水面下の敵
クラスメイトが失踪したからといって、今後の授業が中断することは無い。
結局叶を欠いたままで、悠人たちは昼休みの時間を迎えることとなった。
本来ならば悠人は、自身の軽率さのせいで叶を傷付けたことに悲嘆しながら昼休憩の時間を過ごそうとしていたのだが、
「悠人、ちょっと来てくれないかな?」
「……解?」
昼休み開始と共に、親友の解が悠人のことを手招きしたのだった。
(もしかして、今朝のことを咎める気なのか……?)
そう考えるも、即座に違うと判断する。
解は今朝の騒動に一切関わっていない。親友が困っている状況なのだからすぐさま首を突っ込むかと思われたが、何故か今朝の彼は遠くから事態を見つめ続けているだけだった。
だからきっと、今彼が目の前にいるのは別件のはずだ、と悠人は一人頷くものの、
「ちょっと、今朝の浅浦さんのことで少し聞きたいことがあって……心苦しいとは思うけれど……」
「……」
やはり、他人の目論見などそう上手く読めるものではない。結局は最初の予想通り、叶のことを傷付けた自分のことを親友として咎める気なのだろう。
そう考えていたが故に、解が今朝の一件について触れた瞬間、悠人の顔は無意識に強張っていた。
だが、その懸念は少々誇張されすぎていたようで。
「そんなに身構えないでよ。僕は悠人のことを責めたりなんかしない。今までもそうだったろう?」
「そう、だな。お前が俺のことを怒ったことは、一度も……」
「うん。今回も悠人のことは絶対に怒らない。……でも、親友として事情だけはどうしても聞いておきたいんだ。このまま悠人が落ち込んだままだと僕も気が気じゃないから」
「……そうか」
このまま拒んでも解は絶対に食い下がらないだろう。彼の真剣な眼差しを見て、自然とそう感じてしまう悠人。
だからこそ、重い腰を上げることとした。
「……まあ、少しくらいなら」
「本当にごめんね。後できちんとお詫びはするから」
「いいよ。俺の気なんか使わなくても……あ、ローラは連れてこない方がいいよな?」
「うん。二人きりで話がしたい」
「分かった。ローラに言っておく」
と、悠人は一旦解から目を離しローラに向き合おうとしたのだが、
「あれ……?」
教室にローラの姿が無かった。
授業中はちゃんといたはずだ。彼女の真白い後ろ姿をずっと見ていたのだから間違いは無い。
だとしたら、悠人が解と話している隙に何処かへと去ってしまったと考えるのが打倒であろうか……と思いつつ、悠人は近くにいた小鳥遊という名の女子生徒に訊くこととした。
「なあ、ローラ見なかったか?」
「ああ、フォーマルハウトさん? あの人なら何か薬研先生に呼ばれてたよ?」
「薬研先生に?」
「うん。なんか大事な話があるみたい」
一瞬目を点にするも、すぐさま腑に落ちる。
ローラは打倒ラリッサのためにずっと冷泉院家と手を組んでいたと耳にした。故にエルネに呼び出されたのは、昨日のラリッサとの戦いの事後処理のためなのだろう。
(……薬研先生なら心配無いか)
信用できない人間だったならば黙っていられる自信が無かったが、エルネは充分信用に足りる。彼女に呼び出しを食らったローラの身を案じることは杞憂であろう。
隅から隅まで納得がいったため、悠人は快く教えてくれた女子生徒の時間をこれ以上浪費させることを止めた。
「分かった。ありがとな」
「暁美くんの頼みならお易い御用だよ。あと、そういう暁美くんも楽しんできてね」
「楽しむ? 何をだ?」
「城崎くんとの二人きりのお喋り。だって最近の暁美くんと城崎くん、二人きりでいることなんて滅多に無かったから――」
「……」
何かこの女子生徒は多大な誤解をしているのではなかろうか。
親切にも答えてくれた彼女の前で、悠人は一抹の不安を抱いた。
