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うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話  作者: 桜月りま
8月23日

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森・移動中です



ゆっくりと歩み寄る



 








 車で二人きり。

 助手席に座った彼女は俺をチラッと見たが、その後は車窓を眺めて楽しそうに町の様子を眺めている。気のきいた会話など何もない。けれど、彼女を出来るだけ無視しながら側で過ごしていた時のように、彼女は物言いたげに押し黙ったりしていない。

 体調不良の為に気怠い感じはあったが、頬が自然に緩んでいて、好奇心旺盛に赤の瞳はくるくると活発に町を映していた。

 同じに『黙っている』。なのに、『重さ』を感じない。

 それでやっと俺の態度が彼女を悩ませていたのだと気付く。彼女の事を一番に考えているようで、俺は彼女を何も見ていなかったんだと反省する。俺にまで心を傾けてくれる、彼女の優しさにいつも甘えていたのだ。

 彼女は恨み言も文句も何も言わない、ただ態度を軟化させた俺にすこぶる機嫌がよさそうだ。



 彼女が本当に俺の事を見てくれているのか、好きになってくれているのか、確証はない。

 本当に好きになってくれているなら……彼女の事を第一に思うなら『自分を嫌わせる』方がいい、人柱と言う存在にさせないためには。

 だけどベルさんは言った『お前の望んでいる世界は……暖かくて光や色に満ちた世界じゃないのか』、と。見当外れな場所を守ろうとしていると言い切り、俺に火を付ける。

 その火は苛烈なようでいて、とても暖かくて。

 そして火は灯りとなり、夜闇を歩んできた俺の足元をゆっくり照らす。そうすると彼女へ辿り着く道が細く見えて来て。見えないフリして目を閉ざそうとしていたのに、見えてしまったその道を確かなモノにするために、俺は何かないかと考えたり、どこかピアノを弾ける場所がないかと思い、休みまでを取ったりしていた。



 そうしながら俺は思ったのだ。

 誰かが彼女から愛されて、いずれ人柱となる条件が揃うなら、その相手が自分でもいいのじゃないかと。

 ベルさんから『誰かの事』をユキさんが、『既に愛している』と聞いた時の衝撃は相当だった。覚悟していたそれを遥かに超えるほどに。誰にも渡したくないと思った、はっきりとそいつに殺意を抱いた。宵乃宮がどうだとかいう前に、俺がそいつを手にかけそうだと想像するほど。

 ただ俺は、そんなに『綺麗』じゃないから、新雪のようなユキさんを土足で踏み荒らしたようにしたくない、そんな気持ちもあって。

 頭の中ではもう組み敷いて、首筋に愛の証を付けて。誰の手にも渡したくないからずっと側に置いて。放したくないのに。

 首筋と言えば、この頃ハイネックを着ている事が多い気がする。あれは俺の欲望抑止力になっていいかもしれない。



「賀川さん、難しい顔してます」

「あ、何でもないよ。久しぶりに『ピアノを弾いた』って気がして」

「でも剣道大会の時も……」

「あれは弾いたって言わないな。鍵盤を叩いただけだよ」

 それにしてもいつ振りだろう。人の為に、限られた者の為にピアノを奏でるのは。

 何度か飼い主に命じられたり、バーで頼まれてかき鳴らしたりはあっても、その時に心を込めた事は一度としてなかった。いや、今までの生涯の中で、母と姉にと奏でたモノ以上に重要かつ意味のある演奏に俺には思えた。

「どちらも凄いなって思いましたけれど。今日の音の方が私は好きでした」

 よかったな、そう思ってもらえて。

 俺は自然に彼女に笑いかける。うまく弾けたわけではない、だが思いだけは籠っていたはずだ。

 彼女は俺を見て、ただ何も言わないで笑っていた。伝わったのだと思っていいだろうか?



 森の近くの駐車場に白い車を停めると、真白の彼女がするりと車から降りて、森を眺める。

 蜻蛉がユキさんの近くの棒切れに停まる。

 彼女が何か言っていたが、小さくて聞こえない。たぶん蜻蛉と喋っていたと思われ……と言うか、俺は彼女が虫と交信が出来るのを完璧に認めてしまっているのに苦笑する。一応リアリストなつもりなんだけれども。

 彼女の言ったりしたりする事なら、何の苦も無く信用してしまう。そんな自分がおかしかった。



 俺は彼女より少し前を歩きはじめる。

 いつもはふわりふわりと重力を感じさせない動きをする彼女が少し鈍い。俺は僅かに振り返って、彼女の左手を取った。微かに目を見開いて、その視線を逸らす彼女。それでも手を振り払わないのを確かめてから、俺はしっかり、ゆっくり彼女を連れて行く。

「大丈夫、なのか」

「……はい。ありがとうございます。今日は嬉しいです。綺麗な曲を聞かせてくれて。森にも付き合ってくれて」

「そ……」

 そんな事ではなくて、ユキさんの具合について聞きたかったのだが。いや、褒められてうれしくないわけではなかったが、今はそんな事よりも……聞こうとしたけれど、それに被せるように、

