願いは呪い
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「お姉様」に救われたあたしは、彼女と同じ道を歩むことを決意した。
だから全てを失ったその日、対吸血鬼討滅組織・マリーエンキント教団で吸血鬼たちと戦うことを即座に選んだ。
私には怪物を狩るには充分すぎる「力」があった。そしてそれを護るべきもののため惜しみなく振るえる「信仰心」があった。それらを及第点を超過するほどまでに有したあたしが強力な聖騎士に進化を遂げるのは時間の問題だと、遠い記憶の中の誰かが言っていたような気がする。
そして事実、その言葉は現実のものとなった。熱心に鍛錬に励み、幾多の戦場を乗り越えたあたしは、たった四年て一線級にまで成長したのだから。
まだ十四歳という若年でありながら多くの死線を経験したあたしに、ほかの団員たちはよく羨望や畏怖の視線で見てくる。最高指導者であってもだ。
だけど、あたしはそれらの賛美に奢ったりしない。自分の才能に自惚れたりもしない。あたしは現状にはまだ満足してないから、目指すべき遥か高みにはまだ至ってないから。
――いつか、クルースニクであるローラ・K・フォーマルハウトお姉様の隣に並び立ちたい。
その想いがある限り、あたしは自分自身の才能に満足したくなかった。
そんなあたしの憧れ。神に選ばれたクルースニクとして、教団中から敬愛の眼差しを送られているローラお姉様。
あたしもあの人に、狂信的な崇拝の視線を送っている一人だった。
各地で吸血鬼を狩る日々を送る中で幾度となく目にしたお姉様の姿は、それはとても美しいものだった。
吸血鬼に一切の慈悲を見せず、容赦無く弾丸を撃ち込む。戦場を華麗に舞い、鮮やかな手捌きで敵を一掃するあの人の姿は、まさに戦乙女と呼ぶに相応しかったと思う。
そしてそれとは逆に、吸血鬼に襲われた被害者や同じ吸血鬼狩りの仲間には、毅然と対応しつつも優しく手を差し伸べていた。そんなお姉様の、戦乙女としての鎧を脱ぎ捨て「聖女」と讃えるに充分たる慈しみを垣間見せた姿に、民衆たちは思わず感涙せずにはいられないのではないかと、一時は本気で思ったりもした。
ここまであたしがローラお姉様に熱情を注いでいるのは、きっとあの人に「恋」のような感情を抱いていたからだったのかもしれない。
今までに培われたお姉様への感謝と憧憬が限界まで膨れ上がり、そのうちにあたしはお姉様に異様なほど惚れ込んだのだと思う。
それくらい、あたしはあの人のことを愛していた。
なのに――
『私は、彼が自身の悪意にそう簡単に呑まれるような奴ではないと、信じている』
信じたくなかった。
あんなに吸血鬼殺しの聖女としての誇りに満ちていたお姉様が、宿敵であるはずの真祖に対し偏った好意を抱いていることを。
だけど、冷静に考えてみれば、そんなことあるはずが無い。
吸血鬼を根絶やしにすることに誰よりも情熱を注いでいたお姉様が吸血鬼に――ましてその親玉である真祖に心惹かれるだなんてことは、絶対にありえないから。
『これは僕の憶測でしか無いんだけど、真祖様はクルースニクのことを洗脳してるんじゃない? 『クルースニクが自分を愛するように仕向けて、自分の敵を無くそう』ってさ』
そう、あたしの協力者は推測していた。
俄かには信じられなかったし、敵が語った話だから鵜呑みにしたくなかった。けれど、今までクルースニクとしての使命だけに従順だったお姉様の恋する乙女のような表情を見てしまった以上、そう思わざるを得なかった。
――クルースニクとしての誇りを胸に戦場を舞っていたお姉様が、普通の年頃の少女のような眼差しで真祖と仲睦まじくしているのは、きっと真祖がお姉様に色目を使って篭絡したからに違いない!
