遊戯開幕
「賭け事、だと……?」
ゼヘルが口にした言葉の意味が分からず、悠人は思わず眉根を顰める。
だが人道など欠片も無い四使徒が考えたことだ。絶対にろくなものでは無い。
「ふざけるな……! カナはお前らの道具じゃない……!」
「道具としては見なしておりませんとも。先日彼女を拉致した際は真祖様奪還に有用できる道具と捉えておりましたが、今回においてはとある理由において非常に最適な人材と踏んでおります」
「とある理由……?」
「僭越ながら、それ以上語ることは禁止されております。知りたくば我々が提案する遊戯に勝利することですな」
「……っ!」
計画を頓挫させるつもりは無いらしい。酷薄な笑みを浮かべこちらを見つめるゼヘルに、悠人は苦々しく顔を歪めた。
と、その時、ようやくローラが悠人たちの元へと追い付く。
「状況は理解した。つまり貴様らの提案をこちらが飲まねば、永遠にカナエは助けられんということだな」
「ローラ……?」
「ユート、貴君が彼奴らに従う気が無いというのは分かる。私だって同じだ。だが今だけは、従容と従うべきだろう。癪だが」
苛立ちと共に唾棄したローラは、ゼヘルを睨み付けながら詰問する。
「然してゼヘル・エデル、その賭けの内容というのは如何なるものなのかね?」
「至って単純だ、クルースニク。ただ、一週間以内にカナエ・アサウラをこの街から見つけ出せばいい。無論、我らが目を掻い潜ってだがな」
「ほう。拍子抜けするほど随分と甘いではないか。どうせ何か裏があるのではないのかね?」
「裏など無いとも。真祖様の御前にて裏を掻くような真似をしては、四使徒と真祖様の名誉に傷が付く」
それからゼヘルは、悠人へと再び視線を向け、
「さて、真祖様。仮に一週間以内に幼馴染の少女を探し出すことに成功したのならば、素直に彼女をお返ししましょう。その間、我々は彼女に一切害は加えないと約束致します」
「……もし、一週間以内に見つけ出せなかったら?」
「申し訳ございませんが、その際は彼女の身柄は保証できませんな」
「……っ……!」
つまり、叶を助けるためには否が応でも従え、ということか。
真祖を手中に収めるためにまたも大切な幼馴染に手を出した四使徒の悪辣さに、悠人は吐き気を催したくなるほどの嫌悪を感じた。
「ともかく、大切な幼馴染を助けたくば、我々の本拠地を探し当てることですな。……尤も、自分の個人的な意見としては、このまま彼女のことを見捨てられる方が真祖様にとって得策かと思われますがね」
「何……?」
意味深に付け加えられた言葉に怪訝な顔をすると、ゼヘルは小さく笑いながら背を向け、静かに立ち去っていく。
さらに一言、嫌味のような言葉を付け加えながら。
「現在の真祖様にとって、あの少女の存在は、クルースニクに恋慕をお抱きになっている貴方様には相当な重荷なのではないですか?」
その去り際の一言に、悠人は何も反応することができなかった。
結局あの後、悠人たちはゼヘルのことを逃がしてしまった。
「ユート、何故彼を追わなかったのかね?」
学園へと戻る道の途中、ローラが責めるような口を利く。
逆に何故彼女は単独でゼヘルを追わなかったのだろうと疑問視はしたものの、悠人はそれを蒸し返すことはしない。
今の自分は責められて当然だ――そう考えていたから。
「……なあ、ローラ。俺がカナを護ろうとすることは、間違っているのかな」
「……? 急に何を言い出すのだね」
「昨日ローラに『好きだ』って伝えただろ? そんな風に、俺がローラに恋心を抱けば抱くほど、カナの心を傷付けている気がして……。だったら、ローラを愛しながらカナのことを護ろうだなんて、思わない方がよかったのかなって……」
ローラのことを好きにならなければよかった、とは決して口にしない。
当人が目の前にいるのも理由だが、何よりも自分自身がこの揺るぎない想いを捨てたくないと、自分自身で強情を張っているからだ。
今の自分は何者よりもローラに恋焦がれている。その想いは何にも替えられない。
だが、その「替えられない想い」のために、自分は幼馴染を吸血鬼たちに売り渡してしまった。彼女の気持ちを裏切り、彼女を護ることを放棄してしまったのだ……
「ユート」
……と、悠人が自責の念に駆られていた時、ローラが不意に口を開く。
「仮に貴君がカナエのことを見捨てたのならば、私も貴君を見捨てるつもりでいる」
彼女の口調は、悠人を何処か責めているようで。
否、責めているというよりも叱咤激励しているかのようだった。
「私と貴君が今こうして付き合うことができているのはカナエの存在があってこそだろうに。それを貴君自ら放棄するということは、私との関係性を放棄するということでは無いのかね?」
「あ……」
「思い出したまえ。私と貴君がそもそも何故共闘の盟約を結んだのかを」
ローラに指摘され、悠人はハッと思い出す。
それはつい昨日結んだばかりの「たとえ世界が赦さなかったとしても、私のことを一途に愛すること」のことを指しているのでは無い。それよりもずっと前――それこそ悠人とローラが出逢って間も無い頃にした話を指しているのである。
