捨てた矜恃
ダインスレイヴの相手を霧江と海紗に任せ、独りローラは聖堂の内部へ。
固く閉ざされた観音開きの扉をこじ開け、四使徒の一柱が支配する荊生い茂った空間へと足を踏み入れる。
「――参られたようですわね」
ローラが一歩踏み出した瞬間、眼前に生い茂る荊が一斉に開ける。それと同時、背後の扉が勝手に閉ざされ、勝手に蔓延した荊によって頑丈に封鎖される。
もう後戻りはできない――その頃になって、ラリッサがローラに向け再び声を発した。
「アタクシからの呼び掛けに応じてくださって何よりですわ、もう一回アタクシの手で痛い目に遭わされたいご様子の愚かな小娘。今回こそは一度目のように運良く生還させる気は無くてよ」
「否。今宵死ぬのは貴様の方だ、ラリッサ・バルザミーネ」
ラリッサの挑発に対し、ローラはきっぱりと断言する。
今の自分は屈辱的な敗北を味わったかつての自分とは違う。そんな確信が、胸の中に在るからこそ。
「何故なのだろうな。不思議と今宵は貴様に負ける気がしていないのだよ」
吸血鬼の力が一際増す深夜の時間帯は、いくらクルースニクとはいえ吸血鬼に敗北する危険性が高い。ましてや四使徒の場合、先日以上に無残な死に様を晒す可能性すらあった。
それなのに、戦況的には不利だと分かっているのに、心が絶対かつ確固な自信に満ち溢れているのは――
「おそらく『貴様のようなイカれた女に大切な存在を奪わせる訳にはいかない』という私の想いが、以前貴様に敗北した際以上に強固になったからなのではないかと思っているのだがね」
と、ローラが清々しいくらいの笑みを浮かべつつ言い放った刹那の、ラリッサの反応は劇的なものであった。
「その憎まれ口……つまりそれは、アタクシに先日以上の責め苦を負わせられようが文句は無いということかしら」
煮えたぎる怒りに満ちた声がラリッサの腹から発せられるや否や、数十本もの荊の束がローラに向け一斉に射出される。
ラリッサの動向を見切っていたローラは瞬時に上方へと退避、そして比較的荊の密度が低い地点に着地し、彼女のさらなる攻撃を警戒する体勢を取った。
しかしラリッサの怒りの攻撃はそれだけに留まらない。新たに何十本もの荊が敵に向け解き放たれた。
「貴女がその気ならば大いに結構。貴女が命を散らし無惨な肉片と化すまで存分に痛め付けて差し上げますわ。それがアタクシの四使徒としての義務ですもの」
さらに彼女は、自ら戦おうと一歩前へと踏み出した。
自身の袖口から伸ばされた荊、そして空間中に張り巡らされた荊で、クルースニクのことを打ち据え縛り上げ毒で犯さんと狙う。
『Magnificat anima mea Dominus, et exultavit spiritus meus in Deo saltari meo(我が魂は主を崇め、我が霊は救世主たる神を喜び讃えん)!』
ローラは身体能力増強の詠唱を素早く唱える。そして底上げされた脚力と跳躍力を以て荊の猛攻を躱した。
さらに、荊の連撃が途絶えた隙を狙い、銃剣を構え攻撃を放つ。
『Laudatus sis,mi Domine,propter fratrem ignem(主よ、我らが兄弟、炎によって貴公を讃えん)――』
だが、狙いはラリッサでは無い。
『――per quem noctem illuminas,et ipse est pulcher et jucundus et robustus et fortis(火は夜の光となり、美しく、心地よく、頼もしく、力強い)!』
銃剣によって放たれた業火が燃え移った先は、聖堂の周囲に鬱蒼と蔓延る荊たちだった。
言うまでも無いが、植物は炎に弱い。炎の穂先が荊を軽く舐めただけで、聖堂一体は瞬く間に火の海と化した。
