この恋に生きると誓う
結局ゼヘルが抜けた状態で、悠人たちは観光を続けることになった。
ゼヘルの行方は気になったものの、本来彼は班員でも無ければ味方でも無いのだから特に気に病む必要などある訳も無い。彼が一般人を襲わないことを願いつつ、悠人は次の目的地へと向かうこととしたのだ。
さて、次に一行が向かったのは清水寺。「清水の舞台」として知られる本堂舞台がとても有名な、京都を代表する定番観光地にして世界遺産である。
二体の仁王像が祀られる朱塗りの門を潜り境内へ。それから拝観料をそれぞれで支払い、舞台がある本堂へと足を踏み入れた。
「うわあ! いい眺め!」
「あまり飛び跳ねるな。迷惑を考えろ」
本堂舞台の上でぴょんぴょんと飛び跳ねながら興奮している叶を咎めつつも、悠人も舞台の上から景色を眺める。
叶の言う通り、舞台の上から眺める景観は最高であった。徐々に色付き始めている紅葉の赤と常緑樹の緑、秋晴れの空の青と遠くに見える山々の紺のコントラストは大変素晴らしい。
そんな中、悠人は不意に隣に並んで景色を眺めているローラを睥睨する。
彼女も舞台の上から見る景色に感動しているようであった。
「……いい眺めだな」
何処かもの悲しげに、ローラが言葉を零す。
その様子は、奈良公園で鹿と戯れていた際にふと見せた寂しげで苦しげな表情と通じているように思えた。
「教団にいた頃はこういう景色も碌に楽しめなかったのか?」
「……まあ、そうかもしれんな。詳しいことはあまり語りたくは無いのだが……」
そういえば、ローラはあまりマリーエンキント教団のことを語りたがらないような気がする。初めて出逢ったばかりの頃も、教団のことを……というよりも彼女の出生のことを訊こうとすれば、彼女は上手くはぐらかしたり口を閉ざしたりしていた。
その時を含め幾多も感じたことだが、ローラの教団での生活は、自分には想像も付かないほど残酷で過酷なものだったのだろうか?
(……ここ最近になって普通の少女らしさを見せていたのも、それが関係してたのかな)
密かに、悠人は拳を握り締める。
同時に、自身の恋心を再確認した。
ローラの普通の少女らしさと柔らかな微笑み。それを失わせたくないと望む自分がいた。
今まで使命だけに生きてきたローラが普通の生活を送ることで、少女として、普通の人間として当たり前の感情を取り戻していく――それを自身は望んでいた。
彼女が少女らしい一面を見せてくれることこそが、彼女への恋心を高まらせてくれる最大の要因であった。
(ローラの笑顔を、絶対に曇らせない。使命に縛られる彼女に、せめてもの自由を与えてやりたい……)
だから暁美悠人は、この赦されざる恋に生きることを誓う。
敵対する立場とはいえ、彼女の笑顔を護ることができるのは、彼女のことを誰よりも理解している自分しかいないのだから。
「なあ、ローラ」
意を決して、悠人はローラに言う。
同時に、新幹線の中で読んだガイドブックに掲載されていた縁結びの神社のことを思い出す。あの時は漠然と願うことしかできなかったが、今まで以上に恋をはっきりと自覚した今なら、より明確に神に祈ることができるような気がした。
「清水寺の境内の中には縁結びで有名な神社があるんだってさ。だから……この後行かないか?」
「縁結び!?」
即座に反応したのは叶。正直、反応を期待していた人物では無かった。
「そういえばクラスの女の子たちも言ってたんだけど、その神社って確か『恋占いの石』っていう運試しスポットがあるんだよね!?」