――暁美悠人の人間としての一面が消えない限り、クルースニクは真祖を殺さない。
――そして暁美悠人の護りたい存在を二人で共に護っていく。
そんな誓いを。
「……そうか。今、俺とお前の関係を繋いでいるのは、紛れも無くカナ……」
「そうだ。互いにカナエのことを大切に想っていなければ、私と貴君は相思相愛にならないどころか、未だに敵同士のままだったであろう」
それからローラは、再び咎めの口調で悠人に言う。
「これからカナエを救うことはカナエ自身のためだけでは無い。ユートと私のためでもあるのだよ」
「つまりそれって、ローラに嫌われたくなかったら従うしかないってことだよな……?」
「否だな。何よりも、このままカナエを救えず後悔をするのは貴君自身ではないのかね?」
「……」
たとえローラに心惹かれようと、それでも叶の「英雄」でいると誓った。
解に「無理して想う必要は無い」と言われようが、ゼヘルに「彼女の存在は重荷だ」と言われようが、それでもずっと長い間絆を築いてきた彼女のことを、放っておくことなどできない。
「ローラ、俺……お前のことはすごく好きだけど、だからといってカナのことを見捨てるなんて、できない。これが『間違い』だって指摘されたとしても、それでもカナを救いたい」
「……貴君ならば、絶対にそう答えると思っていたよ」
悠人の決断を受け、ローラはたった一言だけの同意を送る。
こちらを責め立てるような感情は見られない。否定的から肯定的となった意思を存分に受け止めようとしていることが見て取れる笑みを、整った白皙に薄く浮かべていた。
「ならば話は早い。即座にカナエ救出に向け行動を移すべきだ」
「そうだな。まだ期限はまるまる一週間分残っている。今すぐに動けば『遅すぎた』なんてことは無いだろうから」
答えつつ、悠人は能天気なほどに青く澄み渡る空を見上げ、心の中で静かに宣言する。
(待ってろ、カナ。お前だけの英雄として、絶対に助け出してやるから――)
*****
その頃、自らでも知らぬ間に賭けの景品となった叶は、フォルトゥナに連れられとある場所に来ていた。
「ここ……何……?」
端的に言えば、そこは廃墟。崩れ落ちた外壁、割れたガラス、色褪せた看板、二度と灯りの付くことの無いネオン――建築物としての死を迎える前はかなりいかがわしい営業をしていたことを匂わせる外観だ。
色の禿げた看板には、うっすらと「モーテル リプルパレス」という文字が書いてある。
「ああ、ここは簡単に言っちゃえば、この国におけるフォルたちの拠点みたいなものだよ」
平然とした足取りで建物の敷地内へと立ち入りつつ、フォルトゥナは答える。
「看板にも書いてある通り、ここは『リプルパレス』っていう名前の建物。日本語に訳すると『漣の宮殿』ってなるんだけど……まあ、そんな大層な名前付いてても結局はラブホテルなんだよね」
と、冗談交じりに言うフォルトゥナだったが、叶は心理的に話を聞ける状況では無かった。
(どうしよう……付いてきちゃったけど……)
今更のように後悔が湧き上がる。
何せ無邪気な少女の姿をしていても彼女は吸血鬼にして殺人鬼。のこのこ付いていくくらいなら、真っ先に逃げて助けを求めるべきだったのだ。
しかし人間以上の力を持つ怪物相手に逃げるなんて物理的に不可能だし、何よりも「従えば欲しいものが手に入る」という甘い誘惑のせいで精神的に逃げることも不可能になっていた。
(でも……もし大人しく従えば、もう一度悠くんに恋をすることができるようになるんだよね? しかも、ローラちゃんが傷付かない方法で……)
フォルトゥナに素直に従えば、悠人を再び愛することができるようになる。他の誰もを傷付けることなく、自分は幸せになることができる。
頭の中でそう繰り返し唱えると、不思議と後悔と恐怖が薄れていく。まるでフラッシュバックから逃れるために何度も麻薬に手を出す薬物依存患者のようだな、と自分自身で錯覚してしまうほどに。
(……そうだよ。一度決めたことなんだから、最後までそれに従わないと駄目。そうしないと、悠くんに釣り合うあたしになれないから……)
強くて勇敢でカッコよくて優しい幼馴染の少年。そんな彼に釣り合う恋人になるためには、ローラみたいな確固とした意志と強さが必要なのだと、叶は考えている。
だからきっと、この試練は彼と釣り合わない臆病な自分を変えるために必要な試練。断じて乗り越えなければならない壁なのだ。
(……再び悠くんを好きになることが許されるなら、どんなことでも受け入れなきゃいけないから。だから……)
恐怖心を無理やり押し殺し、叶は先行くフォルトゥナの後を追って行く。
これがさらなる絶望に繋がる道だとは知らずに。
今日6月1日、ブラッドラスト・リザレクションが1周年を迎えました。
ここまでやってこれたのも皆さんの応援があってこそです! ありがとうございます!




