呉越同舟観光旅行
修学旅行二日目。
悠人の悪い予感は的中した。
「どうもー、暁美悠人クンの昔からの友達のダインちゃんでーす」
「そして自分もまた、真祖様……ではなく暁美悠人殿とは旧知の仲だった者だ。今日は日本の学生生活なるものに興味があったが故、特別に観光に同行させていただくことになった」
本日の観光予定地へと向かうべくホテルの駐車場に整列した生徒たちの前に、何故か昨夜会ったばかりの二人の吸血鬼の姿があったのである。
二人とも、恰好は戦闘の装いでは無い。
ゼヘルは昨日から見ている通りの黒いパーカーとジーンズ。ダインスレイヴも昨夜の薄汚れた服装では無く、カラーサングラスにGジャンにロゴ入りTシャツといった様相であった。「I love Tokyo」と書いてあるTシャツを着ているのは京都の人に些か失礼だが、その無礼さも彼らしいと感じてしまう。
それでも、人間社会に溶け込む必要性があるのだとしても、どうして冷泉学園高校の生徒一同と対面しているのかは全くの謎。
「えっと、どういうこと……?」
「暁美くんって外国人の知り合いいたんだ……。いや、フォーマルハウトさんと居候しているから、彼女の知り合いっていう可能性もあるか」
「それにしても、けっこうなイケメンだな……」
「イケメンの知り合いだからイケメンって奴?」
当然、生徒たちは俄にざわつき始める。彼らの視線は一心に問題の人物へと向けられていた。
「……」
――一体何故、彼らが生徒たちの前にいるのだろう。
――『暁美悠人の知り合い』とは一体どういうことなのだろう。
――そして、「修学旅行に同行する」とはどのような風の吹き回しなのだろう。
いろいろ言いたいことが山積みになっているが故、かえって言葉を失ってしまっている悠人。教師たちに紹介される形で目の前に登場した吸血鬼たちを、ずっと引き攣った表情で見送っていた。
憤怒、恥辱、絶望。様々な負の感情を胸に痞えた悠人に追い打ちを掛けたのは、吸血鬼狩りの聖女が耳元にそっと打ってきた底冷えのする声音で。
「……貴君、これはどういうことなのだね? ゼヘル・エデルにダインスレイヴ=アルスノヴァ……名の知れた凶悪な吸血鬼が二体もこちらに同行するなど、明日は大虐殺でも起こるのではないのかね?」
「……どうしてこうなったのかは俺が聞きてえよ」
というかダインスレイヴは教団でも悪名高い存在だったのか。一見では馬鹿に見える彼でも、人は見かけによらないという奴なのだろう。
それはさておき、何故ゼヘルとダインスレイヴが修学旅行に同伴する運びとなったかについては、冷泉学園高校二年生の学年主任から語られた。
「えー、先ほどご本人からも説明があった通り、この人たちはE組の暁美くんの古くからの友人で、今回はたまたま観光で京都を訪れていたそうだ。その時偶然暁美くんたちが修学旅行の最中だと知り『日本の学生と交流したい』と思ったそうでな。我々からしても、外国人の方と交流できる機会はなかなか無いと思ってな。国際交流も兼ねて特別に許可することにした。みんな、この方たちと仲良くするようにな」
もちろん、これは確実に真っ赤な嘘。
悠人の知り合いであることはある意味では事実だが、彼らは真祖に仕える吸血鬼。間違っても友人では無い。加えて、人間を端から劣等種として見下している吸血鬼の目的が日本の学生との交流というのはあり得ない話だ。
「……ユート、おそらく彼らの目的は貴君の観察だ。充分に警戒する余地がある」
「正確に言えば『彼らの』じゃなくて『ゼヘルの』目的だろうけどな」
剣呑な声で忠告してくるローラに対し、悠人は全てを観念したかのような溜め息交じりの声で返答。
脳裏には、昨夜ゼヘルが清々と告げてきた言葉が自然と浮かんでいた。
『たかが監視対象が一人増えることなど自分にとっては問題無いことにございますので』
ゼヘルが語っていた『監視対象』とは、どうやら悠人のことだったらしい。本来ならば悠人にラリッサの魔手が迫らぬよう観察することを、彼は目的としていたのだろう。
そして、昨夜何かと問題点の多いダインスレイヴの手綱を握ることを名乗り出たのも、悠人を監視するついでとして彼も見張っていようという一石二鳥を狙う魂胆があったのかもしれない。
