21・鈍感殿下②
足元を見遣れば、ウィリアム様の足の周りを1匹の黒猫がうろついていた。
どこからか城内へと入り込んできたらしい。
黒猫はウィリアム様にすりすりと体を擦り寄せていて、とても可愛らしい。
「……かわいいな」
そっとウィリアム様が手を伸ばすと、猫はウィリアム様の手を大人しく受け入れる。
「……そう、ですね」
私は相槌を打ちながらも、がっくりと脱力してしまっていた。
正体を伝えようと意気込んでいたのに、完全に出鼻をくじかれてしまった気分だ。
しかし、ウィリアム様が穏やかな表情で猫を撫でているから怒る気も起きない。
――今は、いっか。
今の穏やかな空気を壊してまで、無理に正体を告げる必要も無いだろう。
ふうと息を吐くと、私もその場にしゃがみこんだ。
猫は撫でてくるウィリアム様にすっかり気を許しているのか、ごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
「……猫は好きだ。かわいいから」
「私も、猫は好きですよ」
恐らく野良だろうに、やたら人懐こい猫だ。
だれか城内の人間がエサでもやっているのだろうか。
そんなことを考えながら私が顔を上げると……。
――って近っ!
目と鼻の先に、ウィリアム様の端正な顔があった。こんな至近距離で男性と見合ったことなんて生まれて初めてだ。
思いもよらぬ近さに驚いて、私は身動きが取れなくなってしまう。
どうやらそれはウィリアム様も同じようだった。
私と同じように瞳を一瞬見開いて、それから何故か私の瞳を覗き込んできた。
セレストブルーの澄んだ瞳の中に、間抜けな顔をした私が映っている。
「君の瞳は……綺麗だな。俺の知っている子と、よく似た瞳をしている」
ウィリアム様は私の瞳をじっと見つめたまま呟くように言う。
もしかしなくてもそれは、私のことを言っているのだろうか。執務補佐官としての私を。
「……どんな方なんですか」
聞いたのは、ただの興味本位だ。
ウィリアム様が、私のことをどんな風に捉えているのか興味があった。
「いい子だよ。しっかり者で仕事熱心。いつも真っ直ぐだから、気になってつい目で追ってしまう」
「……っ」
どうしてか、上手く息が吸えない。
私のことを語るウィリアム様の表情が、とても優しいものだったから。
猫を愛でていた時よりも余程、甘やかな瞳。まるで――大切なものを語るような。
――ち、違う、この人は、ただ部下の私を大事にしてくれるようになっただけ! それだけよ!
きっとこの王太子様は、ただその場で思ったことを口にしているだけだ。分かっているのに、はやる自分の鼓動を止められそうになかった。
誰かに自分のことを大切そうに語られるのは、初めてだったから。
私が雑念を振り払うように強く頭を左右へ振ると、それに驚いたのか黒猫がにゃーんと鳴いて走り去っていく。
「あ……。わ、たしも、そろそろ帰らないと」
このまま、ここにいたら良くない気がした。
ウィリアム様に引き込まれて、もう戻れなくなるような、そんな気が。
私は立ち上がってウィリアム様に背を向ける。
「ウィリアム様、御前を失礼いたしますね。それでは、また」
背中にウィリアム様の視線を感じるものの、私は振り返らなかった。
一刻も早く立ち去ろうと足を踏み出す。
「待ってくれ」
しかし、ウィリアム様は私を呼び止めてきた。
私は反射的に、足を止めてしまう。
「また、会えないだろうか」
思いもよらない言葉が聞こえてきて振り返ると、ウィリアム様は真っ直ぐに私へ視線を向けていた。
「え……」
「理由はわからない。なんとなく、君とまた話したいと思った」
なぜ、ウィリアム様はこんなことを言ってくるのだろう。
分からない。
だけれど、ウィリアム様から真っ直ぐに伝えられて嫌な心地はしなかった。
それどころか……。
――私、嬉しいと感じている?
物事に関心を持つことが少ないはずのウィリアム様が、私へ関心をむけてくれている。
それも、執務補佐官の私だけでなく「妖精姫」の姿の私へも。
まるで、見た目も中身も認めて貰えたような気がして、胸が熱くなる。
「……すぐに、会えますよ。ウィリアム様」
――それこそ、明日にでも。
私は一言だけそう返して、ウィリアム様の前から逃げるように立ち去った。




