白き聖女
ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム。明らかに西洋人の名であるそれは当然、日本生まれ日本育ちである悠人のものではない。
しかしユークリッドという名を呼ばれた瞬間、何故か自身の中で懐かしさが疼き出しているのを、悠人ははっきりと感じ取っていた。
「ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム……吸血鬼の真祖……それが俺の、本当の……」
悠人の奥底に封じられていた記憶が僅かに蘇る。
生き血を啜り、人間を罵り、世界を蹂躙した、傲慢で強欲で淫乱な王。今まで何度か夢の中に現れた、あの嫌悪したくなるような陰惨で狂気的な有り様は、全てがこの自分が過去に成したこと。
しかし蘇った記憶が不完全であるが故に、悠人はその蘇った記憶と四百年前の大罪を死んでも認めたくは無かった。
「……そんなの、絶対に嘘だ」
「何故そう仰るのですか?」
跪いた姿勢のまま静かにこちらを見つめるゼヘルは、悠人の発言に対し怪訝そうに眉を寄せた。
「貴方様は覚えていらしたのでしょう? 四百年前にご自身が為されたことを。老若男女・貧富の差に関わらず人間の血液を余すことなく啜り、ワラキアの王として数多の聖騎士たちを残らず殲滅していたという記憶を」
「それでもだよ。その俺の頭の中に在る記憶が、誰かによって作り出されたフィクションって可能性もあるだろうが……!」
まだ悠人の中には、ゼヘルの発言と自身の中の記憶が虚構であると論破できるものが残っているのだから。
「今ここにいる俺は人間だ。俺にはちゃんと両親がいる。母さんの胎内から生まれた記憶もあるし、人間として真っ当に成長している! 血に対する欲望なんか抱いたこともない!!」
「……ああ、そういうことですか」
悠人に論破されても、彼は笑っている。
突き付けられた決定的な論破をさらに論破するための証拠を、この男は知っている。そのことに、悠人は気付いていなかったのだ。
ニヤリと嗤い、立ち上がるゼヘル。
「では……あれをご覧になってもなお、何もお思いにならないと?」
そうして彼は、自身の定位置が悠人の視界の端となるよう場所を移す。
ゼヘルが退いたことで、先ほど巨躯の背後であった場所に力無く倒れている叶の姿が鮮明に目に焼き付いた。
「カナ……」
痛ましい彼女の有り様に、悠人の心臓の鼓動が無意識に早まる。
彼女は無事なのか。まだ息は絶えていないのか。一刻も早く処置をしなければ。嗚呼、失血死してしまう前に早く――
――飲ミタイ。
「――っ!?」
突如、おぞましい考えが浮上した。
正常な人間である自分のものとは思えない感情に驚いた悠人は、激しい鼓動を繰り返す胸を思わず両手で強く押さえ付ける。
叶の安否を心配していたはずだった。のに、いつしか彼女の身体から溢れ出る鮮やかな血がとても綺麗で新鮮で芳醇で美味しそうに見えて――
「……っ……!」
先ほどよりも激しく強く胸をよぎった浅ましい獣欲を、下唇を噛むことでどうにか抑制する。
「何で、なんだよ……。何で、カナの血を、飲みたいって……!!」
今の自分はまるで飢えた獣だ。そう悠人は痛感する。
「幼馴染を助けたい」という理性が、「血を味わいたい」という本能に押し流されている。生物はみな己の欲望に忠実なのだから、人間の理性が全生物に共通する本能に負けてしまうのは必然だったのかもしれない。
だが、ここで吸血鬼としての吸血欲に負けてしまったら、自分は……
「……ここで血を飲んだら、俺はもう二度と自分を『人間』って言えなくなるってことじゃないか……!」
「ええ、そうですとも。ですが心配はご無用。これこそが貴方様の本性なのですから」
同類の男の甘い囁き声が耳元に届く。
俯かせていた視線を前に戻せば、そこには再びゼヘルの姿があった。
先ほどとは異なり、腕の中に意識の無い血塗れの叶を抱えた状態で。
「見目も思考も人間と同等であっても、心の中は常に血液に対する欲を孕む――それが我ら吸血鬼の性」
「やめ、ろ……黙れ……」
叶を抱えるゼヘルが一歩ずつ接近してくる。悠人は上辺では逃げようと考えるのだが、身体は叶を視界の一点に捉えたままびくとも動こうとしない。