きっとそれは、紛れも無い事実。
だから、かつてあの人と共に戦ってきた聖騎士として、あの人の心を取り戻さなければならない。
お姉様が聖女として教団の頂点に君臨していることが、あたしの生きる理由そのものだから。
*****
暁美悠人が祇園の街から撤退してから小一時間後。
彼が諦めた縁切りの願いを、彼女は諦めていなかった。
「……」
マリーエンキント教団聖騎士ルチア・タルティーニ。
彼女は今、安井金毘羅宮に通じる参道を、静謐な足取りで進んでいる。
――もう、迷いは無い。
ルチアの心を支配していたのは、クルースニクへの絶対的な妄信と、吸血鬼の真祖への絶対的な憎悪。
そして、相思相愛の関係にある彼らへの絶対的な悋気。
(破門されることは覚悟の上、自分がどうなろうと構わない。ただ、真祖からお姉様を取り戻すことができれば、あたしにはそれで充分)
たとえ敵の手を借りることになっても、何者よりも大切な「お姉様」が再び教団へ――自分の元へ戻ってくれさえすれば、それでよかった。
吸血鬼を滅ぼすためだけにクルースニクは存在しなくてはならないから。「お姉様」にはただ、真祖をいかに殺すかだけを考えていてもらいたかったから。
マリーエンキント教団が望む形でだけ、聖女ローラ・K・フォーマルハウトにはいてもらいたいから。
(待っていてください、ローラお姉様。貴女のことは絶対、あたしが真祖の魔手から救ってみせます)
そのために今、自分はここにいる。
聖女と真祖の縁の断絶を、神に聞き届けてもらうために。
しばらく参道を歩き、境内の中枢部へと辿り着く。夕方に差し掛かっているのにも関わらず、境内の中はまだ多くの女性で賑わいを見せていた。
そして境内をゆっくりと見回す。手水所、本殿と視線を送り、最後に視界に映ったのは、びっしりと貼り付けられた白い紙によって姿がすっぽりと覆われたオブジェのようなものだった。
「……これが、」
ここを訪れた目的といざ対面したルチアは、ごくりと固唾を呑む。
「これがアイツの言っていた……」
実は数時間前、ルチアはこの場所についての情報を協力者から聞かされていた。
『そういえば、この街ってすごく強力な縁切り神社があるらしいよ。何でも、縁切りを願いながら潜ればそれが本当に叶う石のようなものがあるとか……。ま、実行まではまだ時間があるし、もし暇があったら見学だけでも行ってみたら? 計画完遂の無事を祈願する意味でもさ』
あの口振りから考えるに、彼は自由時間の提案という意味で参拝を勧めたのかもしれない。よもや本気でルチアが神に縁切りを祈るだろうとは、絶対に考えていないはずだ。
だが推奨した彼の真意がどうであれ、現在ルチアは例の縁切り神社にいる。暇潰しという目的ではなく、祈祷のためという本気の意味で。
神に祈っただけでどうにかなってしまう問題だとは、ルチア自身も考えていない。自分の手で打開しなければ永遠に聖女と真祖は結ばれたままだと、あくまで彼女は考えている。
それでも祈祷を望むのは、それだけ「どうしてもローラお姉様を取り戻したい」という想いが切実なものだから。何があろうと、自分がどうなろうと、ただそれだけが絶対に叶えたい願いだから。
(……本当に願いを叶えるのは自分の手で、って決めている。それでも、成就をより確実なものにするためには神に祈るに越したことはないわ)
これはほんの気休め、計画の成功を祈る願掛け――その妥協点だけは絶対に胸から離れないよう心掛けて。
周囲の参拝客が行っていることを見よう見まねでなぞりながら、ルチアも参拝を行った。
まずは本殿で参拝した後、すぐ近くにある授与所で取り扱っていた形代に願いを書き込む。日本語は書けないため仕方無く英語で書いてしまったが……たぶん大丈夫だろう。
そして形代を片手に、白い紙に覆われたの前へ。同じようなことを願いに来たらしい参拝客たちが行列を作っていたが、形代を扱う授与所の営業終了が残り二分ほどの今は、さほど長い列はできていない。しばし待っていれば順番は必ず巡って来る。
そして思惑通り、その時はやってきた。精神統一のための深呼吸を数回行い、形代を手に碑の前に立つ。
(えっと、確か……)
自身の前に参拝をしていた客が行っていたことを頭の中で反芻し、ルチアも同様の行動を取る。
その際に考えていたことはやはり先ほどと同じ――聖女と真祖の縁の断絶。
そしてややあって参拝は完了。概ね完璧に参拝できたのではないだろうか。
だが、計画の決行日は今夜。そんな短時間で神に願いが届くとは到底思えなかった。
「……あたし、何やってるんだろ……」
今さらながら、神に祈祷をしたことが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
ほんの気休めとしての願掛けと捉えていたとはいえ、他宗教の神に縁切りの成就を願ったのはやはり間違いだったような気がしてならない。
「……結局最後に手を下すのはあたしなんだし、こんなことしても時間の無駄でしかなかったんじゃないかしら」
嘆息しつつ、改めて白い紙に覆われた碑を一瞥する。
新たに自分の願い事が書かれた形代を取り込んだそれは、何も語らずただ定位置に鎮座するのみ。当たり前だが、何か変化が起こったようには見えない。
ルチアはしばし碑を睨むように見つめていたが、やがて飽きたように目を逸らす。
「……まあ、いいわ。こうして願ったことが後に身を結ぶのは確定している訳だし」
そうだ。今夜自分は、「お姉様」を真祖の手から奪還する。
自身や周囲の状況がどうなるかは全く読めないが、その結末だけは確定している。絶対に。
「……待ってなさい、真祖ユークリッド。今宵が貴方の恋の終焉よ」
九十九パーセントの希望と一パーセントの不安を胸に秘め、ルチア・タルティーニはその時を静かに待ち続ける。
だが、彼女は知らなかった。
縁切りは「正しい心」で願わなければ、それは邪な呪いと同じだということを。
「因果応報」という言葉や「人を呪わば穴二つ」という言葉があるように、邪な呪いをすれば必ずや自分に呪いが跳ね返ってくるということを――。




