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利他主義者たちの思惑

 この潰れたモーテルに人質として連れて来られてから、今日で五日ほどが経過した。


「……」


 今日もまた、誘拐犯が丁寧に入れた味の濃すぎる紅茶――最近ではだんだん味に慣れてきた――を口に含み、嚥下する。


 最初こそは嫌悪と恐怖が勝っていた。何度も心の中で拒絶し、来る訳も無い幼馴染の少年に救援を求めた。

 だが、拉致の実行犯である吸血鬼たちと寝食を共にして五日が過ぎ、いつしか恐怖心は失せていた。おそらく、目の前の吸血鬼たちと会話を続けているうちに、見た目だけは人間と変わらない彼らに慣れてしまったからなのだろう。

 あるいは、()()()()()()()()()()()()()()()を知り、覚悟が定まったからなのだろう。


「……」


 沈黙のままティーカップを置く。拉致されてから今までの間に飲んだ紅茶は一体何杯だっただろう。もう全く覚えていない。

 否、それ以上に、何もかもがどうでもよくなっていた。今両親はどうしているのか、クラスメイトは、部活の仲間は、そして親友は、自分のことを心配しているのかどうか。そんなことを考えていたのは、きっと連れ去られた直後くらいだっただろう。

 ただ唯一、幼馴染の少年のことだけは今でも想っている。時が過ぎる度にどんどん想いが強くなっていく。


 そんな自分の心境の変化を、吸血鬼たちは望んでいたのだろうか。

 幼い少女の容姿を持つ吸血鬼は、ソファの上に深く腰掛けながら、満足げににんまりと笑った。


「だんだんと馴染んできたみたいだね。最初はあんなに怖がっていたのに」

「……うん、まあね」


 「化け物」としてあんなに恐れていたのにも関わらず、今では親近感すら覚えている。彼らとひと時も離れず茶を飲み談話をしただけで、ここまで自身の心境が変わってしまうとは驚きだ。

 尤も、すんなりと受け入れられるようになった要因はまた別にあるとは分かってはいたが。


「さてと、そろそろ分かってきた頃じゃない? フォルたちがどうして君のことをここに呼んだのかって。どうして君のことをここまで殺さずに置いていたのかって」


 それは、先ほどもしみじみと考えていたこと。故に、彼女の問い掛けに素直に頷いた。

 その反応を、彼女は望んでいたのだろう。愛らしい顔に無邪気な笑顔を湛えたまま、彼女は本題を切り出してくる。


「で、ようやく君も理解したみたいだし、そろそろ君にお喋り以外の役割を与えたいんだけど……大丈夫かな?」

「……その役割っていうのが何なのかにもよるけど」

「そこまで難しいことじゃないよ。むしろ、()()()なら簡単にこなせるような単純なことだって。それにこれは、君にしか任せられないお仕事だからさ」


 自分にしか任せられない仕事。

 そう告げられ、自然と身が引き締まる。恐怖からそうなったのでは無く、純粋な使命感からそうなっていた。


 こちらが緊張感と使命感を改めて身に宿した気配を、相手も感じ取ったらしい。

 目の前の彼女は、一際大きい笑みを浮かべながら、嬉々としつつも怪しさを秘めた声音で言ったのだった。



「まあ要するに、この仕事は君の愛しの幼馴染を手に入れるチャンスに直結しているってことさ。ようやく君の願いが叶うんだよ」



 これは愛しの幼馴染のため。自分の切なる願いのため。となれば、手を出さない訳には行かない。うじうじと恐怖に足を竦ませる訳には行かない。

 この瞬間までずっと、彼のことだけを想い、ただ彼の真の幸福と自分の真の幸福のために行動してきたのだから。


 だから当然、今回も「これが正しき道標」と信じて選ぶ。


「……分かった」



 ――これが、暁美悠人が「少し頭を冷やした方がいい」と告げられている最中に、彼らの知らぬ間に起こっていたやり取りである。







*****





 結局悠人は、暮土の言葉に甘えることにした。


 今の自分は救うことと護ることに固執し過ぎて、かえって泥沼に陥っている。このままでは目的のため誰も望んでいないことにも平気で手を出しかねない――それは悠人自身も薄々察していた。

 闇雲になったところで、誰か喜ぶ者がいる訳が無い。ローラも解も、助けを待っている叶も、みんな悠人には自分を大事にしてもらいたいと願っているはず。だからこそ悩みに悩んだ末に、一度目の前の課題から離れて冷静さを取り戻すことを選んだのだった。


(……ひょっとしたら、俺が外で空気を吸って頭を冷ましている間に、カナが見つかる可能性だってあるしな……)


 それでも自分よりも叶のことを考えてしまう己自身に、多少の浅ましさを感じてしまう。

 だがそれは()()()()()()()()()()()()()()を形作っている、根からの性分だから仕方の無いこと。それを割り切って理解した悠人は、つい自己犠牲の熱を帯びてしまいがちな頭を冷やすため、当ても無く冷泉院家の敷地外を歩く。


