ただ、それだけで―after―
「……この度は迷惑を掛けた」
騒動が解決した直後。
後は冷泉院家の者たちに委ねようと、悠人とローラが屋敷から静かに立ち去ろうとした時のことであった。
悠人たちは、ふと背後から霧江に声を掛けられたのだ。
「会長? それに海紗さんまで……どうしたんですか?」
戦闘が終わったため真祖の人格から人間の人格に切り替えている悠人は、意味深長な顔をしている霧江とその背後に立つ海紗に、きょとんとした顔で尋ねる。隣を歩いていたローラも似たような表情だ。
話を切り出してきた霧江は、真剣な表情を浮かべ、そのまま頭を垂れた。
「お前たちを巻き込んだのは、紛れもなくこの俺のせいだ。本当に申し訳無い」
「でも、理事長の計画に真祖の俺が関わらなければならなかったのは必然ですよね? だったら、会長が謝る必要は……」
「そのきっかけを作ったのは俺だ」
赤心を以て、霧江は答えた。
「俺は父さんに心酔していた。だから父さんの間違った考えに気付かなかった。それが真実だと思い込んでいた。そして、父さんの心にすり寄っていたせいで、俺は父さんに言われるがまま、お前たちを間違った方法に利用しようとした。今回の一件で父さんが責められるのは当然のこととは思うが、そう言うのならば俺だって共犯者だ。謝る必要は充分にある」
「……兄様だけではありませんわ。わたしにだって、貴方たちに謝るべきです」
兄に続くようにして、妹も告解する。
「兄様とは違って、わたしは最初から父様の過ちに気付いていました。そして、貴方たちを父様が犯した過ちの関係者にしてしまうことへの罪悪感もあった……のに、優柔不断なわたしは、父様の不幸な境遇を重んじるあまり、貴方たちを利用するという下心を持ちながら接触したのです。罪悪感を感じながら……」
そして海紗も、霧江と同じように項垂れる。
「本当に……暁美くんとフォーマルハウトさんには申し訳無いことを致しました。ごめんなさい……!」
「……」
暮土の計画には息子である彼らも関わっていたとはなまじ分かっていたのだが、いざそんな彼らに面と向かって謝罪されると、何と返せばいいか分からなくなる。
唖然と口を開くことしかできずにいた悠人の代弁をしたのは、今や真祖の相棒のようになっている聖女・ローラで。
「己の罪を主犯に擦り付けず、素直に否を認め謝罪したことは褒めてやる。後は貴君らがどのようにして償い、その誠意を私に見せてくれるかによるがね」
「ばっ、馬鹿ローラ……!」
予想外の上から目線。暮土の時もそうだが、敬神の強いマリーエンキント教団の聖女は罪人に対して高圧的すぎやしないだろうか。
つい数十分前に自ら口にしていた恩寵には程遠い一言を放ったローラに悠人は焦るが、当の罪人たちはさりとて気にしていないようであった。これは幸か不幸か、それは分からなかったが。
「いや、いいんだ暁美。今回の件の詫びについては、海紗と充分に考えている」
「ええ。暁美くんへの血液提供、できる範囲での情報提供、そしてこの街で起こった吸血鬼関係の事件の事後処理……これでいかがでしょうか?」
「そんなに……!? 見返りがあまりにも大きくないですか……!?」
あまりにも破格すぎる条件に悠人は思わず目を剥いた。
血液提供に関してはまだ分からなくもない。「一般人を巻き込まない」と誓った悠人にとって、吸血鬼最大の特性である吸血衝動と上手く向かっていくことは難しい。ならば吸血鬼と大いに関わりのある者・吸血鬼に関して理解のある者が、血液を提供し衝動を抑えることに対し協力を申し出てくれるのはありがたいと思っていた。
しかしそれ以下、特に最後に関しては、相当の権力が無いと厳しいのでは……
「あれ? 暁美くん、知らないのですか?」
頭を悩ませていた最中、海紗が首を傾げながら言った。
「先日夜戸市で起こった四使徒による殺人事件を『犯人の自殺』という形で捏造したのは、わたしたち冷泉院家なのですよ?」
「名家の当主の人脈の広さを甘く見ては困るな。報道関係者にいる知り合いに捻じ曲がった事実を伝え報道させることなど、俺たちの父さんにとっては造作も無いことだ」
「えっ……!?」
ここに来て明らかとなった衝撃的事実。 夜戸市で起こったゼヘル・エデル関連の事件をでっち上げたのは冷泉院家だった。
地元でも大きな権力を持つ氏族ならば多少のコネはあるだろうとは勘繰っていたものの、全国区に通用するほど暮土の顔が広かったとは考えてもいなかった。しかも暮土自らが動いていたということは、今後も何かしらの吸血鬼関係の事件が起こった際、彼が一般人を関わらせないために動く可能性は充分にあるのではないだろうか。
ますます唖然としてしまった悠人に、とどめを刺すかのようにローラが耳打ち。
「よかったではないか、再び強力な配下を得ることができて」
「……そ、そうだな」
まさか四百年前以来、四使徒と同等レベルの心強い味方を獲得することになろうとは。
事件の最後に降ってきた思いもよらぬ出来事に、悠人は肩を竦め苦笑いすることしかできない。
そんな中、海紗が悠人たちを微笑ましく…というよりも生温かい笑顔で眺めつつ、出し抜けに言った。
「あ、そうでした。暁美くん、最後に少しお伺いしたいのですが……」
「何をですか?」
今度は悠人が首を傾げる番であった。
果たして海紗にはまだ自分たちに対し心残りでもあるのだろうか、と勘繰る悠人。彼と同様、怪訝そうな表情を浮かべるローラも、似たようなことを勘繰っているのではないだろうか。
だが海紗の質問の意図は、彼女の背後に佇む霧江が憤怒と忌避を交互に顔に浮かべていたのを見た瞬間、何となく明らかとなった。
(まさか……な……)
曲がったことが許せない鉄血会長ならば、きっとそういうことにも理解を示さないだろう……そんな悠人の憶測は、ものの見事に的中して。
「暁美くんは兄様のこと、恋愛対象としてお好きですか?」
「「「……」」」
にこやかに放たれた爆弾に対してのそれぞれの反応は三者三様。
昨日から何となく事情を察していた悠人は重々しく溜め息。一方未だに理解できていないローラは、眉根を顰めたままで彼に尋ねてくる。
「ユート、一体何が起こっているのだね?」
「何が起こっているか、って……。ただ単に、海紗さんがボーイズラブ好きだってことが口外されただけだよ……」
「ボーイズラブ……男性同士の恋愛のことか。背徳極まりない行為を鑑賞することを好んでいるとは、何と不埒な」
海紗がボーイズラブ愛好家――言い換えるのならば『腐女子』――であることを知ったローラは、怪訝な顔を苛立ちへと一変させた。
キリスト教関係の秘密結社の聖女である以上、信条にて固く禁じられている恋愛観を赦したり見逃したりすることは断じてできないようだ。彼女は鼻を鳴らし、怒りを露わにする。
だが妹の趣味を心から嫌悪しているらしい兄の怒りは、ローラの怒りよりも遥かに凄まじかった。
「……海紗、大人しく俺の元に来い」
肩を戦慄かせた霧江の怒号が、その一言が発せられてからものの数秒後に飛んできたことは、もはや言うまでも無い。




