41・厄介な男①
ウィリアム様たちと共に仕事をし、夕方はウィリアム様と穏やかに会話をして家路に着く。そんな平和な日々がしばらく続いた、ある日の夜のこと。
「……ん?」
いつものように仕事を終えて屋敷へ戻ってきて玄関扉の前に立った私は、何やら違和感を感じて首を捻った。
――なんか、家の中で言い争ってる?
微かにだが、私のいる外にまで言い争っているような声が聞こえてくるのだ。
我が家がそれなりに賑やかなのはいつものことではあるが、それとはまた雰囲気が違うのは明らかだった。
――とりあえず、入ってみようかしら……。
違和感を覚えるが、このまま屋敷の外にいてもどうにもならない。私は恐る恐る玄関扉を開けた。
「だから、お嬢様は今屋敷にはおりませんと、申しているではありませんか……!」
「そうそう! それに、あなたなんかにお嬢様は会わせませんわ! この浮気男!」
エントランスホールで声を上げていたのは、我が屋敷で働くメイドと執事長。
メイドは掃除でもしていたのか、モップ片手にキーキーと高い声で反発心あらわに言い返している。
彼らの向かいには、一人の男がいた。
恐らく、その人物と言い争っているのだろう。
私の位置からでは、男性は後ろ姿しか見えない。ひとまとめにした長い焦げ茶の髪の男性だ。その後ろ姿、なんだか見覚えがある気がする……。
――もしかして……シュミット様……!?
後ろ姿で誰だか勘づいてしまって、私は反射的に顔をゆがめた。
メイドや執事長が毛嫌いして騒ぐのも当然だ。悪魔も泣いて逃げるほどブチギレていた父ほどでは無いものの、使用人たちも私の婚約破棄事件の際に同情して怒ってくれていたのだから。
「ソフィの屋敷の使用人たちは、頭が固いしうるさくてかなわない! 使用人の分際で、僕とソフィの仲を邪魔しないでくれ!」
――ああーー……。間違いなくこの声はシュミット様だわ。なんでここにいるの?
男性がこちらを振り向かなくても、聞こえてきたその声だけでシュミット様なのだと確信を持ってしまった。
屋敷へ響き渡るシュミット様の大げさな言い回しに、私はこめかみを押えてしまう。
「はぁあ!? 何を寝とぼけた事を! 寝言は寝ておっしゃいなさい!! お嬢様を裏切って捨てたのはあなたの方でしょう!?」
メイドはシュミット様の応対で、完全に頭に血が昇っているようだった。
一応シュミット様が我々より格上の侯爵家次男だということをメイドはすっかり忘れているのか、すべてメイドが言い返してくれている。握りしめたモップを今にも振り回しそうなのが恐ろしい。
「あっ!」
その時、メイドが入口に立ったままだった私の存在に気がついたのか、小さく声を上げた。
それに反応して、シュミット様が私の方へ振り向く。
「ソフィ! 待っていたんだ! 僕が来たことに気づいて戻ってきてくれたのか!?」
相も変わらず、シュミット様は自分の都合の良いようにものごとを解釈しているらしい。
私を見てぱあっと笑顔になったシュミット様は、眉間に皺を寄せている私の元へ駆け出してきた。
――何!? こっち来ないで!?
「ソフィ、聞いてくれ。ブランカは君よりも話が通じない女性だった」
私の元へ駆け寄ってきたシュミット様は、まるで自分が被害者とでも言うように大袈裟な仕草で嘆いた。
――いやいやいや、話が通じないのはシュミット様の方でしょ!?
決して口には出さないものの、私はシュミット様の発言に心の中で盛大につっこみを入れる。
以前ブランカ様とシュミット様の喧嘩を目撃したが、私からすれば圧倒的に話が通じないと思ったのはシュミット様の方だ。
ブランカ様の心情はまだ共感できたが、シュミット様へは全く共感ができそうにない。
仮にも恋人だったはずのブランカ様へ嘘をついていたのは言語道断だし、女性をアクセサリーのように思っているシュミット様とは一生分かり合えないだろう。
「僕には君が必要だったんだ! 目が覚めた! よりを戻そうじゃないか!」
「……はぁ」
私は久々に対面したシュミット様の圧にげっそりとしてしまっていた。
私が胡乱な視線を向けているのをものともせず、シュミット様は身振り手振りを交えて力説してくる。まるで舞台役者気取りだ。
「間に合っているので結構です」
――シュミット様とよりを戻すとか勘弁してよ……!!
私にはもうウィリアム様がいるし、もしウィリアム様のことがなかったとしても、シュミット様とよりを戻すつもりなんて欠片もない。
きっぱりとシュミット様へ告げた私に、シュミット様は大きく目を見開いてショックを受けたように体をわななかせた。
「なんだって!? そんなわけは無い! 君には僕しかいないだろう!?」
シュミット様は信じられないとでも言いたげだった。
私の腕を掴もうとしてか、シュミット様が腕を伸ばしてくる。
その時、私の後ろにある玄関扉が開いた。
「――人の屋敷で、何を騒いでいるんだ」
「お父様!」
振り仰ぐと、厳しい顔つきをした父がそこにいた。どうやら今、仕事を終えて屋敷に帰ってきたらしい。
父は睨むような目付きでシュミット様を見下ろしている。
「今更エディンの次男が、我が屋敷に何の用だ」
「いやー……ははは」
さすがは現役騎士団長と言うべきだろうか。元々大男なせいもあって父の威圧感は凄まじい。それに加えて、シュミット様のことを未だ許していないからだろう。
シュミット様は父の圧迫感に気圧されてか、冷や汗をかいている。
「出ていけ」
父は一言そういうと、容赦なくシュミット様の首根っこを掴んで屋敷の外へたたき出した。
――さ、さすがお父様だわ。
私たちの前では陽気で優しい父。そんな父の、敵には容赦をしない騎士団長の一面を垣間見てしまった。
「ソフィ、大丈夫だったか!? 嫌なことはされていないか!?」
がちゃと玄関扉の内鍵を閉めたあと、父はくるりと振り返って私の両肩をつかんだ。
心配そうな様子で顔を覗き込んでくる。
「え、ええ……」
私は父に返事をしながらも、シュミット様のことを考えていた。
シュミット様は、結局何故屋敷にやってきたのだろう。
私とよりを戻したいと言っていたが……。
「旦那様! あの浮気男、急に屋敷へ押し入ってきたんですよ! 警備も固めましょ!」
「そうだな……」
――なんだか、嫌な予感がするわ……。
屋敷の警備について話し合う父たちの横で、私は不安な思いが湧き上がってくるのを感じていた。