「醜く残虐な獣欲を内包している点において、我々は人間とは根本的に違う。御身は元から人間と異なった存在なのですから、いつまでも人間の皮を被っておられる必要性は皆無なのではないでしょうか」
いつしかゼヘルは悠人の至近距離に再度戻って来ていた。
同時に悠人の鼻腔を、鉄錆の臭いにも似た血腥ささがくすぐる。
「っふ、あ……」
常人からすれば不快でしかないその臭気は、血の欲望に心を揺さぶられている真っ最中の彼からすれば、金木犀の花のごとき心地よい香りに等しく感じられた。
「あ……あ、は……」
いつしか、笑い声が零れていた。
吸血鬼である者にしか分からぬ甘美な芳香に、だんだん脳が麻痺していく。ただ血臭を嗅いだだけだというのに、得も言われぬ多幸感に身が包まれる。
そしてしばしの間甘やかな血液の香気に当てられたせいで、どうにか形を留めていた悠人の『人間としての理性』が崩壊した。
「あ、あは、あはは、あははははははは……!」
快楽によって気が触れた悠人は、ただ生理的欲求のままに哄笑する。
もう自分が人間のままで在ることなどどうでもよくなっていた。眼前の少女から滴り落ちる美味そうな血を口に含むことさえできれば自分が完全に吸血鬼に成り果ててしまっても構わない、なんていう狂った欲が気付けば彼の精神を汚染している。
やがて狂気と本能と欲望が限界を超えた悠人は、無意識に口を開きかつての配下に呼びかける。
「あ、はは、あは……――ゼヘル・エデル」
「いかがなさいましたか? よもやこの少女の血がご所望と?」
「そうだ……。その女の血を……寄越せ」
吸血衝動で脳がいっぱいになっている悠人は、いつしか自身の人格が『真祖』としてのそれに取って代わられていたことに気付かない。
一方ようやく彼が吸血鬼の王らしい尊大な態度を見せたことに、ゼヘルは多大なる歓喜を見せていた。
「分かっておりますとも」
含み笑いながら彼は、身を起こした悠人にずいと叶の身体を捧げる。
「この少女の血液は皆、四百年ぶりに現世へと復活なされた真祖様のものにございます。どうぞ、お納めくださいませ」
「……ああ。頂くとしようか……」
悠人は脱力したように返答するが、獲物にかぶり付く所作に容赦は無い。ゼヘルから叶をひったくると、舌舐めずりをしながら彼女の開いた傷口の付近に唇を宛がった。
生温かい深紅の液体を啜り、舐め、咀嚼し、味わい、飲み込む。瞬間、血臭を嗅いだ時以上に、快楽の感情が口腔を通じて脳内に一気に伝達された。
「……美味い……」
口の周りを叶の血で濡らし、陶然と呟く。その端正な顔には、快感と至福と興奮と満悦の感情を捏ね合わせた嬌笑が自然と浮かべられていた。
このような美味なる血を口にしたのは、それでこそ四百年ぶりだった。久しぶりに味わう特有の鉄臭さと蜜のような甘さに、蠢く舌が止まらない。
「美味い、とても美味い……! もっと……もっと、血を……!」
背筋がぞくぞく震えるのを感じながら、先ほどよりも激しく啜る悠人。肌や傷口の周辺に付着した血だけでは飽き足らず、とうとう少女の開いた皮膚の中に舌を突き入れた。
だんだんと叶の肌が色を失くしていたが、麻薬のごとき中毒性を持つ甘美な血の味によって、彼女の死を恐れる心や彼女の生を懸念する心は完全に意識の隅に追い遣られてしまった。
悠人が叶の血を味わっている様子を、ゼヘルは介入することなく静かに見守っている。子を寝かしつける親のような慈愛と、我欲に溺れた権力者のような嘱望を微かに顔面に浮かべ、彼が真に吸血鬼の王としての意識を取り戻すことを待っている。
そして、吸血鬼としての欲望を剥き出しにした悠人によって叶の生命が奪われるのも時間と思われた――その時のことだった。
「そこまでだ。悪しき吸血鬼どもよ」
凛とした少女の声が、黄昏に沈む公園に清水のように沁み渡った。
その清らかな声を受け、血を啜っていた悠人は狂気と欲望からハッと目を醒ます。
「……っ!? 俺は、何を……!?」
下方に目を遣れば、そこには先ほどよりも不自然に出血量を減らした叶の姿がある。
胸が上下に動いていることから死んでいないということが分かるものの、その息は途切れそうなほど小さい。血を吸われたことによりますます血色を失った身体の、傷口周辺の部分には誰かの血液混じりの唾液が付着していた。
そして、彼女をここまで窮地に追い遣った犯人は――
(まさか俺……カナのことを……!!)
