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カウンセリング・イン・ザ・カフェ

 霧江に強制的に連れられた場所は、繁華街と住宅街のちょうど境界にあたる場所に佇む、昔ながらの雰囲気が漂う純喫茶。木造のクラシックな外観が落ち着きと懐かしさを感じさせる。

 しかしその静かな雰囲気の喫茶店の扉を、ずかずかと来店した霧江はバンと強く開け、店内の奥まったソファー席に悠人を力ずくで着席させる。


 そして後に続き、霧江もさっと着席。

 せかせかとしていた彼が落ち着きを取り戻したのは、カウンターでカップを磨いていたマスターに「すまない、ホットのアメリカンを一つ」と手短に注文した後のことだった。


「この喫茶は今の時間であればそれほど客はいない。それにここのマスターは多少ながら吸血鬼(こちら)側の事情に通じている。これほどまでにお前の相談に乗るに打って付けの場所はそうそう無いぞ」

「は、はあ……」

「あと、お前の分の注文は頼まなかったが大丈夫か?」

「大丈夫も何も、味覚の無い俺にコーヒーは味わえませんって」

「はは、そうだったな」


 小さく苦笑するも束の間、会話の間にテーブルに置かれたホットコーヒーに軽く口を付け、霧江は途端に真剣な表情となる。


「さて雑談はここまでとして、本題に入るとしよう」

「……聞きたいのは、昨夜何があったかということですね?」

「そうだ。薄々ながら察していただろうとは思うが」


 再びコーヒーを一口含んだ後、霧江は単刀直入に切り出す。


「一体何があった」

「……」


 眼鏡の下の鋭い藤色の瞳に射竦められ、悠人は無意識に口を噤む。


 霧江に敵意は無い。むしろ味方意識さえ感じられる。

 真実を打ち明けても充分に信用できる人柄であることは、彼が生徒会長としての仕事を公約通りにこなしていることからも分かっていた。

 それに、言わなければ彼からは解放してもらえないだろう。彼はそのためだけに、自分をこの喫茶店に連れてきたのだから。


 それでも悠人は、語ろうという気分になれなかった。

 

「……やはり、(だんま)りを決め込むつもりか」


 口を二枚貝のように閉ざす悠人に、霧江はほうぼう困り果てた様子。

 しかしそれでも、悠人への追及は諦めていなかった。


「お前がどのようなことを犯そうが、俺はお前に幻滅はしない。元々そういった狂気を孕んでいる存在こそがお前だと分かっていたからな」

「……それは、」

「それに、相談するべき時に相談することは己のために必要なことだ」

「……確かにそうかもしれないですけれど、」

「黙っていては何も解決しない。お前自身、今直面している問題をどうにかしたいんじゃないのか?」

「……」


 元々残虐な思考を抱く存在。数多の人間を肉体的かつ精神的に害してきた罪ありき者。そんな自己は今更どうにかできるものではない。

 だが、自分が本性を許してしまったせいで一人の少女の心を傷付けてしまったという結末は、どうにかすれば修復できるかもしれない。

 自分でも思い付かないそのための最善策を、第三者から得ることさえできれば。


「俺に吐きたいことがあるならば素直に吐けばいい。今は喜んで、俺はお前の吐け口になってやる」

「……分かりました」


 結局悠人は、霧江の好意に甘んじることにした。

 自分よりも遥かに聡明で公平な彼ならば、見つからない糸口をきっと共に見つけてくれるはずと信じ。


「……本当に、後悔しても知りませんからね」

「こちらの覚悟はできているさ。とにかく、言ってみろ」

「……じゃあ、昨日のことを最初から――……」


 霧江に促されるまま、悠人は洗いざらいに全てを――ルチアを殺したこと、それが原因でローラに拒絶されたこと、その経緯(いきさつ)の全てを語り始めた。





 そして、


「……そうか」


 悠人から事の経緯を一句漏らさず聞き終えた霧江は、傾聴している間に空になったコーヒーカップを静かにソーサーの上に置いた。

 それから、先ほどよりも困り果てたように嘆息し、


「とんだ災難だったな」

「……」


 再び口を閉ざす悠人。


 怒られると思っていた。軽蔑されると思っていた。

 なのに掛けられたのはこちらを気遣うような言葉。それに対しどう反応していいか分からなかった。


 悠人が責められることを期待していたのだろうと察したのだろう。霧江は再び嘆息し、憐憫の視線を向けた。


「それほど気に病む必要は無いと、俺としては思うが」

「……は……?」

「正直この件においてはお前が悪いとは一概には言えないと思った。それだけだ」

「……そんな訳が、」


 彼は何を言っているんだ。どう考えても傷付けた方が悪いに決まっているじゃないか。

 悠人はすかさず反論しようとしたが、即座に霧江に遮られた。


「そんな訳はある。確かに本能に溺れて快楽殺人に踏み込んだお前は確かに悪だが、あれはあくまでも横暴な手に出た聖騎士を食い止めるための延長線上にあった行為じゃないか。だとすれば、お前にそうさせる契機を作った聖騎士も悪だ」

「でも……」

「それに、悪いといえばフォーマルハウトの方もだ」


 突然縁が切れたはずの想い人の名前が登場し、悠人の心が動揺で跳ね上がる。

 こちらに返り討ちにされかねないことをしたルチアが悪いというのはまだ分かる。が、今回の事件に何一つ手を出していないローラが悪いとは到底言えないのではないか……?


