32・ブランカ様
ウィリアム様と共に、視察で王立劇場へ訪れた日の翌日。
城で働く貴族用の休憩室で昼休憩をとった私は、ため息をつきながらウィリアム様の執務室へ戻ろうとしていた。
なぜため息をついているのかと言うと、ウィリアム様と話すのが少し気まずいからである。
午前中はウィリアム様も仕事をしていたからそこまで困ることはなかったが、問題は午後だ。ウィリアム様は自分の仕事を午前で終えているので、いつもの通りならば私の方を見てくるだろう。
今は、それに上手く対応できる気がしなかった。
ウィリアム様を意識してしまって、というのもあるのだが、それよりも今は罪悪感の方が強い。
昨夜、着飾った私と執務補佐官の私が同一人物であるとバレてしまったことにより、結果的にウィリアム様を騙すことになってしまった罪悪感。
――ウィリアム様は「怒っていない」って言ってくれたけど……。
どうしても気になってしまうのだ。
――って、あれ……。廊下の向こうから歩いてくるのって……。
私が考えながら執務室へ向かっていると、見覚えのある人物が向かいから歩いてくるのを見つけた。
銀の長髪に、美しいドレスを身にまとった女性――あれはブランカ様だ。
ブランカ様も私に気づいたのか、長い銀髪を揺らしながら真っ直ぐにこちらへ向かってきた。
「ソフィリアさん、お久しぶりね」
ブランカ様は私を見て、困ったように微笑んだ。
こうやって対面すると、改めてブランカ様は美しい方だと思う。
ブランカ様は、今日はどうして城にいるのだろうか。
「ブランカ様、どうしてこちらに?」
「今日は、父へ同行しただけですわ。父が陛下に御用がございまして」
私が尋ねるとブランカ様は隠すことも無く答えてくれた。
「先日は、みっともないところをお見せしましたわ」
言いながら、ブランカ様はふっと視線を落として苦々しく笑った。
先日シュミット様とブランカ様が口論をしていたことを言っているのだろう。
恥じているような様子を見せるブランカ様に、私も頭を下げた。
「いえ、私の方こそ、覗き見る様なことをしてしまってすみませんでした」
謝罪の言葉を口にした私に、ブランカ様は一瞬紫の瞳を見開く。それから、少しだけ微笑んだ。
「少し、場所を変えてもよろしくて? あなたと話したくて」
「え、ええ」
まさかブランカ様と直接話す機会がくるとは思わなかった。
断る理由も思い浮かばず、私はブランカ様の誘いを受ける。
私が頷くと、ブランカ様はほっとしたように微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
ブランカ様と共に城の前庭へ向かう。
外は暖かな午後の陽気に包まれていた。天気も良いし、昼寝でもしたら心地いいだろう。
――そういえば最近、ウィリアム様は昼寝をしているのかしら。
ふと一瞬そんなことを考えたが、ブランカ様が声をかけてきたために私が考えていたことは霧散していった。
「ソフィリアさん、あの時はごめんなさいね。あなたから、シュミットを奪うような真似をして」
「え!?」
――奪う!? いやいやシュミット様を引き取ってくれて助かったんだけど!?
神妙な顔つきでブランカ様に謝られて、私はぎょっとしてしまった。
奪っただなんてとんでもない。
私はシュミット様の対応にうんざりしていたので、解放されてむしろブランカ様に感謝しているくらいだ。
……という本音は口が裂けてもいえず、私は誤魔化すようにから笑いを浮かべた。
「は、はは、お気になさらず……」
ブランカ様は私の態度に不思議そうな顔をしている。だが、しばらくするとぽつりぽつりと続きを話し始めた。
「先日のシュミットとの喧嘩を見ていたなら、知っているわよね。わたくしたちが上手くいっていないこと」
「……ええ」
私はブランカ様とシュミット様の口論の様子を思い出した。
確かにとてもでは無いが、上手くいっているようには思えない。
茶会のあったあの日、熱く燃え上がっていたように見えた二人の関係は、早くも冷めているように感じられた。
「ほんと、ろくでもない男だったわ。嘘はつくし、自分のことしか考えてないし、押し付けがましい。よくあなた我慢していたわね」
ブランカ様はシュミット様のことを思い出してか、いらだたしげだった。
私が見た二人の口論は一部に過ぎない。
きっと私が知らないところでも、二人の意見はぶつかりあったのだろう。
「私も、我慢はしていませんでしたよ。喧嘩ばかりでした。ブランカ様と同じです」
――私もいつもシュミット様とは口論していたから、ブランカ様に共感してしまうわ。
「あなたもなの? やっぱりあの男、ろくでもないわね……」
ブランカ様は憎々しげに呟いている。なんだか私よりも怒りが根深そうだった。あの男、一体何をやらかしたのだろう。
「わたくしはあの方から手を引くわ。面倒みきれない。あなたに返すって言葉はおかしいけれど……」
「いえ、私もいりません」
キッパリと返答すると、ブランカ様は虚をつかれたようで一瞬きょとんとしていた。
だが、やがてぷっと吹き出すようにして笑った。
「あなた、面白いかたね。あなたと話して少し気が楽になったわ」
「それならよかったです」
ブランカ様にそう言って貰えて私もほっとする。
その時、どこか遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえてきたような気がした。




