結ばれた後に
お待たせしました。第5章の開幕です。
第5章からはダークファンタジー成分が増し、後半につれて辛いシーンも多くなります。
しんどいかもしれませんが何卒お付き合いくださいませ……!
拉致状態からの脱出とラリッサとの激戦を経て、疲れ切って帰宅早々泥のように眠った後、初めて迎えた朝。
「ん……」
昨夜の出来事のせいであまりよく眠ることができなかったが、それでも悠人はいつも通りの時間に目を醒ました。
今日は平日、通常通り授業がある。ラリッサに攫われていた間、全く授業に出ることができなかったため、せめて今日からはきちんと出席して授業の遅れを取り戻さなければならない。
そんな訳で悠人は上体を起こし、ベッドから抜け出ようとしたのだが……
「……あれ」
ふとベランダの方向に目を遣ると、そこには寝間着を纏ったローラが立っていて。
彼女の耳には携帯電話が押し当てられている。朝早々にも関わらず通話中のようだ。
(……何、話してるのかな)
やけに険しい顔をした彼女が妙に気になって仕方が無い。
ベランダに通じるアルミサッシが僅かに開いていたため、悠人は耳を澄ましてそこから会話内容を窺うことにした。
そんな悠人の盗聴には気付かず、ローラは相変わらず通話を続けている。
「……何度も言わせるでない。何も問題は無いと言っているだろう?」
『僕としては納得が行かない。君が本当に真祖の監視を続けていたというのならば、君を迎えに行ったはずのルチアだけが屍となって教団に帰ってくることは無いと思わないのか?』
「それは……単に私の監督不行届、私が怠慢で無ければ防ぐことができた事態だ。それに関しては申し訳無いと考えている」
『ローラ、今までの君ならば吸血鬼の蛮行に対して怠慢であるなど無かったはずだろう? 何故同胞から犠牲者を出しておきながら、君は真祖のことを『監視』という名目でずっと放置している? そこがどうも腑に落ちないんだ』
「……一度は殺害に踏み込もうとした。だが奴の力は思った以上に強力であり……」
『その『殺害に踏み込もうとした』時というのは、まさかだけどヴァレンシュタイン猊下が最後に君と連絡した日よりも後のことなんだよな? まさかとは思うけれど、最初に真祖と出逢った日に殺害を試みて以降手出しをしていない、なんてことは無いよな?』
「……それは、」
『とにかく、近いうちに会いに行く。ローラが本当に滞りなく任務を進めているのか、僕としても気になるところだから』
「な……! 待ってくれ、それだけは……!」
『それじゃあ、また今度。今は君も暇じゃないだろう? もちろん僕も同じだが』
そこで、通話は切れたようだ。
回線が切れた音が空気を震わせた後、通話が終了したことを知らしめるツーツーツーという音が携帯電話から虚しく響く。
「……」
ローラは携帯電話を耳に押し当てたまま、その場を動こうとしない。
風に靡いて揺れるレースカーテンのせいで表情は窺えなかったが、彼女の俯いた顔は憂悶と苦悩で揺れているように見受けられた。
しかし、そんな挙措を見せていたのは通話終了から僅か三十秒ほどのこと。
すでに起床済みの悠人の存在に気付くや否や、ローラはハッと顔を上げ、作られたような柔らかい笑顔を向けてくる。
「……起きていたのかね、ユート」
「いつも通りの時間に起きただけなんだけどな」
「……そうか」
現在のローラの声からは、いつもの凛とした雰囲気は感じられない。妙に弱々しい。
やはり、先ほどの電話が原因なのだろうか。悠人は訊かずにはいられなかった。
「……なあ、さっきの電話の相手って――」
「――貴君は気にするな。これは私の問題だ」
弱々しかった声が一変、いつも通りの凛とした声音――というよりも感情を殺したような強張った声音で、ローラはこれ以上の発言を制す。
その表情は何処かぞっとするほど冷たくて。気圧された悠人は思わず口を噤んでしまった。
しかし悠人が怯えたと気付いたからなのか、すぐにローラは強張った雰囲気を崩し、最近よく見せるようになった穏やかな笑顔をこちらに向けた。
「……ああ、すまない。少しきつい物言いだったな。当たり散らして申し訳無い」
「いや、そうやって無理に立ち直らなくても……」
「問題無い。先ほど弱みを見せてしまったのは私の落ち度だが、それでも貴君までもが気に病む必要は無い。だからそのような暗い表情はするな」
「そうは言ってもだな……」
自分の知らない誰かとの通話の際に見せていた苦痛の表情が忘れられず、悠人は大人しく食い下がることができずにいる。
だがローラは、そんな悠人の元へとそっと駆け寄り、慰むように声を掛けた。
「分かってくれ、ユート。私の抱えた苦しみは貴君が想像している以上に重いものだ。その領域に貴君に足を踏み入れさせ、貴君に必要以上の精神的苦痛を負わせるのは避けたいのだよ」
「……」
「かつては欠片も思ってなどいなかったが、今の私は貴君を悲しませたくないと感じている。貴君にはただ、私の傍で笑っていてもらいたい」
「……それは、俺も同じだっての」
諭すようなローラの言葉に、悠人はただ小さく同感の意を見せる。
そう返した自分がどんな表情をしていたのかはよく分からなかったが、現にこちらに向けローラが変わらず笑顔を向けているということは、負の感情を感じさせるような顔では無かったということなのだろう。
「はは、そうか。つまり私と貴君は恋人同士であるが故の似た者同士という訳のようだな」
「……ああ」
