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朽ちた薔薇


 しかし、暁美悠人もローラ・K・フォーマルハウトも気付いていなかったが。


 ラリッサ・バルザミーネはまだ死んでいなかった。





「……っ、はあっ、あっ……」


 どうにか力を振り絞り、瓦礫から這いずり出る。

 

 何の偶然か、クルースニクが最後に放った一撃はぎりぎり心臓を外れていた。

 故に今、自分はこうして生きている。銃撃に加え瓦礫による圧迫も付加されたため、全身には相当のダメージを喰らったものの、その傷を少しずつ癒しながら、自分はこうして生きていた。


 だが、身体の傷は癒えつつあるのだとしても、心の傷は全く癒えていない。


「……っ、あ……ユークリッド、様……」


 紅い瞳から、勝手に大粒の涙が零れてくる。

 自分はユークリッドに棄てられた――そう自覚する度に、ラリッサの心は激しく悲鳴を上げた。


「どうして、アタクシを、アタクシだけを、見てくださらなかったのですか……? ユークリッド様……。貴方のことを、誰よりも、愛していたというのに……」


 転がる瓦礫を素手で掴む。悔恨を込めて握り締めれば締めるほど、掌からは赤い血が滲んだ。

 しかし泣こうが喚こうが、欲しかったものはもう手に入らない。いくらこちらが心を奪おうと手を尽くしても、彼の心はするりとこの手をすり抜けてしまうのだから。


「どうすれば……貴方はアタクシを愛してくださったのです? アタクシが貴方のお話に耳を傾けたのならば、アタクシが貴方を抱いたのならば、きっと貴方は……」

「そんなことじゃユークリッド様の心は掴めないと思うけれどね」


 嘆いていた最中、不意打ちのように耳に届いた第三者の声。

 この数百年間飽きるほど聴いた、あの白い聖女以上に激しく憎んだ存在の声だった。


「――っ!」


 顔を上げる。

 やはり、想定していた通りの人物が目の前にいた。


「クルースニクに撃たれたものだからてっきり死んだものと思っていたけれどね……まさか生きていただなんて。流石にこの事態は想定外だったよ。まあいいけれど」

「あ、貴方……何故この場にいるのです……!?」

「いるも何も、僕は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 小さく苦笑しながら、()は毒を吐いた。


「君が考えていることに僕が気付いていないとでも思った? 四使徒筆頭としてユークリッド様の参謀役を買って出ていた僕が、君の穴だらけの杜撰(ずさん)な策を出し抜けない訳が無いじゃないか」

「一体、いつから気付いて……」

「最初からさ。君が京都にダインを派遣し、聖騎士の少女を篭絡し、上手いことユークリッド様とクルースニクの仲を断絶させた頃からね」


 ユークリッドの側近として、四使徒の中でも一番真祖に寄り添っていた彼。誰よりも、何よりも真祖に全てを捧げ行動していた彼。

 そんな彼が最初から計画の全貌に気付いていたというのならば、間違いなく介入し、真祖の独占を阻止しようと動くはず。


 なのに、敢えてそうすることはせず、この時まで傍観を決め込んでいたということは……


「さては、こちらが勝手に自滅する時までアタクシを泳がせようとしていらっしゃいましたのね……!」

「ああ、そうさ。こんな欲に溺れた愚かで醜い吸血鬼の処分のために、僕も手を汚したくなかったから」


 くすりと優雅に微笑を浮かべながら、彼はこちらへと歩を進める。

 が、一見では優雅に見えるその微笑には、底が見えぬほど黒々とした邪念が籠っていた。


「本当だったら僕の()()()()()の成就をスムーズにするために、君にはクルースニクの手で死んでもらいたかったんだけれどね。でも、どういう偶然か君は生き残ってしまった。おかげで今から僕は不必要に手を汚すことになってしまったよ」

「あ、嫌……! 来ないで……!」

「無理。君のことを生かしておくと害にしかならないから。ユークリッド様にとっても、僕たちにとっても」


 さらに彼は一歩、二歩と肉薄。ラリッサとの間合いが一メートルほど開いた位置で停止した。

 そして、片腕を真横に突き出し、肌色の皮で覆われた人間の手を()()()()()()()()()()()()()()()()へと変貌させる。

 おそらくあれは豹か獅子の腕だろう。勢いよく引っ掻けば緩慢に肉が抉り取られるだろうと推測できる、鋭く砥がれた爪が月下で鈍く輝いていた。


 そんな風に臨戦態勢を見せた彼が次に何をするかなど、ラリッサには分かり切っている。


「君は自分勝手な欲望のためにユークリッド様の御身を穢し、害した。はっきり言って、そんな身勝手な女をいつまでも四使徒の座に置いていたら僕たちの顔にも泥が塗られてしまうんだよ」


