マッド・ティーパーティー
「入って」
フォルトゥナの後を追った叶は、入り口から一番遠い部屋に案内された。
外観がすでに廃墟なのだから、当然のごとく内装も廃墟同然。割れた壁と襤褸切れのような絨毯、マットレスだけのベッドと革の破れたソファが哀愁を誘う。
「ボロボロでごめんねー。一応こっちは『住めればいいや』の精神でやって来たからさー。……あ、お茶出すからちょっとそこのソファに座って待っててね」
「あ……うん」
本来ならば自分は、フォルトゥナたちの何らかの目的を果たすための人質のはず。なのにどうして客人のようなもてなしを受けているのだろうか。
その理由は、電気ケトルで湯を沸かしている最中のフォルトゥナが自ら打ち明けた。
「確かにカナは人質っていう扱いだけど、フォルたちにとっては立派な客人でもあるからねー。お茶くらいは出すって」
「そ、そうなの……?」
「そうだよ。普段フォルたちは同じ『四使徒』の仲間とか自分の部下とかしか関わりを持ってないからね。特にユークリッド様を失って以降は……ね」
「よん……? ユークリッド、様……?」
「あ、それについては後で説明するね。とにかくまずはお茶淹れないと。お湯もちょうど沸いたことだし」
明るい声音で答えつつ、フォルトゥナは慣れた手付きでティーポットに茶葉……とジャムのような妙な液体を淹れ、熱く沸いた湯を注ぐ。
そしてティーポットと二つ分のティーカップを盆の上に乗せ、それらのお茶請けセットを叶の前にドンと置いた。
「よいしょ、っと。もうちょっと待っててね。今淹れるから」
「えっと……蒸らした方がいいんじゃないかな……?」
「何? 一応もてなしているけど君はあくまでも人質。それなのに口答えするの?」
正論を言ったつもりだったのだが、何故か凄まれてしまった。
この場においてフォルトゥナに逆らうことは死を意味する。無意味に命を散らさないためには、反論したりせず大人しく見守っているしかなかった。
「あ……ごめんなさい」
「分かればよろしい」
こちらが謝れば、フォルトゥナは案外すんなりと納得してくれた。
結局彼女は、自ら強引に押し通した通り、一切蒸らすこと無く茶をティーカップに淹れていく。芳しい茶葉の香りと熱い蒸気が、瞬く間に廃墟の部屋に充満した。
「はい、お待たせ。飲んで」
鮮やかな色をした紅茶が注がれたカップを、フォルトゥナが叶の前にずいと差し出す。一見ではとても美味しそうだ。
だがここは怪物の本拠地。そんな恐ろしい場所で呑気に茶を啜る神経を、叶は持ち合わせていなかった。
「……あの、」
「あ、もしかしてミルクティー派だった? それとも砂糖が欲しいとか――」
「えっと、そうじゃなくて……」
「まさか、この期に及んでいらないって?」
再び凄むフォルトゥナ。可愛らしい容姿をしている彼女からは、凄絶で邪悪な気配が漂っていた。
「あのさ、君本当に自分の立場分かってる? 君は目的を果たすための人質なんだよ? 今はこうやってもてなしてるけど、言うこと聞かなかったら殺すからね? 代わりになりそうな子なんていっぱいいるんだから」
「……っ!」
今の彼女ならば、ちょっと刺激を与えただけで簡単に逆上して殺害を図りかねない――と、悟った叶は怖気付く。
(駄目だ。逆らったら殺される。悠くんにも二度と会えなくなる……!)
