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決裂

*****

 




 因果応報。人を呪わば穴二つ。

 今さらになって、その言葉の意味に気付いた。



 どうしてもお姉様を真祖から遠ざけたくて、聖女としての穢れなきお姉様を取り戻したくて、ついあたしは吸血鬼に助力を求めてしまった。

 神に仕えし者でありながら、神の敵の元に堕ちてしまった。

 悪に堕ちてしまった。



 にも関わらず、逆らってしまったはずの神に祈りを捧げてしまった。

 「お姉様と真祖の仲が引き裂かれますように」って。



 でも今思えば、そう願ってしまったのは間違いだったのかもしれない。

 たとえ神の敵であるとはいえ、誰かの不幸を願うことはいけないことだったのかもしれない。

 特にあたしは神に逆らってしまった身。そんな反逆者の少女の願いなんて、神が聞き届けてくれないのは当然のことだったのかもしれない……


 ……そう気付いたのが、どうしようも無く遅すぎた。


 気付いた頃には、神に逆らったあたしへの天罰が下されていたから。

 気付いた頃には、願いという名の呪いが、対象からあたしに跳ね返ってきていたから。



 「不幸になりますように」と願ってしまった相手がどれだけ恐るべき存在なのかを、気付いた頃に痛感してしまったから。





 本当に、本当に、もうどうにもならない頃に、あたしは自分の軽率な行いを激しく後悔した。



 あたしは正真正銘の『悪魔』に呪いを掛けてしまったのだ。



 




*****





「……ユー、ト……?」


 ローラは、自分の目に映るものが信じられずにいた。



「う、ああ……っ……いやぁ……」

「……そうだ、もっとだ……血を、()に血を……!!」



 暁美悠人が、心の底から歓喜しつつ、ルチア・タルティーニの肩に牙を立てていた。


 悠人に首根っこを掴まれた状態で血を吸われているルチアは、すでに息も絶え絶えな状態。どうやらこの状況に至るまでに、相当の深手を幾度も負わされたようだ。

 それでもなお生命を留めているのは、おそらくは真祖の異能によって死を寸止めされているからであろう。

 常の好戦的なルチアならば、戦闘時に首を拘束されようものなら手足をばたつかせて抵抗するはず。だが、現在の彼女はそうすることはしない……というよりも、できない。


 そもそも、彼女の手足が胴体から分離され地面に転がっている状態で、どう手足をばたつかせ抵抗しろというのだろうか?


「……あ、っ……おねぇ、さま……」


 ルチアの首が、がくがくとこちらを向く。ローラの気配に気付いたらしい。


「かれ、は……あく、ま……かれと、いた、ら……お、ねえ、さま、は……」


 掠れた声でこちらに悲痛に訴えるルチアだったが、


「口を閉じよ、醜き雌豚」


 嘲笑と冷酷が織り交ざった声と共に、彼女の身体が地に落下。そして瞬きもできぬほどの僅かな時の間に、彼女の胸に漆黒の刃が突き立てられた。


「あが、っ……!」


 ルチアの身体が、まな板の上の活きのいい海老のように跳ねる。同時に、まるで間欠泉のように紅々とした鮮血が彼女の胸から噴出し、夥しい返り血剣を突き立てる悠人の身体を深紅に染め上げた。

 ちょうど心臓のある位置に垂直に杭を打たれたルチアは、数回ほど身体を痙攣させた後、ぷつりと糸が切れたマリオネットのように動きを停止した。


 その光景を近くから見たローラは、無意識にも確信してしまった。

 ルチア・タルティーニは死んだのだと。

 真祖の手によって殺されたのだと。


「は、あはは、あはははははははははははははははははは……!!」


 心行くまで血を啜り人を殺めた少年は歓喜に震えていた。顔に飛び散った血を舌で舐め取り、頬を紅潮させ、爛々とした瞳で天を仰ぎ、腹の底から哄笑していた。



 ――俺はただ今在る俺として、大切な存在を――父さん母さんとか解とか、そしてカナとかをちゃんと護ることができる存在として生きる。そう決めたんだ。



 かつてそんな正義感溢れる誓いを自分の目の前で立てた、少し自己犠牲精神が強いけれど仲間想いで心優しい少年の姿は、もう無い。

 今目の前に在るのは、殺戮と吸血の快楽に味を占めた、残虐で悪辣で冷酷で非道な吸血鬼の王でしかない。


「……ユート、貴様は、」


 自分でも驚いてしまうほどの、感情の欠落した冷たい声が喉から出た。

 その異常な声はとても静謐なものではあったが、彼のことを反応させるにも充分すぎる威力を有していて。


「あ、あはは……血、血を……そうだ、これが余に在るべき有り様……! あはははは……!!」


 哄笑しつつ、悠人はこちらを向く。焦点が全く合っていない、狂気に満ちた深紅の瞳がローラの全身を品定めするように見回す。

 そして、


「……殺戮を……もっと、もっと殺戮を……!! 余の野望のため、人間は鏖殺(おうさつ)する……!!」


 真祖としての人格に呑まれ気が触れているのか、悠人は今目の前にいる人物は皆敵だと見なすようになっているらしかった。たとえそれが、共闘関係にあるはずのクルースニクであったのだとしても。

