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22青い花畑での休日





 ――遠乗り。

 馬に乗って遠方へ出かけることをそう言うが、エリザにとっては馬で半日程度で移動できる距離はごく近い場所だ。


 エリザは馬に乗ることができないので、レヴィンの隣を杖に乗って飛んで移動する。ゆっくりと。モンスター討伐の時と同じように。


 だがあの日とは緊張感が違っていた。王太子とふたりきりなのだ。護衛もいない。いつもレヴィンを守っているアレックスも。

 エリザは常に警戒していたが、トラブルは起きなかった。王都周辺だから治安がいいのかもしれない。


 平原を進み、丘を越え、泉のある森の近くへ。ふっと視界が開け、一面の青い花が広がる場所に出る。澄んだ青は空の青と溶け合って、幻想的な光景が広がっていた。


「うわぁ、きれい……」


 自然と感嘆の息が零れる。

 杖から降りて花を近くで見てみる。中央は白く、花弁は空色で、可憐な花だった。


「このあたりの上空は何度も通ったのに、気づかなかった……」

「気に入ってくれたかな」

「はい、とても! このお花、摘んでも大丈夫でしょうか?」

「ああ。私は水を飲ませてくる」


 レヴィンは馬を泉の方に引いて、水を飲ませに行く。

 エリザはその間に花を摘んで、近くで香りを楽しんだ。香りは薄いが清廉な匂いがした。

 更に花を摘んで、花冠をつくっていく。小さいころにつくったきりだったが、おぼろげな記憶を頼りに進めていく。そして、何とか完成する。すこし不格好だが、綺麗な青の花冠が。


「へえ。上手なものだな」


 戻ってきたレヴィンに褒められ、エリザは戸惑いながらも微笑んだ。


「ありがとうございます」


 そんなことはないと言いかけたが、花を摘んでできた花冠。卑下すればレヴィンにも花にも悪い。


「持って帰って、部屋に飾ります」


 そして今日の思い出にしよう。ドライフラワーにしようか。そうすれば長い時間、思い出に浸れる。

 花冠を見つめながら考えていると、レヴィンに声をかけられる。


「見せてもらってもいいかな」

「あ、はい。どうぞ」


 渡すと、レヴィンはそれを間近でくるりと回しながら見て――

 エリザの頭の上に置いた。


「うん、よく似合う。かわいい」


 笑顔で言われ、エリザの顔が一気に紅潮する。


(さらりとそんなことが言えるなんて……王子様って、すごい)


 女性の扱いに慣れすぎている。こういうことはお手のものなのだろう。異性と親密な付き合いをしたことのないエリザには刺激が強すぎる。


「そろそろ食事にしよう」


 昼食は、マリアンヌが用意してくれたサンドイッチだ。レヴィンはサンドイッチを素手で取り、そのまま食べる。エリザもそれと同じように食べた。マナーが必要ないのはありがたかった。そして青空の下で、花畑の真ん中で食べるサンドイッチは格別だった。


 満腹になると、陽気と気温と花の香りが眠気を誘う。エリザは朦朧としながら誘われるままに花畑の中で寝転んだ。

 吹き抜ける風の感触が、葉が奏でる音が、心地よかった。





「うん……?」


 エリザはぼんやりした頭で目が覚める。

 眠っていたと気づくまで少し時間がかかった。


(レヴィン様は――)


 急いで飛び起きると、レヴィンはエリザの隣で眠っていた。同じように平原にそのまま寝転んで、すやすやと。

 エリザは安堵の息をつきながら、そして護衛の本分を忘れて眠っていたことに恥じ入りながら、レヴィンの様子を見る。

 健やかな寝息だった。


 疲れているのだから起こすのも悪いだろうと、そのまま座ってレヴィンの姿を見つめる。

 風がふわふわと、金色の髪を揺らしていた。きれいだと思った。


(レヴィン様って不思議な方……)


