「森に行きます。私の家があるのです。このまま帰ると、タカおじ様達に心配をかけてしまいます」
「この期に及んで、心配も何も……」
「森に行きます。調子が良い時はそこで少しでも絵が描きたいのです」
「雪姫、少しでも安静にしてくれ! 頼むから……!」
「森に、行きます。ベル姉様」
ふらふらしながら、向かい側のバス停に移動します。
一枚でも多くの絵を描いておきましょう、賀川さんが帰って来た時に見せたら驚くぐらい。私の絵を見る時の彼の唇には必ず微笑があるから。
「……雪姫は本当に意志の強い娘だな」
「そ、そんな事ないです」
「くふふ、自分の思いは曲げようとしない…………ベルは嫌いじゃないぞ、そんな妹が。わかった。こうなったらベルもとことんまで付き合おう。それが、『姉』としての努めだ」
振り返ってみると、ベル姉様は優しく私を見守るような表情で見つめてくれていました。
三衣 千月 様 『うろな天狗の仮面の秘密』 より、前鬼 後鬼 小角様。
銀月 妃羅様 『うろな町 思議ノ石碑』より、無白花ちゃん 斬無斗君。
朝陽 真夜 様『悪魔で、天使ですから。inうろな町』より、ベルちゃん。
小藍様 『キラキラを探して〜うろな町散歩〜』より、汐ちゃん。
お借りしております。(具体的にお名前が出ていない場合もあります。)
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少しずつ首を絞めだした夏の『呪い』…




