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殺人性愛の吸血鬼

 「一週間以内に浅浦叶を奪還しろ」――四使徒が提案したそんなゲームに、悠人とローラが乗ってから早五日。


 未だに、叶は見つかっていない。





*****





「……残念ですが、昨日も成果はありませんでした。ボクたちも手当たり次第に探してはいるのですが……」

「気に病む必要は無いです。理事長たちの手を借りられただけでもありがたいので」


 今日は休日、場所は冷泉院家。彼らからの調査報告を受け取るべく、悠人は彼の場所に赴いていた。

 ちなみにローラは「単独で手掛かりを当たってみる」という理由で別行動だ。やはり彼女は、今までこちらを跳ね除けていた暮土の存在にまだ抵抗感があるのかもしれない。


「……本当にすみません。俺たちだけじゃこの問題は解決できなくて、それで理事長たちにこんな手間を掛けさせてしまって」

「いえいえ、こちらも好きでやっていることですから。四使徒が総出で動いているかつ生徒の一人を人質に取っているとなれば、半吸血鬼の理事長としては黙っていられませんし」


 不甲斐無さと申し訳無さに項垂れる悠人を、暮土はそっと宥めた。


 夜戸市内の何処かに確実にいる彼女を手っ取り早く見つけるためには、夜戸市内一の権力を誇る冷泉院家の助力があった方がいい。そういう理由で悠人が彼らに協力を申し出たのが、叶が連れ去られたと発覚した直後のこと。

 それからはひたすらに、冷泉院家の者たちと共に、四使徒と叶を隈無く探していたのだが……


「それにしても、何処にも気配が感じられないなんてことはあるんでしょうか。普段はあまり目に掛けない市内南方も虱潰しに探してはいるのですが……」


 腑に落ちない、といったような体で首を傾げる暮土。

 だが彼とは異なり、悠人にはある程度見つからない算段が付いていた。


「おそらくフォルトゥナが……俺のかつての配下が一枚細工を施しているんだと思います」


 漠然とだが、悠人はフォルトゥナが持つ異能の特性を思い出す。


「冷泉院家当主のことですしたぶん知ってるかなとは思いますが、彼……女の能力は『悪辣なる悲喜劇(ベーゼ・オペレッテ)』。自分が口にしたことを実現させる能力です。真祖の絶対命令権と同じで、意識していないと発動できないという欠点はありますが」

「なるほど……仮に彼女が上手く行くようにと異能を発動させていたというのならば、今までの不可解な点も納得できますね。四使徒と浅浦さんの気配が一向に感じられないことや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とか」

「え……?」


 二つ目の事象は初耳だ。悠人は思わず眉を(ひそ)める。

 とにかく、例の警察官が自分の父親では無いことは確実なのだが(ちなみに父は昨日普通に自宅に帰ってきた)、それでも赤の他人であるとはいえ、行方不明になった当の警官が気掛かりで仕方無い。


「昨日のことでした。夜戸警察当局から『所属の巡査が五日前から音信不通になっている』という連絡を受けたのは」


 悩ましげに、暮土は語り出した。


「最初はサボタージュの可能性も疑ったのですが、聞いてみたところ例の警察官はとても仕事熱心で真面目な方だったそうで。そんな人物が連絡無しに帰って来ないなんていうことは、絶対に何かの異常事態が起こったからに違いないとずっと考えていて、それで……」

「それで、フォルトゥナを疑っている……と」

「ええ。口にしたことを実現する能力ならば、人を行方不明にしたり、最悪の場合なら人知れず殺害することも可能なのでは無いかと」

「……たぶん、理事長の予想は当たってます。フォルトゥナの性格と性質を考えれば……」


 いつしか悠人は、唇を無意識に噛んでいる。

 その脳裏では、フォルトゥナに関する遠い昔の回想が巡っていた――。





*****





 思い起こせば五百年ほど前、自分はフォルトゥナを連れてとある聖騎士の一部隊を殲滅しに行ったことがあった。

 自分が出る幕でも無いと、フォルトゥナに全ての実働を一任していたのだが、任された彼女はとても嬉々と狂っていたのではないかと思う。


「あはは!! みんなみーんな死んじゃった!! あはははっ!!」


 愛しの主の目も忘れ、全身血塗れで嗤うフォルトゥナ。

 彼女の周辺には無数の人間の残骸が――否、元々人間だったかどうかも怪しい細切れの肉塊が周囲に散らばっていた。


「本っ当に人間の命って簡単に壊れるんだねえ!! 軽くいなしただけで息の根がピタッと止まっちゃった!!」


 踊るように、肉塊と鮮血の散らばる周囲をくるくる回るフォルトゥナ。その光景はまるで遊んでいるかのようで、そしてとても楽しそうで。

 だが、その光景を間近で見ていたユークリッドは、決して彼女に賛同しない。


「……フォルトゥナ、余は全ての人間を殺せとは命令しておらぬ。殺す人間の数は貴様自身で決めてよいとは命じたが、少しばかりの人間は血液補充用として生かして残せとも命じたであろう」