 しばし彷徨った後に悠人が辿り着いたのは、冷泉院家から数分ほど歩いた位置にある大きな河川敷。休日であるためだろうか、少年野球チームの元気な掛け声がこちらの耳に勝手に伝播してくる。

 本当に、平和な日常だと感じた。現在こちらに降り掛かっている災難などつゆ知らず、この街に住む人たちは今日も当たり前に平穏を生きている。


(街の人たちが巻き込まれていないだけでも幸いとするべきなんだろうけど……)


 何気無くそんなことを考えながら、悠人は川縁(かわべり)に腰掛ける。

 そしてついでの行為として、冷泉院家から出る際に「今週の栄養分」として支給された血液を飲む。なお余談だが、この血液はパウチ容器入りの飲料に擬態されているため、こうして

人前で白昼堂々吸血をしても物騒に思われることは無い。


「……美味いな。相変わらず誰の血なのかは分からないけど」


 口の中に広がった至福の甘味に、思わず陶然と味の感想を呟いてしまう。それほどまでに、一週間に一度摂取する血は美味しい。


 そして、この場における吸血行為は、悠人の精神衛生にも大きな貢献を果たしていた。

 血を味わったことで、鬱になっていた悠人の心が一時の幸福感に支配され、叶の一件に纏わる負の感情が幾ばくか消え失せたのだ。一般論ではよく「甘いものはストレス解消になる」と言われるが、それと同じようなものである。


「それにしても、まさか吸血行為によって心が楽になる日が来るなんて予想だにしてなかったけどな……」


 理性も飛ぶほどのこの快感は一時的なものではあるが、それでも心を縛り付ける負の連鎖から解放され、多少落ち着きを取り戻すことができたというのは大きい。

 ただ生きるための事務的な行為に救われたことに対しての複雑な感情、そしてそれ以上に勝る束の間の幸福感をしみじみと実感しつつ、悠人はパウチ容器の中の血液を空にした。


 と、そんな時のこと、


「ユート? こんなところで何故道草を食っているのかね?」

「あ、ローラ」


 偶然にも、単独で叶に関する手掛かりを調査していたはずのローラとばったり再会した。

 てっきりまだ悠人が冷泉院家に滞在しているものだと思い込んでいたらしい彼女は、眉根を寄せながらこちらに尋問してくる。


「貴君、クレド・レイゼイインに経過の報告をするはずであっただろう。にもかかわらず、川辺で黄昏ているというのは極めて不可解なのだが」

「報告はやった。でもちょっといろいろあって、理事長に『少し頭を冷やしてこい』って言われたからここにいる」

「貴君のことだ。どうせカナエのことで自棄(やけ)でも起こしたのではないのかね?」

「……ご名答」


 流石、誰よりも彼氏の心の内を見透かしている恋人なだけはある。見事事情を言い当てたローラに対し、思わず悠人は苦笑せざるを得なかった。


「でも、今のまま自棄のように自分の犠牲を省みずに行動しても、お前を含めて誰も喜ばないだろ? だから、今ここで頭を冷やしたことは正しかったって思っているよ。こうして青空の下で吸血してるうちに、少しはカナに対しての盲目的な感情が和らいだような気がするからさ」

「――」


 ローラが、少し驚いたように目を開く。恋人の内情をよく知っているからこそ、彼女は悠人の心境の変化を信じられずにいるようであった。

 だが、常ならば己よりも親しい者の幸福ばかりを優先しがちな悠人が、少しばかり自分のことも尊重しようとする様子を見せたことは、彼女にとっても嬉しいことであったようだ。そうでなければ、瞠目の中に微笑ましく思う感情を含ませる訳が無い。


 恋人の心の機微を感じ取り、嬉しそうにしたり悲しそうにしたり――そんなローラがやはり愛おしい。

 そんな風に胸中で彼女を慈しみつつ、悠人は小さく笑いながら立ち上がる。


「まあでも、もう俺は焦燥感をリセットさせ終わったところだったから。お前が気にするような大した問題でも無いし。だから早くカナのことを――」


 言葉の途中で、まるでこちらの行動を牽制するかのように、悠人がポケットに突っ込んでいた携帯電話が鳴り響く。


「――って、何だよ。せっかく気分一新できたと思った矢先に……」


 清々となった気分を阻害された不満から渋々携帯電話を取り出す悠人だったが、電話を寄越してきた相手の名前を見るや否や、今まで覚えていた感情が全て吹き飛んだ。


「……カナ……!?」

「何!? カナエだと!?」


 釣られるように驚きの声を上げたローラはひとまず余所にして、即座に応答ボタンを押す。

 何故期限まであと二日もあるのに人質本人から電話が来るのか。四使徒の指示で電話をさせられているのか、それとも自分の意思で電話をしたのか。否、そもそも彼女自身が電話をしたのか、それとも四使徒の誰かが叶の携帯電話を借りているのか――疑問はどんどん湧いてくる。