 王太子という尊い地位にありながら、エリザを気にかけてくれる。そばに置いてくれる。こうやって、外出に連れてきてくれる。本来は手の届かない人で、一目見ることさえ困難な人であるはずなのに、いまはすぐ近くにいる。手を伸ばせば触れられる距離に。

 しかしその距離は実際には途方もなく遠い。近くにいるのに触れられない、触れてはならない、遠い人だ。


 手を繋いで一緒に空を飛んだことが、夢のように思える。

 ぼんやりとその時のことを思い出しながら整った顔を見つめていると、不意にエリザの手が握られた。

 驚いて見ると、レヴィンの手がエリザの手に重なっていた。その周りで、青い花が揺れていた。


「エリザ」


 琥珀色の目がエリザを映す。


「は、はい……」

「エリザ……君はやっぱり、皇国に帰りたいのかい?」

「……わかりません」


 考えてもやはり答えは出ない。

 帰りたいという気持ちはある。だが帰りたくないという気持ちもある。どちらも同じくらい強くて、エリザの心は引き裂かれそうだった。


「……君はとても悩んでいるように見える。そして、すごく苦しそうだ」

「えっ……」


 思ってもいなかったことを言われ、エリザは困惑した。

 いま現在するべき仕事がないことへの焦燥感はある。ブラック皇国に帰ったほうがいいのだろうかという悩みはある。だが、苦しそうだなんて。そんな自覚はなかった。


「そんなことはありません。皇国に戻ることを考えると、心臓がどきどきして、冷汗がだらだらと出るだけで」

「重症だ」


 きっぱりと言われる。


「そんなふうになるのは、君の心としては戻りたい気持ちもあるけれど、身体はもう限界だと訴えているからじゃないのか」


 そうなのだろうか。

 身体と心が別物になるなんてありえるのだろうか。


「そんなことはないと思います。ただ、戻った後のことを考えると……」


 どんな叱責が待っているか、何連続の徹夜が待っているか、もしかしたら無断で休み続けた罪など言われて罰金を取られるのではないかと、怖いだけだ。


「うっ、うううぅ……」

「エリザ! 落ち着いて、ゆっくりと息を吐いて――」


 飛び起きたレヴィンに背中をさすられながら、言われたとおりに息を吐く。

 吐き切って、またゆっくりと吸って、また吐く。それを繰り返すうちに、動悸が収まってくる。


「エリザ。このまま皇国に戻れば確実に症状が悪化する。やっぱり君を帰すわけにはいかない」

「うううぅ……でも、し、仕事が……」


 元上司が戻ってこいと言うのなら、それはエリザの力が必要になったからだ。

 たくさん世話をしてもらったジェイドがエリザの助けを求めているのなら、やはり応えるべきだと思う。

 だが、身体が拒否している。

 レヴィンに指摘されたからか、身体の声が聞こえる気がする。あんな日々にはもう戻りたくないと言っている。


「エリザ……仕事は確かにしなければならないものだ。だが君だけが頑張らなくてもいいんだ。皇国には、優秀な魔術師がたくさんいるんだろう」

「……そう、です。わたしより優秀な魔術師が、たくさん……」


 頼りになる魔術師がたくさん。

 それはエリザが一番よくわかっていることだ。


「――エリザ。私は君を苦しませたくない」


 レヴィンはエリザの背をさすりながら、優しい――だがどこか悲しそうな声で言う。


「だから、君に絶え間なく仕事をさせ続けることはできない。そりゃあ、そうしようと思えば何もかも君に押し付けることはできる。だが、そうしたくない」

「他の人の仕事を奪わないため……?」


 エリザの言葉に、レヴィンは困ったように笑った。


「それもある。けれど一番は、人間は休むことも必要だからだ。エリザには、楽しんで仕事をしてもらって、楽しんで休んでもらいたい。そうやって、働きながら、時には休んで、皆で助け合って生きていくんだ」