吸血衝動に負けてしまった己への失望感と衰弱した幼馴染への後悔。悠人の心中で沸騰した激烈な負の感情は、またしても突然介入してきた謎の少女の声によって打ち破られ。
「ふん、あれだけ吸血をしてもまだ人間としての自覚を持っているか。だからと言って討伐しない訳ではないが」
膨大な存在感を醸し出すその涼やかな声に導かれ、悠人の耳が、そして目が、声が聴こえた方向へと無意識に向けられる。
そして、彼の目は捉えた。
西日の緋色を打ち消す、圧倒的な『白』を。
「本来ならば真っ先に討伐すべきは真祖であることは自明の理。だが覚醒した直後のせいか、奴は己の境遇がよく理解できていないらしい。このような腑抜けた状態の彼をあっさりと殺害してもつまらんな」
恐竜を模した複合遊具の上に、凄まじい美貌を持ち合わせた少女が仁王立ちしている。
腰まで届く雪のように真白い長髪を棚引かせる、大人びた顔立ちの美少女だ。抜群のプロポーションを誇る身体を純白のシスター服で覆っているが、襟元や袖口からはこれまた真珠のように白く滑らかな肌が見え隠れしていた。
一瞬アルビノなのかと思い込んでしまったが、髪と同色の睫毛に縁取られている澄んだ銀灰色の瞳がそうでないことを証明していた。
「何よりも、それ以前に無関係で非力な少女を真祖の餌とするために害した『四使徒』を看過しておくことはできん」
まるで古代ローマの女神像といった印象を持つ彼女は、軽い身のこなしで遊具から飛び降りる。
可憐な容姿には似つかわしくない、鋭利に輝く銀色の銃剣を右手に携えて。
「ひとまず、未だ吸血鬼と人間の境が見えない真祖は後回しだ。先に四使徒を討ち滅ぼす」
「……やはり貴下も預言に導かれこの地へ来たということか」
思わず少女に見惚れ悠人が呆然としている最中、ゼヘルが喜悦の笑みを浮かべながら彼女の前へと歩み出る。
彼の手の中には、叶の身体を斬り裂いたあの凶刃の柄が収まっていた。
「自分は心待ちにしていたぞ。真祖様の復活もそうだが、何よりも神に選ばれし英雄である貴下と殺り合えるこの時を、な」
極上の肉を前にした野犬のごとき獰猛さを以って、ゼヘルは口角を大きく吊り上げる。
「ああ、貴下が死闘の果てに殉死する姿が真に楽しみだ。吸血鬼殺しの聖女ローラ・K・フォーマルハウトよ」
「貴様のその戦闘狂いは平和な時勢に似合わんぞ、四使徒が誇る戦闘狂ゼヘル・エデル」
ゼヘルの挑発を受けても、そのローラという名らしい少女は冷然とした態度を崩さない。
「まあ、いい。今の私も貴様と同じ気分だ。待ち望んだ敵ではないが、久しぶりの難敵に対し非常に胸が高鳴っている」
眼前の吸血鬼に向け、ローラが銃剣の先を突き付ける。
そしてすかさず引き金に指を掛け、容赦無く発砲した。
「まずは真祖よりも先に、貴様の命を狩ってやろう!」
しかし銃剣が放ったのは常の拳銃が込めている鉛の弾丸ではなく、周囲一帯を純白に染め上げるくらい猛烈で眩い閃光であった。
「攪乱の神術か――面白い!」
呵々大笑するゼヘルは刃を一薙ぎにし、光を振り払う。
剣戟を喰らい両断された光の中枢から魚雷のようにローラが突進してきたのは、その直後のことだった。
「滅ぶがいい!」