*****
一方、昼休み開始早々エルネに呼び出されたローラは冷泉学園高校の保健室にいた。
が、保健室に立ち入るや否や、待ち構えていた予想外の人物に目を見開くこととなる。
「待っていましたよ」
「貴君、クレド・レイゼイイン……!?」
保健室に据えられているプラスチック椅子に、この学園の理事長を務める立場でもある元・半吸血鬼の男が腰掛けていたのだった。
学校行事以外では滅多に学園に来ないはずの人物が、予期せぬ場所で待ち構えていたことに驚くローラ。
しかし当の本人はその吃驚すらも予想していたようで、薄い微笑みと共に落ち着いた声で答えた。
「そんなに驚かなくても。ボクだって時には学校に顔を出しますよ」
「しかし貴君には立派な執務室が学園から与えられているではないか。何故保健室なのだね」
「ああ、理事長室のことですか。ですがエルネが立ち会っていた方が話しやすいかなと思いまして」
「それは理事長室か何処かにエルネスタ・メディチを呼び出せばいいだけの話では無いのかね?」
「ですが養護教諭という立場上彼女は持ち場をなかなか離れられない。ならばボクの方から来てやろうと考えたんです」
「アタシとしては仕事場に来てもらいたく無かったんだけどねェ。しかも自分自らフォーマルハウトを呼びに行かず、アタシのことをパシると来た」
冷めた目でエルネが苦言を呈したが、それは綺麗に流された。
「それで、今日ボクが呼び出した理由ですが、それはもちろんあれから暁美くんと君の関係がどれくらい進展したのかについて――」
「冗談はよしたまえ」
「すみません。何となくからかってみたくなったもので」
「……」
今まではネガティブな一面しか垣間見ることができなかったため想像もしなかったが、こんなにも彼は冗談を言うような奴だったのか。
暮土の言動に苛立ちながら、今度はローラの方から話題を追及した。
「昨日からの一件、すなわちラリッサ・バルザミーネとの戦闘おける話であろう?」
「少し違います。吸血鬼絡みであることは確かなんですけれどね」
暮土は微苦笑しつつ、本件を語る。
「単純に言えば、ラリッサ・バルザミーネを省いた四使徒の動向についてです」
「……」
自然と、ローラは固唾を飲んでいた。
ここ最近、四使徒の中で目立った行動を起こしていたのは独断で動いていたラリッサのみ。それ以外の三人は、悠人の監視こそはしていたものの大胆には動いていなかった。
(……確かに、これまでの四使徒は静かすぎた)
四使徒の本質は、ただ真祖を取り戻すことだけを最優先とする非道の存在。真祖を手中に収めるためならば何だってする彼らが、ただ獲物を前に呑気に構えているなんてことがあるはずが無かったのだ。
一体彼らは今まで何をしていたのか。それに対しての見解を、暮土は口にする。
「おそらく、他の四使徒はラリッサ・バルザミーネが自滅する時まではあえて動かないようにしていたのでは無いかと思われます。四使徒の中に一人だけ独断で真祖を狙った者がいるとなれば、彼らの筆頭のカイン・シュローセンが黙っていないはずですから」
「カイン・シュローセン……」
悠人と初めて共闘の盟約を結ぶ前、遊園地にて邂逅した一匹の狼(実際には狼の姿に偽装した吸血鬼)の姿が、そしてその際に彼が主に向けた言葉が、ローラの脳裏に思い浮かぶ。
『――この償いとして、当分はユークリッド様を無闇に吸血鬼側に引き戻すことは致さないと約束します』
(当分、か……)
かつて真祖の一番の側近であったカインがいつまでも大切な主を野放しにする訳が無い。「当分は襲わない」とあの時は語っていたが、真祖の再覚醒から一ヶ月半ほど経過した今、そろそろ彼が主に魔手を伸ばしてもおかしくは無いといえよう。
だがその記憶に対しローラは、痼のように後味の悪い感覚を覚えていた。
(しかし、それは一体『いつまで』を指している……?)