結局、死を恐れるあまり逆らう気力を失った自分は、あまりにも弱いと痛感する。
叶の反抗心はあっさりと折れ、気圧されるがままティーカップを手に取ってしまった。
「毒とかは入って……無いよね?」
「当たり前じゃん。フォルも飲むものなんだもん、毒なんか入れらんないよ」
僅かとはいえ叶に反抗されたからだろうか。フォルトゥナはたいそうご機嫌斜めだった。
「まあいいや。そんなに疑うんだったらフォルから飲む。そうすればカナも疑わないよね」
臍を曲げつつも彼女は茶を飲むことは忘れない。ティーカップをぐいと呷り、熱い茶を嚥下へと流し込む。喉を火傷する危険性がありそうな飲み方だった。
「ぷはーっ、やっぱりフォルが自分で淹れたお茶は格別の美味しさだなあ」
瞬く間に空になったティーカップを両手で包み込んでいるフォルトゥナの顔は、満足げに綻んでいる。誰から見ても「美味しいものを口にしたんだな」と分かるその表情を前にして、まさか彼女が飲んでいた紅茶に毒が入っていたと思うものはおらぬまい。
頬を薄く朱に染め、ちろりと名残惜しそうに唇を舐めるフォルトゥナ。そんな彼女の様子に釣られ、叶もカップの中の紅茶を飲む。
(たぶん、大丈夫なはずだけど……)
そして、一口流し込んだ。
正直に感想を言うと、とても茶葉の味が濃い。そして茶葉の風味の奥に、何故か茶の渋みとは違う別の味が紛れ込んでいる。一体何倍茶葉を淹れたら、それ以前に何をティーポットの中に淹れたら、一体このような味になるのだろうか。
だが、決して不味いという訳では無い。むしろ独特の味に慣れさえすれば、多少は美味しいと感じることもできた。
「……まあ、美味しい……かな」
「でしょでしょ? やっぱりフォルトゥナに淹れたお茶に間違いは無いもんね!」
腰に手を当て、自信満々といったようにフォルトゥナは笑う。残忍な吸血鬼という情報を度外視して見てみれば、本当に無邪気な子供同然だと感じた。
そんなフォルトゥナを目の当たりにしたせいか、それとも差し出された紅茶の効能か、気付けば叶の恐怖心はだいぶ薄れていた。充分に警戒するべき相手だということに変わりは無いが、それでも最初よりかは面と向き合うことができるような気がする。
「ところで、あたしはこれからどうしたらいいのかな?」
再び茶で喉を潤した後、叶は率直にフォルトゥナに尋ねた。こうやって訊くことも、恐怖心が募っていた最初期の状態では儘ならなかったことだろう。
当のフォルトゥナも叶がようやく心を開いてくれたことをお気に召したのか、邪気の無い笑顔を浮かべながら素直に答えてくれた。
「あ、まだここに連れてきてどうするのかは言ってなかったね。人質に取った本当の目的はまだ教えられないけど、これからどうすればいいのかは教えてあげようかな」
罅割れたガラステーブルに頬杖を付き、フォルトゥナは言葉を重ねる。
「率直に言っちゃうけど、フォルの話相手になってほしいんだ」
それは、拷問を始めとする加虐や犯罪への加担などといった暗黒面漂う行為を想像していた叶にとって、かなり面食らうものであった。
「……それ、本当? あ、もしかして警察の尋問みたいな……」
「そんな物騒なものじゃないよ。本当にただのお喋りだから。例えば、カナは普段どんな生活をしているのかとか、反対にフォルはどんな生活をしているのかとか、そんな感じのね」
「……」
フォルトゥナの表情は嘘を言っているようには思えない。深紅の瞳を爛々と輝かせ、心から客人との談話を楽しみにしているようだ。
この設けられた談笑の場であれば、おそらく何を喋っても(無論罵詈雑言は禁句だが)フォルトゥナは許してくれるはず。逆に口を貝のように閉ざしている方が、フォルトゥナの機嫌を損ね殺害へと踏み込ませてしまう可能性があった。
(とにかく、何か喋った方がいいんだよね)
意を決して、叶はひとまず一番聞きたかったことを問うてみることにした。
「じゃあ……どうして吸血鬼はこの世に存在しているのかについて聞いてもいい?」
「何だ、そんなこと? まあ、導入として喋るにはちょうどいい内容ではあるけどさ」
フォルトゥナは目を丸くしていたが、すぐさま了承の笑顔を浮かべる。
それから即座に、叶の質問に対しての回答を述べた。
「でも残念だったね。吸血鬼なんてフォルが吸血鬼になる前からごまんと溢れ返ってたから、詳しいことは分からないや」