 鋭く難詰する主君だったが、配下は全く聞く耳持たない。ショートブーツを履いた小さな足で肉塊をぐりぐりと踏みにじりながら、歓び半分苛立ち半分で答えた。


「どうして? 彼らはみんな聖騎士でしょ? ぬけぬけと生かしていたらアイツらの反撃を許しちゃいますよ?」

「その中には戦闘力を持たぬ民草も混ざっていた。聖騎士は全て殺せど、非力な民は餌として残すに値するとは思わぬのか?」

「――ああ、もう、うるさいなあ」


 苛立ちが勝ったためか、フォルトゥナは唐突に無礼な言葉遣いとなる。

 反抗的な眼差しでユークリッドのことを見据えつつ、フォルトゥナは臆すること無く(なじ)る。


「いくら主とはいえ、配下の愉しみを邪魔するのはどうかと思いますけど? ユークリッド様だってフォルたちの目を気にせず拷問してたり死刑にしたりするでしょ? フォルの殺戮(これ)も同じようなものですよ。自分だって同じことしてるのに、他人が楽しんでたら止めるんですか? 理不尽じゃないですか?」

「……」


 その理論はあながち間違いでは無いことが非常に腹立たしい。

 配下に正論で押し切られることはかなり(しゃく)だったが、正論をムキになって覆そうとする主君の姿は見るに耐えない。故にユークリッドは、冷たい眼差しと共にただ沈黙することを選んだ。


 そんなユークリッドの胸中など知る由も無いフォルトゥナは、餓鬼に相応しい無邪気かつ冷酷な笑顔で話を進める。


「あ、ユークリッド様は新鮮な生き餌が損なわれたことにお怒りだったみたいですけど、別に死体だから血が全部無くなるなんてことは無いじゃないですか」

「……確かに、死後硬直を起こす前ならば僅かに残ってはいるが」

「それにほら、もし死体の血液が損なわれてしまったのなら、こうして零れてしまった血を掬い取ればいいんですよ」


 と、フォルトゥナは不意に四つん這いになり、死体の山の傍らに生じた深紅の水溜まりに顔を近付ける。

 まさか、とユークリッドは瞠目する。同時、こんな恥知らずな行為ができるかと嫌悪する。

 が、フォルトゥナはユークリッドの視線に介意せぬまま、水溜まりの鏡面に舌を伸ばし――


「ほら、こんなように……っ」


 ――犬のようにぺろぺろと舐め始めた。


「……っ、ぺろっ、っふ、あ……」


 主に醜態を晒しながら、一心不乱に血を舐めるフォルトゥナ。吸血行為によって理性を飛ばし、ただ獣のように餌に喰らい付く彼女の姿は、躾のなっていない野犬さながらだ。


「……!」


 あまりにも恥晒しな配下の姿に、流石のユークリッドも絶句した。

 本来ならばこのような愚者は排除することが妥当――なのだが、ユークリッドはあえてそうしようとはしない。


(……分かっておったことであった。フォルトゥナがこのような奴であるということは……)


 倫理や羞恥心を捨ててでも殺人を優先せんとする殺戮狂の四使徒。それがフォルトゥナ・リートだ。

 何よりの快楽である殺人のためならば真祖の命令でさえも無視する彼女のことを、ユークリッドはそういった理由で黙認している。ラリッサやカインがやったならば断じて許さないであろう無礼な行為も、彼女に関しては大目に見ていた。


 フォルトゥナの異能がとても強力でこちらにとって有意義であること、フォルトゥナの精神年齢は子供だから倫理が欠落しているのが当然だということ――それらもフォルトゥナの存在を黙認している理由である。

 が、それ以上に、ユークリッドがフォルトゥナの身勝手を許しているのは……



(……フォルトゥナを処断する行為は、余が『無責任』と周知にさせることでもあるのだからな)



 彼女――否、()をここまで殺戮に狂わせた責任は、興味本位で彼女を四使徒に招き入れた自分自身。自分からほいほい付いてきたラリッサとは事情が違う。

 だから、フォルトゥナがあからさまに吸血鬼社会を裏切らない限りは、四使徒の管理に関わる真祖として大目に見ようと、普段は冷酷で横暴なユークリッドは黙認していた。


 あくまでも、()を吸血鬼に変貌させた、己自身の名誉を傷付けないためだけに。

 そのためだけに、快楽殺人鬼の少女は今も野放しにされている――





*****





「――暁美くん?」

「……あっ」


 暮土の怪訝そうな呼び掛けによって、悠人の思考は五百年前から二十一世紀現代へと呼び戻される。


「すみません、少し昔のことを考えていて……」

「そのようなことは誰にでもあることですから、気にしなくても大丈夫ですよ。それで、思い返していたのはやはりフォルトゥナ・リートのことですか?」

「ええ……」


 暮土に尋ねられた悠人は素直に首を縦に動かす。


「……さっき理事長が仰った通り、フォルトゥナは簡単に人を行方不明にさせたり簡単に人を傷付けたりと何だってできます。でも、それら全ては自分の欲望を果たすためにしか使われない……()()()()という、彼女にとっての最高の愉しみのためにしか……」