にじり寄りつつもしばらく様子を窺うつもりなのか、今すぐにでも静寂を打ち破り襲い来るつもりなのか……それはローラにさえも予期できない。
だが唯一理解できたことは、これまではじっと息を潜めていた残りの四使徒たちが、ここに来てようやく動きを見せたということだった。
ローラの疑心を見透かしたかのように暮土が言葉を続けたのは、その直後のこと。
「そして案の定、ラリッサ・バルザミーネは自滅した――言い換えるならば、勝手な判断で真祖を独り占めしようとした邪魔者が消えたということになります。これでようやく四使徒は、自らの王として真祖を万全な形で迎え入れる準備ができたと言えるでしょう。だから四使徒がボクたちに牙を剥くのも時間の問題かと」
「……本当に『準備ができた』のかね?」
ローラの疑念は消えず。
「ラリッサ・バルザミーネは死んだ。つまり四使徒は現状一人欠けている状態だ。そのような空白があるような状況でこちらに挑もうが全力は尽くせまい」
「甘いですよ、その意見は。まさか四使徒筆頭がそのリスクを考慮していないとでも言うつもりですか?」
こちらを見下しこそはしなかったが、暮土は鋭く目を細めて反論した。
「間違い無く、カイン・シュローセンは四使徒が一人欠けることを見越した上で行動を起こしています。何せ彼は五手ならぬ十手先をも見通す男。『一人足りない』というハンデを手玉に取るほどの結果論を確実に有しているはずですから」
「確かに、四使徒の中でも参謀役に徹しているとされる彼ならば、逆境を好機に変えるような手段を秘めていても何ら不思議では無いが……」
「ええ。そしてこれはあくまでもボクの憶測に過ぎませんが――」
剣呑を感じさせる表情で、暮土は答えた。
「――彼は二つほど、暁美くんを精神的に崩壊させ得る手段を持っています。警戒しておいた方がいいかと」
「……ユートが、」
自身の想い人に知らぬ間に危機が迫っていると知らされ、ローラが無意識に身震いした時のこと、
「――話の途中で悪いが、どうやら緊急事態のようだ」
それまで退屈そうに窓の景色を眺めていたエルネが不意に険しい顔を浮かべ、この場にいる者たちに告げた。
「どうかしたのかい、エルネ」
「微かにだが、学園の周囲に吸血鬼の気配を感じたのさ。昼間でありながら感知できるってことは、おそらく相当強力な吸血鬼なんだろう」
暮土の問いにエルネが返答したその瞬間、ローラは嫌な予感を感じ取ってしまった。
「まさか、四使徒……!?」
「その可能性も否定できない。ともかく、学園の生徒や暁美のことが気掛かりならばすぐさま現場に急行するべきだろうねェ」
「無論、分かっている!」
敵性の吸血鬼が出た以上、呑気に授業を受けている場合では無い。クルースニクとして討滅するべく、直ちにローラは保健室を飛び出そうとする。
ましてや今は友人が外に飛び出している状況なのだ。彼女を巻き込ませないためにも、尚更急がねばならない。
だがローラの去り際に、暮土がやおら告げてきた。
「お急ぎのところ申し訳無いですが、貴女に一つだけ警告を」
「何だね!? 私は急いでいるというのに――」
苛立つローラにはお構い無しに、暮土は続ける。
「――城崎解には最大限警戒してください。彼は冷泉院家当主でも把握できない、得体の知れない存在です」
「……」
何故この時になって、彼の名が出てきたのかは分からない。
しかし今、優先すべきは彼では無く目先の吸血鬼。ローラは暮土の発言をあえて無視し、脱兎のごとく保健室を出ていった。
だが頭の中では、暮土の一言が鐘のように延々と谺し続けている。
「仮に解が最大限の警戒対象に当たるのならば、悠人が彼と親友同士なのは不味いのでは無いか」と。