「あ、ああ。確かそんなものもあるってガイドブックには書いてあったけど」
「いいじゃん! だったら恋愛成就するかどうか占ってもらおうよローラちゃん!」
きらきらと瞳を輝かせる叶の興奮度合いは、側方のローラを呑み込んでいた。
勢いに気圧されたローラは、戸惑いの感情を見せている。
「わ、私は……否、それよりもだカナエ。貴君こそ、自身の恋愛が叶うかどうか占ってもらうべきではないのかね?」
「あたしは別にいいの! だって……」
ローラに蒸し返された叶は、しばし答えた後、唐突に興奮を抑えた。
その際の表情には諦観こそ含まれていたが、それ以上に晴れやかな感情の方が勝っている。
「……お節介かもしれないけど、悠くんのことを考えれば、ローラちゃんの方が恋愛成就祈願をするべきなんじゃないかって思ったからだよ」
叶は、悠人の恋愛対象が自分では無くてローラの方であると知っている。
なのに、縁結びの神様への参拝を元・恋敵に進めようとする彼女は、どう見ても恋の敗北者には見えなかった。
叶の押しの強さにローラがとうとう折れたこともあり、悠人たちの班は提案の通り件の縁結びの神社へと赴くことに。
清水寺の本堂から北に進み、こちらを誘い込むように佇む鳥居を潜る。そうして一行は、あっという間に目的地へと辿り着いた。
「ここが地主神社か……。やっぱり縁結びの神様ということもあってなのかな、圧倒的に女性が多いね」
「そうだな。うちの女子生徒たちもけっこう来てるみたいだし」
解と悠人が会話でも触れているように、地主神社の境内の中は多くの若い女性でひしめき合っていた。冷泉学園高校の女子生徒はもちろんのこと、他校の女子生徒や大人の女性、外国人に至るまで、より取り見取りな女人で賑わっている。もちろん男性たちの姿も見かけたが、おそらく誰かの彼氏であるという場合が大半だろう。
そんな中で彼女といる様子が見られない美少年二人の姿は多いに浮いていたが、女性たちが彼らに目を呉れることは無かった。
それ以上に彼女たちの注目はただ一点に集まっていたから。
「ローラちゃん、もっと右……あ、行き過ぎた。ちょっと左戻って! そしてそのまままっすぐ!」
「あまり騒ぐな、カナエ。こういう行為は冷静で無くば為せんだろうに……」
現在ローラと叶がきゃいきゃいと盛り上がっている地点にある、注連縄が巻かれた二つの石。それらが、この神社を訪れた女性たちのほとんどの視線を集めていた。
本殿の前にあるこの石こそが「恋占いの石」と呼ばれるものである。十メートルほど離れた二つの石の間を目を閉じたまま歩き、無事に移動することができれば恋愛が成就する……と言われているのだとか。
叶の提案で強引に恋占いにチャレンジすることとなったローラと、ひたすら彼女の応援役に徹している叶、そして美少女二人の挑戦を羨望を交えながら見守っている順番待ちの女性たち。彼女たちの光景を他人事のように眺めている中、ふと解が悠人に尋ねてきた。
「そういえば気付いたけれど、浅浦さんは恋占いの石を試さないんだね。あの子なら絶対にやるだろうとは思っていたんだけど」
「あいつ曰く、自分は別にいいんだってさ。俺だってやるだろうとは思っていたけどな」
思えば、叶は京都に来てから一度も縁結びの神社で参拝をしていない。境内に入るや否や、ただ本殿を見物しているのみであった。
そこにはおそらく、自身の想い人が本当に好きなのは別の人だって知っているからこそだと思っていたが……。
(だとしたら……俺に対して前よりも積極的になるのは変な話だよな……?)
