現れる者、潜む者
「さて、俺たちの一族が権力を握る街で粗暴な振る舞いをした落とし前、きっちりと付けてもらおうか」
冷徹に言いつつ、霧江は不良グループのリーダーの元へと肉薄する。
その静かな所作にただならぬものを感じたのだろうか、リーダー格の男は上擦った声で仲間たちに指令を下した。
「な、何やってんだお前ら! やっちまえ!」
「お……おう!」
「あの冷泉院家の奴だとはいえ、見た目はただのもやしっ子だろうが!」
「こんなメガネとっととぶっ飛ばしちまおうぜ!」
どうやら彼らの仲間意識は相当に強いらしい。リーダーの命令に仲間たちは一斉に奮い立つ。
だが、喧嘩を売る相手を間違えたということを、彼らは完全に理解していなかった。
「どうやら、口だけは達者なようだな」
霧江は溜め息を吐きながら、拳を振り上げ向かってきた不良の一人を軽くいなし、その隙に別の不良を足蹴にした。
向かい来た不良の殴打も軽い跳躍だけで躱す。そして着地と同時に踵落としを肩に決め、また一人昏倒させる。
さらに突撃せんとしてきた二人の不良は、それぞれの鳩尾に向け回し蹴りを喰らわせることで対処していた。
その動きには一筋の乱れも無い。武術としてとても洗練された動作であった。
「何で、お前……!」
「幼少の頃から武術全般を叩き込まれているからな。これくらい造作も無い」
冷泉院霧江は普通の人間では無い。半吸血鬼の父親と人間の母親の間に生まれた、吸血鬼の力を四分の一だけ持つ半々吸血鬼である。
彼は吸血鬼の血を持つ者なら扱うことができる異能力を双子の妹に引き渡す代わりに、普通の人間を大きく凌駕する身体能力を授かった。さらに彼は己の身体能力を最大限に生かすべく、古今東西のあらゆる武術を体得したのである。
その事を知らずに彼に喧嘩を売ってきた不良たちが、悠人にはとても不憫に感じられた。
「さて、残りはお前だけだが……どうする?」
「ひ、っ……!」
気付けば、リーダー以外の全員が霧江の体術によって薙ぎ倒されていた。
地面に身体を伏せ悶絶する仲間たちの姿に、リーダーの顔は堪らず引き攣っている。
いつしか形勢逆転、リーダーの男は霧江に手も足も出なくなっているようだ。
それ以前に彼は、霧江の撃退を仲間たちに一任しているところを見るに、口先ばかりは達者であるが、反面殴り合いは苦手なのかもしれない。
「このまま俺を殴りたいならば殴ればいい。その代わり、殴られた分は五倍返しで返してやろう。それでもやるか?」
「く、そっ……! お、覚えてろよ!!」
すっかりへっぴり腰になっているリーダーの男は、よろよろとした足取りで霧江と距離を置いた後、そのまま走り去っていく。
さらに、殴られた苦痛にのたうち回っていた残りの不良たちもいそいそと立ち上がり、自分たちのリーダーを慌てて追いかけていった。
そうして、悠人と霧江、そして野次馬たちが場に残る。
「ひとまずはこれで充分だろう。これで懲りてくれさえすれば上々なんだがな」
呆れたように呟いた霧江は、惜しみない称賛の拍手を送る周囲には一切介意せず、呆然とする悠人の方へと首を向けた。
「で、だ。無事か……とは言いたいところだが、どうやらその顔を見るに無事では済んでいないようだな、暁美」
彼は何処となくこちらを憐れむような眼をしていた。
少なくとも、先ほど不良に襲われたことを気遣っている訳では無さそうなのだが……
「エルネからだいたい話は聞いている。フォーマルハウトとの関係が決裂したのだろう?」
「……っ!」
小声で耳に打ち込まれた言葉に悠人は瞠目し、そして顔を一気に曇らせた。
養護教諭として修学旅行に同行していたエルネは、事の一部始終を知っている。
