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逢魔ヶ時の襲来者

 先ほど保健室で「小康状態だから大丈夫」という旨の嘘を口にした悠人であったが、その嘘の襤褸ぼろは帰路の途中であっさりと出てしまった。


「悠くん……やっぱり大丈夫じゃなかったんじゃない……?」


 叶が心配そうに悠人を窺っている。それほどまでに今の悠人の容態は異常だった。


(身体が、重い……。ひどく喉が、渇く……)


 引きずるように、通学路の途中にある下り坂をふらふらと歩く。まるで全身の水分が無理やり搾り取られたかのように、悠人の身体は耐え難い苦痛と渇に苛まれていた。

 昼までは何とも無かった。にも関わらず夕方の到来と共に身体が異常を来し、日がどっぷりと暮れた今ではまるで悪病を患ったかのようになっている。こんな状態の中でも家まで叶を送り届けようとしている神経が不思議で堪らない。


「悠くん、少し休む?」

「……」


 悠人に返答する気力は無い。それどころか叶の言葉すらも耳に届いていない。


 叶の方も、そのことを暗々裏のうちに察したらしい。自身よりも頭一つ分高い少年を肩で担ぎ、下り坂の麓にあった児童公園まで運ぶ。

 いつもは甘えたがりな幼馴染の滅多に見られない頼もしい一面を垣間見、悠人は目頭が熱くなると同時、迷惑をかけて申し訳無いという罪悪感に駆られた。


「悪、いな……。お前に変な気、遣わせて……」

「気にしなくていいよ。どうせ走れば家まですぐだし、何よりも具合の悪い幼馴染のことを放っておくことなんかできないもん」


 言いつつ叶は、公園内の一角にある色褪せたプラスチックベンチの上に悠人を仰向けに寝かせる。そうするや否や、「お水買ってくるね」との言葉を残し、ここから対角線上の方向にある自動販売機の方へと走って行った。

 一人残された悠人は叶の気遣いに心中で感謝する一方、黄昏時の到来と共に容態が急変した自身についての疑念を巡らせる。


「どうしたんだ、俺……」


 日暮れと共に身体を侵し始めた頭痛と動悸、そして際限なく渇く喉――特に思い当たる直接的原因も無く、まるで身体を作り替えられたみたいに苦痛と渇望・・に悶えるようになってしまった自分は、異常という言葉以外では言い表せない。


(もし一生この容態が続くようだったら、カナだけじゃなくて、父さん母さんまでもを心配させることに――)


 刹那、悠人の朦朧とした思考を遮断するかのように、自治体のスピーカーから五時の時報が流れ出した。


『――午後五時になりました。よい子の皆さんは、お父さんお母さんが心配する前に、早くおうちに帰りましょう――』


 猟奇的な殺人事件で俄かに騒ぎ立つこの時勢の中、夕方遅くまで遊んでいる子供などいる訳もないのに、スピーカーは相変わらず噛み砕いた敬語で語られるアナウンスを垂れ流す。

 そしてそのアナウンスからやや遅れる形で、音割れのひどい『夕焼け小焼け』の旋律が流れ出し――



「――う、ああああ……っ!?」



 ――悠人の身体を蝕んでいた耐え難い渇きが急加速した。


「あ、ぐあああああっ、あっ……っ……!!」


 まな板の上の魚のように、ベンチの上で激しく暴れる悠人。

 心臓が激しく脈打っている。ぎりぎりと脳髄が疼いている。麻酔が切れた手術中の患者が味わうものと同じような、激烈で凄絶な痛苦が身体を侵食していた。

 今すぐに死んでしまいたいほどの苦しみが身体の自由も意識もを食い潰しているというのに、案外強固な人間の生命力は楽に逝かせまいとしている。それが今ではひどくしゃくに障った。


 唯一幸いだったのは、身体をのたうち回らせ悶絶するこちらに、幼馴染の少女がすぐ気づいてくれたことである。


「悠くんっ!!」


 ミネラルウォーターのペットボトルを携えて帰って来た叶が、驚愕しつつ駆け寄ってくる――



 ――否、駆け寄ろうとしたのだが、



「え、っ……?」


 突如、叶の眼前で一筋の赤光しゃっこうが走った。

 まるで彼女が悠人に近づくことを、断固として拒むかのように。


 それから僅かに遅れて、ぶしゅりと皮膚が裂ける音と、がはっと少女が弱くせる音と、どさりと人体が倒れる音が、悠人の耳に届く。


「カ……ナ……?」


 重い身を起こし問い掛けるが、返事が無い。それ以前に、地に倒れたはずの叶の姿もよく見えない。

 しかし、それらの理由はすぐ判明する。


 叶の返事が無いのは彼女が何者かに襲われ意識を奪われたからであり、地に倒れた叶の姿が見えないのは彼女と悠人の間に新たな人影が割り込んだからであった。


「ほう……これはとんだ僥倖ぎょうこうだ。見るも鮮やかな乙女の血……何と真祖様に捧ぐ供物に相応しきことか」


 遠雷のごとく低い男性の声に、悠人の背筋がぞわりと震える。

 しかしそれは、人間の痛々しい有り様を目の当たりにしてもなお平然としているその人物の異常性に恐怖したからではない。


「なん、で……ここに、いるんだよ……」


 その声は、繰り返し見続けてきた夢の中ではっきりと聴いたものだったのだ。


 今叶を襲ったと考えられる男の声は、おそらく黒髪の青年の前で跪き戦況を陳述していた、武装した偉丈夫と一致していたはずだ。

 彼の名前は、確か――


「――ゼヘル・エデル……」

「……おや」


 悠人の声に呼応するかのように、男がゆっくりと振り向く。そうしたことで、ようやく彼の容貌がはっきりとした。

 あの悪夢の中に登場した時の姿のままでいる、彼の容貌が。


「これはこれは……よもやこの自分の名を覚えておられたとは嬉しい限りですな」


 手入れの行き届いていない赤銅色の長髪を棚引かせる、身長一九〇センチメートル越えの武人然とした男である。だがその顔立ちは存外に若く、それなりに端正に整っている。世間に出たらきっと「ワイルド系のイケメン」として女性たちの注目を集めることだろう。