伏見稲荷大社観光の時に感じた、喉に刺さった魚の骨のような些細な違和感が、再び脳裏に蘇ってくる。
ここ最近、叶の本心は本当に読めない。果たして彼女は何を想い行動しているのか、それだけが明朗快活な彼女から読み取ることができなかった。
(流石に直接聞くのは失礼だろうし、しばらく様子を窺ってみるしかないのかな……)
肩を竦めつつ、今度は悠人は視線を解の方へ。
だが解は、すでに恋占いの石に視線を遣っていなかった。
「あ、悠人。あれって……」
悠人がこちらを向いたことに気付いた解が、ある方向に向け指を差す。
突き出された人差し指の遥か先にあったのは、お守りなどを販売している社務所。そしてその前で財布を広げている、すらりとした長身とふわふわした無造作な黒髪を持つ二十代後半くらいの西洋人らしき女性。
「……まさかな」
その見覚えのある後ろ姿がどうも気になった悠人は、解に「ちょっと行ってくる」と一言告げて恋占いの石を後に。そして単独で社務所へと赴き、件の女性に話しかけた。
「意外とこういうのに興味あったんですね、薬研先生」
「……っ!? ……ああ、何だ。誰かと思ったらアンタかい、暁美」
女性は――冷泉学園高校養護教諭の薬研エルネは驚いたように振り向いたが、接近してきたのが悠人だと気付くと、すぐさまいつも通りの気怠げな様子へと様変わりした。
そんな彼女の手には、「愛のちかい」という文字が書かれた小箱が収まっていた。
「別にアタシは大したことはしてないよ。ただ単にお守りを購入していただけさ。この『愛のちかい守り』って奴をねェ」
エルネ曰く、これは金色と銀色のお守りがセットになっている縁結びのお守りなのだという。金色は女性が、銀色は男性が身に付けることで、すでに両想いの二人の仲がさらに深まるのだとか。
エルネがこのお守りを購入した背景には、きっと彼女が護衛役として仕えている夫婦の存在があるのだろう。
「もしかして、理事長に『買ってこい』って頼まれたんですか?」
「正確にはひかりの方だが。きっと夫婦の絆がまたあんなことで解けかけないようにしたいんだろうねェ」
「あー……」
つい先日の騒動を思い出し、悠人は頭の痛い思いに駆られる。
一週間前ほどのこと、悠人は冷泉学園高校理事長・冷泉院暮土の自殺騒動に強制的に巻き込まれた。
大切な者が傷付くことを恐れ、半吸血鬼である己を罪深き存在と捉えていた暮土。吸血鬼と人間の血を引き継いで生まれたが故に普通に死ぬことのできなかった彼は、真祖である悠人のことを殺すことで、自身の罪を償おうととしていたのだった。
自身やローラ、そして何よりも妻のひかりがきつく灸を据えたため、もう二度とあのような事態が起こらないことを信じたいのだが。
「あれから、理事長はどうなっているんですか? まだ死のうだなんて考えているとかは……」
「それは無い。あれ以降暮土の迷いは晴れたみたいでねェ、彼自身は完全なる吸血鬼と化してしまったがそれをものとする様子は見られないさ。普通にひかりと仲睦まじくやっているよ。息子娘と共に」
「それならよかった。またあんな騒動を起こされたら、きっと会長とか海紗さん、そしてひかりさんがとんだ迷惑を被ることになるでしょうし」
一時期は大切な者が巻き込まれる恐怖心から、暮土は自身の存在を否定して生きていた。そんな彼が、犠牲が及ぶことを承知しつつも自分を愛することを決意した者たちの存在に気付き、再び自分を肯定するようになった――その事実を知り、悠人は無意識に安堵の笑みを浮かべた。
だが冷泉院家の現状に満足して笑う悠人を見て、何故かエルネは呆れたような表情。
「……アンタ、暮土たちのことを案じるのもいいが、今は自分のことを優先すべきじゃないのかい?」
「あ……そういえば俺、ローラたちのこと完全に放っておいてたっけ」
どれくらいエルネと話していたかは分からないが、そうしている間にローラと叶は恋占いの石での運試しを終えたことだろう。そろそろ戻らねば。
「ありがとうございます。この修学旅行で本当に気に掛けるべきなのは、ローラたちの一緒に観光を楽しむことだって言いたかったんですよね?」
「そういうことじゃない」
エルネの否定の言葉。それによって悠人は、呑気に笑っている場合では無いということを思い知る。
何せ彼女の表情は呆れたようなものではなく、剣呑に満ちたものだったから。