が、この攻撃は前回ラリッサが放った言葉一つで瞬時に沈静化している。
当然、今回の炎上もたった一言紡がれただけで何事も無かったかのように消え去ってしまった。
「前回と同じような暴挙に出ても結果は同じですわ。炎たちよ、消えなさい」
言葉と同時に、ラリッサの袖からも数本の荊を射出される。
だがローラは素早く身を翻し、荊を巧みに躱す。ついでのように袖口から伸びる荊を断ち切るが、その途端にラリッサからは視線を外し、新たな攻撃態勢へと映った。
阻まれたにも関わらず、ローラが次に繰り出した攻撃手段は、先ほど同様の聖なる炎の放出。
『Laudatus sis,mi Domine,propter fratrem ignem(主よ、我らが兄弟、炎によって貴公を讃えん)!』
ローラはひたすら荊を燃やし続ける。ラリッサ自身が放つ荊の鞭を避けつつ、ただ一途に蔓薔薇を焼き続ける。
そして何度炎が消されようと、新たな炎を延々と生み出し続ける。次第に敵の命令の口が回らなくなるまで、何度も何度も。
連続して放出される炎の爆撃を前に、やがてラリッサの消火が追い付かなくなる。
その瞬間を見計らい、ローラはさらに詠唱。
『Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris(聖霊と共に、父なる神の栄光のうちに)――』
しかし狙いは四使徒では無く、またも周囲の荊。
『――Amen(然り、そう在らんことを)!』
銃口から放たれた猛烈な一閃は荊の壁を突き破り、果てにはその先にあった壁にまで直撃。堅牢な壁には大きな亀裂が入る結果となった。
ローラは壁に亀裂が入ったことを目視で瞬時に確認すると、再び先ほどと同じような一手に出る。
銃口から凄絶な一閃を放ち、荊もろとも四方の壁に一撃を与える――その行為の繰り返しを、ラリッサが繰り出す搦め手の荊を回避しつつ、ローラはひたすらに行う。
亀裂が徐々に広がり堅牢な壁が崩れる、その時まで。
「……? 何なんですの、彼女は……」
一向に繰り手を狙わないローラのことを、最初はラリッサは訝しんでいた。
が、次第にクルースニクの狙いが自分でも荊でも無くその先にあるものだと気付くと、瞬く間に顔を青くさせていった。
「……っ!? まさか貴方、気付いたんですの!?」
「憶測ではあるがな」
荊を避けつつ燃やしつつ、ローラは返答する。
「これまでの発言から察するに、貴様が有する異能の正体は『閉鎖空間の支配』なのではないのかね? もし仮にそうであるのならば、先にこの聖堂を破壊してから貴様を仕留めた方が手っ取り早いと思い、現に私はその行為を繰り返しているのだよ」
「――っ……!」
ラリッサの顔が苦虫を噛み潰したように引き攣る。
つまりそれは、図らずもローラの憶測が当たったということ。
「閉鎖空間において貴様が無敵であるのならば、私は問答無用でこの空間を破壊する。私は吸血鬼の討滅のためならば手段を選ばぬクルースニクなのだからな」
「――」
ローラの揺るぎない宣告を耳に打ち込まれ、思わず顔を俯かせた四使徒ラリッサ・バルザミーネは、戦意を失ったかのように見えたのだが――
「――『吸血鬼の討滅のためならば』? 笑わせないでくださる?」
不意に、そう切り返される。
刹那、彼女の袖口から伸びる荊を含め、聖堂中の荊がローラの身体を覆い尽くした。
「ぐ、っあ!?」
秒以下の時間で起こった出来事だったため、敵の警戒を怠らなかったローラでも見切ることができなかった。
腕、脚、胴、首、携える銃剣までもが無数の荊に絡め取られ、ローラは動作を完全に制限される。無論、先ほどのように空間の崩落を狙った集中爆撃を繰り出すことは不可能だ。
(チッ……このままでは先日の二の舞ではないか……!)