 彼の左目部分には軍用の眼帯が装着されていたが、顕わになっている真紅の右目は、品定めをするかのように悠人を見つめている。


 思わず男――反応を見る限り『ゼヘル・エデル』という名で間違いないようだ――の凛々しい容貌に見惚れてしまった悠人であったが、彼が禍々しさを感じさせる真紅色の剣を手にしているのを見た途端、自分が窮地に曝されていることを今さらのように感じ取った。


(まずい……次の狙いは、間違いなく俺だ……)


 彼があと数歩足を進めたら最後、携えられている刃によって一刀両断されてしまうだろう。

 だが悠人の脳内に「逃げる」という選択肢は存在していない。激しい障りに侵された身体で満足に逃げ切れるとは思えないし、何より倒れた叶をあのまま放っておくことなどできる訳がない。


(とにかく、俺の父さん――いや、警察を呼ばないと……)


 幼馴染と自分の絶体絶命の危機に慄き、身体が情けなく震える。

 それでも右手は、ズボンのポケットの中に収まっている携帯電話を求め動き出していた。


 が、悠人は相手の方が一枚上手であることに気が付かなかった。

 ゼヘルは目の前の標的が外部と連絡を取ろうとしていることも見抜いていたのだ。


「貴方様に手荒な真似を致すことだけは避けたかったのですが……どうか自分の欠礼をお許しください」


 瞬きする間の出来事だった。

 ゼヘルは瞬間移動のごとき速さで悠人に肉薄し、携帯電話を取り出した右手を力強く掴んだ。その拍子で、携帯電話は手から抜け落ち、ベンチの下へと落下する。


「あ……」


 射竦められ、悠人は打開策が失われたことを察した。

 今できることといえば、せいぜい短い生の終わりに腹を括ることくらい。


(十六年か……短い生涯だったな……)


 きっと保健医のエルネが言っていた『運命の転機』とは、弱冠十六歳で呆気無く殺される今日この時を予知していたものだったのだろう。『運命の転機』というよりも『運命の終わり』と呼ぶ方が正しい気もするが。


 なんてことを考えているうち、ゼヘルが掴んでいた悠人の手をそっと離し、一歩引き下がる。いよいよ二体目の得物を狩る態勢に移行しようとしているのだ。

 死の恐怖が心に募る。悠人は強く目をつぶり、迫り来る斬撃と激痛と生の終わりに備えようとした。


 だが――


(あれ……?)


 ゼヘルの刃を振り下ろそうとする所作が一向に感じられない。

 何故彼は叶を襲った時のように、素早く命を狩ろうとしないのだろう。そのことを疑問に感じた悠人は恐る恐る目蓋を開き、ゼヘルのことを見遣る。


 そして、目に映ったものは。


「ご安心を。先ほどの自分の欠礼は致し方無いにせよ、至高にして崇高なる貴方様のことをあの獲物のようにぞんざいに扱うことは断じて致しません」


 きっぱりとそう言ったゼヘルが、悠人の眼前で感極まったように跪いている。

 今まで何度も見たあの悪夢の中で黒髪の青年に対して取っていた丁重な態度を、今度は悠人の前で同じように取っているのだ――。


「ま、待て……どうして……」


 ゼヘルが取った行動の意味、エルネが語った『運命の転機』の本当の意味を悟り、悠人は激しい恐怖心と絶望に駆られる。


 思えばゼヘルが倒れた叶に向けた言葉は、堅苦しいものの特に改まった口調では無かったように思われる。

 が、悠人に対してはその逆。彼が夢の中で崇めていた『真祖』と呼ばれた青年と相対した時のように、あからさまに慇懃いんぎんな敬語を使用していた。

 それが意味していることはただ一つ。今まで平凡な高校生だったはずの暁美悠人の本性は、目の前の彼と同じく人智から大きく離れたものであるということであり……


「……いや、そんなの違う……! ここに在る俺は、ごく普通の……」

「――それは違いますな」


 咄嗟の否定は受け入れてもらえなかった。


 頭を垂れていたゼヘルが、跪いたまま面を上げる。

 今まで無表情だったその隻眼の美貌には、筆舌し尽くし難いほどの歓喜に満ちた笑みが湛えられていて。


 同時に悠人は、今日一日ずっとあの悪夢の内容に固執していた訳を、ようやく理解した。


「見間違いではございませぬ。貴方様は間違いなく配下たるこの自分が幾度となくお目にした通りのお姿をしておられる。尤もまだ覚醒されていないためか、瞳の色だけは過去と異なっているご様子ですが」


 それは、本来の自分が――()()()()()()()()姿()()()()()()()が今、目醒めようとしていたからだったのだ。


「我々はずっと待ち侘びておりました。四百年の時を経て、再び貴方様が現世へと蘇るこの時代を。貴方様の恐るべき力が復活し、我々を導く王として神統べる御代に再臨するこの日を」


 あの紅い惨劇は、作り話などではなく過去に起こった事実。

 その現場で血を啜り高笑いしていたあの『真祖』の名を冠した青年は、架空の人物などではなく――




「謹んで、現世への復活をおよろこび申し上げます。我ら吸血鬼の真祖ユークリッド・ドラクリヤ・クレプスクルム様」




 ――暁美悠人。己自身。





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