怜悧狡猾なる男
相手と条件が同じとなると、やはり絶対的な戦力の差が歴然としてくるものだ。
「どうした。昼の威勢の良さは何処へ消えた?」
「ちょっと、話違くない!?」
ゼヘルが立て続けに繰り出す斬撃の嵐をひたすら大鎌で打ち返すダインスレイヴ。彼の顔には次第に焦りと疲労が見え始める。
それに反し、ゼヘルの太刀筋と呼気は未だに乱れていない。涼しい顔で……否、強敵との戦闘が故か高揚の笑みを浮かべながら、一撃、二撃と繰り出し続ける。
「ああもう、しつこい!!」
苛立ったようにダインスレイヴは叫び、自身を目として竜巻を起こす。
しかしそれも、今のゼヘルにとっては恐れるに足りないものだった。一歩後退し大きく斬撃を繰り出せば、竜巻は紙切れのように緩慢に断ち切れた。
ついでに中心にいるダインスレイヴに一閃喰らわせようと思ったが、どうやら今起こした竜巻はこちらを攪乱させるものでしかなかったらしい。斬撃の手応えの無さに首を傾げれば、すでに目の前に彼の姿は無かった。
このような場合、彼は何処から襲い掛かって来るか。それはダインスレイヴ=アルスノヴァという男と長い年月付き合ってきたゼヘルだからこそ、察知ができる。
「上か」
大剣を頭上に掲げ、今度はそれを長大な機関銃へと再変換。そのまま引き金を引き、下からダインスレイヴを狙撃する。
しかし、おめおめと撃たれるほどダインスレイヴも浅慮ではなかった。
「ゼッちゃんが上を狙うだろうとは分かってたんだよ!!」
ダインスレイヴは空中で身を翻し、噴煙のように撃ち上げられる弾丸を避け切った。さらにそのまま滑降し、その姿勢のまま鎌鼬を数発放つ。
降り注ぐ刃を全て防ぎ切ることはできない。だが、自分は吸血鬼。心臓に刃が達しなければどうだっていい。
そんな考えから、ゼヘルは一旦頭上に掲げる機関銃を巨大な盾へと変換することを決意。そのまま身をかがめ、鎌鼬の猛攻から己の身を護る。
何発かは身体に被弾し、鎧を打ち砕いたり柔肌に深い亀裂を走らせたりしたが、弱点である心臓には全く達していない。それだけでも幸いだった。
たかが攻撃を防いだだけで、あちら側が諦めてくれるとは思えぬのだが。
「疾っ――!」
短い呼気と共に、着地したダインスレイヴは急発進。鎌を横に薙ぎ、傷を再生させている途中のダインスレイヴに新たな傷痕を残さんとする。
だがゼヘルは、機関銃を元の大剣へと素早く作り替え、流れるような動作で斬撃を受け流す。
そして甲高く鳴り響く、鍔迫り合いの音。
「諦めろ。自分が血を補給した時点で、貴下と自分の戦力の差は雲泥のものとなっている」
「――っ、そうやって、余裕を見せているところが――」
両者は睨んだまま一歩も譲らない。が、その均衡はダインスレイヴが鎌を握る手に力を込め、こちらを強引に押し切ったことで崩れ落ちる。
「――親友とはいえ、目障りなんだよっ!!」
「貴下と親友になった覚えは無いがな」
ゼヘルは後退させられたが、僅か数メートルほど離れた位置で踏ん張ることに成功。武器を大剣よりも扱いやすく、また接近戦に強い短剣へと変え、ダインスレイヴの心臓目掛け再び前進する。
しかしダインスレイヴは見切っていた。大鎌を大きく振るい、こちらの身を裁断するほどの猛烈な爆風を解き放とうとする。
だがその時、
「ストップ」
「……へ?」
「――む」
上空から聞こえた突然の闖入者の声に、ダインスレイヴもゼヘルも怪訝な顔を浮かべる。双方とも動揺のあまり、互いに攻撃を繰り出すことをつい止めてしまう。
だが、全く知らない人間が舞い込んできた訳ではない。ダインスレイヴにとっては少し見知った程度の、ゼヘルにとっては互いに背中を預け合う仲である人物が、何故かこのタイミングでやって来たのだった。
「二人とも、どうしてここに僕がいるのか分からない、って顔をしているようだね」