銃口の上部に取り付けられた鋭利な刃で、ゼヘルの喉笛を一刺しに貫こうとするローラだったが、その攻撃は次の一手を読み退き下がっていた彼によって容易に受け止められ。
ガキン!! と、鍔競り合いの音が甲高く鳴り響く。
「くっ……!」
「神術を駆使した奇襲は大層見事であった。四使徒以下の吸血鬼であれば確実に仕留められたであろうな」
「その遠回しな自画自賛はひどく癪だ!!」
ローラが一旦バックステップで退く。もちろん単にそうするだけでは無い。隙を狙った一撃を放つべく敵との間合いを取ったのだ。
そしてある一点に達したところで彼女は後退から急前進へと素早く切り替え、再び銃剣の引き金に指を掛ける。
『Agnus Dei,qui tollis peccata mundi,dona eis requiem sempiternam(神の小羊、世の罪を祓われし御方よ、彼らに永遠の安息を与え給え)――』
聖なる響きを持つ異国の言葉を朗々と発する彼女は、標的に向けて勢いよく発砲する。
先ほどあの銃剣からは膨大な閃光が放出されたが、今度は違う。宵の空に浮かぶ一番星のように燦然と輝く銀色の銃弾だ。
一見すればただの一発の銃弾に見えるが、そう思われていたのも一瞬のうちだった。
『――Amen(然り、そう在らんことを)!』
ローラがそう口にした瞬間、銃弾が周囲に銀色の光を撒き散らしながら独りでに急加速した。
当然それが向かう先はゼヘル・エデルという的だ。
「――っ!」
隻眼を鋭く細めたゼヘルは寸でのところで大きく跳躍し被弾を避けようとするも、僅かに間に合わず。鎧に覆われていなかった彼の太腿が流れ弾に大きく抉られた。
しかしどういう訳か、彼は被弾に痛苦に悶えながらも喜悦満面だった。
「ぐ、あっ……はは……」
「何が可笑しいというのかね?」
「いやはや……久方ぶりに敵に傷を負わせられたからな。つい先日までは自分が一方的に蹂躙するだけのつまらぬ戦闘ばかりであったが故、貴下のような強者が傷を刻み付けてくれたことを嬉しく思う。……尤も、それもすぐに塞がってしまうのだが」
名残惜しそうに呟きを漏らすゼヘルの、抉られた太腿の傷口がじゅくじゅくと蠢いている。
その間、ものの一、二分。彼の深い傷はあっという間に塞がり……否、塞がっただけに留まらなかった。まるで最初から傷など負っていなかったかのように、肉の一片や血の一滴までもが完全に復元されていたのである。
「吸血鬼の肉体再生か……。全く、憎たらしいものだ」
完璧に治癒したゼヘルの脚を疎ましく見遣りつつ、ローラが舌打ちする。
「せめてその特性さえ無いのであれば、少しは戦局が有利になるのだがね」
「残念だが戦局が有利になることは無いであろう。日もとうに暮れ始めたこれからは、吸血鬼が本領を発揮できる絶好の時間帯だ。貴下がクルースニクであれど、昼間よりも強化されたこの自分には勝てぬ」
「そのようなこと、戦わねば分かるまい!」
ローラが銃剣を構え、また一発撃つ。
『Gloria in excelsis Deo(いと高きところには神に栄光)!』
今度の弾丸は、先ほどの一発よりも輝き自体は劣る。が、先ほどの銃弾と同等の加速力を以って、前方の吸血鬼の心臓を狙う。
