Interview with "Larissa Balsamine”
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――あの御方だけが、本当のアタクシを見てくださった。
――だからアタクシが結ばれるならばあの御方しか有り得ないと思った。
本来のアタクシはとある選帝侯の娘。つまり、相当という言葉では言い尽くせないほどの大貴族の一族の生まれだった。
権力・富・財に恵まれた一家で生を授かったアタクシは、そこいらの女ならば一つ持っていれば優れていると言われるだけの要素を全て有していた。
先述した権力と富と財はもちろん、知識と教養と挙措、果てには優雅と蠱惑と美貌までもがアタクシには全て備わっていた。
そんな完璧なアタクシに惹かれ、数多という数多の男たちが言い寄ってきたのは、ある意味では世界の必然だったのかもしれない。
「嗚呼、貴女はこの世に咲くあらゆる花よりも美しい」
「貴女の美しさを言葉で表すことなどできようか」
「美しい宝石などでは無く、磨かれた宝石のごとき貴女が欲しい」
何百人単位にも及ぶ賛美賛賞の数々が、毎日のように送られた。
何十人単位にも及ぶ求愛求婚の数々もまた、毎日のように送られた。
だけどアタクシは、それら全てに一切を示さない。
誰も彼もがアタクシを上辺でしか捉えようとしていないし、誰も「アタクシ」という人間の本質を見ようとしていなかったのだから。
『彼女と婚姻さえできれば次の後継者はこの私だ』
『帝位に就く以上、伴侶はこれくらいできた娘で無くては私の名が廃るというもの』
『彼女の地位さえ奪えれば勝ったも同然なことよ』
婚姻を申し込んでいた男たちは、きっと内心ではこう思っていたに違いない。
人一倍知恵が回ったが故、アタクシはそう勘繰っていた。
結局、彼らはアタクシのことを地位向上と世継ぎ出産のための道具としか見ていないのだろう。
結局、彼らは完璧なアタクシのおこぼれに預かろうとする醜い存在でしかないのだろう。
何度も求愛され、こちらが断ると同時に舌打ちしつつ去って行く者たちを何度も見送る日々を繰り返す中、いつしかアタクシは『人間』という劣等な知性しか持ち合わせていない生き物に嫌悪感を抱くようになっていた。
――誰も彼も自分の利益しか考えていない、と。
――誰もアタクシという存在そのものを見てくださらない、と。
そんなある日、アタクシは運命の出逢いを果たした。
アタクシに真正面から向き合ってくださる御方と、奇跡的にも巡り合うことが叶ったのだ。
おそらくあれは、何百回目かの求婚を断った晩のこと。
「何故いつまで経っても婚礼しないのか」と咎める両親に嫌気が差し、衝動的に屋敷を飛び出した時のことだった。
「随分と憂いておるようだな、娘よ」
そうアタクシにお声を掛けてくださったのがアタクシの最上級の想い人――ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム様。
黒水晶のごとき髪と紅玉のごとき瞳を持つ麗しい御方、人々の目を惹き付ける妖艶な気配を纏う御方。
今までどの男にも興味を示さなかったアタクシの目が唯一射貫いた、この世の花という花よりも美しく、宝石という宝石よりも輝く御方と、アタクシはこの時を以てようやく巡り合った。
それはいわゆる「一目惚れ」というものだったのかもしれないが、ユークリッド様のことを初めてお目通りにした際、アタクシは反射的に理解してしまった。
――彼はおそらく、アタクシ以上に全てを兼ね揃えた御方だ。
自分でも訳の分からぬ高揚感に突き動かされ、当時のアタクシはつい反射的にユークリッド様に尋ねていた。
「あ……あの! 貴方もアタクシのことを地位向上や世継ぎ出産のための道具としか見ていなかったりしまして……?」
今考えるとたいそう無礼な物言いだが、この頃のアタクシは男性という男性に不信感を抱いていたが故、思わず訊かざるを得なかったのだろうと思う。
そんなアタクシに対し、ユークリッド様は咎めなさることはせず、ただ淡々とこう答えなさった。
「何処ぞの娘かも分からぬ者に対し、この余が斯様なことを思うとでも? おそらく貴様は相当の貴族と見受けるが、少なくとも余は貴様よりも教養や富や権力は勝っている。馬の骨に過ぎぬ貴様を地位向上や世継ぎ出産のための道具と捉えることは微塵もできぬな」
初対面の人間に掛ける言葉には似つかわしくない不遜な言葉。
だったが、これまで倦んでいたアタクシにとってはこの上ない救済の言葉だった。
――この御方だけは、アタクシの本質を見てくださった。
――だからこの御方ならば、アタクシが唯一持っていなかったものを授けてくださるに違いない。
故にアタクシは、自らユークリッド様の陣門に下ることとした。
人間としての生に別れを告げ、吸血鬼としての新たな生を謳歌すると誓った。
そして、アタクシの上辺では無い姿を見てくださったユークリッド様に一生を捧げ、ユークリッド様に一身を尽くし、ユークリッド様に一心な愛を注ぐと決意した。
完全なアタクシが唯一愛することができる御方は、アタクシ以上に完全な存在であるユークリッド様だけ。
完全な者同士の縁が結ばれることは定められた必然。あらゆる理想を詰め込まれ育てられたアタクシこそが、初めからあらゆる理想を揃えられて生まれたユークリッド様を愛するに相応しい。
――だから、アタクシに劣る者どもがユークリッド様を愛そうなどという蛮行を、アタクシは赦すことができないのですわ。
特に――本来ユークリッド様を殺す立ち位置であるはずの、憎き白の聖女に関しては。
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「うふふ……」