 『護りたい存在』の中に含まれているはずのローラが眼前にいることにも気付かず、漆黒の大剣を振りかぶりつつ進撃してくる。


「――っく!! 何をしているのだね、この痴れ者が!!」


 咄嗟に銃弾を放つ。

 銃口から放たれた銀色の光を撒き散らす一条の弾丸。それは悠人の右肩の肉を大きく抉り取った。


「……っ、ぐぁっ!!」


 吸血鬼の真祖である彼にとっては即座に再生してしまう些末な傷でしかないのだろうが、それでも正気に戻すためには充分すぎる一撃ではあった。


「ぐ……俺は、一体……っていうか、ローラ……? どうしてここに……?」


 悠人はローラのことをもう敵だとは誤認していない。よろよろと後退しつつ、狂気の薄れた深紅の眼差しをこちらに向けていた。

 だがその過程の中、彼の足が血溜まりと転がる少女の四肢を踏み付けた。


「……え」


 足元に広がる夥しい量の鉄錆臭い液体。丸太のように転がるバラバラに解体された少女の残骸。濃い血色に塗り直されたピンク色のライフル銃。真っ赤に濡れた黒色の剣。ぽたぽたと紅の雫が滴り落ちる自身の髪と肌――。

 周囲の惨状をぐるりと見渡してようやく、悠人は己が犯した過ちを自覚したようであった。


「ルチア……? 死ん……っ、これをやったのって、俺……!?」

「覚えていないのかね?」

「いや、そんなことは……無い。はずだ。絶対に……絶対……」


 自分が四百年前のような凄惨な快楽殺人を再び行ったことを信じることができずにいるのか、悠人は支離滅裂な言葉を繰り返している。

 次第に現実を受け入れると共に恐怖心が限界突破した彼は、やがて縋るように苦し紛れの言い訳をし始めた。


「……違う、違うんだよ、ローラ……。俺はただ、お前のためを想って……。彼女にお前を無理やり連れ戻されないようにするために、俺は彼女を食い止めて、それで――」

「そのようなことを、私は望んでなどいない」


 悲痛な訴えを伴ったその言い訳を、彼以上に精神的なショックを受けているローラはばっさりと切り捨てた。


 自身を無理やりにでも連れ去ろうとしていたルチアを食い止めるために、悠人が彼女に挑んだということは分かっている。自分がこの場所に向かうべく焦燥していたのも、このことに起因していた。

 しかし、ホテルから出る前にエルネが懸念していたのだとしても、また自分自身でも薄々危惧していたのだとしても、それでも悠人は「ただの暁美悠人」として凄惨な殺人に行為を及ばせることなく戦ってくれるのではないかと期待していた。


 だが甘かった。

 四百年前に生きた最低最悪の王が共に眠っている以上、ふとした契機で真祖の愉悦たる殺人と吸血の快楽に溺れてしまうのは当然起こり得ることだったのだ。


(ユートの人間としての一面が消えない限りユートのことを殺さない、ユートの護りたい存在を共に護っていく……そう誓った私の見立ては甘かったのだな……。クルースニクとしての矜持に妥協した結果がこれとは……)


 ローラは失望していた。

 「暁美悠人」の心優しさに絆され、この先の展開を甘く捉えたまま彼との共闘を誓ってしまった己自身に。

 それ以上に、「誰も傷付けない」と固く誓っておきながら、あっさりとその誓いを破り他者を殺し、挙句の果てに愉悦に浸っていた暁美悠人に。


(護りたい存在がいる限りユートは真祖としての狂気に呑まれない……というのは、私がいつしか抱いてしまった誤算だった。やはり彼の本質は吸血鬼の王、決して分かり合えない存在だったということか……)


 裏切られたような――実際裏切られてはいるのだが――そんな気分に苛まれたローラは、気付けば勝手に口を開き、悠人に対し淡々と告げていた。

 「これを言ってしまえば最後、彼との間に築かれた関係が全て白紙に戻る」と分かっていながらも、なお。


「私は、大切な者を護るべく吸血鬼と人間の両方を受け入れて生きると誓った貴様ならば、盟約を必ず守るであろうと信じていた。だが貴様は『人間としての俺を絶対失わないよう努力する』という誓いを破り、吸血鬼の本能のままに殺戮と吸血を行った。私の知る今までの貴様ならば、たとえ相手が赦されざる敵だったのだとしても、再生能力の無い普通の人間である以上、どうにかして生かそうとしていたはずなのにも関わらず」


 弾劾の宣告を述べる中、ローラは真祖殺しのクルースニクとして、致命的かつ遅すぎるくらいに現実を悟る。



 ――ああ、彼はやはり殺すべき敵なのだ。


 ――いくら普通の人間のように振る舞っていようと本質は残虐な吸血鬼。彼と交情を結ぼうなど根本から誤りだったのだ。



 だから、




「だから……盟約は決裂だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()




 彼に背を向け、一方的に拒絶の言葉を唾棄した。



「貴様を信用した私が馬鹿だった」



 失望と絶望を共にして、クルースニクは振り返ることなく清水の舞台から足早に立ち去る。


「……」


 そんなローラの背後。

 置き去りにした元共闘相手の少年は、自身が毒牙に掛けた少女の血に塗れたまま、愕然とした表情で立ち尽くしていた。




第三章「盲愛という名の呪詛」 ――fin――

ここまで読んでくださりありがとうございます。

幕間とキャラ紹介の後、第3章は終了となります。

第4章は2019年1月開始予定です。お楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[良い点] あの子死んじゃったの?!
2020/01/31 00:09 退会済み
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