17空を飛ぶ
王太子の執務室を守っている護衛にエリザが声をかけると、すぐに中に通される。
「失礼します……」
どきどきしながら中に入ると、レヴィンは机で仕事をしていた。
室内には他に人はいない。いつもレヴィンの後ろに控えている護衛のアレックスも。
「ああエリザ。どうしたんだい」
レヴィンは見ていた書類を置き、顔をエリザに向ける。
大きな執務机の上には他にも書類や資料がいっぱいだった。
仕事の邪魔をしてしまった罪悪感と、疲れているはずなのに快く受け入れてもらえた嬉しさで、エリザは複雑な気持ちになる。
王族という仕事の内容はよく知らないが、国を良くしていくための仕事だということはわかる。きっとそこに終わりやゴールはないのだろう。
そしてきっと、その仕事を直接手助けできる人は少ない。忙殺されていてもおかしくない。
エリザに何か手伝えたらいいのだが、魔術関連以外のことはさっぱりだ。エリザは自分の能力のなさを不甲斐なく思った。
エリザはぶんぶんと首を横に振る。
ここに来たのは自分の不甲斐なさを噛みしめるためではない。レヴィンを元気づけるためだ。エリザは明るく笑った。
「レヴィン様。もしよかったら、空を飛んでみませんか?」
「空を? 私が?」
「はい。いまから少しだけでも。ちょうど夜で目立ちませんし、今夜は月が綺麗です」
それがエリザの考えたレヴィンを元気づける作戦だった。
単なるエリザの勘だが、レヴィンは空を飛ぶことに興味を持っているように思える。それでなくても、空を飛ぶというのは誰でも童心が騒ぐはずである。きっと。
もちろん魔術師の中でも空を飛ぶのを怖がる人もいる。足元が不安定なのが怖い、落ちたら怖い、なんだか怖い、等々。
「飛行移動はちょっと大変ですけれど、空に浮かぶだけならかんたんです。ですから、いかがでしょうか?」
レヴィンがどちら側の人間かはわからない。
できるだけ落ち着いた声で言うが、心臓は大変なことになっている。迷惑がられていないだろうかと。
胸を押さえて、じっと返事を待つ。
「……本当にいいのか?」
「はい。気分転換にもなりますし、上から見るこの国の姿というのもいいものですよ」
前のめりになって力説すると、レヴィンは少し恥ずかしそうに笑った。
「……実は、ずっと空を飛んでみたかったんだ」
「よかった」
エリザは喜びながら、レヴィンの気が変わらないうちに窓を開ける。
吹き込んできた風が心地よく髪を揺らした。
風の中、杖でとんとんと自分の関節を叩いて浮遊魔術の下準備をする。
「失礼します」
レヴィンの前に立ち、その身体をそっと杖で触る。
「レヴィン様、左手を」
エリザが右手を軽く上げながら言うと、レヴィンも左手を同じように軽く上げる。
エリザはその手に指を絡ませるようにして、しっかりと繋いだ。その大きさと硬さに驚きながらも、動揺を表に出さないように、にこりと笑う。
「物理加護――はい、では絶対に手を離さないでくださいね」
「うわっ」
エリザとレヴィンの身体がふわりと浮きあがる。エリザはレヴィンの手をしっかりと握ったまま、背中向きで窓から外に出た。身体が窓枠や壁にぶつからないように気をつけながら。
城の壁から少し離れながら上昇していき、月に近づいていく。城より高い位置にくると、風が強くなっていく。
二人分だから重力の調整と移動が難しい。魔術で風の影響は受けないようにはしているものの、気を抜けば飛ばされそうだ。
そうならないようにレヴィンを守りながら、空から王都を――そしてその向こうを見る。
「すごい……こんな景色がこの目で見られるなんて……」
月に照らされるレヴィンの表情と声から、彼の興奮と喜びが伝わってくる。
魔術師ならこれくらい誰にでもできると言いかけて、エリザは黙った。
いまは自分が話すよりも、レヴィンの言葉を聞いていたかった。喜んでいる顔を見ていたかった。
足元に広がる王都の夜は、エリザがこの国にやってきた時よりも、ずっと明るくなった。
魔導具の明かりが星のように灯っている。
「――君にだから言うけれど、子どものころは魔術師になりたかったんだ」
「それは――……」
「ああ。特殊なエレメンタルを持たずに生まれた人間は、魔術が使えない。それを知ったときはすごくがっかりしたよ」
魔術師は、体内に特殊なエレメンタルを持って生まれる。それがなければマナを操ることができない。魔術師は生まれながらに、魔術師という生き物なのだ。
「あのころの夢が、こんなかたちで叶うなんて……」
レヴィンが顔を上げ、エリザを見る。目が合う。
「ありがとうエリザ。君は私にとって最高の魔術師だ」
子どものような満面の笑みに、エリザは返事を忘れてしまう。
「私をこんな幸せな気持ちにさせてくれるのは、君だけだ」
「……わたしは――」
自然と否定する言葉が零れ出てこようとする。それを咎めるようにぎゅっと繋いだままの手を握られた。
「君だけなんだ」
「…………」
手を、握り返す。
「わたしも幸せです」
素直な気持ちを答える。
エリザは、誰かに喜んでもらえることが無上の喜びだった。エリザの魔術が誰かの役に立つのなら、どんな仕事も嬉しく、どれだけ働いても苦ではなかった。
だが、こんなに満たされた気持ちになったのは初めてかもしれない。
「ずっとこうしていたいな」
「いいですよ」
エリザは喜びのまま笑顔で答えた。
「わたしのマナが尽きるまで、お付き合いします」