顔の右半分に黒い仮面を装着し仕立ての良い礼服に身を包んだ、灰色の髪を持つ青年。そんな容姿をした彼は、背に生やしていた翼竜の翼を丁寧に折り畳み、静かに地へと降り立つ。
そしてまずはゼヘルに向け、ねぎらいの言葉を掛けた。
「まずはお疲れ様、ゼヘル。後は彼の対処は僕が引き受けるから、君はそこでゆっくり休んでいるといい」
「……だが、」
「彼と戦闘が不完全燃焼で終わることが不満なんだろう? でも今じゃなければ戦えないという訳じゃない。ひとまず一旦引いてくれないか?」
「……」
青年はやんわりと制したが、その中には言い逃れのできぬ強制力が含まれていた。ゼヘルはつい反射的に身を引いてしまう。
そして今度は、青年はダインスレイヴへと向き合い、静かに微笑を湛えた。
「さてと。久しぶりだね、ダイン。最後に君と直接会ったのは百年前くらい前のことだったかな?」
「……何で、こんな所にいるんです?」
ダインスレイヴの顔は引き攣っている。
当然だ。自由を愛する彼にとって、この規律重視の吸血鬼は天敵とも呼ぶべき存在なのだから。
「こんな所にいるも何も……僕は君の動向を探るために最初から君を監視していたんだよ。ゼヘルと一緒にね」
聡い彼ならばダインスレイヴの嫌悪に気付いていそうなのだが、敢えて青年は気付かないふりをしているようであった。にこやかに微笑みつつ、話を切り替える。
そして続けたのは、穏やかな表情には似つかわしくない、非常に悪意溢れる言葉。
「ところで話は変わるけど、君こそこんな場所で何をしているんだい? 今やろうとしていることは、聖騎士の少女と手を組んでまで、どうしてもやらなければいけなかったことなのかい?」
「……」
「これもラリッサからの命令だった? あの彼女がここまで周到に計画を練り、それをわざわざ君を雇って任せているということは、よほど彼女が醜悪で壮大な奸計を働かせているということなんだろうけれど、そのことについて君は本当に何も聞かされていないのかな?」
「……」
尋問の最中、ダインスレイヴは露骨に黙っている。
だが、彼の口の端は何故か不気味に吊り上がっており――
「……そんなの、」
刹那、彼が発言の気配を見せる。
先ほど垣間見せた怪しげで不敵な笑みの気配を徐々に膨れ上がらせつつ。
「そんなの、アンタに言える訳ねーじゃねーですかぁ」
ニヤリと嘲笑しそう言うや否や、ダインスレイヴは飛び上がり、ゼヘルと仮面の青年のちょうど真上から今まで以上に強烈な暴風の塊を叩き付けてきた。
それはまるで、満杯の水で満たされたバケツを真っ逆さまにしたかのよう。もの凄い勢いと速度で、巨大な風圧がぶつけられた。
しかし、ゼヘルも仮面の青年も突然の奇襲に翻弄される愚かな弱者ではない。ダインスレイヴが飛び上がった瞬間から、風の瀑布に呑み込まれない位置まで移動していた。
だが、その行動が必ずしも最善の行動に繋がるとは限らないのだが。
「――あっ」
何かしらの気配を察したらしい青年が、呆然とした声を上げる。
だが同時に、先ほどまでゼヘルたちが立っていた位置に莫大な風がぶつけられた。アスファルトが粉々に粉砕され、周囲の木造建築がガラガラと崩落する。生み出された瓦礫たちは天高く舞い上がり、かと思えば地へと降り注ぎ、濛々と立ち昇った粉塵と共に吸血鬼たちの視界を眩ませる。
やがて風は凪ぎ、粉塵も収束する。
その時には、攻撃を繰り出した本人がいつの間にかこちらに肉薄でもしていそうなものなのだが、どういう訳か彼の気配は消えていて。
「逃げられた、か……」
名残惜しそうな青年の言葉に、ダインスレイヴの気配消失の真実が隠されていた。
爆風をこちらに叩き付けると同時に、彼は忽然と姿を消していたのだから。故に気配が消えているのも当然のことであったのだ。
「でもまあ、予想はしてたんだけどね」