ともかく、あと三日分残っている修学旅行の時間は、二人の吸血鬼に縛られ続けるのだろう。そう考えると、心を重くせざるを得なかった。
「……まあ、俺は俺であいつらが他の生徒たちに危害を加えないよう見張る必要もあったんだろうし、これはどうしようも無いことなんだろうな」
「だが……!」
「それに、あいつらに今のところ敵意は全く見られないし、生徒や教師があいつらと俺の関係を怪しんでいる様子も無い。win-winって奴じゃねーか」
とは言っても、ゼヘルに何度も襲われているはずの叶が、現在再び現れた彼に気付かず「すごーい! 悠くんに外人の知り合いいたんだー!」と呑気なことを口にしているのはどうなのかと思ったが。
それでも、悠人に事情を説明されても、ローラに納得した様子は見られない。
「上辺では敵意を隠してはいても内心では襲撃を企てているかもしれないがね」
「まあ、その可能性が無いとは言い切れないけど……でも、何も彼らを警戒してるのは俺たちだけじゃないだろうし、大丈夫だとは思うぞ」
言いつつ悠人は、学年主任に紹介されるゼヘルたちの背後に控えている教師たちの、その中の一番左側に並ぶエルネのことを見遣る。続けてローラも、悠人と同じ方向を見遣った。
彼らに見られていることに気付いたエルネは、こちらに向け親指を立て、さらには薄く笑いながら口を動かす。
『こいつらのことは心配無い。こいつらが何かやらかしたらアタシも動くからねェ』
周囲に他の教師がいるからなのか、紡がれたその言葉は声として届いてこない。が、何と言っていたのかは自然と分かってしまい、思わず安堵の微笑を浮かべた。
しかし、微笑していたのは悠人だけ。
ローラは未だに敵意溢れる視線で、ゼヘルとダインスレイヴのことを睨んでいた。
*****
「……」
ローラ・K・フォーマルハウトは苛立っていた。
「おほーっ!! めちゃくちゃ金!! 黄金!! 金色!! これ建てるのにどのくらいの財力が要るんだろうね!? そしてこれをぶっ壊したら弁償代はいくらになるんだろうね!?」
「壊すことを考えるんじゃねーよ。世界遺産なんだから、きっと破壊したらとんでもないことになるぞ」
「それにしても……随分と華美な寺院ですな。聖所ならばここまで派手である必要は皆無であると思われるのですが」
「いや、この建築物は栄華を象徴するものだから特に神とか仏に対する信仰心から造られたものじゃねーと思うけどな。……っていうか、何でこいつらに観光案内してるんだろうな、俺……」
暁美悠人に金魚の糞のように付き纏う、二人の凶悪な吸血鬼に対して。
「……何なのだね、彼らは。馴れ馴れしくユートに付き纏いおって……」
現在ローラたちがいる場所は鹿苑寺。黄金色の舎利殿が有名な、いわゆる「金閣寺」という名で知られる京都の人気観光スポットだ。
その金閣寺に到着するや否や、悠人と同じ班である叶や解、そしてローラを差し置き、ゼヘルとダインスレイヴは彼のことを独占し我先にと参拝に向かって行ったのだ。
日本には疎いローラでも、金閣寺の壮麗さは充分に存じている。今日は普段あまり触れる機会の無い他宗教の文化を堪能するのにいい機会だと思っていたのに、こうも敵に悠人を拘束されてしまっては、おちおち観光を楽しむことなど出来やしなかった。
そしてそれは、他の班員にとっても同じなようで。
「うう……あんなに悠くんと一緒にいられて羨ましい……」
「昔の知り合いとの交流を楽しむのもいいけれど、こうも置いてけぼりにされると少し妬くな……」
叶はペットボトルの緑茶を飲みながら隔靴搔痒としており、解は目が全く笑っていない微苦笑を浮かべながら前方の悠人たちを眺めていた。二人とも、悠人との会話の機会が奪われていることが解せないらしい。
もどかしい想いを抱えている状態の叶と解に、ローラは同情を示さずにはいられなかった。
「貴君らの気持ちは分かるのだよ。いくら彼らがユートの旧友であるとはいえ、多少は他にも目を向けてもらわねば困る」
その言葉の本当の真意は「目的不明の敵に迂闊に真祖を篭絡されては困るから、素直にここから立ち去ってほしい」というものであったが、吸血鬼と聖騎士が争い合っている裏世界の話を何も知らぬ人間にできる訳も無く。だからローラは脚色して心境を吐露した。