今までどうも気が晴れなかった悠人。
しかしローラが発した「恋人同士」という一言で、靄が掛かっていた心がすっと晴れたように感じた。
――昨夜、念願叶って二人の「愛している」という想いが通じ合った。
その嬉しい事実を再確認できたような気がしたから。
*****
暁美悠人とローラ・K・フォーマルハウトは晴れて相思相愛となった。
互いが抱えている宿命が故に素直になれず、幾度となく立ちはだかった障害に足を掬われながら、それでも紆余曲折を経て二人は結ばれたのだった。
だが悠人は吸血鬼の真祖、ローラは吸血鬼殺しの聖女。本来ならば二人は、互いに殺し合うことを運命付けられた宿敵同士。
それ故、両想いになっても障害は起こり続けるだろう――否、今までよりもいっそう過酷な障害を放り投げられることだろう。
悠人を再び吸血鬼界の頂点に立たせようと画策する四使徒たちは、当然真祖とクルースニクの恋を良しとはしない。そしてローラの後ろ盾となっているマリーエンキント教団の聖騎士たちも、近い将来二人の仲を引き裂こうと動くはずだ。
(……でも、)
しかしこの先厳しい現実に直面するのだとしても、悠人は自分の誓いを撤回しようとは思っていない。
(たとえ世界が赦さなかったとしてもローラのことを一途に愛すると、ローラと一緒にそんな新しい盟約を結んだんだ。今さら撤回なんてできる訳も無い)
互いに愛を伝え合った昨夜、悠人は真に覚悟を決めた。
たとえ運命が赦さなくてもローラの笑顔を護り続けよう、と。
たとえ天命が赦さなくても彼女のことを愛し続けようと、と。
たとえ宿命が赦さなくても二人のこの関係を永遠に続けよう、と。
そして、この「二人の関係は永遠に」という想いは、きっと――
(――きっと、ローラも同じはず……だよな?)
確認する意味を込めて、恋に浮つく心を妙に高鳴らせながら、悠人は横に座る彼女を見遣る。
現在は暁美家のリビングで朝食の最中。ローラは悠人の隣の席でトーストをさくさくと齧っている。
と、不意に彼女がこちらの視線に気付く。それと同時、赤い瞳に射貫かれるや否や頬を紅潮させ、すぐさま照れ臭そうにそっぽを向く――そんな恋する乙女のような反応をあからさまに取った。
そんな二人の反応から読み取れる感情は、無関係な第三者から見ても分かりやすすぎるもので。
「……ねえ悠人、もしかしてローラちゃんとお付き合いすることになったの?」
「――っ!?」
一緒に席に着いて朝食を摂っていた母親・頼子の不意打ちの問い。
それを一直線に受けた悠人は、動揺のあまり思いっ切り噎せた。
「な、何なんだよ急に!」
「息子と同居している女の子の関係に気付かないほど鈍感なお母さんじゃないわよ、私は」
コーヒーを飲みながら平然と答える母。
それからマグカップを静かにテーブルに置くと、僅かにニヤついた顔をこちらに向けてきた。
「それにしても、まさか悠人がローラちゃんと両想い、とはねえ……。貴方たちが入院している間に距離が密接になったということなのかしら」
「あ、ああ。まあ、そんな感じだよ。たまたま俺たち病室が同じだったから、な、ローラ?」
「……入院? 私はおろか、貴君は入院など――」
「しー!」
ローラがうっかり本当のことを漏らしそうになったので、悠人は無理やり口を封じた。
悠人の手の平で口を強く押さえ付けられたローラは、不服そうにふごふごと顎を動かす。
「ふぁひをふるほふぁえ!(何をするのだね!)」
「……お前が言ったんじゃねーか。『一応今までは事故で入院してたことになっている』って」
「……」
思い出したのか、ローラは大人しく押し黙った。
昨夜ローラが口にしていたことなのだが、どうやら自分がラリッサに拉致されていた間、学校や親には「交通事故を起こしてローラともども一週間ほど入院している」「少し特殊な治療を行っているため面会謝絶でお願いしたい」と説明されていたらしい。
そんな説明がよく通じたなとは思ったが、おそらくそこには今回の協力者である冷泉院家の力が働いていたのだろう。恐るべき権力だ。
そして悠人の母もまた、そんな冷泉院家のでっち上げをすんなりと受け入れた一人である。
昨夜遅くに久々の帰宅をした際、彼女はぎょっと驚いた顔で息子と居候人を出迎えたのだが、すぐさま「ああ、そういえば……」と妙に納得したような様子を見せていた。
「えっと……とりあえず、そういうことでいいみたいね?」
さて当の母は、きょとんとした表情で悠人とローラを交互に見渡している。幸いにもローラがうっかり口を滑らせそうになったことには気付いていないようだった。
「まあ、二人とも最近はいい感じの関係だと思っていたし、お付き合いすることには何の問題も無いと思うわ。きっと大ちゃんだって同じ意見のはず」
「……そうか。ならよかった。もし反対されたらって思うと――」
「――でも悠人、貴方とローラちゃんはそれでいいのかもしれないけれど、逆に不幸せになる人もいることも忘れないで」
唐突に母に真剣な声音を切り返される。
それは何処か、息子のことを戒めるかのようで。
「貴方、叶ちゃんの想いも大切にしなさいよ。何せ叶ちゃんは、ずっと昔から悠人のことを……」
「……分かってるよ」
そんなこと、ローラを意識し始めた時から分かっていたことだった。だから悠人はそう返答した。
……そう、分かっているつもりだった。
しかし、結果として叶のことを何も分かっていなかったと、近いうちに悠人は思い知ることとなる。




