悪魔の影
こちらがいくら防ごうが、ダインスレイヴ=アルスノヴァの猛攻は止まらない。
「ほらほらほらぁ!! そんな緩い攻撃じゃあいくら経っても終わらないよー!?」
「くっ……それは貴様とて同じであろう!!」
ローラがひたすら銃弾を撃ち込み、ダインスレイヴがひたすら暴風で防護する……先ほどから続く戦況はずっとこのような形で拮抗していた。
ローラも手を抜いて攻撃している訳では無い。一つ一つの攻撃に全力を込め、眼前の敵を討滅しようと手を尽くしている。
しかし、現在は吸血鬼の身体能力が格段に上がる時間。そんな状況下、四使徒と並び立つほどの戦闘力を有する吸血鬼の相手をするのはひどく骨が折れることであった。
『Agnus Dei,qui tollis peccata mundi,dona eis requiem sempiternam(神の小羊、世の罪を祓われし御方よ、彼らに永遠の安息を与え給え)!』
高速で詠唱し、暴風が途切れた一瞬を狙って一発放つ。
しかしダインスレイヴは不意打ちの攻撃にも即座に反応。
「あらよっと!」
大鎌の刃で銃弾を弾くダインスレイヴ。余程頑丈な刃なのか、風穴は一切開けられていない。
そして彼は、自身が起こした風の軌道に乗るようにして、こちらへと急速に全身してきた。
『Magnificat anima mea Dominus, et exultavit spiritus meus in Deo saltari meo(我が魂は主を崇め、我が霊は救世主たる神を喜び讃えん)!』
ローラは咄嗟に神術を唱え、瞬時的に自身の身体能力を底上げ。そして脇へと逸れ、魚雷のように突進してきたダインスレイヴを避けた。
目まぐるしく立ち位置が入れ替わる。ローラはダインスレイヴの後方へと回り、背後を狙って射撃。だがダインスレイヴは軽い身体捌きで弾丸の軌道から自分の身を外し、そのまま跳躍。たちまちのうちにローラの背後に躍り出た。
「背後、貰ったよ!」
「――とでも思ったのかね?」
こちらが見ていない隙を狙いダインスレイヴが鎌鼬を数本撃ってきたが、ローラはすかさず防御の神術を展開し、刃の嵐を完封する。
防御を解いた隙にもまた一つ鎌鼬が放たれたが、それは避けることで対処した。行き場を失った鎌鼬は遥か後方にあった廃屋の壁にぶつかり爆散。廃屋は木っ端微塵になり崩れ落ちる。
涼しい風が吹く秋の夜だが、猛攻を繰り出し続け猛攻を避け続けたローラの額はうっすらと汗ばんでいる。さらに戦闘前は一定のリズムを刻んでいた呼気と脈動も徐々に乱れ始めている。それだけ、強大な力を有する吸血鬼相手に莫大な労力を費やしているということなのだ。
この後悠人を救出しルチアのことをどうにか対処しなければならないということを考慮すると、あまり疲労を身体に蓄積する訳にはいかないのだが。
「く、っ……」
「あれ? どうしたの? 疲れちゃった?」
「……黙れ!」
その煩わしい口を閉ざすべく、苛立ったローラは無数の散弾を浴びせた。
『Gloria in excelsis Deo(いと高きところには神に栄光)!』
詠唱をすれば、散弾の数はさらに倍に。流石に全ては避け切れないのか、ダインスレイヴの身体にはいくつか貫通の痕が生じていた。
「あっ、ヤバい。これは流石に防ぎ切れない……あ、こうすればいいのか」
だが、彼が貫通を許していたのは僅かの間。自分を中心とするようにして竜巻を発生させた。ローラが放った散弾は全て呑み込まれ、そして相殺された。
銃弾を全て防ぎ切ると共に竜巻は消失。しかしそこから次の攻撃が放たれるまでには数秒の間がある。
その隙を突き、ローラは銃剣の切っ先をダインスレイヴの喉笛目掛けて突き出す。勘付かれ躱されたものの、それでも刺突は彼の利き腕に当たった。どうせすぐに再生されてしまうだろうが、これは大きな収穫だ。
「っ、ぐ……!」
「油断が仇となったな、ダインスレイヴ=アルスノヴァ!」
ダインスレイヴがよろけて後退したタイミングを見計らい、ローラはさらに刺突。今度は彼の利き腕側の肩が貫かれる。
武器の長大さが故、ダインスレイヴは至近距離から大鎌を振るうことができない。だがそれでも風を起こすことはできるらしかった。刺突の姿勢のまま動かないローラの間近で爆風を起こし、無理やり間合いを開けた。
ローラは後方へと大きく吹き飛ばされたが、背後に迫る壁を蹴り上げることで体勢を整え、そのまま綺麗に着地した。
先ほどから、ローラには疲労以外の目立った症状は見られない。傷さえも負っている様子が無い。
そんなこちらの健闘ぶりは想定外だったのか、ダインスレイヴは顔を引き攣らせて苦笑していた。
「ちょっと……ゼッちゃんの話と違くない? 教団の聖女は真祖様に心を赦したことが原因で、クルースニクとしての力が弱まっているって聞いたんだけど」