 彼が腕を天高く振り上げる。鋭利な爪が月光に照らされ燦然と輝く。

 ラリッサは咄嗟に荊で壁を作ろうと試みるも、まだ傷が完全に癒え切っていない身体では、同じ四使徒の攻撃から逃れることなどできるはずも無く。



「だから、さ。大人しく死んでくれよ」



 ――グサッ



 鈍い音を立てて腕が身体の奥にのめり込む。鋭い爪が身体の奥に潜んでいた核を的確に引っ掻く。

 当然、吸血鬼にとって致命的な傷を負わされた以上、ラリッサはこれ以上生きられない。


「あああああああああああああああああああっっっっっ!!」


 醜い断末魔を夜空に轟かせ、真祖の眷属たる吸血鬼『四使徒』の一柱()()()娘は無惨に命を散らした。





「あーあ、ラリッサ死んじゃった。四使徒とは思えない死に様だったね」


 灰となって舞い散ったラリッサのことをせめてもの報いとして見送っていた彼の元に、一人の人物がやって来る。

 十歳を超えたばかりと思わしき幼女だ。道化師のようなチグハグで派手な衣装に身を包み、装飾が過度に盛られたシルクハットを目深に被った彼女は、さも可笑しそうにニヤニヤと笑っていた。


「フォルトゥナ? 僕の仕事が終わるまでゼヘルと共に基地で待機していろって言ったはずだけど?」

「気になったから来ちゃった。最近フォルってば留守番ばかりだったから飽きちゃって」

「まさかだけど、ゼヘルも言い付けを破って外出していたりはしないよね?」

「フォルと違って、ゼヘルならちゃんと律儀に待機してるよ。今頃部屋の中で剣の素振りでもしてるんじゃない?」

「そうか。ならいいんだけれど」


 ――本当に相変わらず、自由奔放な吸血鬼だ。

 

 呆れたように溜め息を吐きながら、改めて彼は来訪者を――『四使徒』の一人フォルトゥナ・リートのことを見遣る。

 フォルトゥナは目を怪しく輝かせながら、こちらにずいと顔を寄せてきた。


「ところでさ、これからフォルたちはどうするの? 四使徒が三使徒になっちゃったけど。そんでもって、ユークリッド様がクルースニクとなんか恋人関係になっちゃったみたいだけど」

「それに関しては大丈夫。癪だけれど、こうなることは想定の上の出来事だったから」

「ふーん。流石は五手先のみならず十手先を読むことに長けた四使徒筆頭なだけあるね」

 

 素で褒めているのか、それとも単に煽っているのか。彼女は小さな手でぱちぱちと拍手をした。

 そんなフォルトゥナのふざけたような挙措は軽く受け流し、彼はすでに仄白くなりつつある暁の空を見つめながら語る。


「ユークリッド様とクルースニクを相思相愛になるのは――いや、相思相愛()()()ことは、これから僕たちが行うべきことを考えたら避けては通れなかった。皮肉だけれど、ユークリッド様とクルースニクの絆を深めておけばおくほどこれからの展開が上手く運ぶんじゃないかと踏んでいるよ。尤も計画当初はそんなこと考えてもいなかったけれど、事情が変わったから」

「ユークリッド様とクルースニクの仲がまた元通りになっちゃったのも想定通りのこと?」

「ああ。それにどうせ近い未来、こちらが手を尽くさずとも絆はまた敗れるさ。だからその時まで待とうと思う。その頃になればユークリッド様もこちらにお戻りになりそうだし」

「わー、めんどくさい。まあ君が何を企んでいるかはフォルも知ってるからこれ以上の言及は避けるけどさ」


 こちらに呆れたような視線を送りつつ、フォルトゥナは続けて訊く。


「でも今後のことを考えたら、流石に四使徒が一人欠けているのはまずいんじゃないの? いくらフォルたちがユークリッド様並に強いとはいえ、この先マリーエンキント教団とかクルースニクとかと敵対した時、正直三人だけだと先行きが不安なんだけど」

「ああ、その点においては心配しなくても平気だよ」

「へ?」


 素っ頓狂な声を上げ、小首を傾げるフォルトゥナ。

 そんな彼女に対し、彼は一枚の写真を手渡しつつ返答する。


「新しく四使徒として迎え入れるに最適な人材には、充分な心当たりがあるから。()()ならばきっと上手いこと立ち回ってくれるんじゃないかと期待しているよ」

「新しい四使徒の一人、ねえ……フォルたちと並び立てるくらいの人材が現代にいるとは思えないけど……」


 半信半疑といった体で写真を受け取ったフォルトゥナだったが、


「……あれ? この子、もしかして――」


 写真に写った人物を見た瞬間、深紅の目が驚いたように見開かれる。

 それからややあって、彼女は「面白いものを見つけた」と言わんばかりに、口の端を三日月のように釣り上げた。


「――あのさ、この子への接触(コンタクト)、フォルがやってもいい?」


 その発言は、彼にとっては少々意外なものであって。

 思わず目を丸くし、訊き返さずにはいられなかった。


「えっ? でもフォルトゥナ、彼女のこと知っているのかい? 接触なら彼女と充分に交友関係がある僕の方がやりやすいなって思ったんだけれど」

「大丈夫大丈夫。フォル、昔一度この子に会ったことあるから」


 にんまりと悪意ある笑みを浮かべながら、フォルトゥナは人差し指と中指で写真を挟み、彼の前でひらひらと振る。




「何せこの子、数年前に幼いユークリッド様とご対面した際、ユークリッド様と一緒にいた子だし。手玉に取るのは余裕だって」







第四章「徒薔薇の楽園」 ――fin――

ここまで読んでくださりありがとうございます。

キャラ紹介の後、第4章は終了となります。


またいつも通り、書き溜めのため1ヶ月ほど休載いたします。

第5章は2019年5月頃開始予定です。お楽しみに!

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