「つまり、フォルトゥナ・リートは殺人性愛(エロトフォノフィリア)の持ち主――より端的に言えば『快楽殺人鬼』であるということですね?」

「……」


 無言ではあるものの、先ほどと同じように悠人は首肯。


 暮土が言うように、フォルトゥナは快楽殺人鬼。あらゆる現象を起こせる可能性を持つ異能は全て殺人のために使用され、四使徒としての使命を差し置いてでも殺戮に及ばんとする、四使徒きっての狂人であった。

 そんな見た目ばかりは可愛らしい猟奇殺人鬼に目を付けられた以上、「賭け事の景品」という名目で攫われた叶が最後どうなるかなど想像に容易い。


(だから……早くカナのことを見つけなきゃいけないっていうのに……)


 悠人の目の前に立ち塞がっている現状はあまりにも非情。

 フォルトゥナの手によって思うが儘に居場所が隠された現在、叶の居場所を割り出すことはとても困難。一応いそうな場所は徹底的に探しているのだが、それでも全く見つかる気配は無い。

 このまま一週間経ってしまえば、叶はフォルトゥナによって殺されてしまう。否、たとえ一週間が経過していなくても、最悪の場合この数分の間にも、叶の身は危機に瀕しているかもしれない。景品ということになってはいるが、殺すことしか頭に無いフォルトゥナが考えを改めるだなんて充分あり得ることなのだから。


(カナが見つからないままだったら、仮にそうなってしまえば、俺はきっと……)


 と、最悪の展開を簡単に連想してしまうくらい、現在の悠人は追い詰められている。

 そんなこちらの様子を、暮土は見逃していなかった。


「暁美くん。悪いことは言いません……が、一度君は浅浦さんのことから離れて、頭を落ち着かせた方がいいかもしれません」

「えっ……」


 それは悠人にとって「叶を見放せ」ということと同義。

 叶を放っておくことなど絶対にできないため、当然反論しようとしたのだが、暮土はその隙を与えなかった。


「焦っていては最適な考えは思い浮かびません。それどころか、余計に愚かな考えに至ってしまうことでしょう。……そう、かつてのボクみたいに」

「……」


 暮土が言うと、妙な説得力がある。

 かつて冷泉院暮土は、半吸血鬼という数奇な宿命を憎み、「真祖を殺せば罪深き己も死ぬことができる」という理由で悠人を襲ったことがあった。その時の死に急いでいるかのような彼の表情、そしてその目論見を知った彼の妻の哀惜極まる怒鳴り声を思い出せば、自然と悠人も今のこの発言に納得してしまう。


「はっきり言わせていただきますが、今の君は浅浦さんのためならば平気で己の身を滅ぼしかねない。大切な者のためならば平気で自分を犠牲にしようとしていたのでは?」

「……はい。だってこうなってしまった原因は全て俺にあるようなものですし、俺が責任を取らないと、って思って……」

「ですがそんな自己犠牲を、きっと浅浦さんは望んでいないと思いますよ。……いえ、彼女だけでなく君の最愛の恋人も、護るために自分の身を売ろうとする暁美くんの姿は見たくないはずです」

「……そういえば、俺の親友も同じこと言ってたっけ」


 先日、解も暮土と同じように、悠人の自己犠牲精神をそれと無く責めてきた。


『――悠人が自分自身を大切にしなかったら、浅浦さんにしてもフォーマルハウトさんにしても、悠人がずっと『護りたい』って想っていた人たちが悲しむっていうことは考えていないのかい?』


 と。


 その時は「自分の存在意義が失われる」という恐怖心から、親友相手に必死に反抗していた。が、今では同じ状況であるにも関わらず、反抗の意思は湧いてこない。


(……俺が闇雲に護ろうとすれば護ろうとするほど、カナやローラを傷付けている。そんな姿なんて誰から見ても愚かしい、ってことなのかな)


 こうも似たようなことを短期間で立て続けに言われてしまえば、強情な悠人でも心を折らざるを得ない。

 不甲斐無さから生じた溜め息を零しながら、観念したように悠人は告げる。


「……分かりました。ここはお言葉に甘えて、少し外で空気を吸ってくることにします」


 やはり内心では「悠長にしている場合では無い」と喚き立てたい気持ちが勝っていたが、悠人はそれを必死に押し殺し、愚かで醜い自分を隠すかのように小さく笑んだ。

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