「は、はあ……」
あまりにも淡白な答えに、今度は叶が目を丸くした。
一体いつから吸血鬼はいたのか――それについて疑問視する叶に、フォルトゥナは再び紅茶をティーカップに注ぎながら話を続ける。
「あ、でも吸血鬼になる方法っていう、前提としての話だったらできるかも。それでもいい?」
「あ、うん」
首を縦に動かすと、フォルトゥナはいかにも楽しそうな笑みを浮かべたままで語り始めた。
「人間が吸血鬼になる方法は至って簡単、ただ吸血鬼の血を飲めばいい。数滴くらい口にすれば、たちまち不老不死の身体と人間離れした身体と特別な異能力が手に入るのさ。ほぼデメリット無しにね」
「つまり貴女も吸血鬼の血を飲んだからそんな風になっているってことなんだね」
「あ、フォルはちょっと違うな。フォルはユークリッド様の血を飲んで吸血鬼になった『四使徒』だからね」
「四、使徒……それ、さっきも言ってたよね……?」
僅かに困惑した表情を浮かべた叶に、フォルトゥナは腰に手を当て誇るように答える。
「四使徒っていうのは、全ての吸血鬼の祖先のユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム様の血を直接頂いた、いわば吸血鬼の中のトップエリートみたいなもの。何せ偉大なユークリッド様の側近っていう肩書きがあるんだもん、吸血鬼にとってはこの上無い名誉だよ」
「そうなんだ……。あ、でもその肝心のユークリッド様っていう人は見当たらないけど……」
「あー、それにはちょっと複雑な事情があって。今ユークリッド様のお傍にはいられないんだよね」
困ったように言うフォルトゥナを見て、叶はそのユークリッドという主が何処か別の場所に出向いているものだと思考した。
が、実際は叶の想像以上に複雑だったようで。
「ユークリッド様ね、過去に一度お亡くなりになられているんだ。いろいろ運命の転機が回ってきて今では再びご復活されているんだけど、その時の事故のせいで記憶を無くされていて……そのせいでフォルたちのこと、敵だと認識なさっているみたいで……」
「結構苦労していたんだね、貴女たちも」
「全くだよ。まあ、現在ユークリッド様はこの街で男子高校生として生活なさっているみたいだし、ここでじっくり機会を窺えばかつての記憶を取り戻すことは容易なんだとは思う。それだけが救いかな」
そのフォルトゥナの言葉に、叶は妙な悪寒を覚える。
(男子高校生……もし彼女の言うユークリッド様っていう人の正体が、あたしに関わりのある人なのだとしたら……)
しかし、一瞬思い浮かんだ悪夢はすぐに振り払う。もしかしたら自分の単なる思い込みにしか過ぎなかったという可能性もあるのだから。
机上の空論を思い浮かべるだけでは本当のことは見えてこない。意を決し、叶は真相に踏み込むための質問をフォルトゥナにした。
「その……ユークリッド様が今どんな人でどんな立ち位置にいるのかっていうのは、きちんと把握しているんだよね……?」
問いを受けたフォルトゥナは一瞬だけ面食らったような表情を浮かべていたが、すぐさま叶が知りたがっている内容を察したのだろう。ニヤリと悪戯っ子のような――否、シリアルキラーさながらの残忍な笑みを浮かべ、叶の質問へ回答した。
「当たり前じゃん。そうじゃなきゃこんな極東の田舎に四使徒が降り立つことなんて無いし、ユークリッド様の関係者として、幼馴染である君に人質の価値を求めたりもしないしね」
「え……」
自分の思い描いた空想が杞憂で無かったことを知らされ、叶の思考は停止する。
まだ結論は告げられていない。それでも今までフォルトゥナが発言の中に散りばめていたいくつかのヒントは、叶にとっては答えに直結してしまうほどに分かり易すぎるものだったのだ。
「あれ? その様子からするに、もしかして答えに気付いちゃった?」
フォルトゥナの笑みがさらに悪辣さを増していく。
これから彼女がどのような手段に出るか――それは彼女自身の性格と今までの傾向から判断すれば、答えは一つしか考えられないだろう。
(お願い……どうか、言わないで……!)
だが、無情の怪物相手に、叶の切なる願いは意味を為さず。
「気付いたなら言っちゃうけど、お察しの通りさ。ユークリッド様の正体は君の幼馴染――ユート・アケミその人だよ」