その同情の声に触発されたのか、悠人に対する想いが誰よりも素直な叶が唐突にうずうずし始めた。
「んん……ああもう! いくら昔の友達でも、あんなに悠くんにべったりしているなんてズルいよ! あたしも混ぜてもらってくる!」
我慢できない! といった様子の叶の足が動く。前方に向け小走りした彼女は悠人たちの会話の中に混ざり始めた。
悠人を除く吸血鬼たちが邪魔された報復として叶を襲うのでは、とローラは一瞬危惧したのだが、そんな展開にはならなかった。叶とは初対面のダインスレイヴは快く彼女が入り混じった会話を楽しみ始め、以前叶を二度襲撃したことのあるゼヘルでさえも彼女のことを困ったように見遣るだけ。襲撃の気配は全く見受けられないことは、とりあえず安堵できる。
そして、ローラの元には解だけが残る。
黄金の舎利殿が逆さに映えて見える鏡湖池沿いを歩きつつ、彼は軽く溜め息を吐いた。
「やれやれ……本当に浅浦さんには脱帽したよ……」
それから解は、ローラの耳元でそっと囁く。
「……あの眼帯の彼、以前浅浦さんのことを襲った犯人だよね? 『自殺した』って聞かされてたけれど、まだ生きてたんだ?」
「貴君、覚えていたのかね?」
「当たり前だよ。だって彼、出会い頭にいきなり僕に暴力振るってきた奴だし。あんな横暴な人と悠人が昔馴染みだったなんて、僕としては気が気じゃないよ……」
焦燥感を見せるものの、何故か解は悠人の元へと向かおうとしない。親友のことを誰よりも案じている彼ならば、すぐさま急行してゼヘルのことを引き離そうとしてもおかしくないであろうに。
そのことが単純に気になったローラは、あけすけに訊いた。
「ところで、貴君はユートの元へ行かなくてもよいのかね?」
「今はいいかな。悠人とはホテルでの部屋も同じだから、今じゃなきゃ絶対に触れ合えないなんてことは無いし。それに、以前僕のことを襲った犯人と顔を合わせるのは現時点では気まずいし……」
解は苦笑する。
そしてさらに、苦笑いの表情のまま、ローラだけに聞こえる声で小さく呟いたのだった。
「でも前にいざこざがあったとはいえ、いざとなれば僕が彼らに灸を据えるから、フォーマルハウトさんが気に病むことは特に無いよ」
「……?」
親友に対しての想いが強い解ならば、そんな決意をするのも頷けるだろう。
しかし何故か、その言葉には友情以上の重みが含まれているように感じ、ローラは無意識に怪訝な表情を浮かべた。
吸血鬼たちによる横行は、金閣寺だけに留まらない。
次に立ち寄った観光場所たる龍安寺でも、彼らは暁美悠人の独占を決行したのだ。
「うーん、さっきの金色の建築物と比較すると地味だよねー。こんな石しかない庭に感動するだなんて、ここの国の人たちの神経どうかしてるんじゃないの?」
「自分としてはむしろこのような虚飾の無い美の方が落ち着くのだがな。貴下は質素の中の芸術というものを理解していなさすぎる」
「戦闘のことしか頭に無いお前でも、芸術とかに理解を示すことってできるんだな……」
彼らの会話を耳に入れるだけでも、腹の底から熱い怒りが湧いて止まらない。
二人が悠人の両隣を陣取って枯山水の石庭を見ているのが発覚した際は、背後から蹴り飛ばして石庭の中に墜落させてやろうと思ったくらいだ。
無論それは貴重な芸術作品を穢す行為と同等なため、実際にそれを実行に移すことはしていないのだが。
(このまま奴らが懲りないようならば、こちらから灸を据える必要があるようだな……)
一説では物事の不完全さを表しているとされる石庭を眺めながら、ローラは逆に確固とした決意を抱く。
金閣寺にて、解が「いざという時は僕が灸を据える」といった旨の話をしていたが、今となっては自分が彼らを懲らしめなければ落ち着かない。
そう感じてしまった理由は、果たして今の彼に仲間意識を持っているからなのか、それとも真祖を吸血鬼たちの思うようにはさせないという使命感があるからなのか、あるいはそれ以上の理由か。
その答えは、今は分からない。
そして、三つ目の観光場所として寄った仁和寺。そこでもなおゼヘルとダインスレイヴは他を差し置いて悠人のことを拘束しようとしたため、ついにローラは灸を据えることを決意。