 だが、湧き上がる疑問についていちいち考えている余裕は無かった。叶が、四使徒が動きを見せたというのは、それだけでも今後において大きな意味のあることであったのだから。


「カナ!! 無事なのか!?」

『……久しぶり、悠くん』


 叶にしては珍しく、抑揚の無い静かな声だった。普段の彼女ならば、悠人の声を聞いた瞬間に嬌声めいた声を上げてもおかしくは無いというのに。

 しかし、フォルトゥナたちに脅された恐怖心からこんな妙な声になっている可能性も充分にあり得る。あまり深入りするのは無駄骨だろう。そんな理由から、悠人は叶の声音の問題に関しては気を留めず、通話を続けることに。


「お前、今何処にいるんだ!? 何もされてないか!? 何処も怪我していないか!? 犯人の目的について何か聞いてないか!?」

『……あのね、悠くんにお願いがあって電話したんだ』


 切羽詰まった質問の連打には聞く耳持たず、叶は抑揚の無い声のまま用件を伝えた。


『……あたしは今、夜戸市の南の方にある『リプルパレス』っていうモーテルにいるんだけど……犯人があたしのことを悠くんの元に返すチャンスをあげるっていうから、今夜そこに来てほしいんだ』

「犯人って……それってまさかフォルトゥナっていう幼い子供の見た目をした……」

『……うん。でも子供の見た目をしていても彼女は凶悪な殺人鬼……だから、もし悠くんが来なかったらあたしは彼女に殺されることになってる。信用できないとは思うけど……』

「――っ!!」


 危惧していた事態が起ころうとしている。それを感じ取った悠人は電話越しに身震いした。

 実行犯である四使徒たちの言うことに素直に従わなければ、叶は本当に殺されてしまう。快楽殺人鬼のフォルトゥナならそんな残酷な一手を平気で使いかねないというのが、本件における恐ろしいところであった。


 フォルトゥナの恐ろしさは、囚われの彼女自身も充分分かっているのだろう。

 叶は、まるでこちらに縋るかのように、ほんの少しだけ感情を表出させた声で救いを乞う。


『お願い、悠くん。あたしを……助けて』


 救いの求める静かな声を耳に打ち付けられ、悠人は携帯電話を耳に押し当てたまま立ち尽くす。

 心の中に生じていたのは、義務感。何が何でも凶悪な吸血鬼たちの手から大切な幼馴染を救わなくてはならないという感情であった。


(……当たり前だ。助けるに決まってるだろ、カナ……!)


 強靭な意志を有した使命感を胸に燃やすあまり、無意識に携帯電話を握る手に力が篭っていることに、悠人自身は気付いていない。

 周囲の状況や自身の状態に目が入らなくなるほどまでに、悠人の中では「絶対にカナを救う」という想いが高鳴っていた。


「待ってろ。お前のことは必ず俺が救ってやる。お前の幼馴染……お前だけの英雄としてな」

『……ありがとう。本当に悠くんにここまで想ってもらえて、あたしは本当に……」


 悠人が述べた誓いの言葉に、叶は感極まった様子を表出させているようであった。

 が、それはすぐに何かを思い出したかのような付け加えの言葉に打ち消される。


『……あ、でも来るのは悠くん一人だけじゃないと駄目だって犯人は言ってる。悠くんがローラちゃんのことを一緒に連れてきたら『ルール違反』ということで、それだけで殺されることになっているみたいだから……』


 その忠告を最後として、電話は切れた。

 同時、通話終了のタイミングを見計らったかのように、ローラがすかさず伺い立てる。


「ユート、大体の内容は窺っていたのだが……」

「大丈夫だ。ローラが気にする問題じゃない」


 聖女として介入しようとしてくるローラのことを、悠人は携帯電話をしまいながら牽制した。


 ローラと共に救出に向かったが最後、叶はルール違反の罰として殺されてしまう。どころか、夜間に四使徒が総出で立ちはだかっているとなれば、いくらクルースニクといえどローラも無事で済む保障が無い。

 そうなると、ローラのことを連れていく訳にはいかなかった。いくら彼女が吸血鬼相手には無類の強さを誇る聖女なのだとしても、自分にとっての信頼の置ける相棒なのだとしても。


「カナは俺の大事な幼馴染だ。だからこの問題に決着を付けるのは俺だけでいい。……いや、俺だけじゃなきゃいけないんだよ」


 大切な者をこれ以上傷付けたくない。

 他者を傷付けることしか能の無い悲しき利他主義者は、最愛の恋人の前で小さく想いを吐いた。

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