「誤解はするなよ、暁美。世の中、必ずしも直接手を出した方が悪いとは限らない」


 まるでこちらの心を見透かしたかのように、霧江が言葉を続ける。


「そもそも、あの時フォーマルハウトがお前の言い分にきちんと耳を傾けてさえすれば全てが穏便に済んだのではないか……と、俺は考えている。尤も、意固地な彼女が素直にそうするとは思えんが」

「でも、あれは俺が『絶対に本能に呑まれない』っていう約束を破ったせいです。だから彼女が失望するのは当然だと……」

「だとしても臨機応変に対応することくらいはできるはずだ。少なくとも、俺ならばそうする」


 毅然と語る霧江は憤慨しているようであった。

 「自分が悪い」の一点張りな悠人にも、ここにはいないローラにも。


「フォーマルハウトが臨機応変に対応せずお前のことを突き放したのは、おそらく彼女が自分の感情に素直になれなかったからだろう。お前のことを大切な存在として信用していながらも聖女の誇りに縛られている――その矛盾に悩んでいたが故、お前のことをひとまず遠ざけようとしただけだと思うがな」

「……」

「だから、お前が一概に全部悪いとは言えない。罪を犯したお前の真意を受け入れず拒絶し、より事態を深刻化させた彼女の方も罪が重い」

「……」

「……あまり自分を責めすぎるなよ、暁美」


 若干立腹気味の彼だったが、不意に最後にこちらを気遣うような発言。

 きっと、いくら説得しても自分を責め立てる悠人を諭すための言葉だったのだろう。


「まあ、あまりこういうのもあれだが……一度フォーマルハウトと話し合ってこい」


 さらに気遣いの言葉の延長としてなのか、霧江は悠人に助言をする。


「一方的に自分が悪いと決め付けず、かといってフォーマルハウトに罪を擦り付けず、双方共に冷静になって言い分を伝えた方がいい。そうすれば道は開けるはずだ。あと、正直男女の仲(もつ)れに第三者は関わるべきではないだろうからな」

「……会長」

「行け。あまり日が経つとかえって気まずくなるだけだ」


 しっしとこちらを追い払うように霧江が手を振る。動作は不遜げだが、それとは逆に掛けられた言葉は優しかった。

 その挙措がどうも彼らしく感じられ、悠人は思わず苦笑してしまう。


「……会長って、案外優しいですよね。俺の話も聞いてくれたし、しかも俺の罪も赦してくれたし……」

「当たり前だろう。お前は俺の父さんを救ってくれた。こうやって相談に乗っているのは、あの時の借りを返しているだけだと思え」


 そういえば、以前霧江が似たようなことを言っていた気がする。

 あの時は暮土が大掛かりなことをしてまで自分の命を投げ捨てようとしたのを止めただけだったのだが、父親が救われたことに絶大な恩を覚えた息子の霧江と双子の妹の海紗が、破格の条件が付いた協力を申し出てきたのだった。


「あの時言ってた協力についてこと……本当に実行してくれるだなんて」

「俺は約束はきちんと守る人間だ。生徒会長選挙の時に演説で言った公約も全て実行しただろう?」

「は、はあ……」


 妙に偉そうな口振りにまたも苦笑いする悠人だったが、その裏では霧江の意見に得心を覚えていた。


 自分が犯した罪に対する罰がローラとの決裂なのだとしても、それでも彼女との寄りを戻したい。あの時は聞いてもらえなかった「ローラのことを想っている」という告解をもう一度言いたい――二人の絆を紡ぐのを、最初からやり直したかった。

 だが時間がかかればかかるほど気まずくなり、やり直しは難しくなる。霧江の言う通り、道を開くチャンスは今しかないのだ。


「……あの、会長」


 席から立ち上がり、真正面に座る霧江をじっと見る。

 自分が今どのような表情をしているかは分からなかったが、彼は何処か納得したような表情で微かに笑っていた。


「決心はできたようだな」

「はい。これも会長が道を開いてくれたからだと思います。本当にありがとうございました」

「馬鹿言え。道を開くのはお前自身だろう」

「……それもそうですね」


 ここに来て、悠人は苦笑いでも愛想笑いでも無い、心からの笑顔を浮かべることができたような気がした。

 数日ぶりに笑うことができたのは、自分の中の後悔が若干和らぎ、また自分の中の迷いが若干開けたからなのかもしれない。





*****





 ややあって、暁美悠人が清々とした顔で去った後の喫茶店内。


「全く……つくづく手の掛かる後輩だな」


 静かに流れるシャンソンをBGMに、ただ一人客として店内に残った霧江は、カップに残るコーヒーを静かに口に含む。

 彼の口の端には、微かな笑みが浮かんでいた。


「話を聞いているうちにコーヒーが冷めてしまった。……が、彼がようやく活路を見出したということを考慮すれば、この冷めたコーヒーは必要悪なのだろう」


 自嘲気味に呟きつつ、空になったコーヒーカップを置いたその時、



「……ん?」



 霧江は屋外から僅かに違和のある気配が漂っていることに気付いた。


 微かに血腥(ちなまぐさ)さを匂わせる気の流れは、悠人やエルネ、ここ最近の父親が纏っている気の流れと共通している。

 つまり、すぐ近くに吸血鬼が接近しているということだ。


(……父さんやエルネ以上の気配、だが暁美のものよりは些か弱い。だとすれば、四使徒か……?)


 仮にすぐ近くに潜んでいる吸血鬼が四使徒なのだとしたら、先ほど足早に去っていった悠人の身が気掛かりだ。

 四使徒は、主である真祖の存在をとりわけ強く求めているのだから。


「……何事も無ければいいのだが」


 窓の外の街路樹を眺めながら、霧江は一足先に帰路へ走った悠人の身を密かに案じた。



 が、思い浮かべた懸念が現実のものとなってしまうことを、この時の冷泉院霧江は知らなかった。



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