故に霧江があの時起きたことを把握しているのは、おそらくあのことを大事と捉えた彼女が現在の主である暮土――言うまでも無いが霧江の父親である――に報告したからなのだろう。
「お前が先ほどからやけに暗いのは、そのことに起因しているんじゃないのか?」
「……まあ、そうですね」
叶や解とは異なり、冷泉院家の面々はこちら側の事情に精通している。最初から吸血鬼世界の関係者なのだから、彼らをこちらの事情に巻き込む心配は無いと言えた。
だから彼らならば多少は分かってくれるのではないかと、悠人は若干ながら心を開くことができた。
しかし霧江を拒絶しなかったとはいえ、ローラと決裂した時の記憶を思い出すと苦悩と後悔と絶望に心を支配され、どうしても煮え切らない感情を取らざるを得ない。
そんな悠人を見て、霧江は何を考えたのだろうか。
「……これは相当な重症だな」
重々しく溜め息を吐いた霧江。
彼は決心したように頷くと、悠人の腕を思い切り掴み、そしてずかずかと歩き始めた。
「え、ちょっ……会長……!?」
思わず戸惑いの声を上げた悠人に、霧江は苛立ったような声音で答える。
「緊急カウンセリングだ。残念だが拒否権は無いぞ」
*****
「くそっ、何なんだよあの眼鏡!! あんなの聞いてないっての!!」
「冷泉院家の奴ってああもチートなのか!?」
無様にも霧江にコテンパンにされた不良たちは、命からがらといった体で逃走していた。
素行の悪い人間には似つかわしくない閑静な住宅街の中を、周囲の奇怪なものを見るような目を気にすることもせず、ただひたすら走る不良たち。
だがそんな中、不良のリーダーである男が、ある程度人気が薄れた地点に達したところで足を止めた。
狂乱状態の仲間たちは、前方を走っていたはずのリーダーを追い抜いたことに気付かない。立ち止まった彼には目も遣らず、そのまま彼の脇を通り過ぎていく。
「……」
無駄に顔だけはいい男子高校生と相対していた際に見せていた下卑た笑みでは無く、静かで純度の高い悪意が含まれた笑みを浮かべる男。
彼は誰にも聞き取ることのできないくらいの小さな声で、ぽつりと呟いた。
「……ああ、結局作戦は失敗してしまったか」
口から飛び出したのは、不良にありがちな粗暴な言葉遣いでは無く、何処か品を感じさせる言葉遣い。
まるで、彼では無い誰かに人格を乗っ取られたかのようであった。
……ある意味で、それは事実であったのだが。
「まあ、自分でも上手く行く訳が無いとは思ってはいたけれども……」
「おいお前、何でそんなところで立ち止まって――」
自分たちのリーダーの気配が遠ざかっていることをようやく察知したらしい仲間の不良たちが、今さらのように背後を振り返る。
だがその瞬間、仲間の不良たちの表情が驚愕と驚嘆と愕然に転じた。
「――なっ……! 誰だよ、テメエ……!!」
そう、不良たちの背後に立っていたのは、自分たちのリーダーでは無い、別の誰か。
奇抜な形状をした白いコートに身を包む、赤い瞳の外国人だった。
「あはは、驚くのも仕方無いか。君たちの仲間がいつの間にか見知らぬ誰かにすり替わっているだなんて、何も知らない人間だったら驚愕するに決まっているさ」
不良のリーダーになり替わるようにして忽然と現れたその人物は、さも可笑しそうに笑う。
が、笑みつつこちらを見据える瞳には、紛うことなく憐憫と悪意が在った。
「ではここで問題。ぼくが姿を借りたあの子は何処へ行ったか分かるかい?」
「そ、そんなの分かる訳ねえだろうが……!」
「そうか、答える気が無いのか。それは残念だ」
白コートの人物が、恐怖で立ち竦む不良たちへと静かに肉薄する。
そうして間近にまで接近し、すっと片腕を振り上げ――
「分からないのなら分からせるまで。あの子が行った場所にぼくが送ってあげるまでだ」
