20・鈍感殿下①
焦るものの、見つかってしまった以上ウィリアム様の前から今更逃げるのもおかしいだろう。
私が逡巡している間に、ウィリアム様は私の目の前までやってきてしまった。
先ほどまで騎士と鍛錬をしていたはずなのに、ウィリアム様は汗ひとつかいていない。涼し気な顔つきで見下ろしてくる。
「どうしてここにいるの?」
ウィリアム様が疑問に思うのも仕方がないだろう。
今日は城で何の催し物も開かれていないはずだし、そもそもドレス姿のご令嬢が足を踏み入れるには少々違和感のある鍛錬場でばったり遭遇したのだから。
「ええっと……ちょっと野暮用がありまして」
モゴモゴとどうにか返答すると、ウィリアム様は「そっか」とだけ短く返してくれた。
いつも通りと言えばいつも通りの返答。だが、今は深く追求してこないその素っ気なさがありがたかった。
この社交用の姿でウィリアム様の前に立つのは久しぶりだからだろうか。
変に緊張してしまって、ウィリアム様の顔が見られない。
――そもそもウィリアム様って、執務補佐官の私と今のドレス姿の私が同一人物だって分かっているのかしら。
それは、フェルゼン領を視察した際にも抱いた疑問だった。
ウィリアム様の口ぶりや態度から、ドレス姿の私を執務補佐官のソフィリア・ガーランドとは別人だと認識しているように受け取れる。
何より、いつもなら呼んでくれるはずの私の名前を呼ぶこともなく、会話が微妙に噛み合わないのだ。
――いやいや、まさかね。だって髪型と服装が違うだけよ?
過度にメイクを変えているわけではないのだ。ただ仕事中に結い上げている髪を下ろして、華やかなドレスを身にまとっているだけ。
普通の人なら気付くレベルの変化だ。
当然、ウィリアム様は私がそんな疑念を抱いていることなど知る由もない。
「あれから、君のことを心配していたんだ」
「えっ」
穏やかな声で不意に告げられた言葉に、反射的に私は顔を上げてしまった。
――ウィリアム様が、私のことを心配???
「あの時、男に肩を押されていたから。あの後は平気だったかなって」
「あ、ああ!」
ウィリアム様にそこまで言われて、以前この姿でウィリアム様に会った時、シュミット様に肩を押されて倒れかけてしまったことを思いだした。
それをこの王太子様が助けてくれたのだ。
「え、ええ。あの時は、助けて頂きありがとうございました」
再度お礼を告げる。
頭を下げると、ウィリアム様の腰に下げられた細身の長剣が目に入った。
――ウィリアム様ってインドア派に見えるけれど、きちんと鍛錬もしているのね。
執務室でこもったり、中庭で昼寝をしている姿からは想像ができないほどの軽やかな身のこなしだった。
「そういえば、ウィリアム様は剣の鍛錬がお好きなんですか? お強そうに見えたから……」
「別に。好きでも嫌いでもないかな。王太子としてある程度の護身が必要だから、最低限やっているだけ」
ふと気になって尋ねると、ウィリアム様は対して興味がなさそうな様子で答えてくれた。
どうやら剣に思い入れはないらしい。予想通りと言えば予想通りの回答に、くすりと笑ってしまう。
ウィリアム様は私に返答をした後、少しだけ考え込む様子を見せた。
「……あれ、俺、君に名乗ったっけ?」
――やっぱりこの人、ソフィリアだって気づいていないんだわ……!
ぼんやりと呟くウィリアム様の様子に、私の疑念がようやく確信へと変わる。
「う、ウィリアム様は有名ですから……!」
――どうしよう……。
咄嗟に適当にごまかしてしまったものの、私は正体を明かすべきなのだろうか。
――いや、黙ったままなのは良くないわよね……!
悪いことはしていないはずだが、なんだかウィリアム様を騙しているようで居心地が悪い。
幸いここは城内だ。人もいないし、落ち着いて話せるだろう。
「――っ私……!」
意を決して正体を明かそうと、私が口を開いたちょうどそのとき。
「あ、猫……」
「へ……っ?」
ウィリアム様は小さく呟いたと思うと、その場にしゃがみこんでしまった。