「……貴様ら」
怨念の篭もった声で呼び掛けるや否や、吸血鬼二人は即座に反応する。
「あれ? そんなに怒ってどうしたの?」
「よもや、自分らが真祖様に付き従っていることが気に食わぬと?」
「その『よもや』だ!!」
きょとんとする彼らに、ローラは怒鳴り声で言い聞かせた。
「私を差し置いてユートを独占しようとするとはいい度胸だな!? 善良な人間の振りをし、周囲を欺いてまで真祖を篭絡せんとするとは、聖女の目があることを知っての狼藉かね!?」
「おい、ローラ……! 関係無い生徒たちもいるんだからあまり大声で言うのは……!」
周囲に介意すること無しに糾弾したことに対し、半ば巻き込まれた形になっている悠人が制止の声を上げる。だがローラは聞く耳持たず、全力の敵意を吸血鬼たちにぶつけた。
「……何を言っている? いくら貴下と敵対関係にあるとはいえ、今の自分は単に主君と観光を楽しんでいるだけの存在なのだが……」
無関係な人間を巻き込み真祖の冠を曲げさせてしまうことを恐れているのか、ゼヘルの方は白を切っていた。隻眼を丸くさせ、珍奇なものを見るような目付きでローラのことを視界に捉えている。
だが、ダインスレイヴは違った反応を見せた。
「……ははーん」
合点が行ったらしい彼は、ニヤリと笑った。
「さては君、本当は真祖様を取られるのが嫌なんでしょ?」
予想外のことを言われ、ローラは狼狽する。
「な、っ……!!」
「分かるよー。さっき金閣寺……とかいう場所でカナエちゃんって子から聞いたもん。『あの子は悠くんに対する想いを隠してる』ってね」
「カナエが……だと……!?」
思わず振り返り、叶の方を見遣る。
ダインスレイヴと交わしていた会話を聞かれたのだろうか、叶は遠くから申し訳無さそうに両手を合わせ謝ってくる。しかしそこまで深刻そうに見えないところから見るに、彼女にそこまでの悪意は無かったようだ。
しかし打ち明けた本人に悪意が無い分、かえってローラはやりにくさを覚えた。
「それにしても、何で隠すのさ。真祖様だって敵対関係にあることを分かっていながらも君にご執心なんだからさ、君だってもっと正直になればいいのに。『私はユート・アケミのことが大好きです』って――」
「――黙れ」
こちらににじり寄りつつ茶化してきたダインスレイヴを、殺意の篭もった一言で牽制するローラ。
素直になれるのならば、初めからそうしている。本来ならば宿敵同士である悠人に対し、もっと本音から友好的に接することもできるはずだ。
しかし、物心付いた時から自分に根差している『クルースニクとしての意地と矜恃』が、悠人に対しての秘めたる想いを素直に認めることを赦してくれない。
いくら彼に仲間意識を抱いたまま今を過ごしていたとしても結局はいずれ袂を分かち互いに殺し合うのだろうという残酷な現実が、彼と親しくするたびに脳裏に浮かんでしまい、彼に対して自身の想いを素直に打ち明けることを躊躇してしまう運びとなってしまうのだ。
こちらを翻弄してくるどうしようもない迷いに真剣に向き合っている最中にあるからこそ、ローラは第三者にそれを嘲笑されることにたいそう虫唾が走ったのである。
「うわあ……その反応、シラけるなあ……」
だが、聖女と女子高生の間で心を揺らす少女に睨まれても、ダインスレイヴはお構い無し。
自身の失言を謝罪することはしない。ばつが悪そうに憫笑した後、こちらから一歩引いたのみであった。
「……まあ、いいや。君が聖女としての誇りに縛られているのならそれでいいし、むしろ僕としては大助かりだし。ただ、君がもうちょっと自分の感情とか欲望に素直だったら、今後の展開が面白くなりそうだなーって思っただけだから」
興醒めといった体でくるりと踵を返したダインスレイヴは、観光を純粋に楽しんでいる一般の生徒たちの輪の中へ入っていこうとする。
が、その過程で、一瞬だけこちらを振り返り、
「でも、そんなんじゃいずれ取られちゃうよ。君の愛しい人が、君の望まない最悪の形でね……」
そう口にした際の彼の顔に、今までの飄々とした色は無かった。
凶悪な吸血鬼に相応しい、純然たる嘲笑と悪意が在った。




