幕間 荊姫の強欲
誰よりも一足先に早く、ダインスレイヴ=アルスノヴァは京都から夜戸市に帰還していた。
「……という訳で、無事にやるべき仕事はこなしてきたって訳です」
「ええ、ええ。及第点以上の働きをしてくださり心の底から感謝してますわ、ダインスレイヴ=アルスノヴァ。ご苦労様」
農村の中に未だ取り残されている、寂れたモーテルの一室にて。
相変わらずの飄々とした笑顔で成果を述べるダインスレイヴに、その少女は喜悦の笑みで頷いた。
真祖の眷属『四使徒』の一柱ラリッサ・バルザミーネ。側頭部で結われたピンクブロンドの巻き髪に薔薇の髪飾りを差した、ロココ調の赤いドレスを纏う十代後半ほどの美少女。四使徒の中では暗殺と守護を専門とする、吸血鬼社会随一の謀略家。
彼女こそが、京都で巻き起こった一連の騒動の黒幕であった。
「うふふ……これでお膳立てはお終い。後はアタクシが直接手を下すのみですわ」
「え? まだ終わりじゃねーんですか?」
「何を仰っているんですの? まだアタクシは本当の望みを達成していないというのに」
くすくすと楽しそうに笑うラリッサ。一見では無垢な子供のような純粋さを見せているように思えるが、その真実は我欲に溺れる悪女でしかない。
「現時点ではユークリッド様はまだアタクシのものにはなっていない。あの目障りな白い蛆虫と縁が切れ、誰のものでもなくなっただけですわ。ですから、最後に隙を見出してアタクシ自らユークリッド様をお迎えする必要があるのです。カインでさえも気付かない、ほんの些細な隙を見出して……」
ラリッサの笑みが大きくなる。笑いが嗤いへと転じていく。
「ああ……! もうすぐ結ばれるのですね……! 四百年間、アタクシはずっと待ち詫びておりましたわ、アタクシだけの愛しい殿方……! うふふ……もう逃がしはしませんわ……! アタクシと睦み合うに相応しい、高貴で高潔で麗しいユークリッド様……!! うふふふふふ……!!」
「……うっわー。これって俗に言う『束縛』って奴じゃ……」
独占欲に満ちたその愛情にダインスレイヴが苦言を呈するが、すっかり陶酔に耽っているラリッサの耳には入っていないようで。
「さあ、ユークリッド様を迎えにいきましょう、高貴で高潔で麗しいアタクシ。あの御方と共に在るべき存在は、あの御方と同様の完璧さを誇るアタクシだけ。アタクシだけがあの御方の伴侶となるべき存在。他の四使徒にも決して渡して堪るものですか。アタクシだけが、あの御方の御心を理解することができるのですから……!!」
ラリッサは狂ったように哄笑する。深紅の瞳に色欲を宿し、吊り上げる赤い唇を淫欲で歪ませ。未だ再会できていない愛しの花婿を希い、天を仰いでひたすら嗤っていた。
無論その愛情は、第三者から見れば狂気の沙汰以外の何者でも無い。
「怖……。ラリッサ様ってヤンデレだったんだ……」
「うふふ。何か仰いまして? ダインスレイヴ=アルスノヴァ」
「……いいえ、何でもねーですって」
彼女の愛情の重さに慄然としたダインスレイヴはつい抱いた感情を口に出してしまったが、当人が狂喜の笑みでこちらへ伺ってきたため慌てて顔を逸らした。
流石にこの狂化した状態の彼女の機嫌を損ねるのは不味い気がする。と、反射的に悟ったダインスレイヴは、苦肉の策で別の話題を切り出す。
「あ……ところでラリッサ様。ラリッサ様が最後に直接手を下すってことは、僕の役目はもう終了したということで……?」
「いいえ。貴方にはまだやってもらう仕事が残っていますわ」
そう返答すると、ラリッサはこちらに数本のガラス瓶を投げ渡してきた。よく見てみると、瓶の中は液体で満たされている。
瓶の封を開け、匂いを嗅いでみる。すると嗅覚は即座に、鉄錆臭さが混じった甘美な香りを捉えた。
「これ、血液ですか?」
「追加料金ですわ。目的遂行まで貴方を雇う以上、ここまで手を尽くすのは常識でしてよ」
「それはそれは随分と律儀なことで……。で、僕にやってもらいたい仕事っていうのは何なんです?」
「安心してくださいまし。数日前の依頼よりかは簡単なことですわ」
ラリッサは狂気的に歪んだ陶酔の笑みのまま、言葉の続きを発した。
「貴方には全てが済んだ後で、目障りな白い蛆虫を殺していただきたいのですわ。愚かにもユークリッド様に色目を使ったせいで神に見放された哀れな娘を仕留めるのは、貴方にとってはとても簡単なことでしょう?」
「……」
実は先日クルースニクと戦った際、彼女には予想以上に痛手を喰らわせられたのだが。
しかしそのような耳の痛い話を眼前の狂気的な娘に告げることは、ダインスレイヴには恐ろしくてとてもできなかった。