刹那、白コートの人物の瞳に宿る深紅以上に赫々とした飛沫が、黄昏の空に舞う。
「さて、と……。思ったよりも興醒めだったね。思わぬ邪魔のせいでラリッサ様のために働きかけることもできなかった」
口元に付着した血を拭いつつ、白コートの人物は天を仰ぐ。
ひどく冷めた感情を愚痴として零していたが、それとは裏腹に表情はとても満足げなもの。愚痴と共に、陶然とした溜め息が形の良い唇から漏れた。
足元には首から大量の血を垂れ流す若者たちの失血死体が転がっていたが、その人物は目を遣ろうとしない。むしろ最初から無かったものとして扱っているかのようだった。
「一応今後において力を充分に発揮するための血液は補給できたけれど、このままだと上手く事が運ぶかどうかすら……」
「あらあら。アタクシの配下であろう者が、もうすでに諦めかけてらっしゃいますの?」
白コートの人物が僅かに顔を苦らせたその時、背後から聴こえたのは余裕に満ちた少女の声。
その声に、白コートの人物はハッと振り向いた。
「ラリッサ様……!? ぼくが事を済ませるまで待機なさるはずだったのでは……!?」
「確かに、当初はその予定でしたわ。ですが、レイゼイイン家の横槍のせいで計画が阻害されたとの情報を察知したが故、仕方無くアタクシが動かざるを得なくなったという訳ですの」
上品でありながらもたっぷりと毒を孕んだラリッサの口振りから、白コートの人物は彼女の苛立ちを悟る。つい反射的にひれ伏し、そして謝罪を述べてしまったほどだ。
「も、申し訳ございません……! あの時ぼくがレイゼイインの子息を排除できていれば……」
「貴女が謝る必要は無くてよ、リタ。貴女がユークリッド様やレイゼイインの息子の前で姿を晒してしまえば、それでこそ計画が破綻する恐れがあったのですから」
白コートの――リタの謝罪を、ラリッサは軽く受け流した。
どうやら彼女が苛立っていたのは第一の計画が妨害によって失敗したことに対してであって、失態を犯したリタに対してのものでは無かったようだ。
それでも平伏するリタの忠誠心の高さを再確認し、ラリッサは満足そうに鼻を鳴らす。そうしているうちに、計画失敗に対しての苛立ちはだいぶ薄れたようであった。
そして満更でも無さそうな笑みのまま、彼女は別の提案という形で話を切り替える。
「さて、思わぬ妨害によって計画が破綻した以上、最終手段を取らざるを得なくなりましたわ。これは本当の実力行使ですので、できれば避けたかったことなのですけれど」
「その概要というのは……」
「現在ユークリッド様はレイゼイイン家の息子に匿われておられるようですけれど、所詮それは一時的なものに過ぎませんわ。当初の計画を伝達した際にも言い加えましたけれども、現在のユークリッド様には仮住まいとしての家庭がある……故にある程度時が過ぎれば、あの御方はレイゼイイン家の元を離れ家庭へとお戻りになるはず。そこを付け狙おうと思いますの」
「えっと……確か現在ユークリッド様はクルースニクと共暮らしをなさっていると耳に致しました。ですがユークリッド様とクルースニクは、昨夜最低な形で仲違いをしているはずです。それなのに、仲違いをした相手がいる場所にユークリッド様がお戻りになるだなんてこと、果たしてあるのでしょうか?」
「ええ。たとえ居候としてクルースニクがいろうとも……ね」
ラリッサはくすくすと笑う。嗤う。
失敗しようと阻まれようと、彼女には「絶対に自分の思い通りになる」という確信だけがあった。
「どちらにせよ、完璧なアタクシが直接的に赴けば、全てが想定通りのことになる――そうでしょう?」
ルージュの引かれた艶めかしい唇を軽く舐めつつ、ラリッサは自らが思い描く未来に想いを馳せる。