クルースニクの娘を殺してから数日経った夜。
ラリッサ・バルザミーネは含み笑いつつ、祭壇の脇に吊るされた愛しの彼にそっと頬擦りする。
相変わらず彼が反応を示すことは無い。喋らず動かず、荊に包まれながらゆっくりと規則的に呼吸を繰り返すだけ。
だが、ラリッサにとってはこれでよかった。
「クルースニクも死んだ今、アタクシとユークリッド様の愛を邪魔する者は誰もいない……。他の四使徒であれど、あと数日経てば為す術も無くなりますわ」
四使徒には自分よりも圧倒的に頭の回る男がいる。一度でも彼に見抜かれてしまえば、いくら完璧な計画であれど瞬く間に水泡に帰してしまう。
そんな重大なリスクを孕んでいてもなお、ラリッサには絶対的な自信があった。
「現在ユークリッド様のお身体には荊伝てに少しずつ媚薬が流し込まれている……ユークリッド様がアタクシ以外の全てをお忘れになり、アタクシの愛に溺れなさるまで、少しずつ。投薬が終わりユークリッド様がお目醒めになるまで当分時間は掛かるでしょうが、それでも邪魔さえ入らなければすんなりと仕上げが完了するはずですわ。うふふ……」
愛しの彼に語り掛けるように、ラリッサは囁く。
「そしてアタクシのご寵愛をお受けになったユークリッド様が再び目醒められたが最後、四使徒でさえももはや介入は不可能。ユークリッド様が『二度と余と彼女の間に手出しをするな』とご命令になれば、吸血鬼の全ては従うしかなくなるのですから」
真祖ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルムだけが持つ、吸血鬼を強制的に従える絶対命令権。一度発動してしまえば、四使徒含むあらゆる吸血鬼は彼の言うがままに行動せざるを得なくなる。
その命令権の使い手がこちらの手中に収まっている以上、そして唯一この状況を打破できる可能性を秘めていたクルースニクが死んだ以上、現在のラリッサは無敵の状態であった。
「そして誰もアタクシたちを阻まなくなった暁には、アタクシとユークリッド様で永遠の時を過ごすのですわ。この辺鄙な国から離れ、遠く離れたひっそりとした場所で、何十年何百年と永劫に……」
と、ラリッサが陶酔の笑みを湛えながら妄想を垂れ流し、今はまだ眠っているユークリッドの身体を激しく掻き抱いていた時のこと。
「……あの、ラリッサ様」
「あら、どうしたんですのリタ。アタクシとユークリッド様の睦み愛を邪魔しようとは、従者の分際でいい度胸ですわね」
気まずそうな様相で自身の配下が立ち入ってきたのを捉えるや否や、高揚としていたラリッサの機嫌が一気に悪化する。
しかしそれでも、普段は従順なリタが「来るな」という命令を無視してまでやって来たことに不穏な予感を感じ取ったラリッサは、ひとまず彼女の話に耳を傾けることにした。
「その表情……何やら只ならぬ事態が起こったのかしら。報告なさいまし」
「はい、実は……」
少しだけ逡巡と躊躇った後、リタは告げた。
「……クルースニクが、実は生きていたようです」
「……何ですって」
たちまちラリッサから凄絶な殺気が溢れ出す。
主人の冷たく殺伐とした気配を受け、リタの身体が一瞬びくりと震えたが、それでも彼女は望むがままに報告を続けた。
「どうやらあの後、レイゼイインの者がクルースニクの身柄を回収したらしく……それで懸命の治療の後、彼女は奇跡的な生還を果たしたようにございます。そして、クルースニクさながらの頑丈な身体機能と神術による治癒能力により、今ではすっかり五体満足に――」
「――結構。もう語らずとも良いですわ」
冷たい鶴声を放つラリッサ。
そして、つかつかと靴音を鳴らしながらリタの元へと歩み寄り、
「その程度のこと、どうして防げなかったのです?」
リタの胸に、荊の束によって形成された鋭利な槍を突き立てた。
「がっ、ぐはっ……!?」
「あんな混ざり物集団の介入など、貴女一人でも防げたはずでしょう? なのに貴女はできること、すべきことを怠った。アタクシの忠実な駒でありながら、何とまあ情けない」
心臓に甚大な被害を受けた以上、もうリタは生きていることができない。彼女の身体は末端から灰と化し、ほろほろと崩れ去っていく。
そんな配下を間近で見つめるラリッサの瞳は、心底激しい怒りに満ちていた。
「アタクシとユークリッド様の邪魔をするだけでなく、アタクシの完全な計画にまで泥を塗るだなんて。今まで頼れる配下として信用していたというのに、たいそう裏切られた気分ですわ」
「ラ、リッサ、さ……」
「こんな愚鈍な配下は、完璧なるアタクシにはもはや粗大ゴミ同然。大人しく消えてくださる?」
ラリッサが唾棄したと同時、すでに全身が灰となったリタは空気中に霧散した。
彼女は最期に何か言いたげな顔を浮かべていたのだが、使えない配下のそのような反応など、とっくにラリッサの脳裏から消え去っている。
「全く、とんだ不愉快でしたわ。ユークリッド様との甘い時間を壊され、挙句の果てに最悪の展開を聞かされるだなんて」
ラリッサは全てに苛立っていた。
完璧だった計画が台無しになった事実に、使えない部下が犯した失態に、思わぬところから手を出してきた冷泉院家に。
そして何よりも、完膚無きまでに殺したはずなのに生きている目障りなクルースニクに。
「……赦しませんわ。アタクシの計画に穴を穿った罪は重いですわよ」
怨嗟に満ちた声は、荊が張り巡らされた聖堂の中に、低く、重く、響く。
「今度こそ……ええ、今度こそは確実に殺させていただきますわ、クルースニク。アタクシとユークリッド様に対する危険分子になりかねない存在は早く摘み取らなければいけませんもの」