「休むなんて、そんな……」

「人間は時に休んでこそいい仕事ができるものだ。徹夜は疲れる。そうだろう?」


 そのとおりだ。

 三日も徹夜すれば、もう使い物にならない。


「でも……仕事をしていないわたしに、価値は……」

「エリザ。私は、君がそばにいてくれるだけで嬉しい。いまも、すごく幸せだ」

「え……」


 顔を上げると、優しくエリザを見つめる琥珀色の瞳と目が合う。


「いまもし君が魔術師じゃなくなったとしても、君にずっとそばにいてほしいし、健康で、幸せでいてほしいと思う」


(けんこう……)


 いままでエリザの身体のことを気遣ってくれた人がいるだろうか。

 ――いない。思い出せない。

 だがいまはすぐそばにいてくれる。そう思うと、息苦しさがなくなっていく。安心感が広がっていく。少しずつ、落ち着いていく。


「そろそろ帰ろうか」

「はい」


 エルザの無事を見て、レヴィンが言う。木に繋いでいる馬の手綱をレヴィンがほどきに行っている間に、エリザは杖に乗ろうとした。

 ――だが。


「あれ……?」


 うまく飛べない。浮かばない。何度やり直しても。

 エリザは戸惑った。飛行魔術を覚えてからいままでこんなことは一度もなかったのに。


(まさか、杖に乗れないほど動揺している……とか?)


 精神の乱れは魔術の乱れに直結する。

 そうしているうちに、レヴィンが馬に乗って戻ってくる。


「レヴィン様、ごめんなさい。ちょっと魔術が安定していなくて……先に戻ってきてください。後から追いかけますので」

「エリザ、おいで」


 馬上から手を伸ばされる。エリザはそれに従うように、馬の横に移動した。


「あぶみに足をかけて。引っ張り上げるから」


 杖を馬具に預け、言われた通りにあぶみに片足をかけると、上から強く優しい力で引っ張り上げられる。そのまま――レヴィンの前に座る形になる。


(ひえええ)


 近い。近い。近い近い近い。

 エリザは混乱した。胸がドキドキしている。先ほどの動悸とは違う種類の。


 馬がゆっくりと歩き出す。

 馬に乗るのは初めての経験だった。思ったより揺れる。跳ねる。


「しっかりつかまってて」


 ――どこに?

 腕につかまれば、手綱を操るのに邪魔になるかもしれない。


「失礼します……」


 エリザは身を固くして悩んだ末、仕方なくレヴィンの腰辺りの服にしがみつく。王都からここまで来るのにどれぐらいの時間がかかっただろうか。荷物が増えたから馬の歩みも遅くなるはず。帰るまで心臓は持つだろうか――と考えながら。





 馬の歩み、というのは案外ゆっくりしている。人の歩く速度とそう変わらない。ただ馬には持久力がある。

 王都の姿が近づいてきたときには、すっかり夕暮れになっていた。この分なら夜に閉ざされる前に入城できそうだ。


 ――その時、王都の方からこちらに駆けてくる騎馬の姿が見えた。それは見る見るうちにこちらに近づいてくる。乗っていたのはレヴィンの護衛騎士であるアレックスだった。

 無表情な彼だが、今日は様子が違っていた。落ち着いた姿の中にも、焦りと緊張が浮かんでいた。


「レヴィン様、急ぎお戻りください」


 馬の速度を落としてレヴィンの横に寄せ、並走しながら大きな声で言う。


「何があった」

「――王都のすべての魔導具が動かなくなりました」


 アレックスの言葉は、レヴィンにも、そしてエリザにも衝撃的なものだった。


「え? 魔導具が、すべて?」


 エリザが問い返すと、アレックスは無言で頷く。エリザは弾かれたように遠くの王都の姿を見つめる。

 夕闇に沈みかけている王都――そこに魔導具の光はなかった。




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