ローラの心に焦りが生じる。
ここで手こずっていては、前回と同じように身体を締め上げられ、荊に溜め込まれている致死量の毒を全身に流し込まれることとなってしまう。そうなれば最後、今度こそ本当の命の終わりになりかねない。
一方ラリッサは、以前と同じ状況に陥っているローラを前に、嘲りと怒りを割って足したような表情で告げる。
「『吸血鬼の討滅のためならば手段を選ばない』と言うのならば、ユークリッド様のことを救おうとなさる貴女の一連の行為もまた矛盾では無くて?」
「……」
ローラは一瞬押し黙る。
ラリッサの言い分は正しい。何故ならユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルムは吸血鬼の真祖、全ての吸血鬼の王にして核たる彼だけを特別視し殺さないというのは、クルースニクとしての在り方としては間違っている。
だが、それでもローラは自身の想いを曲げなかった。
数日前に投げられたとある言葉が、今のローラの全ての行動と思想の原動力として稼働していたから。
『貴女だってもう自覚したでしょう? 彼への想いは単純な絆とは違う、熱くて固くて激しいものだって』
『だったら――その答えがすでに出ているというのならば、どうして彼のことを強く求めているのか、口先じゃなくて行動ではっきりさせなさい。聖女ではなく一人の少女として』
(……そうだ。今こそ、私のありのままの想いを曝け出す時だ)
目を閉じ、考える。
彼に対しての熱くて固くて激しい想いは、この逆境の中でも胸の奥に確かに存在していた。
ならばその確固たる想いを、この哀れな吸血鬼に知らしめてやろう。
それが、自分の暁美悠人に対しての想いが本物だと証明できる、唯一の方法なのだから。
「認めよう。私は吸血鬼を滅ぼす存在として生まれた身だ」
「ええ、そうでしょう? ならば早くユークリッド様から手を――」
「だが今の私には、クルースニクとしての使命や聖女としての信念を曲げてでも、絶対に遂げたい想いがある」
神に背くことへの恐れはあった。聖女としてあるまじき行為をした怖れもあった。
それでもローラは、覚悟を胸に抱き、正々堂々と口にした。
「今、『聖女』では無く『一人の少女』として言おう。私はユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルムのことを――否、ユート・アケミのことを愛していると」
凛と言葉が発せられてから、数秒間の沈黙が場に満ちる。
しかし案の定、ラリッサの澄ました表情はみるみるうちに悪鬼羅刹のごとく歪んでいく。
そして、ややあって彼女の怒りは爆発した。
「――っ、そんなことは認めませんわ!! ユークリッド様はアタクシだけのもの!! アタクシだけの永遠の恋人!! クルースニクにも、四使徒にも、その他大勢蔓延る蛆虫どもにも!! そう、誰にも渡す訳にはいかないのですわ!!」
取り乱したように、ラリッサはがむしゃらに怒鳴り散らす。
そんな彼女の凄絶な怒りは、彼女が操る荊にも伝播していた。全身を覆い尽くす荊から大量の毒が一気に流し込まれ、ローラの意識を苦痛が急速に奪い取っていく。
「があ、っ……!」
身体中を蝕む激痛と麻痺に、ローラは堪らずのたうち回りたい気分に駆られる。だが全身を荊に縛り上げられているため、大人しく全身を毒漬けにされて生命を奪われる瞬間を待つことしかできない。
このまま逆上したラリッサに殺され、またも悠人の奪還に失敗してしまうのも時間の問題だ。
(こんな、ところで……!)
だが、その時、
「――っ、ああっ!?」
喚き散らすラリッサの腹から、突如荊とは違う硬質な異物が割り出てきた。
彼女の纏う赤いドレスよりも紅い血に塗れた、黒く長く鋭い、剣の刃と思わしき異物が。
「まさ、か……!」
不意打ちに大きな傷を負わせられたラリッサは、がくがくと震えながら背後を見遣る。
そこにいた人物は。
知らぬ間に背後に近付き、気付かぬ間に剣を突き刺してきた人物は。
「そのまさかだ、ラリッサ・バルザミーネ。よくぞ余の身を好き勝手に弄んでくれたな?」
今までずっと拘束し監禁し愛でていた、黒髪赤目の少年。