「さあな、その理由は私にも分からんのだよ。こちらにとっては好都合であるが故、別に良いのだが」
実はローラ自身、何故夜間の吸血鬼――それも四使徒に匹敵するほどの強大な吸血鬼相手に、かつてのように互角に戦闘を繰り広げることができているのかよく分からなかった。
つい数週間前は、四使徒ゼヘル・エデルはともかく、半吸血鬼上がりの冷泉院暮土やその息子の冷泉院霧江相手でも苦戦するほど、クルースニクとしての弱体化に苦しんでいたというのに。しかもその弱体化の原因は宿敵である吸血鬼の真祖に交情を抱いたことであるのだから、彼に対し敵対感情以外の想いを抱いている今、かつてのようにクルースニクの力を存分に振るうことができているというのは変な話だった。
しかし、細かいことはローラにとって今はどうでもいいこと。
力がかつてのように戻っているというのは、こちらには絶対的な有利条件。どう考えても敗因とはなり得ないものを深く考え込む必要性は、戦闘の最中には無い。
「――それはさておき、今は私のことなどどうでもよいのではないのかね?」
そういう訳で戦闘再開。今度はローラが先手を打った。
『Laudatus sis, cum domino, propter fratre sole(主よ、我らが兄弟、太陽によって貴公を讃えん)!』
鈴のように清涼な声音で詠唱が紡がれた瞬間、ローラの周囲が昼間のように眩く発光した。
これは相手の視界を撹乱させる神術。一瞬でも視界を奪い、その隙に仕留めようというのがローラの策であった。
「――うっ!?」
発せられる光のあまりの眩しさに目が耐えられなかったのか、ダインスレイヴが咄嗟に目を瞑る。攻撃の体勢を作ることもできずにいるようだ。
それこそが、ローラの望んでいた機会。視界が撹乱させられたその瞬間。
「流石に光までもは暴風で打ち払えまい!」
ダインスレイヴの視界が遮られているうちに、ローラはまっすぐ急前進。狙うは吸血鬼最大の弱点――つまりダインスレイヴの心臓部。
なのだが、
「――とでも思った?」
こちらを嘲笑うかのような声。よく目を凝らせば、ダインスレイヴは口の端を吊り上げニヤリと笑んでいる。
その挙措で、ローラは彼に撹乱の神術が通用しなかったことを思い知る。
「残念だったねえ。僕が今掛けてるゴーグル、実は遮光もできるんだよ、ね!!」
ダインスレイヴは大きく跳躍。天高く宙へと舞い上がった後、自身の足元で風を爆発させることでそのまま勢いよく垂直落下。溢れ出る光の中心部を――つまりはローラのことを大鎌で斬らんとしてきた。
「ちっ……!」
あまりの速さに目が眩みそうになるが、決して防げない訳では無い。急いで防御の神術を展開すれば、今からでも間に合うはずだ。
『Deus(神よ)――』
しかし、詠唱を始めて間もないその瞬間、
――バンッ
「う、あっ!?」
ダインスレイヴが、ローラでは無い何者かに撃たれ、翼を失くした鳥のように力無く地へと落ちたのだった。
「……!?」
突然の事態に目を剥いたローラは、無意識のうちにダインスレイヴを穿った銃弾が飛来してきた方向へと首を向ける。
そして、捉えたのは、
「概ね分かった。これが貴下の狙いだったということか」
真祖の眷属『四使徒』の一柱、ゼヘル・エデルだった。
彼の装いは修学旅行の最中に幾度と見せていた黒いパーカーと白い眼帯では無い。肩・胸部・脛を覆う黒い鎧に右目に掛けられた黒い眼帯といった、彼の戦装束にして一張羅である。
唯一新鮮だったのは、戦闘時に携えている血液で精製した武器が、いつも使い慣れている大剣ではなく真新しい造りをした拳銃だったということだろうか。
「ローラ・K・フォーマルハウト」
いつの間にかこちらのすぐ近くにまで接近していたゼヘルが、不意にローラの名を呼ぶ。
ただでさえこの場に現れたことが不可解な彼は、ローラに対しさらに不可解なことを告げた。
「奴はこの自分が対処する。貴下は大人しく真祖様の元へと向かうがいい」
「な……!?」
ローラは目を点にする。
どう考えても今の発言は、天敵たるクルースニクに手を貸すとでも言っているようなものではないか。
「その反応……どうやら貴下は誤解をしていると見受けられる」
こちらの反応を冷笑しているかのような口振りで、ゼヘルは言った。
「焦燥に駆られる貴下の様子から判断するに、真祖様が危急にあらせられるということなのであろう? ならば真祖様の眷属たる身として、貴下が真祖様の元へと辿り着けるよう今だけは手を貸してやる」
「……嘘では無いだろうな?」
「貴下のことを味方と見なした訳では無いが、今だけは信用してもらいたい。現在の真祖様は自分を信用しておらぬ。ならば真祖様をお救いできるのは、真祖様が御心を寄せておられる貴下だけであろう」