「アンタはこの修学旅行の間、ずっと後を付けられている。そして、この今でも敵は確実にアンタを狙っている。気を付けな」
「敵って……もしそれがゼヘル・エデルたちのことだったら、彼らに追跡というか監視されている最中ですけど、一応俺が手綱を握ってますし……」
「いいや、アンタを付けているのは吸血鬼の連中じゃない。あれは――」
エルネが反論に反論を重ねた、その刹那に事は起こった。
ガリッ、と境内の石畳を引っ掻く音。
それが、全ての始まりを告げる合図。
「うわっ!?」
「何、何なの!?」
「きゃあああっ!!」
参拝客の悲鳴。彼らは何の前触れも無く生まれた衝撃に呑まれ、吹き飛ばされ四散していた。
突如大きく湧き上がった爆風暴風颶風。それらが本殿を中心に爆ぜ、地主神社の境内を包み込んでいく。さらにはバリバリと瓦や木材が剥がされ、それらが一斉に宙へと舞い上がる。
無論、敵の一番の標的であるらしい悠人は、暴風の被害を真っ先に受けた。
「がはっ……!?」
膨れ上がった風をもろに喰らった悠人は誰よりも強く吹き飛ばされ、強制的に大きく後退させられる。
そして、すぐ後方にあった木に身体を大きく打ち付けられた。当たり所が悪かったせいか、脳がぐらぐらと揺れる感覚がする。脳震盪でも起こしたのかもしれない。
『――っ、時殺し――発動!!』
襲撃を察知したエルネが、咄嗟に自身の吸血鬼としての異能を発動させる。一般人を吸血鬼の戦いに巻き込むことを恐れたが故だ。
彼女が唱えた瞬間、参拝客の動きは一斉に停止した。が、吸血鬼の力が弱体化している今、エルネが停止することができたのは大勢いる参拝客だけ。風の動きは止められない。
風が強く境内を吹き抜ける。木々が大きくざわめき、本殿に取り付けられた鈴がガラガラと大きく鳴り響く。
だが幸運なことに、風はすぐに止んだ。舞い上がった飛来物がすぐさま地に向かって降り注ぐが、停止している人々が飛来物によって大きなダメージを受けている様子は見られない。
「……っと、とりあえず被害は回避した。幸い客は皆無事……って思ったが、今大丈夫じゃない奴が一人いるようだ」
「……っ、ありがとうございます、薬研先生。被害を食い止めようとしてくれただけでも幸いです」
悠人はよろめきながらも立ち上がる。頭はふらふらするが、立ち上がれないことは無いようだ。
そんな中、真祖の討滅者たるクルースニクであるが故に時間停止が効かないローラが、血相を変えてこちらへと飛んでくる。
「ユート! 無事かね!?」
「ああ、ローラ。俺は何とか大丈夫だ。薬研先生が咄嗟に動いてくれたし」
「だ、だが……」
ローラは興奮冷めやらぬ様子で悠人のことを睨んでいたが、すぐさま冷静さを取り戻した。
数回咳払いをした後、静かに告げてくる。
「……聞け、ユート。先ほどから貴君はマリーエンキント教団の聖騎士に狙われている」
「やっぱりか……。伏見稲荷の時からそんな兆候はあったけど……」
伏見稲荷大社にて、悠人は突如閃光に撃たれたことを思い出す。その時から薄々と感じてはいたが、あれは教団員による明確な敵意ある攻撃だったのだ。
そして、攻撃を繰り出した主は誰か。それをローラは、やけに神妙な顔で、そして深刻な顔で語った。
「貴君も気に掛かっているであろうが、襲撃を仕掛けたきたのは間違い無く……私の同胞のルチア・タルティーニだ」
「……!」
「尤も、本当にルチア単独の犯行なのかは判断しかねるが……」とローラが呟いていたが、それも気にならないくらい、悠人は犯行主の名前に戦慄を覚えていた。
今、脳裏には、野宮神社でルチアに吐かれた罵倒の言葉がぐるぐると渦巻いている。
『分かってないのはあんたの方じゃない! 敵同士だと分かっていながらお姉様に近付いて自分の理想を押し付けて……そうやってお姉様のことを丸め込んで生き永らえようとしているんでしょう!?』
彼女の言葉の意味、そして一連の襲撃の意味が一つに重なり合っていく。
『今は真祖を殺すことができなくても、ローラお姉様を連れ帰ることはできる!』
ルチアが何故こちらを狙っているのか。察した悠人は、恐怖と憤怒と危惧と憎悪――それらが同時に心の中で爆ぜたような心地を感じた。
(彼女は……本気で俺を殺してローラを元いた場所に連れ去ろうとしている……)