敵を逃がしたというのに、青年は余裕綽々としていた。
だが、決着を付けられず雪辱も果たせなかったばかりか再三憎き敵を逃がしてしまったゼヘルとしてはこの結末にも、そして青年が余裕げに構えていることにも、当然納得できずにいた。
「……貴下、彼が一旦こちらから退くということを予期した上で彼を煽ったか」
「うん、そうだよ。だってダインが京都で進めようとしていた計画は、彼が君と戦っている間にすでに完遂されていたんだから。計画がとんとんと進んだ以上、ここに留まっている理由も、君やクルースニクと戦う理由も無いだろうしね」
「では、何故先ほど彼を煽ったのだ? 貴下がこの場に現れ彼を煽動することをしなかったのならば、今頃自分は彼との決着を付けられたものを」
「君、目的は忘れてないよね? 京都を訪れた理由はダインと戦うことじゃなくて、ユークリッド様がダインの……というかラリッサの計画に利用されないよう監視することだっただろう?」
「確かに、そうだが……」
それでも、ゼヘルは非常に釈然としなかった。
「だが、あのまま彼奴を放っておけば、真祖様に危害が及ぶのやもしれぬのだぞ?」
「確かにそうかもしれない。ユークリッド様の御身はとても心配だ」
「ならば……」
「でも今この状況における最善の行動は、ダインスレイヴのことを逃がし、ユークリッド様のことを放置なさることなんだ。『ユークリッド様のために』を信条とする僕の直感がそう言っているから、間違いは無い」
真祖に危機が迫っている中で真祖を放っておくことこそが真祖のためになる。と、微笑しながら矛盾を語る青年に、ゼヘルはますます困惑。彼は一体何が言いたいのだろうか。
そんな途方に暮れるこちらを諭すような口振りで、青年は言葉を続ける。
「ゼヘルは、そもそも何故僕がこの国に四使徒を招集したのかっていう理由を覚えているかい?」
「む。確か……『真祖様が吸血鬼の王として再び君臨する決意をなさる瞬間を創り出すべく、水面下から攻めクルースニクと真祖様の関係を引き裂く』ということだったであろうか」
「そう、正解」
及第点の返答に、青年は満足げに頷いた。
「そしてその理由を、僕は日本での本拠地を離れ別の都市にいる今でも覚えている。隙あらば僕たちにとって益となる行動を取っているつもりさ」
「……よもや、」
「僕がダインスレイヴのことをわざと逃がしたのも、ユークリッド様のことを敢えて放置したのも、決して無駄な行為なんかじゃない。全て僕たちの最終目的に直結する行為だと信じているからこそ、僕はああしたんだよ」
「……!」
悟り、ゼヘルはハッと顔を上げる。
青年の一連の行動の意図を読み取ったゼヘルの胸中は今、得も言われぬ不思議な感覚に満ちていた。動揺しているかのようなむず痒さ、或いは熱に浮かされているかのような陶酔が、原形を留めないくらいまでに捏ね合わされ型に押し込められたかのようだ。
自分でも訳の分からないまま興奮し高揚しているが故、無意識のうちに固唾を呑んでしまう。そして一瞬の間、主に対しほんの僅かな劣情を抱いてさえしてしまった。
敬愛すべき主君ユークリッドのことを考えつい欲望を抱いてしまったゼヘルのことを、青年は咎めたりはしなかった。
むしろ青年の方こそ、ゼヘルと同等――あるいはそれ以上に劣情を抱いていたのだから。
「そうさ、今君が考えている通りだよ。今はラリッサとダインスレイヴを見逃すことになってしまうけれど、それもこの後すぐにでも起こり得るものの利の大きさを考えたら、それらは今だけは必要悪として扱うべきだろう――」
形の良い唇を舌で軽く舐め、仮面で覆われていない片目をうっとりと細める彼は、これから手に入るかもしれない漁夫の利を目前に随喜する。
「――今回の一件の顛末でユークリッド様とクルースニクが決別することになる、って考えるとね」