苦笑混じりでそう言ったゼヘルの表情は、どう考えても嘘を言っているようには思えない。
(……彼の言葉は信用できぬが、)
だが、彼の意見は至極正当。
自分の本当の目的は、ここでダインスレイヴを討滅することではない。いずれは討滅する必要性があるのだが、今は独りでにルチアの元へと向かった悠人を追うことが真っ先に優先すべき課題だった。
ならば今だけは、ゼヘル・エデルの好意的な行為に甘んじるしか無いのかもしれない。
「私は、貴様に心を赦した訳では無い」
口にした言葉とは裏腹に、ローラは自身の両拳をきつく握り締める。
そして、
「だがこの時だけは、貴様にダインスレイヴの相手を代わってもらおう」
「承知した」
ゼヘルは短く応答。拒絶ではなく了承だった。
肩代わりを引き受けた彼の真意は分からないが、本来の目的を果たさねばならない現在、ここは何も考えず先を行くことを優先させなければならない。
故にローラは、釈然としない想いを抱えつつも、対峙するゼヘルとダインスレイヴの脇を急いで通りすがった。
「――頼んだぞ、四使徒」
その言葉だけを、ゼヘルに短く告げ。
「どういうつもり? クルースニクには心を赦してないはずのゼッちゃんが、当のクルースニクのことを逃がすだなんて」
吸血鬼の男二人だけが残された京の都の路地裏。ダインスレイヴが怪訝な表情を浮かべつつゼヘルに問う。
それに対しゼヘルは、如何にも涼しげな顔で――だが何処と無く怒りを含んだ顔で答えた。
「クルースニクに心を赦した訳では無い。ただ自分は、真祖様の窮地に当たり為すべきことをせんとしただけのこと」
言葉を発しつつ、手元に握る拳銃を普段使い慣れている大剣へと造り換える。
そして出来上がった剣の切れ味を確かめるかのように素振りした後、その剣をダインスレイヴへと向けた。
「そして理由はもう一つ。昼間貴下に敗北した雪辱を果たすためだ」
「……ああ、そういうことね」
ダインスレイヴは苦笑していた。与太郎の彼でも、思い当たる節があったようだ。
「戦闘狂のゼッちゃんのことだから、お昼に僕がゼッちゃんに一対一で勝っちゃったこと、きっと恨まれてるだろうとは思ってたけどね。まさかホントにそうする気だったとは、驚き桃の木山椒の木」
「その巫山戯た口を閉ざせ」
ゼヘルが鋭く言い切るが、こちらに対し恐れを成していないダインスレイヴが黙ることは無い。
「で、夜になって本気出せるようになったから僕のところ来たんでしょ?」
「そうだ。貴様への雪辱を果たすべく、先刻幾許かの人間より血液を頂戴している。吸血さえすれば、自分が貴様に斬り負ける確率は格段に減るであろうからな」
「へぇ。大層な自信ですこと」
ダインスレイヴがニヤリと嗤う。
そして足元に暴風を起こし、風によって付与された推進力を駆使して前進してきた。
「そうやって大口叩いているけど、生憎僕は四使徒に匹敵するレベルの吸血鬼なんでね!」
言い切られた時にはすでに、鎌がゼヘルの頭上目掛け振り落とされている。
だがゼヘルは涼しい顔で大剣を頭上に掲げ、彼の斬撃を防ぎ切った。
「大口を叩いている方は貴下だと知れ」
「そうやって余裕ぶっこいていられるのも今のうちだよ!」
互いの口上の声と刃が交差した音を皮切りにして、吸血鬼同士の戦いの幕は開く。
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勝手に戦闘を始めたゼヘルとダインスレイヴを他所に、ローラは一人悠人の元へと急ぐ。
ダインスレイヴが語っていたことが当たりであることを信じ、清水寺へと直行。そして固く閉ざされた門や柵を飛び越え、境内へと侵入した。
不法侵入であることは分かっていた。が、危急の今そんなことなど気にしていられない。幸い警備の人間も不思議といなかったこともあり、気兼ねなく立ち入ることができた。
(奴の言った通りだ。強い吸血鬼の気配……つまりはユートの気配を感じる……!)
ローラの第六感は、普通の人間には感知できない濃密で禍々しい気配をはっきりと感じ取っていた。それと同時、激しい戦闘が行われていたことを示す血臭も、僅かではあるが感知する。
(何も無いといいのだが……)
血腥さを感じるということは、悠人かルチアのどちらかが負傷しているということ。凄惨さなど皆無な世界遺産の寺社内においてはどう考えても異常事態である。
とにかく、行って確かめるしかない。全力疾走でローラは気配が濃厚に漂っている位置である、本堂舞台の真下へと向かう。
だが、そこでローラが見たものは。
「……血を、もっと余に血を……!!」
嬉々とした表情で快哉を叫びつつ、ルチア・タルティーニの血を無我夢中で啜る悠人の姿だった。