しかしゼヘルは弾丸が身体を貫く前に剣を振り下ろし、音速で飛来する銃弾を上回る斬撃で斬り捨てる。先ほどの「夜間は吸血鬼が強化される」といった旨の発言は嘘ではなかったのである。
「温い!」
巨大な鋼鉄に叩き斬られた銃弾は暴発し、周囲に凄まじい爆風を生んだ。完全に蚊帳の外に在る悠人は、ほんの小さな弾が生んだ強烈な圧に叶ともども吹き飛ばされないようにするだけで精一杯だ。
だが戦闘慣れした風格を見せるローラは当然、爆風程度では怯まない。苛立たしげな表情を浮かべてはいたが、引き金を引く手が緩むことはなかった。
「その油断が敗因に繋がるということもあるということを知れ!」
その発言通り、絶対多数ではないものの、銃弾のいくつかはゼヘルに当たっていた。どうせ穿たれた痕はすぐに再生し塞がってしまうのだが、それでも連続で撃ち込んでいけば動きを停滞させる程度のことはできる、と彼女は考えているようだ。
「ハハッ、その確固不抜とした戦意は誠に素晴らしい! 貴下との戦闘がますます法悦の時に感じられるな!」
向かい来る弾丸を次々と断ち切りながら、ゼヘルは愉悦の限り笑う。銃撃を喰らい己の身から鮮血を噴出させる苦しみも、今の彼にとっては強者との戦闘にさらなるスパイスをもたらすものでしかない。
すっかり気を高揚させた戦闘狂の吸血鬼は、銃弾をひたすらに両断しつつ、濛々と立ち込める粉塵を掻い潜って討伐者の少女にそのまま斬撃を仕掛けようとしたのだが――
「……む?」
突如、彼の進撃の足が止まった。
戦意に心を昂らせていたはずのゼヘルがここに来て急に冷静になったことを、ローラは怪訝に思ったらしい。
「どうした? 戦意でも失くしたかね?」
「まさか。そのようなこと、真祖様の御前以外ではあり得ぬ」
ゼヘルはローラを見ていない。明後日の方向を――正確には公園の入り口がある方角を、興醒めした表情でじっと見つめている。
「だが……どうやら我々の存在が現代の治安機構に察知されてしまったらしい」
彼の不服そうな声は、途中で別の雑音に遮断されてしまう。
夜の帳が降りた空にけたたましく鳴り響くサイレンの音によって。
耳を劈くその音が徐々に大きくなるにつれ、ローラはだんだんと表情を強張らせていく。
「まさか……警察か!?」
「どうやらそのようであるな。如何せん、このような閑静な住宅密集地帯で戦を繰り広げれば、第三者に通報されてしまうのも致し方無い」
残念そうに言いながら、ゼヘルは公園の遊具を足場にして跳躍。そのままローラたちから離れていく。
「待て! たとえ警察の輩が来ようとも、貴様は絶対に逃がさん!」
「そう言われても困る。いくら自分が人間よりも格段に優れた種族であるとはいえ、今ここで治安部隊に目を付けられてしまうことだけは流石に避けたいのだ。……特に、すべきことがまだ残っている今はな」
去り際にゼヘルは背後を振り向く。
その視線を向ける対象は、ローラではなく悠人だった。
四百年の時を経て復活した主を見る配下の眼差しは、とても情熱的で慈悲深くて酷薄で。
「近いうちにお迎えに上がりますぞ、真祖様。我々にはどうしても貴方様の存在が不可欠なのですから……」
その嫌らしい囁き声を悠人の耳の中に置き去りにし、彼の吸血鬼は去って行った。