「あ、賀川さん」

「何?」

「これで白猫ちゃんの代わり、終わったわけでは、無いですからね?」

「え? モノの方が良かった?」

 射的の猫、今回ダシに使ったそれ。やっぱり鞄とか、アクセでも用意しておけばよかったかなと思ったが、



「……………………いえ、またピアノ。……弾いて下さい」



 そう言われて振り返ると、今までつないでいた手をふいに放す彼女。

 目が合って照れたようだ。

 もじもじした感じで、両手を後ろに組んだユキさん。恥ずかしそうに、そしてゆったりと笑う。ふんわりと広がった白のシフォンワンピ、濃い黒のハイネックの姿。森の光に調和するその姿に、俺は引き込まれそうな気分になる。



挿絵(By みてみん)



 俺は手を握れなくなったので、彼女に纏わりつく風の様に、そっと彼女の肩に片手を回す。突然包まれた彼女は驚いたような顔で俺を見上げた。できるだけ笑ってから、

「こないだの豪雨で足元がまだ悪いから、支えさせてくれ」

「あ、あり、がとうございます」

 取ってつけた様な説明に彼女は礼を言う。本当は少しでも近くに居たかっただけ、うまく笑えているだろうか? 大丈夫だとふり払われなくてよかったと思いながら。ポツリポツリと取りとめのない話をする。

「ユキさん、どんな曲が好き?」

「音楽は余りわかりません。でもさっきの賀川さんのピアノは金や銀の雨が降ってとても美しかったように思います」

「雨?」

「はい、途中だいぶ降って、道に迷ったようでしたが、ちゃんと目的地に辿りつけたようで、よかったです」

 ユキさんが口走るのに驚く。



 弾いた曲は雨を取り上げた作品、結構有名であり、難しい曲ではないが、彼女はそんな事は知らないだろう。まるで目の前でそれが起こった事の様に話す彼女の細い肩を感じる。

「作曲した人は病気でね。これはそんな中、雨音を聞きながら、大切な人を待つ時に作ったと言われているんだ。雨は激しくなるけれど、その人は無事に帰ってくる、そんな曲だよ」

 何があっても彼女に帰って来て欲しい、何もないのが一番だけれど。

 あの喫茶店で昨日も練習させてもらって。幾つも思い出せる曲を弾いたけれど。朝、ピアノに座る直前まで、何にしようか考えて。自然に弾いたのがこの曲だった。

「そうなのですね。音が雨の様に、そして太陽がそれに反射して光って見えたから」

 ユキさん……何とも不思議な人だと思う。

 俺が思い描いて弾いている光景、それを通して作った人のソレまでが見えているのかもしれない。それくらいにはピアノに気持ちが乗っているのだろうか? そうだといい。それはピアノを弾く者として最低にして最大の課題だ。そんなふうに思った。










 小屋に入った後は、ユキさんの後ろでずっと絵を描く様子を眺めていた。

 俺が射的で獲った、黒い犬のぬいぐるみはイーゼルに引っかけられている。その近くにカマキリがいる。

「いつもいるんだね、この子?」

「前の子じゃないです」

 ちょっと寂しげに言うユキさん、個体の違いまでがわかるのかと驚きながら、描いて置いてある絵をゆっくりと見る。彼女の絵を運ぶ事はあっても、こうやって彼女の絵を眺めるのは余りない機会だ。

 ユキさんは絵筆を動かし、じっくり絵具を混ぜている。

 彼女の手つきや絵を眺めていると、音が勝手に組み上がって、ピアノがまた弾きたくなった。

「君の絵を見てるとピアノが弾きたくなるよ。ユキさん、ピアノ弾いたら、本当にまた聞いてくれる?」

「え? いつですか?」

 嬉しそうにそう聞かれて、明後日夕方には日本を出る事を思い出す。

「そう言えば研修でうろなを暫く離れるんだ。帰って来てからまた……」

 せっかくの嬉しそうな表情が曇るのを残念と思いつつ、明後日の何時頃に出かけるか、話そうする。

 その時、窓から蜻蛉が飛び込んで来た。蜻蛉はカマキリを警戒しつつ、少し離れた筆の束の上に降り立つ。



「……と、とんぼ君、何だって?」

「え、あ、はい、森に誰か来ているみたいです。誰かまではわからないですけれど」



 聞いてみると、本当に話しているらしい。やはり、何だか変な感じだ。まるで虫が斥候のようだ。そんな事を思いながら、俺は、

「さて、ユキさん。俺行くね?」

「え?」

 まだ話していたそうだったけれど、俺はさっとアトリエ部屋から出る。土間に脱ぎ捨てた靴を履いて居ると、彼女は後ろに、とてとて付いてくる。

「邪魔しても悪いし、少し外に出ているよ」

「じゃ、邪魔じゃありません」

 う、嬉しい事を言ってくれるが、今は少し外を見回った方がいい気がした。誰かが来ている、そう言うなら本当に誰かが来ていると思われた。悪意がなければいいが。

 それにしても俺が荷物を取りに来た時も、こうやって俺の存在を虫達は知らせていたのだろうか。



 まだ居て欲しいと言う彼女の表情を断る為に、

「俺、少し絵具の匂いに酔ったみたいだから。すぐ戻る」

 そう言うと、納得してくれたようだ。付いて行きたげだが、それは遠慮してもらうために目は合わせない。

「それじゃあユキさん、ちょっと散歩に行ってくるよ」

「あ、はい。気を付けて行ってきてくださいね」

 彼女は俺の背に手を伸ばしかけて、引っ込めていた。

 それを目の端に収めながら、俺は巡視に向かった。





何も語らずとも繋がる。

ほわん、と、幸せな時……

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